第10話【妹の前で名前呼びとか......どんな羞恥プレイだよ】

 紅葉もみじが探しているという参考書は思いのほかあっさりと見つかった。

 隣町の駅前にある大型書店は参考書に限らず、様々なジャンルの品揃えが豊富で、直接中身を読んで選びたい時にとても重宝する。

 うちの最寄り駅の付近にもあってほしいのだが、年々町の本屋が減少傾向にある現代。閉店する話はよく耳にするが、オープンの話は全く聞かない。


 ひょっとしたら、いま行ってきたばかりの本屋も何年後かに閉店してしまう可能性だっ

て充分ありえる。

 ネット注文の普及で古き良き時代の本屋が徐々に無くなっていくのは、なんとも寂しい気分だ。


 そんなセンチな想いを抱いて家路につけば、時刻は夕方7時。

 今日は珍しく紅葉のやつが夕飯を作ってくれているらしい。

 小学生の頃はよく母親の手伝いをしていた紅葉の得意料理は主に和食全般で、特に母親直伝の肉じゃがコロッケは絶品。

 そこそこ料理歴の長くなってきた俺でもまだその味はマネできていない。

 久しぶりに食べることができるかもなと期待すれば、先ほどまで胸にあった寂しさも吹っ飛んでいく。人間とは結構単純な生き物なのだ。


 玄関を開け、靴を脱ぎ、リビングのある方向の廊下を歩いていく。

 既に期待どおりの香りがほのかに鼻先にまで届き、嬉しさで気持ち早くなった足取りでリビングに向かえば。

 

 パーン!!


「「お誕生日おめでとーう!!」」


 突然のクラッカーの破裂音と紙吹雪に驚き一瞬思考が停止するも、二人の言葉で何事かを理解した。


「......あ、そうか今日か」

「お兄ちゃん反応鈍っ! もっと驚いてよ」

「そうですわよ。オーバーリアクションとまではいかなくても、せめてもうちょっとその仏頂面を動かしていただけませんと」


 不満気な表情で虹ヶ咲にじがさきはどさくさに紛れて人をディスる。

 いつもは髪を降ろしているのに、今日に限って珍しく後ろで一つに結んでいるのが新鮮に感じた。


「これは......二人が作ったのか?」


 二人の背後、ダイニングテーブルの上には俺の好みの料理たちが並び、当然その中には肉じゃがコロッケも含まれていた。


「もちろん。私が夕飯担当で、璃音さんにはデザートのケーキを作ってもらったんだー」

「ひょっとして二人が俺に隠れて何かこそこそやってたのって......」

「えへへ。やっぱりバレちゃってたか」


 紅葉は鼻の頭を掻きながらはにかんだ。

 昔から隠し事が苦手な性分な上に、相棒もすぐ顔に現れるタイプではどうしようもない。


「長月さん、こういうのは気付いても黙っているのが紳士というものですわよ」

「俺は紳士である前に紅葉の兄だ。虹ヶ咲に変なことされなかったか?」

「大丈夫だって。私は璃音さんがちゃんとケーキを作れるように教えながらか......見守ってただけだから」

「......紅葉さん、いま監視っておっしゃろうとしましたわね?」

「なら問題ないか」

「兄妹揃ってわたくしの扱い酷くありませんこと!?」


 心外と言わんばかりに虹ヶ咲は眉を寄せて抗議の声を上げる。

 紅葉も大分虹ヶ咲の扱い方が慣れてきたようで、兄として喜ばしい限りだ。


「ごめんね璃音さん。ほらほら、お兄ちゃんも早く手を洗ってきなよ。せっかく私が久しぶりに本気出して作った料理、冷めないうちに食べよう」


「ん、そうだな」

「いまこの瞬間、紅葉さんが長月さんの妹さんであることを再確認しましたわ......」


 嘆息し、何故かがっかりした表情を浮かべる虹ヶ咲を放っておいて、俺は手洗いうがいのために洗面所に向かう。


 *** 


 久しぶりに口にした紅葉の手料理は、控えめに言っても美味しかった。

 自分で作る料理が不味いとまではいかなくても、どうしても作り手側の主観で見てしまうので純粋に味を楽しむことができない。

 俺にとって紅葉の手料理はおふくろの味と双璧をなす『妹の味』なのだ。

 

