12年かかった。

Planet_Rana

★12年かかった。


 たぶん。

 初恋ではなかったけれど、ひとめぼれだったのだ。


「三月も終わりますねぇ」

「終わるねぇ」

「そろそろ桜の見ごろも終わって新年度じゃないですかぁ」

「そうだねぇ」

「……あの。先輩って、卒業とかしない感じです?」

「しないねぇ。する予定もないなぁ」


 大学生最後の登校日。サークル室の中、窓から離れた本棚のとなり。


「卒業おめでとう」


 私を見ずに笑う横顔を、よく覚えている。







「あ。お久しぶりです先輩。お元気でしたか?」


 きょとんとした目を向けて、それから斜め上を眺める。

 彼が何かを考えたり思い出したりするときの癖は変わらないようで、再会した私に対してもそうだった。


 私の地元にある大学は年に一度、外部のお客さんを呼び込んでやるお祭りのようなものをする。陽の気を練る猛者が集うサークルやゼミが毎年申請を出して屋台の羅列を作り、運営は外部からそこそこビッグな方々を呼んだりする。


 学生の時はサークルの売り子をしていたので毎年参加していたが、卒業してからは足が遠のいてしまって顔を出すこともできなくなってしまっていた。野外ステージの出し物が始まると人波はそちらに流れ、屋台の方は人が薄くなる。


 店の奥、影になる場所でもくもくとタコ焼きをひっくり返す男性が見慣れた背格好をしていたので声をかけた。そうすると、それが先輩だったというわけだった。


 脳内で経緯説明をする間に先輩の視線は私の方へと戻ってきた。


 私はタコ焼きをひとつ注文して、代金を支払う。


「あぁ、久しぶり。学祭に顔を出すなんて、君ももう立派なOGなんだなぁ」

「まるで自分のことを後輩であるかのように言わないでください。貴方がこの大学を卒業していないだけでしょう? もう四年になりますよ、私が卒業して……」


 幸運にも、一応の貯金ができるような職に就けた私は、大学を交友関係の構築もままならないまま卒業したために知り合いが殆どいない。学生時分まではそれなりに友達が居たはずなのだが、連絡先を交換しなかったので卒業を機に縁が切れてしまった。こうして学祭に顔を出すなどこまめな行動をしていれば再会後に話が弾むこともあるんだろうが、これだけ人が多いとそれも難しい。多分、見つけたとしてもお互いの予定があるものだから駆け寄ってハグをすることもない。


 ましてや卒業から四年の月日が経っている。自分と同じ世代の学生に出会えるなど、それこそ運命的な「ばったり」が起きなければ難しいだろう。実際、起きたのだが。


 だけど、まあ、この人はまだ大学にいるのだろうなと。私はこの屋台で彼を見つけるまでも、そんな風に考えていた節がある。


 タコ焼きの元がドロドロと、半形の鉄板に落ちていく。


 私が思考を編む間にも、先輩は笑った。


「まあまあ。これでも学費はしっかり払っているし、それだけの予算も用意してあるんだよ」

「年額百万以上を、ですか?」

「うん。奨学金じゃなくて自分で貯めたお金なんだ。極めてクリーンな留年だとも」

「留年って。自分で言っちゃってるじゃあないですか」

「気兼ねなく図書館が使えるというだけでも、大学に居座る価値はあると思うんだけどなぁ」


 顔だちも雰囲気もあの頃のままだった。のんびりとした口調で、何処か達観している所があって、肝心な所は決まってはぐらかす。目つきが悪いからとサングラスをかけているところも、こうして昔馴染みと鉢合わせても動揺の素振りすら見せないところも。


 唯一変わったのは、所属だろうか。


「……サークル、変えたんですね。運動系ですか?」

「そうそう。去年の夏ごろかな、卓球サークルに入ったんだ」

「へぇ。試合とかあるんですか?」

「うん。でも、そういうのは先輩方の活動だね。僕は楽しくわちゃわちゃやれてればいいというか……その分、部員の体調管理とかフォーム練習に付き合って、あれこれ考える役を引き受けてるよ。マネージャーというよりは、参謀かな?」

「卓球だから、タコ焼きなんですか?」

「そうだよ。ほら、小さくて丸いだろう?」


 小さな小さなタコの欠片とプロセスチーズの欠片が、固まり始めた薄黄色に突っ込まれる。


 熱で少しずつ硬化していく様をじっと見ながら、マスクごしの会話が続いた。


「……売り上げに自信は?」

「ないねぇ。ほら、斜め前にも社会学科のゼミがやってるお好み焼き屋があるんだ。こっちは予算と時間が無さ過ぎて看板もメニューも数を用意できなかったし、そもそも人員と呼び込みと派手さで負けてる。お祭りの屋台は人海戦術で成り立つ忙しさだっていうのに、店番が僕しかいない時点で察してほしい」

