いいわけと迷宮

永庵呂季

いいわけと迷宮

 この町の路地裏にひっそりとたたずむ、くたびれた古本屋。


 店名は『本屋迷宮』。なんとも変梃へんてこなネーミングだ。


 その奇妙な本屋の前で、僕は躊躇する。入り口の引き戸に手をかけては、思い直して引っ込める。これで六回目だ。


 今朝、テレビで観た占いを思い出す。


 不吉な数字はアンラッキー7。


 反射的に手を引っ込めようとして、はっとする。


 ヤバイな……これで七回目。縁起が悪すぎる。


 時刻は深夜零時。眠れなくてコンビニまで散歩した帰りに、偶然この本屋が開いているのを発見した。これを逃したら、またいつ開店してくれるかわからない。


 僕は覚悟を決める。喉に引っかかる生唾を飲み込むんで、手を引っ込めずに扉を引いて本屋の中へと入っていった。


 薄暗い店内は、天井近くまで積み上げられた書籍が壁となっている。


 ……わざとやってるのか?


 店名に恥じることなく、確かに迷宮だと思った。


「すみませ……」


 言いかけて、自分の言葉がかび臭い本の壁に吸収されていくのが分かった。カウンターを目指さない限り、声を上げたところで、店員が出てきそうな雰囲気などまったくなかった。


 ……商売する気はあるのだろうか? 


 これだけの本を未整理に、迷路のように積み上げていては、欲しい本が一番下にあった場合どうするつもりなのか。


 高校二年生の僕が古本屋の経営について知っていることなどほとんどないが、それでも、こんな置き方で客が喜ぶとは思えない。


 それにしても……一向にカウンターが見えてこない。それほど広い店ではないはずなのに。


 やっぱり来るんじゃなかった……と、僕はため息をつく。


 この本屋の店長は気が向いたら客のことを占ってくれるらしい。そして、その占いはかなりの確度で当たる


 しかも美人らしい。


 学校で噂になっている怪しい本屋。真偽の程は定かではないが、美人店主に言われるがままに、指定された日時に告白して見事カップルとなった奴もいるそうだ。


 誰でも会えるわけではない。なぜなら『本屋迷宮』は店を閉めている日の方が多いのだ。

 たまに開いていても、噂の美人店主に会えるわけではない。

 店主はおろか、従業員そのものがいないときもあるらしい。


 本、盗まれたらどうするんだ? と思ったが、僕は左右に積まれた壁のような本に触ってみる。


 とてもじゃないが、これを崩して本を持ち去ろうとする気はおきないし、そもそも盗んででも持っていきたいような人気作家の本や、稀少本があるとも思えなかった。


 それにしても積まれている本には、まるで統一感がない。


 ざっと確認しただけでも、料理本の上に化学の本が積まれ、さらにその上には日本近代史の本、そしてフッサールの現象学があるかと思えば、サン・テグジュペリの星の王子さま。ハイゼンベルクの現代物理学の思想、四柱推命、赤ちゃんの命名辞典……などなど。そこに統一的な意味を探し出すのは不可能なほどの混迷ぶりだ。


 ぐちゃぐちゃだな、と思った。


 かれこれ一〇分は歩いただろうか。いつ崩れるかわからない本の壁にぶつからないように進むのは難しい、身をよじり、ときに綱渡りのようにつま先立ちで小さく積まれた本の山を超える。

 普段使わない筋肉を使っているせいか、身体中が軋みはじめている。


 ……なんで本屋で筋肉痛になりかけてるんだ、僕は……。


 そこまでして進む必要があるのか? 


 それとも引き返すか? この道を? また同じ時間かけて?


 ……だったら、進むしかないだろう。ここまできて徒労で終わりました、となったら精神的ダメージは相当でかい。まだ筋肉痛のほうがマシだ。


「へえ。ここまで来れるなんて、凄いじゃない」


 迷宮の奥から芯のある明朗な女性の声。久しぶりの人の声に、思わず安堵する。


 突き当りの角を曲がる。


 あった。質素な木製のカウンター。

 その奥に座って文庫本を読んでいる女性がいた。


 まだ若い。二〇代だろうか。そんなに自分と年が離れているように思えない。

 栗色の髪はショートカット。スレンダーな体軀は引き締まっていて、全体的にしなやかなネコ科の猛獣を連想させる。


 そして、たしかに綺麗な人だった。


 パンパンになった脹脛ふくらはぎに最後のムチを振るって、ようやくカウンター前に辿り着く。年代物の黒いレジスターの横には、真っ白いクマのぬいぐるみが置かれていた。


「どんな御用かしら?」と店主は文庫本を閉じて言う。「自分の存在を証明したい……なんて恥ずかしい質問はしないでね」


「なんです、それ?」と僕は言った。


「なんでもない。ただの例え話よ」

 店主は目を細めて笑う。


 無邪気とも言えるその笑顔に、僕は思わず動揺して目をそらす。


「こ、この店では、気が向いたら占いをしてくれると聞いて……」

「占いなんてしないわよ」

「え? そ、そうなんですか?」


「私がるのは、対象者の願望。その心の内側にある、本当の気持ち。それだけよ」


 ……願望。本当の気持ち。


「確かに、この本屋の前任者は『予言』ができたわ」と美人店主が言う。「でも、それだってあくまで『予言』。本当にその通りになるかどうかは、本人がどれだけ強く望むかどうかに掛かっている」


