第20話 勇者の末裔
レイチェル様は途中にある農家を見つけると馬を買い取り、護衛に先に行かせて事情を書いた手紙を渡すよう指示した。
農家の主人はその額に驚き腰を抜かしていたけど、豪快なお買い物はレイチェル様らしい。価値があると思ったものには相応の対価を支払うのだ。おかげで私の化粧水もいい条件で契約してもらえている。
聞けばレイチェル様はコンラッド領に取引先があり、今回は新規商品の発掘のため王都からやってきていたそうだ。本当にタイミングが少しでもずれていたら、会っていなかった。
「これで問題ありませんわ」
「あ、ところで、クリストファー殿下はどのような処遇になったのですか?」
「ああ、あの方ね。なにか条件をつけられたようですけど、それをクリアできなくて廃嫡になりましたわ」
「そうでしたか。まあ、それは仕方ないですね。では離宮にて過ごされているのですか?」
私はクリストファー殿下がちゃんと国に戻っていることを確認したかった。もう私に近づくことはできないだろけど、それでも居場所を把握しておきたかった。
「それが……どうやらクリストファー殿下は、帝国へ行ったまま行方不明になっているようなのです。王室からは帝国へ視察へ行ったものの、病に冒され王太子の継続が困難になったと発表しておりますが嘘ですわね」
「そう……ですか」
「でも心配いりませんわ。密かに近衛騎士たちも帝国で捜索をしておりますもの」
後味の悪い気分でレイチェル様の話を聞いていた。チラリとリンクに視線を向けるけれど、首をわずかに横に振るだけだった。リンクはちゃんとフレッドの指示通りにしたのだろう。
その後、クリストファー殿下はどこへ行ってしまったのか。さすがにバスティア王国へ戻ってきていると思っていた。自業自得だとは思うけれど、死んでほしいとまでは思っていない。
「ユーリ、大丈夫だ。あのタイプはしぶといから。きっと殺しても死なないぞ」
「そうかしら……そうだといいのだけど」
「ああ、きっと大丈夫だ」
私とフレッドの会話を聞いていたレイチェル様が、ワクワクとした表情で胸の前で両手を合わせた。
「まあ、もしかしておふたりはそういうご関係ですの? 確かにフレッドさんは鉄壁のガードで、ユーリエス様を他の殿方からもお守りしていましたものね!」
「さすがレイチェル様ですね。よく見ておられます。やっとプロポーズができて、今は返事待ちなのです」
「やはりそうでしたのね! 通りで視線に熱がこもっていたわけですわ!」
待って、確かにフレッドを連れてレイチェル様と商談をしていたけど、それは帝国へ来る随分前のことだ。
「え……そんなに前から、ですか?」
「そうですわね。フレッドさんが護衛騎士になってから、しばらく経ってからだと思いますけれど」
「つまり、それくらいユーリをずっと想ってきたということだ」
フレッドにうっとりとした様子で微笑まれ、レイチェル様はニコニコと楽しげにされ、リンクは我関せずといた様子で窓の外を眺めている。どうにもいたたまれなくなって、慌てて話題を変えた。
だけど私は原作でフレッドがイリス様に恋をすると知っている。この後イリス様に会ったら、フレッドの気持ちは私から離れていくかもしれない。それもあったから、フレッドのことは護衛なのだと強く思ってきた。
フレッドは専属護衛だと思えば思うほど、私の心は底なし沼に沈んでいくようにどこまでも落ちていった。
それから二時間ほどして、コンラッド辺境伯の屋敷へ着いた。レイチェル様が先触れを出してくれたおかげでスムーズにコンラッド辺境伯に会うことができた。
「フランセル公爵令嬢ならびにレイチェル様、こんな辺境の地までようこそおいでくださいました」
「急な訪問をした上、このような格好で申し訳ございません。どうぞユーリエスとお呼びください」
「コンラッド辺境伯様、ご無沙汰しております。先ほどわたくしの護衛が手紙を渡したと思うのですが、その件でよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろんでございます。準備は整っておりますので、こちらへどうぞ」
そのまま応接室へ案内され部屋に入ると、真紅の髪に琥珀色の瞳をした女性が凛と佇んでいる。『勇者の末裔』の主人公であるイリス様が剣を手にして待っていた。
「お待ちしておりました。わたしがイリス・コンラッドでございます」
イリス様が綺麗なカーテシーを披露すると、コンラッド辺境伯からソファーへかけるように促される。フレッドはイリス様を目の前にしても、特に変わった様子はないようだ。ホッとして胸を撫で下ろした。
