第二十話 燃える彼岸花

 ざくもんの東側、きよう――馬の蹄の足音に男の欠伸が重なる。

(まったくなぜ俺が、あのじゃじゃ馬のいうことを聞かねばならんのだ?)

 馬上の主は眉を寄せ、空を見ては嘆く。

 藤原冬真は顔を合わせれば「早くかの姫に和歌を贈れ」と責付く従姉に、馬上で渋面を作る。かの姫とは高階家の一姫・澪のことである。

 冬真は子どもの時から面倒なことは嫌いで、貴公子のたしなみといわれるまりも和歌も一切興味はなく、恋路からも縁遠かった。

 気の利いた歌を想う姫に贈ればいいのだろうが、これがまた歌のほうはからっきしである。親の七光りというわけではないがさこんこのちゆうじようと出世したものの、ここ数年は鬼を見ることが多くなった。おそらく鬼と出会っている人間は、大内裏のなかでは陰陽師を除けば冬真は多いかも知れない。

そんな男が和歌――、何故か背筋がゾクッと震え、冬真は首を振った。

 以前無理矢理に連れてこられた歌会で、名前を伏せて歌を披露する事になった。

 ある札をとった姫が書かれてある歌を見るや、笑い転げた。

 貴族女性が他の貴族がいる面前で笑い転げるという姿に、冬真も唖然としたが、

「だって、ミミズが踊っているんですもの」と笑いながらかの姫は言う。

 一体何処の誰だよ、ミミズを書いたのは――。

 覗いたその歌札に、冬真は絶句した。何と自分が書いたものだったからだ。

 それから数年――冬真は、内裏でかの姫と再会する事になる。

 幸いだったのは、ミミズ文字の作が今日まで誰のものが明らかにされなかったことだ。かの姫は、関白でさえ手こずる長橋局と出世し、冬真のことを覚えていなかったようだが。

 そんな経緯ゆえに、和歌などもっての外なのである。

 あれから文字のほうはまともになったが。

 だが冬真の縁談は、先延ばしになりそうな雲行きである。

 冬真にとってはありがたがったが、事態は深刻だった。



「都が燃える!?」

 声を張り上げる冬真に、晴明の眉が寄った。

「声が大きい……」

「これが驚かずにいられるか! いったい何処のどいつなんだ? 都に火をつけようなど企んだ奴は」

「京職や、検非違使には捕まえられんだろうな」

 晴明は円座の上に座り、式盤に視線を落としたままだ。

 都の治安を守る京職や検非違使が捕まえられない相手となると――

「妖か」

「もっと大物だ」

 晴明のいう〝大物〟について、冬真は以前に聞かされた事がある。

 凡そ百年前――謀反を疑われ滅んだという小波家。それから数十年後に、その生き残りが復習のために王都に現れたという。

 計画は失敗、隠岐に流されたらしい。問題は、それから再び彼が王都に戻り、暗躍し始めたという。

 これまでの怪異の裏に、かの男がいたらしい。

 一族の恨みを晴らすため、鬼になったらしいが、確かに京職や、検非違使には捕まえられないだろう。相手はもう、人間ではないのだから。

 

 王都が燃える――それを裏付けるかのように、数日前から小火ぼや騒ぎが頻発している。

 冬真が大路に馬を繰り出していたのは、大火となるのを未然に未然に防ぐためと、その要因を調べるためだ。

「中将、本当に都が燃えるなんてことが……」

 一緒にいた近衛武官が眉を寄せる。

晴明あいつの占いが、これまで外れたことがあったか?」

「それは……」

 睥睨した冬真に、武官は下を向く。

 冬真は、晴明を信じている。出会った頃は怪しい奴と思っていたが、妖相手に太刀打ち出来るのは晴明や賀茂忠行など呪力をもった人間だけだろう。

 ならば自分に出来るのは、王都の被害を少なくすること。

 四条大路から大宮大路に抜けて、冬真は馬上でそらを仰ぐ。

 空はきれいに晴れていたが、いくつかの明るい星が、ところどころに淡く散見できるだけだ。それでも、月だけはくっきりと見えた。月は地上の騒ぎに苦情ひとつ言わず、律儀にそこに浮かんでいた。目をこらせば、ぎよく(※月に住んでいるというウサギ)の影を認めることもできた。 

