第二十一話 赤銅色の月が昇るとき

『貴族たちが住む邸はついべいに囲まれ、庭に池もあるから火には強いんじゃなくて?』

 それなら放っておけという天将・太陰に、晴明は首を振った。

 晴明は招喚した十二天将のうち、吉将・太陰、凶将・騰蛇とうだ勾陳こうちん・玄武の四将に燃える彼岸花を捜し、三日以内に始末せよと命じていた。

 三日後は月蝕であり、小波令範が仕掛けてくるのはこの月蝕の夜と読んだゆえの決断だったからだ。

 普段異界に住まう天将たちは、深く関わることを禁としているため、人界の事には詳しくはない。

 貴族たちの邸は暑さと湿気をしのぐため、床下が高く天井も高い。しかも、屋根はひわぶききである。通気性の高さと、燃えやすい檜皮葺きの屋根は余所から火の粉が飛んで来れば容易に延焼した。

庶民となると池がある家など滅多になく、これまで王都は何度か炎に包まれている。


「問題は内裏だな……」

 晴明は六壬式盤を前に、両腕を組んだ。

 占の卦は内裏の方角を凶と出た。


 今から十数年前――、登華殿とうかでん(※女御の住居)からの出火が原因で内裏が焼亡。崩れ落ちた左衛門陣舎の下敷きになって一名が焼死、一名が足を切断する重傷を負ったという。

 それより数年後――、今度は清涼殿の南西から出火。

 火災を発見した女房は、見回りをしていたみなもとくろうど経成つねなりの僕従に声をかけて火を撲滅させたという。だが経成は、この僕従を逮捕。右近衛陣に拘禁してしまったという。

 下人の分際で殿上に昇るなど、けしからん! ――というらしい。


 ――これだから貴族という者は……。


 子細を師・賀茂忠行から聞かされた晴明は、貴族の対応に呆れた。

 内裏が燃えるという一大事に、身分もへったくれもなかろうに。

 後にこの僕徒は赦免されたらしい。

 さらに数年後、今度は土御門の里内裏で出火。警備していた左右近衛陣のきちじよう(※朝廷の警備担当六部署から派遣されている下級役人)たちが必死に池の水を汲んで消火に当たったが水が足りず、池からさらに水を汲むことになったらしい。

 だが、神聖な内裏に不浄な池の水をかけるのはいかがなものか――と言われたという。

これ以降――、左近衛陣で火災が発生した時は吉上たちに檜皮を壊させ、ためらうことなく池の水を汲んでぶっかけ、消火に成功したという。


『晴明、内裏には我らは入れぬ』

 眉を寄せる騰蛇に続き、玄武が渋面で唸った。

『アマテラスがいるからなぁ……』

 天将も畏れる最高神を象徴する八咫鏡やたのかがみは、温明殿うんめいでんかしこどころに安置されている。温明殿は内裏の東側中央にあるせんようもんを入ってすぐにあり、西隣の綾綺殿りようきでんとは三か所の渡殿で結ばれる。檜皮葺きではしらが南北九間、東西二間の母屋の四面に廂がある西向きの建物で、中央を東西に横切って、幅一間の馬道めどうが通っている。

 内裏で天将が力を発揮すればどうなるか容易に想像がついた晴明は、そこで妖と対峙したとしても、彼らの力に頼らないと決めている。

「お前たちには、火消しのほうを頼む」

青龍あいつを呼ばなくてもいいのか?』

 玄武がいう天将は、相変わらずの不機嫌であった。

「小火ぐらいで呼ぶなと言われたよ」

 肩をすくめる晴明に、よんはしらの天将たちは嘆息した。

 

★★★


 海上 明月生じ、天涯 此の時を共にす。

 情人 遙夜ようやを怨み、竟夕きようせき相思を起こす。

 燭を滅して光の満つるを憐れみ、衣を披りて露のしげきを覚ゆ。

 手にたして贈るに堪えず、還り寝ねてけいを夢む。



 月に想いを寄せる人々は多い。

 愛しい人を想う恋の詩歌は「海の上に明月が昇り、遥か遠くに離れ離れの二人は同じ時に同じ月を眺めている。愛し合う二人は長い夜を恨めしく思い、夜を通して互いを強く想う。蝋燭の灯りを消して月の光を愛でるものの、雨が降ってくるのに気付いて上着を羽織る。月の光を両手に抱えて満たしても、愛する人に贈ることはできず、仕方なく寝室に戻り、恋人に逢える日を夢見て眠りに落ちる」と歌ったという。

