第五章 一番大切なもの

第16話 私の大切なもの

 へレーナは特別貴賓室へ案内されて、愛想を振りまきながら謁見室を後にした。私もフレッドとともに私室へ戻る。皇太子と結婚するとへレーナが宣言していたことから、ミカも心配してついてきてくれた。


「ユーリ、顔色が悪い……大丈夫か?」

「ええ、大丈夫……」

「お姉ちゃん、あの人知り合いなの……?」


 ミカの言葉にズシンと心が重くなる。


 最後は私のクレームに対応してくれたとはいえ、それまであまりいい記憶はない。恋人を寝取られたのはもちろんショックだったけれど、その他にも宮田さんのフォローは随分してきた。


 それも先輩社員である私の務めだと思って、私情は追いやって仕事に打ち込んでいた。


「実は……前世で働いていた会社の後輩だったの」

「うげっ、あんなキャラの後輩いたの!? お姉ちゃん大変だったね……」

「かいしゃ……はよくわからないが、前世の知り合いか」

「そうなの。ただ、あんまり仲良くはなかったから」


 ミカは「わたしも仲良くとか無理ー!!」と叫んでフレッドも「俺も無理だな」と頷いている。


 どうしよう、宮田さんは私の話を聞いてくれるだろうか? こんな状況だし、もし私が打ち明ければ困っていたと助けを求めてくるかも……それなら、このまま知らんぷりはできない。


「でも、このままだとバッドエンドを迎えるかもしれないし、話だけでも聞かないと……だよね」

「あー、そうだね……もし邪神復活にかかわっていたら、さすがに庇いようがないわ」

「邪神復活はこの世界にとっても避けたいことだ。だけど、ユーリがつらいなら他の方法を探そう」

「フレッド……」


 フレッドはこんな時でも私を優先してくれる。フレッドが私の話を聞かないのは、主に私の安全が脅かされる時だ。皇城に連れてきたのも警備上の問題だと言っていたし、クリストファー殿下のことを考えたら正解だったと思う。


 ミカも私のことをずっと探していてくれた。記憶が戻っていなければ、見守るつもりだったと聞いた時は胸が締めつけられた。


 ふたりとも、私に心を砕いてくれている。それなら私だってその気持ちに応えたい。それにもう通算五十年以上生きているのだ。多少のことではヘコたれない。


「ふたりともありがとう。でも大丈夫よ。もともと後輩だったし、話を聞いてくるわ」

「お姉ちゃん、わたしも一緒に行くわ」

「俺も護衛としてそばにいる」


 私は考える。フレッドは同じ空間にいたらダメだ。宮田さんがアプローチに専念して、なにも話してくれなそうだ。ミカは一緒にいてくれたら心強いけど、どうしてここに来たのかも聞いてみたい。


「せっかく申し出てくれたのにごめんね。きっと私だけの方が、宮田さんも心を開いてくれると思うの」

「本当にお姉ちゃんひとりで平気?」

「……ユーリがそう言うなら、へレーナに見つからないように扉の前で待機している」


 こうして私ひとりで話を聞きに行くことになった。万が一を考えて、映像を残せる魔道具と、自動で結界を張る指輪型の魔道具をつけていく。先ぶれも出して、準備を整えへレーナの部屋を訪れた。




「聖女へレーナ様、私ユーリエス・フランセルでございます」


 ところが、先ぶれを出したはずなのになんの返事もない。しばらく待っても反応がないので、もう一度扉をノックして声をかけようとしたところで、やっと扉が開く。


 へレーナと一緒にいた神官のひとりが、冷ややかな視線で私を見下ろしていた。


「先ぶれを出しました、ユーリエス・フランセルと申します。へレーナ様へご内密に話がございます」

「……どうぞ」


 すごくぶっきらぼうに部屋の中へと案内されたが、なにも言わずにおとなしく従った。


 大丈夫。なにかあっても、扉の外にはフレッドがいるし。胸元についているブローチで映像を記録しているから、なにか疑いをかけられても私の潔白は証明してくれる。


 特別貴賓室は皇太子妃の部屋よりも豪華絢爛な装飾が施され、煌びやかなのに品がある。ダークブラウンの艶のある家具で揃えられシックな雰囲気だ。カーテンやカーペットはボルドーで統一されて、落ち着きと華やかさが感じられた。


 部屋の中央に置かれたソファーに、バスローブ姿のへレーナが長い足を組んで座っている。私が来たことに気が付くと不満げな声を上げた。


「もぉ〜、なんの用なのぉ?」

「聖女へレーナ様……いいえ、宮田さん。少し時間もらってもいいかな?」

「だから、あんたは何者なのよっ!!」

「……白木百合よ」

「その情報どこから仕入れたの!? ほんっと、ムカつくから!!」


 やはり突然話しても信じてもらえないか。それなら、私と宮田さんしか知らない情報を伝えたらどうだろう?