 そんなかけがえのない味を堪能したあと、虹ヶ咲の作った物を食べるのは正直気が引けたのだが――。


「......美味いな」


 予想もしていなかったまともな味に、つい本音が口からこぼれる。

 見た目こそ凹凸が目立ちいかにも素人の手作り感漂うチョコレートケーキ。

 表面にコーティングされたチョコは苦味が強めと思いきや、それを中のスポンジと間に挟まれたクリームが中和して見事に程よい味のバランスを醸し出している。


「良かったね璃音さん!」

「当然ですわ! わたくしと紅葉さんが手を組んだ自信作ですもの」


 手を組んだ、と言うのは聞き捨てならないが、ここは紅葉に免じて許してやるとするか。

 悪役令嬢っぽく勝ち誇る虹ヶ咲の隣で紅葉が俺にウインクを飛ばす。


「お兄ちゃん、味には結構厳しいタイプだから。それが美味しいって言うことは自信持っていいと思うよ」


「本当ですの? 都心の一等地にお店出せるレベルと受け取ってよろしいのでしょうか」

「なわきゃないだろ。あくまで問題無く食べられるってことだ」


 お菓子作りは簡単そうに見えて分量や焼き加減が重要になってくる。

 ほんの少しのミスが命取りになることは俺も嫌というほど経験済みだ。


「でもまぁ......俺なんかのために作ってくれてありがとうな」


 紅葉のサポートがあったとはいえ、普段料理を一切しない虹ヶ咲の指に数日前からどんどん絆創膏が増えていくのをみれば、どれだけ本気で挑んでいたことは伝わってくる。

 きっかけは何にしても、人の頑張りを否定するような男に俺はなりたくない。


「......長月さんには日頃からお世話になっておりますので......このくらい当たり前ですわ」


 頬を朱に染め、虹ヶ咲は顔を背け自分の肘辺りを指先で弧を描く。 


「そうだ。丁度良い機会だからお兄ちゃんのこと名前呼びにしたら?」

「へぇッ!? 突然何を言い出しますの紅葉さん!?」

「だっていつまでも長月さんなんて他人行儀だし。それに私も長月さんなんですけど」


 確かに。

 今まで全く気にしてこなかったが、虹ヶ咲は俺に関しては未だ苗字呼びのままだ。


「俺は別に構わないぞ」

「長月さんまで!」

「また長月さんって言った。ほらほらー、遠慮せず名前で呼んでください」


 煽る紅葉に観念したのか、視線を彷徨わせながらその桜色の唇をゆっくり開いた。


「.........流真りゅうま、さん......! やっぱり恥ずかしいですわ!」

「ですよね。というわけでお兄ちゃんも名前呼びにしてあげたら?」

「どういうわけのというわけなんだよ」

「女の子だけをはずかしめるのはフェアじゃないと思うんだけど」


 ――計られた。

 俺まで名前呼びしなくてもいいはずなのに。紅葉の奴め――。

 ほんの少し前まで妹の成長を喜んでいたが、ひょっとしたら将来思わぬ人たらしになる可能性が出てきたぞ。

 羞恥で涙ぐむ虹ヶ咲とニヤニヤする紅葉に見つめられ、呻きながらも俺は。


「......璃音」


 クラスメイトで隣人の異性の名前をただ読んでみただけなのに、全身の毛穴から汗が噴き出す感覚に陥られる。

 本来祝われるはずの立場の人間が、いつの間にか紅葉の玩具とされていた。


「......破壊力が高すぎますので、外ではこれまでどおりの呼び方でお願いします......」


 震えを含んだ上ずった声音で虹ヶ咲はぼそぼそと呟き、両手で勢いよく自分の顔を覆った。


「......そうしてくれると助かる」


 これはきっと相手の緊張が自分にうつっただけなんだ。

 思わぬ初めての感情に戸惑いながら、俺はいま起きている現象に無理矢理理由をこじつけて完結させた。


         ◆


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