「うーん。その調子だと先輩、タコ焼き焼きすぎてお昼すら食べていないのでは」

「そうだねぇ」

「そうだねぇじゃないんですよ。……見てみるとタコ焼き、意外に小さいですし。もう一セット下さい」


 お祭りの屋台は高いものだ。材料費も人件費もかつかつで、どんなに現場が気張れど赤字である。

 八個入りタコ焼きひとつで六百円。これが、ささやかな応援になるだろうか。


「二つも買ったら、両手が塞がっちゃわないか?」

「立ち食いするわけじゃないのでいいですよ。元サークルの出し物は殆ど見終えましたし、欲しいと思ったものは買いました。このタコ焼きが最後の戦利品です」

「あぁ、そうだね。夕方になると混んじゃうし」

「話し相手が必要ですか?」

「大丈夫。流石にお昼休憩が済んだら、先輩方も戻ってくると思うから」


 先輩はそう言って、持ち帰り用に包んだタコ焼きを二つ渡してくれた。


「それじゃあ、君も元気で。学祭は楽しめたかな?」

「ええ。良い息抜きになりました。先輩も、留年ばかりしないで卒業を目指してくださいね?」

「ああ。がんばる」


 一言二言、その後も名残惜しい同士で会話を交わして、今度こそ手を振った。

 人の波が屋台の前に流れてくる。駐車場に向かう私の視界には、すぐに何も見えなくなった。


 見えなくなった。そして、きっとここで縁が切れた。

 お互いにそうあれと意図していなくとも、そうなるはずだった。


 ――それが、今から四年前のはなしである。


 職を変え専門を変え。それなりに運命とやらに翻弄された人生だったが、とある会社の人事系に配属された私が縁あって出身大学を訪れることがあった。学生への就職斡旋「うちの会社を受けてみませんか」のあれである。そんな中、大学の受付と講義室を行ったり来たりする中ですれ違い思わず二度見して首筋をつったのはご愛嬌というべきか。ホラーというべきか。


「な、なななな、先輩……!?」

「ああ。久しぶり。元気にしてましたか」

「してましたけど貴方は!? その、失礼ながら院生をしているようにも見えないんですが」


 そう。服のセンスこそ流行を抑えているが、あのサングラスもそのままだ。それに、後輩の私が卒業して八年経っているにも関わらず大学に在籍しているとなると……ここは外国ではなく日本である。何かカラクリがあるのではとうたぐってしまう。


 眼鏡の蔓に遮られ、表情が読めない細い眼がこっちを向いた。


「……立ち話もいいですけど、お仕事があるのでは」

「あっ、えっと、でも」

「分かりました。それじゃあこれを渡すので。後日食事でもしましょう」

「えっ」

「お仕事、お疲れ様です」


 大学ノートの切れ端と個包装のブドウ糖を三つほどもらった。


 呆然としながら口に入れ、溶かす。集中力がやけに上がって、仕事は捗らなかった。







 大学ノートの切れ端に書かれていたのは、一人分の連絡先だった。


 SNSの時代には珍しい、携帯電話の番号である。いち社会人が学生の連絡先をもらってしまった、という何とも背徳的な気分になるシチュエーションだが私にとってはただただ疑問が浮かぶばかりの相手なのでときめきも甘酸っぱさも覚えない。


 ただ、気になる。

 しかし、好奇心を理由に聞いていい事情なのだろうか。


 色々悩んで、私は結局連絡をすることに決めた。心がチキンなので電話はできずCメールを使って。

 まもなくして既読がつく。待っていてくれたのかと思うと、この思い悩んだ一週間が非常に申し訳なかった。


「……居酒屋なんて久しぶりだ」


 大学生活一年目の一番心細い時期に先輩方に一度だけ連れてきてもらった思い出の店でもある。その時はお酒を飲める年齢ではなかった。一度だけ、というのは……その後世界的な流行病が起こって、外出も外食も控えざるを得なくなった故だ。


 卒業して社会人になってもお酒との距離感は掴めないが……はてさて。コミュニケーションは上手く行くだろうか。


 スマホを開いてみれば先にお店に着いていたようで、カウンターで予約名を告げると奥の座敷に案内された。

 通路側に襖が備え付けられた半個室。本来なら八人くらいで座るだろう掘りごたつ式の長机の隅に、先輩は背筋を伸ばして座っていた。


 襖を開けた私を見て何か覚悟でも決めたかのような顔をしている。そういうところが、本当に変わらない。


「お待たせしてすみません。今日は、誘ってくれてありがとうございます」

「いや全然待ってないよ大丈夫。……それよりこっちもごめんね。あの時はどうやって連絡をとりつけたものか考えて、思いついたのが電話で……もっとスマートな連絡先交換ができたら良かったんだけど、生憎スマホを持っていないものだからさ」