 その月が一変し、忌むべき存在となる時がある。

 数十年に一度あるかないかの、星並び。

 人は普段と異なるモノを見ると、畏怖を抱く。何か禍が起きると思うようだ。

 星読みの結果を帝に伝えたとき、関白・良房は露骨に顔を顰め、彼が抱いた畏怖は周りの廷臣たちに伝わった。

「――げつしよく……」

 三日の後の夜は満月――、月の位置、太陽の位置から読んで月蝕であると伝えた晴明だが、彼らの反応は今更である。

 天文道も取得している晴明は月蝕は怖くはないが、貴族たちは怖いらしい。

 月が何かに蝕まれ、赤く染まる――。

 確かに、何も知らなければ怖いだろう。

 しかしこのとき晴明は、その日に王都が燃えるというもう一つの読みは伝えていなかった。混乱を来さないためだったが、月蝕の報せだけでも彼らは十分戦き、さらに都が燃えますなど伝えようものなら、今から一目散に逃げ出すか、それともそんなことは起きぬと怒り出すか、どちらにしろ、いいほうには転ばさなそうに見えた。

そもそも、天文異変は国家や帝に重大な影響を与えるため、予測可能な現象は予報を出してこの日に国家行事などを行う事を避け、突発的な現象に対しては、天文現象を観測してその意味を占いによって解釈して帝に報告して対策を練る必要があった。

 本来なら天文道の最高権威であった天文博士が、天文異変の異変の状況とその内容の吉兆をろくした奏書を、陰陽寮または蔵人所を通じて帝に天文密奏するが、既に天文道を習得し、昇殿できる立場となっていた晴明が伝えたのだった。

 だがさすがに晴明にも、星並びをどうかすることは出来ず、厳しく睨んで来る良房から視線を外すと、御簾奥に座す帝に向かい頭を垂れた。

 藤原冬真が晴明の邸を訪ねてきたのは、晴明が帰宅して夕餉を済ませてすぐの事だった。



「……今、何刻だと思っている?」

 渋面で出迎える晴明に、来訪者――藤原冬真は笑った。

 相変わらずの扱いっぷりだが、冬真も負けてはいない。

「いやぁ、大内裏でお前の顔を見ないといまいち張り合いがなくてな。なにかあったかと思いきや……なさそうだな」

 室の中を見渡して、冬真はやれやれと溜め息をつく。

 適当に積まれたとしか思えない書の山、至る所に転がっている巻物、捜し物に苦労しそうな状況にも関わらず、邸の主――安倍晴明はその中に埋もれて書の項をめくっていた。

「私は静かに書を読みたいんだが……?」

 半眼で見据えられるも、冬真は円座を引っ張ってくるとその上で胡座をかいた。

「――で、奴の所在は掴めたのか? 晴明」

 冬真の問いに、晴明はかぶりを振った。

 奴とは、もちろん小波令範である。

「炙りだしてやるさ」

 物騒な物言いに、冬真は時々晴明という男が怖くなる。

 いつも驚かされてばかりだが、果たして今度は何を考えているのやら。

「しかし、よりにって、月蝕の日を選ぶとは……」

「混乱に乗じて、大内裏に乗り込んでくるつもりだ」

「王都に火をつけるのが奴の目的ではないと?」

「目的の一つさ」

「それにしては、近衛府に何の報せも来てないが?」

 冬真の問いに、晴明が答えるまで間が空いた。

「伝えていない」

「は……?」

 答えを聞くのが怖くなった冬真である。そして晴明の策を聞いたあと、冬真は額を押さえて唸った。

「お前なぁ……」

 



 そして――、その日は来た。

「月が……っ」

  徐々に欠けていく月に人々は恐れ戦き、王都に風が吹いた。

「さぁ、始めようか?」

 王都を一望する高台にて、肩に鴉を乗せた小波令範が嗤った。

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