何かが起きるというその不安は、池に張った薄氷のように冬真の心を覆うが、稀に破れてはまた同じ氷が水面を覆い隠す。

 この王都で人間による起きた事件と言えば、一つは遷都後の都を上皇による画策で、平城京に都を戻そうという動きが起きたという。

 上皇の弟である時の帝は平安王都を残すことこそ国の安定と考え、上皇らのこの動きを退け、側近の藤原仲成・薬子兄妹を討伐し上皇を出家させ、そして平安宮を万代宮よろずよのみや(※永遠の皇居という意)と定めたという。

 もう一つは太皇太后に仕える女房が殺害され、大路に遺棄されたという事件である。

 人間も悪事を画策するが、この王都にはそれを凌ぐ妖が跋扈する。

 そんな時だった。

 近くの邸の門が開いて、女房が転がり出た。

「お助け下さいまし……! 火が……っ」

 見れば、邸の庭で炎が燃え上がっていた。 


☆☆☆


「昨夜――、またも火が出たそうじゃ」

 内裏の庭園にて、禁色の袍を纏う今上帝は蝙蝠扇かわほりおうぎを開いた。

 庭には木槿むくげ百日紅さるすべり凌霄花のうぜんかずらが咲き始め、池の蓮も開花していた。

 しかし今の帝に、花を愛でる余裕はないらしい。半分ほど開いた扇をすぐに閉じ、眉を寄せた。

 昨夜の小火を合わせ、王都で起きた小火騒ぎは十数件。それが毎夜ともなれば、花を愛でている場合ではないのは当然だろう。天孫たる帝の使命は、国の安寧と万民の幸を願う事だという。その万民の生活が、脅かされようとしている。

 晴明は王都が炎に包まれるという占を、師・賀茂忠行から帝に奏上した。

 自身で奏上しなかったのは、無意味な混乱を招かぬためだ。

 関白・藤原頼房をはじめとするその一派は、半妖である晴明に未だ厳しい。

 こうして個人的に、御簾を隔てることなく帝を拝することも、彼らは良くは想ってはいないだろう。晴明の立場を知ってか今上は、詳しい話を聞きたい時はこうして晴明を呼び出す事がある。

「大事には至らず幸いでございます」

「そなたの言う通りになったな? 晴明。なれど――、そなたが占じた大火はいつ、どこで起きるかまではわかっておらぬ。先の大火で民は地獄を一度見ているゆえ」

 今上がいう先の大火とは、ひのくちとみこうから出火した炎が南東の風にあおられて、西北方面に扇状に延焼した大火のことである。

 焼失範囲は東は富小路、西は朱雀大路、南は六条大路、北は大内裏までの約一八〇余町。 大極殿を含む八省院全部と朱雀門・応天門・神祇官など大内裏南東部、大学寮・勧学院、公卿の邸宅などが焼失したと記録にある。

晴明は陰陽寮に戻ると、すぐにこんてん(※天体の位置や運行を観測するのに使った器械)にて星を読んで、胡乱に眉を寄せる。

 ――よりにもよって厄介な……。

 晴明が小波令範との決着を定めた日の結果は凶、星並びも最悪なら、その日は月蝕ときた。普通は避けるが、令範ならこの日に責めようとするだろう。

 その日は三日後――。

「晴明」

 陰陽寮を出た晴明に、冬真が歩み寄った。

「昨夜は小火を消したそうじゃないか」

「偶然さ。それより、俺が助けた女房に寄れば鬼火が庭に浮いていたらしい」

「その邸に曼珠沙華は?」

「咲いていたそうだ。まさかと思うが……」

「そのまさかだ。燃えたのはその曼珠沙華だ」

「華が燃えるって……っ」

「ただの曼珠沙華なら燃えないさ。異界にも曼珠沙華があるとは驚きだが」

 燃える曼珠沙華――、異界に咲く妖華ようかなら何故この時季に茎を伸ばし華を咲かせたのか納得できる。

「感心している場合じゃないぞ! 晴明。その華を何とかしないと、薫衣の君の夢が正夢になるぞ……!」

「わかっている」

 果たして王都に、どれだけ妖華が咲いているのか。

 捜索に人を使うとなると、帝の許可がいるがその前に関白に説明する必要が出てくる。

 冬真は個人的には動こうと思えば動けるが、やはり人手がいる。


 晴明は十二天将を招喚し、王都にある妖華の殲滅を三日以内にと命じた。

『相変わらず、無茶な……』

 顕現した天将は晴明の指示に嘆息したが、『是』と答えて散っていった。

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