「自分が望むもの……」


 荒唐無稽な中二病的妄想。だけど、それは不可逆的な渇望でもある。


「……僕は……」


 うまく言葉にはできない。言葉にした途端、それは意味をなさない空虚な音の振動に成り果て、やがて大気に混じって波紋が収まるように消滅してしまう。


 そんな自分が歯がゆかった。無意識に拳を固く握りしめる。


「……そうか」と美人店主が寂しそうに目を伏せる。「


「ズレる……」

 確かに、そうなのかもしれない。僕はこの世界で、根拠のない疎外感を感じ続けている。

 だからこそ、怪しげな噂を頼りに、この本屋迷宮の扉を開けてしまったのだ。


 僕は誰かに教えてほしかったのだ。自分は本当にズレているのかどうかを。


「ここは、本当に僕のいるべき世界なんでしょうか?」


 何を訊いているんだ僕は。初対面の、名も知らない古書店の主に。


「どうしてそんなことを訊くの?」と店主が言った。


「ぼ、僕が常日頃から思っていることなんです。この世界は、本当は自分がいるべき場所ではないんじゃないか? この姿は仮の姿で、本当は――」


「こことは異なる世界の住人なんじゃないか」


 店主が僕の言葉を奪うように先行する。


「は、はは……」

 思わず笑いが込み上げてくる。

「な、なにを言ってるんでしょうね僕……これじゃあただの電波ですよね……」


「君は言っていない。言ったのは私よ」と店主は冷静に訂正する。


「お、同じことですよ。僕が……思っていたことと、同じなんですから。ゲームとアニメとラノベを摂取しすぎた人間の、悲しい末路。妄想廃人。ただの現実逃避……働いたら負けってやつですよ。まだ学生ですけどね……はは……」


「そんな下らないをしにきたの?」


 僕は、言葉に詰まる。


「たしかに前任者の、いけ好かない店主は持っていた。異世界から戻るときに得た、予言を可能にする『先見の魔眼アバタール』というスキルをね」


「――は?」


 何を言い出しているんだ、と思った。僕の中二病は伝染性なのだろうか。


「それに比べれば私の力はだいぶ応用範囲が狭い。でも、間違いなく他人の中に眠る力を察知することができる。それが私の能力。その力を得て、私は戻ってきた」


「戻ってきた?」と僕は言った。「どこから……」


「もちろん。異世界からよ」と店主は腕を組んでカウンターにもたれかかる。「私は上城ユカ。異世界から英雄として帰還した、心はいまだに女子高生な古本屋の店主よ」


 ……もう、この人が何を言っているのかまったく理解できなかった。


「凄い……これが疑いの眼差してやつね。私も佐藤にそんな目つきで睨んでいたんだ。気持ちわかるわぁ~」


 どうやら僕は露骨に嫌そうな顔をしているに違いない。中二病患者の特性だ。他人の中二病にはとことん冷静になってしまう。


 言ってることは同じなのに、どうして他人が言うと冷めるんだろう? 


「まあ、信じられないのは無理のない話。無理やり信じてもらうようなことでもないし」


「さすがに……異世界転生とかの設定を普通に信じられたら、それはそれで問題があるでしょ」


「設定を信じてとは言っていない。そうね、君が私を信じるかどうかという、直感的なことじゃない?」


「そ、それは……」


 今あったばかりの中二病お姉さんを信じられるわけがない、と言おうとしたが、口を開いたのは店主の方が早かった。


「自分に――自分の思考、自分の渇望、自分の内なる声に、いいわけをしてはいけない」


 店主の青く澄み渡った瞳が爛々らんらんと輝いている。

 そして、不思議なことに右目だけが妖艶な炎を纏い、真紅の光を宿していく。


 ……なんだこれ? 僕は何を見ているんだ? これは、幻覚? 催眠術?


「私の異世界持ち越しスキル『霊視読解スカイクラッド』は、君の内なる力を探り当てることができる。自分の心を、自分に対して閉ざしてはいけない。しっかりよくみつめるのよ。固定観念なんていう、いいわけを抜きにして、自分で自分を直視しなさい」


 僕は魅せられたように店主の――上城ユカの燃える真紅の瞳を凝視する。


 それは逃れられない運命、あるいは呪いのように、僕の心を激しく揺さぶり、鷲掴みにする。


 僕の中でズレていた何かが蠢き、意識と魂がなにかを訴えている。


 脳が揺れる。実際には、脳に感覚などない。それは僕が客観的に表現しているにすぎない事象。


 客観と主観が交差する。剥離していた魂が、僕の意識に重なっていく。


 そして、が意識の中でフラッシュバックする。


 果てしない大地。そらに浮かぶ飛空艇の大船団。鋼鉄と血しぶきの凄惨な戦場。

 そして、迷宮への甘美なる誘惑の数々。


 これは――誰の経験なんだ?


