第17話【だから紹介したくなかったんだ......。】


「なるほど。事情はよく分かりました」


 リビングのダイニングテーブルを挟み、母さんが紅茶の入ったティーカップを傾け頷いた。

 一度自分の部屋に戻った璃音りおんは、約束通り如何いかにも高そうな紅茶の茶葉とマカロンを持参してきた。

 せっかくの品だというのに、説明するのに必死で味わっている余裕はない。


「黙ってたのは謝る。だから――」

「もう全然OK~! ていうか、良くやったって感じ?」


 あっけらかんとした表情で、母さんは顔の横に親指と人差し指で輪っかを作ってみせた。


「目の前で困っている女性に手を差し伸べるなんて。流石さすがは私の自慢の息子ね」

「はい。流真りゅうまさんには大変お世話になっております」

「あらあら、出会ってまだ二ヶ月にも満たないのにもう名前呼びなのね。その辺は意外と進んでるのかしら」


「いい加減そこから離れてくれ」


 受け入れてくれたのはありがたいんだが、異性の同級生の前での下ネタは勘弁してほしい。

 こうなることが予想できたので、俺は璃音と二人っきりで部屋にいる時に母さんと会いたくなかったのだ。


「どっち道、こんな可愛らしい金髪のお嬢さんが同級生で隣人なんて面白いシチュエーション、私が放っておくわけないでしょ。勘弁してくれって言うくらいいじり倒すわよ」


「そんな......可愛いだなんて。恐縮してしまいます。流真さんのお母様こそお若くてお綺麗で、最初お姉様かと思いましたわ」


「ふふ、ありがとう。仕事が忙しくても、日頃から身体のメンテナンスだけは欠かさずおこなってきたもの。でもやっぱり10代の肌には敵わないわね」


「いえいえ。制服を着たらきっと誰もが学生だと思い込みますわ」

「あらあら本当? じゃあ今度、紅葉の制服でも借りて着てみようかしら」


 男の俺は蚊帳かやの外で、女性陣二人がお互い謙遜ののち、話しが盛り上がってすっかり脱線してしまっている。

 一人だけ緊張していた俺が馬鹿みたいなんだが。

 気持ちをぶつけるよう、俺は皿の上に乗ったマカロンをポイと口の中に投げ込む。

 うん。コンビニで売られている物と違って、味に上品さがある気がする......多分。


「不貞腐れないの流真。あとで母さんの前で璃音さんとイチャイチャしていいから」

「しつこい」

「さて、息子とのスキンシップはこの辺にしておいて――」


 俺を一通りからかい満足したらしい母さんは、軽く姿勢を正し、


「私と夫は普段は仕事の都合上、子供たちとは離れて暮らしていて、帰って来られるのは年に二三回程度なの。璃音さんが一緒にいてくれるなら、きっと二人も退屈せずにすむと思うわ。だってこんなラブコメの定番みたいなシチュエーション、私だったら絶対毎日が楽しくて仕方ないはずだもの」


 と、右の頬に手を当て優しく微笑んだ。

 毎日が楽しい......か。

 まぁ楽しいかどうかは置いておいて、璃音と出会ってから退屈はしなくなったよな。

 本人に言うと調子に乗るから絶対に口になんかしないが。そこは認めてやる。


「そういうわけだから、ここをあなたの家だと思ってくれていいからね」

真麻まあささん......」


 翡翠色ひすいいろの瞳を潤ませ、璃音はそれを拭った。

 そして、母さんから差し出された手を両手で包み込むように握手を交わす。

 結果として俺が取った行動は余計なことだったのかもしれないが、二人が仲良くなるきっかけになったみたいなので良しとしよう。


 ***


 三人、というか主に二人で歓談していたティータイムが一時間を経過しようとした頃。

 母さんはトイレに向かい、リビングには俺と璃音の時間が訪れる。


「面白いお母様ですわね」


 静けさを取り戻した室内。

 呟いた璃音の声音が、小さいながらも隣にいる俺にはっきりと聴こえた。


「あれを面白いとか......お前の感性は大したもんだよ」

「お褒めに預かり光栄ですわ。でも流真さんが最初から素直にお母様をわたくしに紹介していれば、あんなややこしいことにはならなかったのでは?」


「勝手に人のベッドで熟睡してた奴が何を言う」

「そこにベッドがあるなら横になるのが、自然の摂理じゃありませんこと?」


 パンが無ければお菓子を食べればいい的なノリで言う、隣の悪役令嬢様。

 優雅にティーカップを傾ける姿が、素人目から見てもどうに入っているのが分かる。


「いや、そうはならないだろ。恋人のベッドならまだしも、ただの同級生のベッドの上でなんか寝たら勘違いされて当然だろ」


「あら、どんな勘違いでしょうか」


 こいつ――分かっててわざと俺のベッドの上で眠ってたんじゃないだろうな。

 意味深に口角を上げる横顔に、疑惑が嫌でも湧いてくる。


「わたくしのことはどうでも良いのです。それよりも久しぶりに会うお母様と喧嘩だなんて。考えられませんわ」


「別に喧嘩してるつもりはないんだが」

「......へ?」


 そんなに俺から出た言葉が意外だったのか、璃音の口から気の抜けた声がこぼれる。


「あのくらいのやり取り、我が家では日常茶飯事だぞ」

「......そ、そうだったのですね。わたくしったら、なんと早とちりを」


 璃音が勘違いした発端は、おそらく俺の部屋での母さんとのやり取りからだろう。

 あんなもの、母さんの言葉を借りればまさにスキンシップそのものだ。

 どこの家庭でもある平和な日常の一部だと思うんだが――璃音にとってはそうじゃないのか? そういえば璃音の父親の話は少しだけ聞いたことあるんだが、母親に関しては謎なんだよな。

 片親が珍しくない時代。自分から話す気の無い相手に、わざわざ訊ねるというのも気が引けるというもの。


「母さんずっと三人目欲しがってたからな。きっかけは何にしても、娘が増えたみたいで嬉しいんだと思う」


「娘......ですか」


「覚悟しとけよ。よそから見る分には面白いかもしれないが、関係者になると全く笑えなくなるからな」


「どんとこいですわ。わたくし、この通り器の大きな女ですのよ? 甘く見ないで下さいまし」


 それはそれは頼もしいやら何とやら。

 璃音が自信満々に胸を張ると、物理の法則でその上半身に付けた立派な二つの膨らみも上下に揺れる。

 俺だって一応健全な男子高校生だ。チラ見して何が悪い。


「それはそうと流真さん。わたくし、先程から一つ気になっていることがあるのですが」

「何だ?」


 身体を俺の方に少しだけ向け、真剣な眼差しでこう問いた。


「先程お母様がおしゃっていた『体位たいい』とは、一体何のことですの?」


 ......覚悟しとくのは俺の方かもしれない。

 汚れを知らない悪役令嬢様が、下ネタ大好きな40代前半・子持ちの人妻に毒されないことを強く願う。

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