6−3

「だいたいお前は傲慢で冷酷で、自分の気に触ったら平気で人を切り捨てる、なんでも自分の思い通りにしないと気がすまない面倒な男なんだ」

 降りた車のドアを閉めながら、ぼくは喧嘩腰に切り出した。ぼくの言葉に、ブライアンが反対側のドアを閉めながらせせら笑う。

「自己紹介か、ルーカス・ポッター」

「ぼくにお前ほどの傲慢な要素があるなら教えてほしいもんだ」

「自分の思い通りにならなければ平気で人を切り捨てて、すぐに逃げ出すじゃないか。後に残された人間がどんな思いをするのかなんてどうでもいいんだろう。お前は傲慢で冷酷なやつだよ」

 男の言葉に、ぼくはレキサンドラの店へと足を進めながらブライアンを睨みつける。

「もしぼくが本当に傲慢で冷酷ならな、ブライアン。フラれた瞬間にお前を殴りつけて、すぐにその場から立ち去ったよ! お前の怪我なんて少しも思いやりなんてせずに!」

「何が思いやりだ。だいたいお前は性格が悪すぎるんだ。気まずくなった次の日にも何もなかったようにやってきておれを安心させて、安心しきったところで姿を消して。より効果的におれを傷つけるつもりだったんだろう? 思惑通りになって満足だったか?」

「な、な、な……!」

 怒りと衝撃のあまり頭が真っ白になった。まともに言葉も紡げないまま口の中で奇声を繰り返していたぼくだったけれど、ついにその怒りを爆発させて勢いよくカフェ・レキサンドラの扉を開け放つ。

「なんてことを言うんだよ‼︎ ぼくがどんな思いで、最後までお前のリハビリに付き合ったと思ってるんだ!」

「復讐の機会に胸を躍らせていたか? その時にはもうおれから離れるつもりだったんだろうからな!」

「はああああ?!」

 ぼくはまたしても怒りの咆哮を上げていた。店で談笑していた人、一人静かに飲んでいた人、カウンターで注文していた人、壁の絵や観葉植物に至るまで、店中の全ての人や物が唖然とぼく達を見ていたけれど、そんなことよりもこの分からず屋の大馬鹿野郎に痛烈な一言を叩きつける方が、この瞬間、ぼくにとって遥かに重要で何よりも最優先すべきことだった。

 相手の男を殴りつけたい一心で、ぼくは叫んだ。

「性格が悪いのはお前の方だ、くそったれ! 振られたからって、友達のことを簡単に見捨てる方がどうかしてるだろ。だからぼくは、悲しみに堪えて……」

「そしておれを依存させて、突き放したんだろ」

「なんだと、この根性まがり! 振られてすぐに見捨てた方がよかったっていうのかよ!」

「その方がよっぽど思いやりがあるというものだ!」

「ちょっと、ちょっと、ちょっと、あんた達……人の店で一体何事なの」

 すぐ間近から聞こえてきた呆れ返った声に、ぼく達はいつの間にか自分達がカウンターのすぐそばまで上がり込んでいたことに気がついた。二人揃って勢いよく声の主、レキサンドラを振り返る。

「レキサンドラ、ゴッドファーザーくれ!」

「やめときな。アンタ一気にいくつもりでしょ」

 ブライアンの注文を〇・一秒で受付拒否したオーナーに、今度はぼくが注文を重ねる。

「レキサンドラ、ぼくギムレット!」

「頭のネジぶっ飛ばした男にジンなんて注げるかボケ」

 ドアを乱暴に扱ったことをずいぶんと怒っているらしい。それでもレキサンドラは二つのグラスに、勢いよくオレンジジュースを注いでくれた。当初の予定ではレキサンドラに間に入ってもらって冷静に、ブライアンの話に耳を傾けるはずだったのに。今ではもう、ぼくの頭にはいかにこいつをねじ伏せるかしか残っていない。