 まるで映画のイントロダクションのように、次々に変わりゆく場面。


 ――これから君が経験することでもあり、私が経験してきたことでもあるビジョン。


 上城ユカの声。


 ――よく分からない。


 ――英雄が通る道は、大体が同じってこと。でも、もしかしたら君はまったく違う世界を構築するのかもしれない。その可能性は常に誰にでもある。旅立つ前の私にも、たぶん存在していた確率なんでしょうね。


 そのビジョンには、匂いがあった。味があって、感触もある。

 僕の手に馴染む剣の感触。魔法が炸裂し、土壁が壊れ、乾いた砂利を噛む感触。

 数々の仲間と握り合った手の感触。


「選ぶのは君だ」


 上城ユカの声に意識を戻すと、自分は元の本屋のカウンター前に戻っていた。

 魔法も、怪物も、迷宮もない。ただの本屋だ。


「選びなさい」と上城ユカが奥の通路を指し示す。「もしこのまま現実の世界へ留まるのなら、私が指差す方にある出口へ向かいなさい。そこは、普通の本屋の出口。誰もが入って、誰もが出ていく普通の古本屋よ」


 僕は彼女が指を方へ視線を向ける。確かにすぐ目の前に、入ってきたときと同じ出入り口があった。


 ……なんでだ? 僕はかなり歩いてここまで来たはずなのに……もしかしてとんでもない方向音痴なのか。


「そして、自分の魂が呼んでいる世界へ足を踏み入れようとするのなら、君はもと来た道を戻るべきよ。この本屋の迷宮を抜けないと、君の本当の世界へは繋がらない」


 上城ユカはそう言って、僕の後ろを指差す。

 振り向くと、そこは来たときと変わらずの本の山で築き上げられた迷宮となっていた。


「君の名前は?」


「岩岡レイジロウ」


「素敵な名前ね、


「ロック?」と僕は聞き返した。


「きっと、向こうの世界ではそう呼ばれることになるわ。英雄王ロック」


「英雄? 僕が?」


 思わず笑ってしまう。何の取り柄もない中二病患者の僕が英雄になんてなれるわけがない。


 ……そういえば。

 僕は上城ユカが言っていたことを思い出す。


「上城さん」


「ユカでいいわよ」


「じゃあ、ユカさん」と僕は言い直す。「貴方はさっきこう言いましたね “英雄になって戻ってきた” と」


「ええ。それが?」


「なぜ、戻ってきたのですか?」


 沈黙。


 ……聞いてはいけない質問だったか……。


 後悔しかけたとき、ユカさんは少し寂しそうにカウンターにあったシロクマのぬいぐるみを抱きかかえた。


「厳密に言えば戻ってきてはいない。ここは現実の世界と、より精神的な力が作用しやすい幽冥世界との境界面に存在している。私はこの、どちらでもない場所で、次の英雄を見つけることが自分の使命だと感じただけ」


「それが僕……なんですか?」


「あるいはね」と肩をユカさんは肩をすくめる。「でも……ううん。やっぱりこれもいいわけね。私は……英雄で居続けることに疲れてしまったのかもしれない」


 僕はなんとも応えることができなかった。


「私の居場所は間違いなく、私達が言うところの異世界にある。でも――」


「でも?」


「そこで幸せに暮らせるか、ゲームやアニメのようなハッピーエンドを迎えられるかは、また別の問題ってところね。後悔をしているわけじゃないし、絶望したわけでもない。ただ、英雄になるっていうことは、人々の綺麗な側面だけで認められるわけではないってことを知ってしまった。だから、少し疲れてしまったのかもしれない」


「僕は……英雄になれますか?」


「英雄は運命であり、呪いでもある」と上城ユカは言った。「望む力、生きる力、その可能性を信じ続ける精神力がある限り、きっと君にも英雄になる時期が訪れる」


 僕は踵を返して、迷宮の中を戻るべく進みはじめる。


「行ってらっしゃい」と上城ユカの声がした。


「行ってきます」と僕も言った。「英雄が幸せになれないなんて間違っていると思います。僕に何ができるか分かりません。でも、英雄としてのユカさんが幸せに暮らせるような世界を僕が作ってみせます。だから、ユカさんも、まだ可能性を信じてください」


「生意気言うわね。新人英雄さん」とユカさんが言った。「私が刻まれた世界環数ループは777。君が行く世界はその先にある未知の世界環数。おそらく8にまつわる世界だ」


「どういうことですか?」


「意味はあるようでない。だが、頭の片隅にその数字を仕舞っていおいてほしい。いずれ必要になるときがくる」


「いつごろ?」


「たぶん、この世界でいう一年後くらいだ」


 彼女が何を言っているのかはわからない。そもそも最初から言っていることはよくわからないことだらけだ。


 異世界が存在し、僕はそこで英雄になり、一年後には何かが起こる。


 僕は一度だけ振り返った。


 上城ユカはぬいぐるみを抱えたまま、そのしろくまの手を振ってくれていた。


 僕は笑顔で別れを告げて、本屋迷宮を戻っていく。


 扉を開けた先が、冒険のはじまり。


 出口は入り口とつながっている。

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