長い長い言い訳

千羽稲穂

生きていいわけ

 席替えをすると、使っていない席が持って行かれた。みんなその席をよけて自分の席を移動させてる。あたしは間をぬって窓際の一番後ろの席に自分の席を持って行ってた。カーテンが揺れて風が吹き込む。春の息吹が桜の花びらを床に舞い散らせる。まるで幽霊がため息をこぼしたかのよう。あたしは花びらを机で踏んづけて自分の席を作った。椅子をひいて教室を見渡すとよくクラスメイトの顔が見わたせた。

「うげ、一番前だ」

「席代わって~」

「好きな人の隣の席だ。嬉しい」

 どんな席でも同じなのに、席一つで一喜一憂するクラスメイトが新鮮。以前、ここに座っていた人の気持ちがちょっとだけ分かる。ここは見えすぎる。

「よろしく」

 隣の彼女がにんまりとあたしに笑った。長い髪を巻いてて顔はうっすらと化粧がされてる。ブレザー下のカーディガンは流行色のキャメル。他の子より紅を散らせた唇は魔女みたい。

 この子は前と代わってないみたいで、あたしの前の席から「あ、変わってないじゃん。いいなー」と話しかけられていた。前の子も流行色のキャメル。この手の子って、なんでそう化粧とか顔にこだわるんだろうか。目はぱっちり。前の子と違いを出そうと唇の色は淡いピンクにぼやかしてる。グロスで照っている彼女の唇はなめらかで艶がある。「いいでしょ」「変わってよ」と唇は動く。ケラケラと二人は何が面白いのか分からないけれど笑っている。唇が浮いている。

 しょうもないな。いつだってそう思う。違うところを探してようやくその人が見えるって、人間ってめんどくさい。

 どの席だって同じだ。どの子だっておんなじだ。見渡すといつもと同じ席替えの風景。前いたところから変わったと思うけど顔ぶれは変わらない。クラスの中心人物がいたり、そこにつきまとうやつがいたり、男子が大きな声で「うっわ、最悪」と一番前で地味な子をいじってたり、ひっそりと早々と寝ている子がいたり、好きな人の隣の席でにまにましてる男子がいたり。やっていることは変わらない。何が起こってもいつも通りの風景がやってくる。おんなじような人が交わってる。毎年これを続けてくし、メンバーが変わっても、教室の中で役割が自然発生してく。タイプが違うだけで、顔は一緒。顔も一緒ならタイプも一緒。

 大人になっても、これを続けてくんだろうか。そう思うと、どっと疲れてく。

「あなたがいい」

 隣の派手な女子があたしをなぜか指名する。突然宣告されても意味不明だ。またこの手の子のお戯れが始まったのかもしれない。付き合うつもりは、ない。

 あたしは、先生が席を撤去して戻ってきたのを見越して教科書を用意した。おんなじ行動をしているあたしも律儀で気持ち悪い。

 隣の子は楽しげにあたしの前の子と話してた。さっきのが嘘みたいだ。にぎわう教室が居心地悪い。

 浮いているのは、あたしなのかもしれない。


 美術の時間での品評会は人気投票。先日描いたまっピンクの桜の木の絵に花印がいくつも派手なタイプの子に集まってる。クラス替え間近になると徒党も確かなものになってるもんだ。いつも中心にいる派手な格好(教室基準)をしたグループはいくつも票を得てる。ざっと見渡した限り、その子達の絵にだけ四票入ってる。地味でいつも授業中に絵を描いてる女の子は、一票も入ってないのに。

「こういうのって誰にいれたらいいかわかんないよね」

 何がいいか分からないから、派手でクラスをひっぱる女の子たちをみんなが「良い」「絵が綺麗」「色が好き」とか適当なコメントを点けられる。どうみても、ピンクに描いていない男の子の絵が意外性があって素敵だし、写実的なのに。

 言葉がでてこない、のか。それとも、言葉を知らない、のか。

 カーディガンを引き延ばして手を隠す。あたしのコメント用紙は袖の内に入れた。かさっと乾いた紙がセーターの奥に引っかかる。カッターシャツ越しにごつごつした凹凸が肌を突き刺す。するりと喉に唾が落下した。

 誰にいれるか、悩んでいる子達は友達票を獲得していた。どれもピンク。桜はピンク色。絵の中のピンク色の桜が押しよせる。投票に寄せられたコメントがピンク色になってどっと押しよせる。コメント、という言葉が肩に乗せられる。虚言で彩られたそれは重くて、軽い。

 どの絵も絵の具で塗られたただの絵。同じなのに、どうしてコメントの量が決まってくるのだろうか。義理で作品に点数を入れて、何が楽しいのか。知らない間に友達という枠組みに左右されて感想に色が加えられる。評価、は傲慢だ。

 あたし達は何を知ってるんだろ。

 人気投票の結果は、あたしの隣の席の子になってた。


 十分休憩に入って、テスト勉強のかたわら「あたしさぁ」と派手なグループが恋バナを始めた。「先生、かっこいいと思ってて」「わかる~」と何度目か分からない会話を始めた。「イケブって、かっこいいよね」と保険体育の先生をあげつらった。何度目だろうか。そういう先生賛美。時期的に仕方ない。