 ぼく達は店の一番片隅にあるテーブルに陣取るとすぐにオレンジジュースを呷り、二人揃ってそのグラスを置いた。

「よう相棒、そういえば思い出したぜ。お前ってば昔っから根性がねじ曲がってたよな」

「お前の性格の悪さだって昔からだ」

「ぼくのどこが性格が悪いっていうんだよ。クソガキだったことは認めるけど、性格が悪いだなんて言われるような覚えはないぞ」

「こちらのセリフだ。近所でも評判の優等生を捕まえて、根性がねじ曲がっているとはどういうつもりだ」

「お前は昔から根性がねじ曲がったくそ優等生だったよ。忘れたとは言わせないぞ。裏庭でスターウォーズごっこをしていた時、じゃんけんに勝ったらオビ=ワン役だって言ったのお前のくせに、負けたらやっぱり負けた方がオビ=ワン役だってわがまま言ったじゃないか!」

 長きに渡りぼくが密かに根に持っていた渾身の恨み言に、ブライアン青灰色の目が鮮やかに燃え上がる。信じられないとでも言いたげに目を見開き、男が「ふざけるな!」と吐き捨てた。

「一体お前は何を言っているんだ。そもそもお前の方じゃないか、ことの発端は! 負けたらダース・ベイダー役だって約束していたのに、結局やらなかっただろう。おれは、ただお前のやり方に従っただけだ!」

 ブライアンの哀れな考え違いを、ぼくは自分が作れる一番嫌みったらしい表情で踏みつけにする。

「違うね、オビ=ワンの話の方が先だったよ」

「ダース・ベイダーだった!」

「この頑固やろう!」

「こちらのセリフだ!」

 ついにぼく達は、派手に椅子を鳴らしながら立ち上がった。細い金属製の脚が、耳障りな甲高い音を立ててコンクリートの床を滑る。お互いの手が、最短距離を通って相手の胸ぐらに伸びた。

 けれどその手が相手に届く直前に、ぼく達の体はものすごい力であっという間に引き離される。

「どうどう、落ち着けルーク」

「何するんだ、放せよ、あいつに一発わからせてやる……!」

 じたばたもがくぼくの向かいで、ブライアンの方もまた――いや、ブライアンの方は屈強な三体もの肉の壁にがんじがらめにされていた。完全にVIP扱いだ。ぼくとブライアンの力の差を見せつけられているようで、なんだか無性に悔しい。

 ブライアンを威嚇しながらぎりぎり歯噛みしていると、耳慣れた野太い声が、思いのほかすぐそばから降ってくる。

「……信じられる? この子達、これでシラフなのよ」

「レキサンドラ!」

「すぐに動いてくれて助かったわ。店の備品を壊そうものなら地獄を見せてやるところだった」

 その言葉に少し冷静になったぼくの背後で、ぼくを羽交締めにした男がレキサンドラの言葉に答えた。

「おれはいいけど、あちらさんに割り振られたやつらは哀れだね。三人がかりでも悲惨だ」

 気だるげでオーストラリア訛りの強いアクセントに、ぼくはようやく自分を押さえつけている男が誰なのかに気がついた。

「お前、まさかレオ? こんなところで何やってんの」

「酒を飲んでる。お前さんこそ何やってんの。あれが例のブライアンだろ? 寝言で呼ぶほどの相手と、なんで喧嘩なんてしているんだよ。しかも控えめに表現しても最底辺レベルのさぁ」

 言われてみれば、何でこんな喧嘩をしてるんだっけ。聞くべきもっと大事なことが山ほどあったはずなんだけど。

 思わず考え込んでいると、三人もの男を相手にもがいていたブライアンがぼく達の様子に気がついて声を張り上げた。

「ルークに触るな、クソ野郎!」

「いやあ、レキサンドラ。ありゃやっこさん、もうすでに何杯かひっかけてるよ。シラフってことはねえわ」

 野生の本能をむき出しにしたクマに、背後の男が呆れてため息をつき――そしてぼくの方は怒りを再燃させた。

「ほら見ろ! そうやってお前はすぐぼくの保護者ぶってぼくのことに口出すんだ。この偏屈男!」

「こっちもか……」

 レオのぼやきを無視して、ぼくは足をばたつかせた。

「前からおかしいと思ってたんだよ。なんでぼくは人との距離について、ことあるごとにお前にくどくど説教されなきゃいけないんだ? いつもベタベタ人にひっつかれているのはお前のくせに!」

「おれの一体どこが……」

「今だって三人の男に押し倒されてるだろ!」

「これは不可抗力だ!」憤然と言い返し、男が続ける。「そもそも、おれはお前ほど人のために一生懸命になりはしない。お前は違うだろう。いつも人のことばかり考えて隙だらけだ」

