第24話 因果応報
折れてしまった聖剣は、カランカランと音を立てて床に落ちた。
「聖剣が……!」
フレッドがギリッと奥歯を噛みしめる。へレーナに視線を向けると、クリストファー殿下の右手首を掴んでいた。
「はっ……なんだ? 急に痛みが引いたが……?」
クリストファー殿下は不思議そうな顔で、辺りを見回している。今まで痛みで動けなかったのに、ケロリとしているところを見ると痛みは完全になくなったようだ。つまりそれは。
「ふふふっ、あははははは! なぁ〜んだ、呪い解くのって簡単だったんだ。おかげでなんかレベルが上がったみたい。ほら、あんたも私に感謝しなさいよ!」
「そうか! 呪いが解けたんだな! それなら、これでユーリエスを私のものにできる!!」
へレーナがクリストファー殿下の呪いを解いて、自分に取り込んだのだ。それによって闇の力が増幅して、聖剣では手に負えなくなった……?
それなら、今あれを試すしかない!
「リンク! マリサ! お願い!!」
私の掛け声で影の中から皇族を守る影たちが一斉に現れた。手には大きな麻袋を持っている。一瞬にして現れた影たちにへレーナもクリストファーも驚いて声も出ない。
「今よ!!」
影たちが持っている麻袋を投げつけたタイミングで、皇帝陛下の影が飛び出しへレーナの頭上で切り裂いた。
裂かれた麻袋からこぼれ落ちたのは、海の恵みをたっぷりと含んだ大量の塩だ。
容赦なく降り注ぐ塩にへレーナは声にならない声を上げる。
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」
真っ白な穢れなき結晶に塗れたへレーナは声もなくのたうち回る。やがて役目を果たした塩が黒ずんでドロドロに溶けていった。
「よかった……効いたんだ……」
穢れを浄化するという言葉を聞いて、私は両親の葬儀を思い出した。火葬場から戻ってきて、玄関で美華と塩をかけ合い身を清めた。
悲しい思い出だったけれど、塩には浄化の作用があり、塩の結晶も透明だと思い至った。聖剣が透明だったのも、なんらかの方法で塩の浄化効果が含まれていたからではないのかと考えた。
それにへレーナ甘いものばかり食べているのも決め手だった。宮田さんは甘いものより塩気のあるものが好きで、煎餅をよく食べていた。男性社員の前ではマカロンなどのかわいらしいお菓子を食べていたけれど。
つまり塩分を取りたくない、もしくは取れなくなっているのだと思った。
だからレイチェル様に頼んで大量の塩を用意してもらったのだ。
もし効果がなくても、これだけの塩をぶっかけたら意表をつけるから、その隙に逃げようと思っていた。
私は塩が届きリンクたちに託してから、帝都の街へと出た。
やがて黒くドロドロになった塩に塗れて姿を現したへレーナは、肌から水分がなくなり色褪せたミイラのようになっていた。艶々だったピンクブロンドの髪もパサパサで、湖のような瞳は白く濁っている。
「な……なんで、消えちゃった……闇の力が……ひっ!」
へレーナは自分の枯れ木のようになった手を見て、短く悲鳴をあげる。骨と皮だけになった指先で顔に触れ、以前と違う様子に気が付き絶叫する。
「いやあああ!! なにこれ!? どうなってるの、ねぇ! 闇の力も使えないんだけど、なんでぇ!?」
もう闇の力も枯れ果て使えないへレーナに残されたのは、膨大な聖なる力だけだった。へレーナの闇の力が消え去ったことで、皇帝陛下たちを閉じ込めていた檻も消滅した。すぐさま近衛騎士が駆けつけ、支えられながら皇帝陛下がへレーナの前までやってきた。
「聖女へレーナ。いくらお前が聖女といえど、
「ち……違う、私は……ただ、一番に……」
「黙れっ!! 我らを人質にして、このリンフォード帝国を操っていたのをずっと見ておったのだ!! 言い逃れできると思うな!!」
「ひぃっ!」
皇帝陛下の圧倒的な覇気に気圧されたへレーナは、ビクッと肩をすくめガタガタと震えている。
「聖女へレーナには強制的に聖なる力を搾り取る魔道具をつけた上、皇城の地下牢へ幽閉せよ。命尽きるまで聖女として正しく力を使うがよい」