 テスト前だし、せっぱつまっていし、月末だし、週末だし、来週からテスト入るし。中学生の頃、受験期になって突然「好きな人いるんだ」と教室の各地で恋が降ってきた。「気になる人がいるんだ」というのがお決まりの文句。教室にいて関わってるんだから気になるのは仕方ないことなのに。なんだか、とりわけ気になるらしく。どう見ても時期的な注意予報なのに知らずに「かっこいい」やの「好き」を簡単に口にする。

 ほら、なぜか「私、あんたのこと好きだよ」って隣の子が唐突にあたしに声をかけてきた。席替えしたばかりで「好き」とか分からない。「好き」ってこんなにお手軽なものとか、そんなもんじゃなくない。あたしは、「え、あたし普通」って当たり前のように返答すると「傷つくわぁ」と待ってましたと、唇を持ち上げる。あたしは鼻で笑ってしまう。ほら、幽霊も力なく笑っている。カーテンが揺れてあたしの机をはたいた。むしろ、幽霊にせめたてられているのか。評価基準を同じにしないあたしを。

 各地で舞い降りる「好き」は嘘だ。本当の「好き」を作ってしまうと、誰かの上に、誰かの下に陥ってしまうようで嫌いだった。好きも嫌いも、席と同じだ。どの子も同じ。やっていることも空っぽで、「本当」はない。

だから、あたしは全部同じに見える。

「やっぱり、あんたがいいな」

 聞き間違いではなかったらしく、隣の子は、はっきりとあたしに告げた。

「あんたが、いい」

 早咲きの桜が警鐘を鳴らす。次から次へと代わる代わる窓から舞い散っては死んでいく季節の桜を、あたしはシャープペンの先で突き刺す。選ばれたことに耳を塞ぐ。

「今日、話がある。残ってくれない?」

 そんな決定権がなぜ自分にあると思っているんだろ。

 あたしはこうはなりたくない。平等を求めているだけ。恋で判断したくない。好きで判断したくない。無関係で判断したくない。先生とか年上の憧れは捨てた。評価を捨てた。

 なんで生きているんだろ。

「わかった?」

 だらだらと返事を引き延ばして言い訳を探してる。

 全部、生きてることの言い訳。


 あたしの机の上に隣の子が座った。あたしは帰ろうと鞄を肩にかけて、席を立とうとしていたのに。彼女は、あたしの顔を許可なく持ち上げて自分の方に向かせた。大きな瞳は宇宙人みたいで気持ち悪い。目を数倍大きくさせようと幾重にもアイラインがひかれ、睫をつけている。自分のことを隠そうとして何枚も仮面をつけているから、この涙ぐましい努力の成果が心底嫌いだった。

 警鐘が鳴り響いている。あたしの中に入ってこようとしている。逃げろ、と叫ぶ。

「わたしね、あんたがいいの」

 すると、あたしの唇に自分の唇をふわっとのせた。それは思考が消えるには十分な衝撃だった。周囲の喧噪もかき消えて、彼女はあたしをうっとりと見つめていた。

「あたしはつまんないよ」

 あたしは、何にもしない。

 それは、他人に価値基準を準拠しないからってのもあるけど、他人の価値を勝手に判断するのが嫌いだったから。いつだって平等でありたかった。容姿が綺麗な人も、醜い人も、好き嫌いで人を見ることもしたくない。友達だからって色をつかいたくない。生きている人も死んでいる人も、全員同じ基準で見たかったから。

「そこがいいの。私は、つまんない人なんていないって思ってる。全員に価値があって、全員素晴らしいの。だけど、知らないうちに自分の中で価値を決めちゃってる。あの人が好きだって。あんたにも。私は、それが嫌い。全員素晴らしいから、平等に暴力はふるうべきだって思うんだ。

 あんたはいつもフラットに見ている。この席だって。あたしの隣だって。どんな席だってすました顔で。

 美術の時間、誰にも投票してないところとか見てたよ。友達だからって、寄り添わない。

 かっこいいって思う。

 そんな価値を持っている、あんたがいい」

 長い長い言葉にあたしは揺らぐ。

 価値を決めてあたしを選ぶ。

 なんで、そんな簡単に選ぶって言う暴力をふるうことができるのか分からない。

「あり、がとう」

 少しだけ生きる意味ができて、あたしの揺らぎが大きくなる。すぐに鞄を持って駆けだした。感謝の言葉があたしにまとわりつかないように。急いで逃げなければならない。あの子の言葉を覚えないように。

 教室から逃げ出した。

 価値を自分につけたくない。


 次の日、あたしの机は倒されていた。隣の女の子はあたしを見るなりくすくす笑っている。「ブスで地味だよねぇ」と友達とあたしをだしにして笑っていた。教室は変わらずに、居眠りする子、言葉がでかい子、遅刻する子、教室の隅で絵をこっそり描いている子がいて、机が倒されていることなんておかまいなし。

 いつもと変わらなくて逆に安心する。

 倒された机をもとに戻そうとしゃがむと、隣の子はあたし目がけて、消しかすを落とした。頭にかすがぱらぱらと降ってくる。足下には桜の花びらが踏みにじられていた。

 あたしは耳を閉ざして、笑い声を遠のかせる。長い長い昨日の隣の子の言い訳を思い出す。彼女がやりたいことは分かっていたはずだった。

 視界にはぼんやりと半年前自殺したクラスメイトが揺らめいていた。未だにあたしの視界に漂っている。

 彼女の言い訳で心が揺らいでしてまったあたしもあたしだ。自分が許せない。

 机を立て直して、頭にかかった消しかすを払った。あたしはいつもと同じように物思いにふける。

 全部、生きていることの言い訳。

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