「いいか、お人好しと評判のブライアン。お前にとってぼくは、いつまでも間抜けな子供に見えるのかもしれないけれどな。ぼくはお前と同じ歳の、成人した、自分のことは自分で決められる、一人前の人間なんだよ」

「そんなことは分かっている。お前は才能溢れる自立した男だ」

「そのとおり」

 ぼくの自信満々の相づちに、ブライアンの表情が陰鬱な色に翳った。

「――でもおれは、たとえお前が才能に溢れてなんていなくても、お前が好きだ」

「うるさい、今そんな話はしてない!」

 反射的に言い返したぼくを、ブライアンがその青灰色の目で突き刺した。その真剣な眼差しに、徐々に、自分の顔がこわばっていくのがわかった。

 店の中の人々――二十代から六十代の幅広い年齢層だ――が、ぼく達を見守っていた。より正確に表現するならば、彼らは男の言葉に対するぼくの反応を固唾を飲んで待ち構えていた。

「違うよ。お前だって本当はわかってるんだろ。ぼく達の間にあるのはただの執着と支配欲だ」

 ぼくの言葉に、ブライアンが顔を歪めた。

「執着ならまだマシだ。お前の中には執着だってないじゃないか。お前はただおれに無関心なんだよ。それでよく、おれに振られて傷ついただなんて言えたものだ」

 度し難い幼なじみの言葉に、ぼくの全身が一瞬で煮え返る。

「ふざけるな‼︎ どれだけぼくが、お前への気持ちで苦しんできたと思ってるんだよ! 何も知らないくせに……!」

「簡単におれを自分から締め出してしまえるのに? お前はおれの怪我に同情して流されただけだ。おればかりがお前を好きなんだ!」

「そんなわけあるか! 十二年だぞ。お前の、アヒルの雛の洗脳程度の執着と支配欲より、ぼくのお前への思いの方が純粋で、ずっと苦しいんだからな!」

「お前の思いの方がおれよりも苦しいだなんて、よくそんな世迷いごとを口にできたものだ。一体どうやったら、お前は状況を正しく測れるようになるんだ⁈」

「お前が信じられないよ、ブライアン。お前こそ何でこんな簡単なことが理解できないんだよ? ぼくの幼なじみはもっと頭がいいと思ってた!」

「おれは全てを完全に正しく理解している。おれが正しくて、お前が間違っているってな!」

「何だとお」

 体をがっちり押さえつけられていることも忘れて、ぼく達は再びお互いに向かって手を伸ばした。その瞬間、雷の直撃を受けたような凄まじい怒号が耳をつんざいた。

「ちょっともう、いい加減になさい、あんた達ッ‼︎」

 ぼくとブライアンは揃って、目を急角度に釣り上げたまま仁王立ちになっているレキサンドラを振り返る。

「だってこいつが!」

 口々に叫ぶぼく達を唖然と見下ろし、レキサンドラは苦々しくため息をついた。そのままぱちんと良い音を立てて、大きな右手で自分の額を押さえる。

「信じられない。あんた達、五歳の頃から何ひとつ変わってないじゃない!」

「そんな訳ない。ブライアンが勝手なことばかりして、ぼくの言うことをちっとも理解しないのが悪いんだ」

「おれは違う。ルークが無茶なことばかりして、おれの話に耳を傾けようとしないのが悪いんだ」

 それぞれ好き勝手に反論を重ねるぼく達を、レキサンドラが吐き気を堪えたような顔で睨みつける。

「……オーケイ、分かった。アンタ達とりあえず一旦、物理的に離れな。状況はよくわからんが、お互いが冷静になって改めて話し合いでも殴り合いでもしてくれ。昔なじみのよしみでおれが仲裁に入ってやるから」

 レキサンドラの言葉にレオがぼくを拘束していた腕を緩めたのと、ブライアンが声を上げたのはほぼ同時だった。

「だめだ」

 その声は、つい三十秒前の言葉と同じ人物から発せられたことが信じられないくらい十分に冷静で、ついでにぼくの頭をもしっかりと冷やしてくれた。

 黒髪がいく筋か彼の少し日焼けした肌に落ちて、かすかに揺れていた。幼い頃、ぼくのような肌になりたいと言って、日焼け止めを塗ろうとするハンナから逃げ回っていた小さな少年。いつも遅刻しそうな時間に家を飛び出すぼくを、いくら先に行けと言っても律儀に家の前で待ってくれていた少年。ぼくが無理やり放り込まれたサマースクールに駄々をこねてついてきて、満足そうにぼくの隣で笑っていた少年。