「宮田さん。前世ではちゃんとお礼を言えなかったけど、あの店主さんのクレーム対応をしてくれてありがとう」


 そう言って、前世ではできなかった感謝の気持ちを伝えて、頭を下げた。


「え……まさか、本当に先輩……?」

「この世界ではユーリエス・フランセルだけど」


 醜く顔を歪めたへレーナは、神官たちを追い払うように部屋から出した。へレーナがなにも言わないので、私は「座ってもいいかしら?」と声をかけ対面のソファーに腰を下ろした。


「本当に先輩だとして、今さらなんの用なの!?」

「もしかしたら宮田さんが困ってないかと思ってきたの。まずはこの世界のことどれくらい知ってる?」

「知ってるわよ、『勇者の末裔』は漫画で読んでたし」

「そう、なら聖女へレーナの末路も?」

「だからなんなの? 邪神とか興味ないし。聖女って立場がおいしいから使ってるだけ」


 それなら、大丈夫……なんだろうか。邪神の復活を狙っていないなら、へレーナとして断罪されることはない?


「そう、それならいいけど……ねえ、宮田さんはいつ前世の記憶が戻ったの?」

「そんなの先輩に関係ないでしょ」

「まあ、そうかもしれないけど。ここにいるってことは、その、宮田さんも命を……?」


 そうなのだ。私はおそらくお風呂で溺死、もしくは心臓発作かなにかを起こしたのだろう。ミカは交通事故死。それなら宮田さんも、なんらかの事情で命を落としたことになる。


「あのねぇ、全部、ぜ〜んぶ、先輩のせいだから!!」

「え? どういうこと?」

「私、あの店主に刺されたの! 先輩の代わりに私がガーリーでかわいくお店のリフォームしてあげたのに、私のせいで店が潰れたって、逆恨みされたの!!」


 へレーナの言葉に驚いて言葉が続かない。あの店主さんは頑固だったけど、人を刺すなんて感じじゃなかった。


「そんな……確かにこだわりの強い店主さんだったけど……」

「もう、あんなことになるんなら、わざわざクレームの電話するんじゃなかったわ!」

「……クレーム? どういうこと?」


 へレーナはその美しい顔を歪めて、私に強烈な憎悪の視線を向けた。


「本当、バッカじゃないの! 私があの店主の娘のふりして会社にクレームの電話を入れたの! それで担当を奪ってやったのよ!! それが会社にバレて、先輩も死んだって広まって、私ひとりが悪者になったんだから!! クビになった日に、会社の前で店主に待ち伏せされて刺されたの!! 全部先輩が死んじゃったからよ!!」


 そうだったんだ……あのクレームの電話は、宮田さんだったのか。それなら私がやってきたことは間違いじゃなかった……?

 宮田さんが刺されたと聞いたのに、そんなことを考えてホッとした自分に自己嫌悪する。でもだからといって、宮田さんのやったことを許せるわけない。心の奥底から沸々と怒りが込み上げる。


「先輩が死んじゃったから、全部私のせいになって殺されたのよ!!」

「……それは、私のせいではないよね?」

「……っ!」

「店主さんのお嬢様を騙ってクレームの電話を入れたのも、店舗のリフォームを満足してもらえるようにできなかったのも、宮田さんの責任でしょう?」


 怒りを抑えつつ、私は冷静に指摘した。私はこうやって後輩も育ててきたし、仕事をこなしてきたのだ。

 そもそもあの店舗は職人仕込みの和食が売りの飲食店だ。ガーリーでかわいくしたところで客層には刺さらない。明らかにリフォームの提案に問題がある。


「うるさいっ! うるさいっ! うるさいっ!!」


 宮田さんは耳を塞ぎ、ソファーの上で丸くなる。震えながら、私のせいじゃない、と小声で呟いていた。しばらくすると、バッと顔を上げてニヤリと気味悪く笑った。


「だからね、皇太子は私がもらうわ」


 宮田さんの言葉で、前世の恋人を奪われた過去がフラッシュバックする。あの時の深い悲しみも、喪失感も、どうしようもないほどの孤独感も。


「ダメよ。フレッドは私の専属護衛だもの」


 私は気が付いたらそう口にしていた。ただ、私の大切な人だから渡したくないと思った。そうだ、フレッドは私の大切な……騎士だから。


「はあ? 先輩、皇太子に専属護衛なんてやらせてるのぉ? あははははは! ウケるんだけど!!」

「だから、フレッドのことはあきらめて」

「護衛の代わりはいるけど、皇太子の代わりはいないから無理に決まってるでしょ!」

「…………そう」

「それにぃ、皇太子だってあんたみたいなババアより、私みたいな若くてかわいい女の方がいいでしょ?」

「…………」

「私ねぇ、本当は先輩が大っ嫌いだったの! だからいろんなものを奪ってやったの!! あはははは、ねぇ、今どんな気持ち? ねぇ!」


 そこまで……? そこまで嫌われていたのか、私は。それで恋人も、仕事の成果も、上司からの信頼も宮田さんに奪われたの?


「とにかく、私は皇太子と結婚するのよ! 先輩はさっさとあきらめてね〜!」


 ——フレッドをあきらめるって、なに?

 冗談じゃない。そんな理不尽な略奪に屈したくなんてない。フレッドは私の騎士なのだ。

 それにこの世界は、もう前世ではないのだから。


「へレーナ。貴女が私の大切なものを奪うというなら、それは覚悟があってのことでしょうね?」


 私は静かにソファーから立ち上がった。心に渦巻く激情を隠さず、へレーナに視線を向ける。


「は? 覚悟とか意味わかんないし!」

「……私からフレッドを奪うのは許さない。絶対に」


 それだけ言って、へレーナの部屋を後にした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る