卑屈の仮面【KAC20237】

キロール

狩ってくだせぇ

「へへっ、アンタにこんなこと頼むのは筋違いかもしれませんがね、どうしても家に出て来やがるあいつを狩って貰いたいんですよ」


 その男は卑屈そうに笑いながら一ノいちのせに告げた。

 

 一ノ瀬晃人いちのせあきひとは魔を狩る事を生業にしている現代に生きる狩人だ。

 海外を渡り歩くことの多い彼が日本皇国に帰ってきたのはつい先日のこと。

 今日も今日とて我が家で同居人と寛いでいると、目の前の男が訪ねてきたのだ。

 ヨレヨレの服を着た千田せんだと名乗った初老の男は、自身を卑下するように禿げあがった頭を撫でつつ笑った。

 一ノ瀬があまり好きなタイプの人間ではなかった。

 その彼がある魔を殺してくれと頼みに来たのだ。


 当初は断ろうと思った。

 不躾だし、そもそも協会を通した正規の依頼ではない。

 因果応報から逃れる利己的な依頼者かもしれない。

 魔を狩る事は多いが、一ノ瀬にとって全てが狩る対象ではなかった。

 事情によっては、彼は人が魔に殺されることを黙認する。

 自身に課したルールが全てであるから。


 だが、千田の卑屈な喋りを我慢して聞いていると違和感を覚えた。

 この男、言う程に無学などではない。

 明らかに卑屈さは板についているが、どこか知性を感じさせる。


「何故、引っ越さない? そんな怪物が出るような物件ならばすぐに引っ越した方が無難だろうに。少なくとも、私にこれだけの大金を提示せずとも引っ越し代の方が安い」

「そりゃあ、そうなんでしょうがね。へへっ、そのね、それが出来ないんですよ」


 卑屈そうに笑いながら告げる様子に、一ノ瀬は訝しげな表情を作った。


「何を言ってるって顔してますねぇ、そう思うのは当然だ。へへっ、どこから話したもんかねぇ」

「正規の依頼じゃない、筋が通ってなかったら受ける訳にはいかない」

「手厳しいですねぇ。へへっ、どうってこたぁ無いんですよ。あいつはね、俺の女房だったんだ」


 意外な事を言う千田に一ノ瀬が視線を投げかけると、千田は頭を掻いて卑屈そうに言った。


「ありゃ、女房だ。教団に入れ込んで、入れ込んで、生活費まで貢いだ挙句に喧嘩別れしちまった女房だ。……教団に殺されちまった女房だったんだ」


 千田はへへっとまた笑う。

 その内容で何故笑うのかと一ノ瀬が眉根を寄せると、興味なさげに話を聞いていた一ノ瀬の同居人が口を開いた。


「悔恨か?」

「へ?」

「おのれの無力さからそこまで卑屈になったのかと聞いておるのじゃが?」


 舌鋒鋭い同居人は一見少女と言っても差し支えない年齢に見える。

 しかし、語る言葉の古臭さもそうだが、その雰囲気は明らかに重々しく不躾な言葉に怒っても良い筈の千田ですら目を白黒させている。

 だが、やがて千田は少女の言葉に頷きを返した。


「そう、か。俺ぁは悔しいんだな……。あんな、あんな教団の使い走りにされちまったあいつを……どうにもできない俺自身が」


 何度か禿げあがった頭を撫であげてから、千田は真っすぐに一ノ瀬を見た。

 初めて彼は真っすぐに一ノ瀬を見たのだ。


「噂には聞いていたんだ、教団に敵対するとバケモノを送り込まれるって。教団相手に訴訟を起こしていた弁護士の家にも出たってな。俺ぁその噂を聞いた時に嫌な予感がしてな。その弁護士先生の家族から無理やり聞きだしたのよ、そのバケモノの容貌を。……忘れもしねぇ、三十年前に死んじまった女房にそっくりだった……」

「それで、あなたは教団と敵対したのか?」


 一ノ瀬が問いかけるとそうだと千田は頷いた。


「どうしても会いたかった。殺されても構いやしねぇと思った。……だから教団に喧嘩を売ってやったのよ。そうしたらすぐに俺の家にも来やがった。……女房だった。いや、身体は蛇みたいなものになってたから女房とは言えねぇけれどよ、でも、顔は女房だった。そして、あいつは……」


 語りながら千田の卑屈の仮面が取れる。

 自信を誤魔化して生きて来た男の言い訳が崩れる。


「俺を殺さなかったんだ! あんななりになっちまったってのに、俺を見て言ったんだ。あんた、ごめんって。謝るのは俺の方だってのによ、あいつは……あいつは!」


 卑屈になる事で心を守って来たであろう男は、涙を流して真情を吐き出した。

 千田の嗚咽はしばらく続いたが、千田は漸く袖で涙を拭って言った。


「あいつを……狩ってくだせぇ」


 一ノ瀬はその言葉に深く頷きを返した。


※  ※


 一ノ瀬は同居人と共に飛行機を待っていた。

 三日後にはウェールズで大物狩りがある。

 少しばかり慌ただしい日程だと肩を竦めながら先ほど買い求めた新聞を眺める。


「ちょいと良いか?」


 不意に野太い声を掛けられた。

 顔見知りの刑事だった。


「わざわざ見送りに?」

「そんな訳あるか。……千田って男を知っているか?」

「ああ、知っているよ」


 刑事の顔をちらりと見てから一ノ瀬は新聞に視線を戻す。

 どこぞの教団の教祖が死んだと言う事件の記事が一面を飾っていた。

 教祖の遺体の側には首を刎ねられた怪物の死体が三つ転がっていたとも。


「そいつが言うのさ。教団の事件で誰かが捕まるならば俺以外にはいないって」

「へぇ」

「……あんた、千田に会っただろう?」


 一ノ瀬は刑事に視線を戻して、頷きを返した。


「魔物を狩って欲しいと言われた。それだけだ」

「そうかい。……千田って男は卑屈で業突く張りだった。その筈だ。なのに、今、何ををしていると思う?」

「何を始めた?」

「方々に謝罪して不当に溜めた金を返して回ってるとよ」

「大方、あの教祖に操られていたんだろう。集金システムとして」


 そう告げてから一ノ瀬は手に持っていた新聞を刑事に押しつけて、同居人とともに搭乗口へと向かった。


「教祖の呪縛から解放された被害者か、良い言い訳を考えたのぉ。ただ、此度の以来が無報酬とはなぁ……。ほだされたか?」

「依頼? 私は依頼を受けていない。だから報酬をもらう必要もなければ誰かが責任を取る必要もない」

「それは下手な言い訳じゃな」


 同居人である己の師にそう告げられると一ノ瀬は軽く肩を竦めるしかなかった。

 そして、新聞を片手にこちらを見送っている刑事の姿がまだ認められれば、片手をあげて挨拶へと変えて搭乗口へと去っていった。


<了>

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