 いつもは聞き分けがいいくせに、ぼくのことになると急にその頑固さを発揮するぼくの幼なじみが言い募る。

「事情は説明しただろう。ルークは今、一人になるべきではない」

「そうね。でもその相手はあんたじゃだめ。いいかい、坊や。お前たちは二人とも疲弊して正常な判断力を失っている。しかも互いに自分の考えばかりに夢中になって、まともなコミュニケーションすら取れていない。おれが敵なら喜んでつけ込むね」

 ブライアンとぼくは、レキサンドラの言葉に揃って奥歯を噛み締めた。

「……こいつの飲み物に細工して追いかけ回した犯人は、まだ捕まっていない」

「分かってるよ」

「あんたは分かっていないんだ、レキサンドラ。――ルーク、お前の友人が殺害された事件とお前を狙った犯人は、同一だとサムは考えている。おれも彼の考えを支持する。つまり、お前は人の命に手をかけた人間につけ狙われているんだよ」

 バーの中に緊張が走った。ぼく達を取り囲んだ店の客たちが息をのみ、ざわめきが広がる。無関係な人がこれほど溢れる中で情報を漏らすなんて、レキサンドラが指摘した通り、ブライアンの神経ももうとっくの昔に限界を振り切れているんだろう。

 それを理解したぼくの中で、自ずと答えは弾き出された。

「……レキサンドラの言う通りだ。お前の疲労を考えずに無理にお前を連れてきたぼくの落ち度だ」

「おれは疲れてなんかいない。そもそも元はおれの嘘が原因だ。せめて家までは送らせてくれ」

 思わず視線を下げた。ブライアンの白いシャツからはお腹の辺りのボタンがひとつ消え、裾がスラックスから飛び出していた。その隙間から、形のいい腹直筋が見え隠れしている。ぼく達は一度離れるべきだ。お互いのために。ブライアン以外の誰もが、それをよく理解していた。そしてそれを伝えるべきは、レキサンドラではなくてぼくなんだ。

「ブライアン。ぼくは今、お前と離れて頭を整理する時間が欲しい」

 ぼくの言葉に、ブライアンが息を呑んで口を閉ざした。その合間を縫うように、レキサンドラが口を挟む。

「……家までは、タクシーを使って帰りなさい。タクシーに乗り込むまでは監視もつけるわ。二人ともそれでいいか」

「レキサンドラ」

 またしてもぼくとブライアンの声が重なった。レキサンドラに引き寄せられていた視線を幼なじみに戻すと、彼は信じられないと言いたげに愕然とレキサンドラを見ていた。

「なぜ分からない。これは殺人事件が絡んでるんだぞ。おれだってルークの家に無理やり押し入って、長々と居すわるつもりもない。ただ、家までおれを連れて行けと言っているだけじゃないか」

「……やっぱりあんたはセスの息子だね。あんたの言っていることは確かに筋が通ってるさ」

「それなら――」

「けれど正論がいつでも誰にとっても正解というわけじゃないの」

 棒立ちになるぼくをレキサンドラが振り返り、出入り口に向けてその力強い顎をしゃくった。その瞬間、ぼくはようやく呼吸を思い出した。肺いっぱいに息を吸い込み、そのままくるりとレキサンドラとブライアンに背を向ける。

「よおルーク、兄貴の出した条件を忘れんなぁ」

 間延びした声がぼくのすぐ後ろを着いてきて、その奥で机と椅子がけたたましい音を立てた。

「……お前が信じられないよ、ルーク。お前は一体、どうしてこんなことができるんだ?」

「ブライアン、あの子のことはちゃんと送らせるから――」

「おれは、いつだってこの世界の何よりもお前の安全を願っているのに、お前はいつもいつもそうやっておれを踏み躙るんだ。その度におれがどんな思いをするかなんて考えもせずに」

 ひりつくような幼なじみの声が、背後からぼくを殴りつける。それでも足を止められないぼくに、怒りと表現するにはあまりに悲痛な叫びが覆い被さった。

「お前なんて大嫌いだ、ルーク……!」

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