「嫌だよ、そんなの嫌っ! ねぇ、今度はちゃんとやるから! お願い、許して!!」
皇帝陛下に縋りつき、涙を流して懇願するへレーナを引き剥がしたのはフレッドだった。フレッドのサファイアブルーの瞳に浮かぶのは、明確な敵意と殺意だ。
それを感じ取ったへレーナは、ハクハクと口を動かすだけだった。
「……たとえ皇帝陛下が許しても、俺はユーリに害をなす貴様を絶対に許さない。次に俺の目の前に現れたら——迷わず殺す」
フレッドは私ですら息ができなくなるほどの凍てつく視線をへレーナに向ける。もうなにをしても無駄だと悟ったのか、へレーナはようやく静かに項垂れた。
* * *
なにがダメだったんだろう。
どこで失敗したんだろう。
私は聖女へレーナに生まれて、ただ一番になりたかっただけなのに。
冷ややかな視線を向けるふたりの騎士に先導されて、私は地下へと続く城の階段を降りていく。手も足も鎖で繋がれて、一歩進むたびにジャリジャリと音がうるさい。
裸足のまま歩かされているから、足の裏は傷だらけになっていた。
両方の二の腕と首に、金と赤い石がついた魔道具をつけられている。どうもこれが聖なる力を搾り取る魔道具みたいだ。私に装着すると同時にピッタリサイズに縮んで、どうやっても外すことができない。
「ねぇ、ちょっとゆっくり歩いてよ! これでも私は聖女なのよ!!」
「黙れ! お前は反逆者なんだ! これからはせいぜい人のために役に立て!」
「なによっ! 十分尽くしてきたのに……!」
聖女として私は大地や水を浄化してきた。それは本当だ。だからこそ、みんな私のいうことを聞いてくれるようになったのだ。その分を取り返してなにが悪いのかまったくわからない。
「与えた分を返してもらうのは、当然の権利じゃない」
「お前はそれ以上に奪っただろうが。そのしっぺ返しが来たんだよ」
「なにも奪ってないから! だからこんなの理不尽なんだってば!」
騎士たちが呆れたようにため息をつく。その後は私がいくら文句を言っても返事すら返してくれなかった。そうして最下層まで下りて、蝋燭の光だけが灯る無骨な通路を延々と歩かされた。
いい加減文句を言うのも疲れて無言で騎士の後をついていく。
やがてひとつの牢屋の扉が開かれた。ひとりの騎士が蝋燭に火を灯すとくたびれたベッドと、錆びついたバケツ、それからボロボロの机と椅子がオレンジ色の光に照らし出される。
「ほら、入れ。ここがお前の部屋だ」
扉の前に立つ騎士が私を押し込むようにして牢屋の中へ入れた。足がもつれて転んでしまい、蝋燭をつけ終わった騎士の足元に手をつく。
「そのまま動くなよ」
そういうと私の首についている魔道具へなにか嵌め込んだようだった。カチリと小さな音がしたかと思うと、途端に全身から聖なる力が吸い上げられる。
自分の意思とは関係なく奪われる感覚は、想像を絶するほどの苦痛をもたらした。
「あっ……あああああっ!」
「これで、お前の聖なる力は世界中に拡散される。よかったな、世界中からは聖女様のおかげだって崇められるぞ」
「あうっ……うう、ううう……」
痛くて、苦しくて、息もしづらい。動くことなんてできなくて、冷たい牢屋の床にうずくまるしかできない。
「一日三度は食事が運ばれる。部屋の掃除は朝食の時だ。他は誰も来ないから好きにしろ」
騎士たちはそう言葉を残して、牢屋から去っていった。
延々と続く苦しみに、今が朝なのか昼なのかわからなくなる。食事を持ってこられても
やっと塩気のある食事ができた。闇の力を使っている間は、塩気のある食事は受け付けられず甘いものばかり食べていた。
どうしてこうなってしまったのか。
ふと先輩の声が蘇る。あの時の先輩はとても優しく微笑んでいた。
『宮田さん、失敗してもいいからきちんと謝って。次は同じ失敗をしないようにすればいいから』
失敗したんだ。私は聖女として失敗した。
「ごめ……んなさい……ごめっ、あああ!」
言葉にできなくて、何度も心の中で謝ったけど、もう私を許してくれる人はいなかった。
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