すぐにメイドがお茶を用意してくれて、人払いが済んでから話を始める。
「こちらがお手紙にございました、代々伝わる聖剣です。現在の所有者はコンラッド辺境伯の嫡子であるわたしです」
純白の鞘にはびっちりと金色の古代文字が刻み込まれ、柄にはイリス様の瞳のような琥珀が嵌め込まれている。繊細な模様に覆われた持ち手の部分も琥珀が等間隔で配置され、まるで芸術品のような美しさだ。
「これが聖剣……ですが、こんなに簡単に用意してくださるとは思っていませんでした」
「実は聖剣は確かに本物なのですが、使いこなせる者がもう二百年も現れていないのです」
イリス様は悲しそうに寂しそうに言った。次にコンラッド辺境伯が言葉を続ける。
「ただ勇者としての気質はそのままなので、イリスはお転婆で大変でしたがな。それも十歳までの話です。淑女としての教育を受け、おそらくイリスが今後この聖剣を扱うことはないでしょう」
「それにこの聖剣は資格がある者でないと鞘から抜くことすらできません。お試しになってください」
私は聖剣を受け取り鞘から剣を抜こうとしたけれど、びくともしなかった。そこでフレッドに手渡してみる。
フレッドが柄を手にした瞬間、聖剣が淡い光に包まれた。ゆっくりとフレッドが剣を引くと、スルスルと透き通った剣身が姿を見せる。
「なんと!! 聖剣が……!!」
「ああ、なんて美しい剣なのでしょう……お父様、わたし決めました」
「……そうだな。うむ、いいだろう」
イリス様は真っ直ぐにフレッドへ視線を向けて、口を開く。
「聖剣に認められし勇者様。この剣は貴方様がお持ちになるべきです。どうぞ、その御心のまま剣を振るってくださいませ」
「だが……これはコンラッド辺境伯に伝わる家宝ではないのか?」
「確かにそうですが、聖剣に選ばれた者こそが持つべきです。なにより持ち主であるイリスがそれを望んでおります」
「これまでも聖剣なしでこの地を守ってきたのです。我らが持っていたとて、宝の持ち腐れでしかありません」
イリス様は慈しむように聖剣を見つめて、フレッドに向けて言葉を続けた。
「ですから、この聖剣をお受け取りください」
この聖剣にはコンラッド辺境伯の歴史が刻まれている。代々の勇者の気高き思いも。フレッドはその重さを感じ取っているようだった。
「わかりました。それではお借りしていきます。必ず返しにまいります」
「ふふっ、ではその時は邪神を倒した話をお聞かせください」
「ええ、もちろんです。本当にありがとうございます」
こうして聖剣を手にして、コンラッド辺境伯の屋敷を後にした。フレッドはイリス様と再び会うことになるのだろう。そこからなにかが始まるのかもしれない。今回はイリス様はクリストファー殿下と出会っていないのだから。
「ユーリエス様。本当ならこのままお送りしたいのですが、わたくしも約束がございますの。馬車の手配をしましたので、ご希望の行き先をお伝えくださいませ」
「そんな、そこまでしていただいて……レイチェル様、本当にありがとうございます」
「とんでもないことですわ。なにか必要なものがございましたら、わたくしの伝手で用意しますので遠慮なくおっしゃってくださいね」
レイチェル様の気遣いに本当に頭が下がる。だけど聖剣で本当にセレーナの穢れを浄化できるかわからないので、念のためにできることはしておこう。
浄化といえば、なんだろうか? 聖剣はまるで水晶のように透明で美しかった。他には水? それとも——。
前世の記憶を漁り、あの事柄が浮かび上がる。
「レイチェル様、ひとつ用意してほしいものがあります」
「ええ、お任せくださいませ!」
そしてまた一週間かけて、私たちは帝国へ戻ってきた。
隠れ家に戻って早々、ミカにがしっと両肩を掴まれる。驚きに満ちた表情は、酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせていた。
「お姉ちゃん、か、髪っ!!」
「ああ、邪魔だったから切っちゃった」
「えええ——!! すっごい綺麗だったのに……!!」
それからしばらくお互いの報告が続いて、すっかり夜も更け作戦会議は明日に回すことにしたのだ。その夜、ミカの最推しがフレッドの右腕であるヨシュアだと判明した。
それと同時に、帝国で独立の準備を進めてくれた商会を営む貴族と同一人物だと知り、あの頃からだったのか……とひとり悶えたのだった。
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