 おや、言葉を濁したぞ。

 彼が言葉を濁すなんて早々見る機会はないのだが、今日は稀なことが良く起こる日なのかもしれない。


 靴を脱いで対面に座り、メニュー表を手に取った。


「ああ、珍しくはないですよ。私の仕事相手でも、スマホを持ってない人は結構いますし」

「ああいや、僕はその。パソコンとかも、持っていないものだから」

「?」

「はは。実は僕、機械が苦手で」

「そうなんですか? まあ、そういうこともありますよ」


 何を食べるか聞くと、先輩は目をぱちくりとさせながら生ビールとレバー、サラダボウルを所望した。

 私はとりあえずウーロン茶と肉野菜炒めと鳥皮串と羊肉をタブレット越しに注文して、メニュー表を閉じる。


 観音開きが数ミリの厚みになる瞬間、サングラス越しの細い眼が何処か遠くを見ているような気がして、私は振り返る。


 ……閉じたばかりの襖が開くには幾らなんでも早すぎるだろう。

 食い気が勝っているのか。それだけ長い時間待たせてしまったのか。


 視線の答えを推測できないまま顔の向きを戻すと、今度はこちらのことを見ている先輩が、ぽつりと口を開いた。


「大人になったねぇ」

「はい?」

「いやぁ、ほら。僕は君が大学に来た時から知ってるから。感慨深いというか、頼もしくなったなぁと思ってさ」

「え? あぁ、すみません。前より受け流す力がついてしまったのかもしれないです」

「うん、うん。そうだね」


 二、三度頷いて、彼はお通しのキャベツに箸を伸ばす。手本になるような、綺麗な姿勢で。


「――僕に関して気になっていることが、あるんじゃないかなと思って。ちゃんと話した方がいいかなって、思ってね」


 続いた言葉は、思いもしない角度から降りかかった。

 単刀直入というか、焦りが見え隠れしている節がある。


 そりゃあそうか。もしかしたら不正をして在学を引き延ばしているかもしれない彼を、未だに「私の先輩だった人」なんだと、しっかりと認識しているのは私だけなのかもしれない。関係性の構築をせずに卒業すれば、築いたつながりは瞬く間に希薄になる。記憶が薄れてしまえば、お互いに忘れてしまうことだって多いだろう。


 私がたまたま、先輩を忘れなかったというだけで。


「何処にも言いつけませんし、私個人が気になっているというだけなんですけど……本当に聞いてもいいんですか?」

「聞かないともやもやするんじゃないか?」

「しますけど。先輩が言いたくないのであれば、私も疑問を飲み込みます」

「……今日は僕が奢るから、思い切って聞いて欲しい。僕もあまり、隠し事を残したくないんだ」


 この席に座って首を傾げるのは何回目だろうか。なんだか癖になってしまいそうだ。

 運ばれてきた料理と飲み物を前に、小さな声で「乾杯」と口にする。


 ちん。


「聞いて欲しいというなら聞きますけど……。先輩、一体何年くらい大学に在籍しているんですか? 一つの科に入学して、卒業までの最高年数は留年四回分しか保証されてないはずで……つまり休学を挟まない限り、実質八年くらいしかいられないと思うんですけど、先輩は既に十二年間大学に居るわけですよね?」

「…………」

「先輩?」

「え、ああ。そのことか」

「むしろそれ以外に何かあるんですか?」

「え!? え、ええ、とね。ないよ」

「(あるんだ)」


 異様な大学の在籍年数よりも疑問に思われるような事情を抱えているらしいが、そちらは私にとっての本題ではない。私が入学する前から大学に在籍している先輩が、何故今も同じ大学に在籍しているのか。目下の謎はそちらである。


「大学の在籍が長いのは、単純に受け直してるだけなんだ」

「え?」

「受け直してるんだよ。僕はあの大学を学科別・・・受験して・・・・学科別・・・卒業する・・・・ことを繰り返してる」

「ほぁ」

「別学科を受けてるだけで、似たようなことをする人はいるんだよ。ほら、頭がいいとこの学部は何回卒業してもいいらしいみたいな話。僕は割と若い時に安定した収入源を確保できたから、そのお金を学びと出会いに使おうと思って……」

「…………」

「大丈夫? ついてきてる? 脳内に宇宙背景が差し込まれたりしていない?」


 宇宙猫になっていた私は「つんつん」とされて気を取り直す。

 予想だにしていなかった答えだが、確かに。と納得できる事情だった。


「え、ええ……大分、大分びっくりしましたけど。そういう事情なら頷けます。ずっと気になっていたことなので聞けて良かったです!」

「そうかぁ。それは良かった」

「ということは、先輩の若作りは周囲の学生さんに囲まれたとき浮かないようにするための努力の結晶なんですね!」


 言うと、彼はにこりとしたまま何度も頷いた。かっぴらいた目が何だか必至だった。

 机に届いた刺身の盛り合わせが思った以上に豪華だから、今から財布の心配でもしているんだろう。


「いやぁ、言ってくれたら最新の美顔器でもなんでもお土産にしましたのに」

「ふ、ふふ」

「どうしました?」

「いいや。なんでもない。やっぱり、変わらないなと思って」

「私がですか?」

「そうだね」


 彼は言いながら赤い刺身をつまみ口に入れる。皿の上のレバーは、いつの間にかなくなっていた。


「二週間前に、意地でも連絡先を渡したのは理由があるんだ」

「そうなんですか?」

「うん。来年から留学するんだ。次の四年後には、この国に居ないかもと思って」

「……そうですか」


 それはもしかすると、本当に戻る気がないような言いぶりだった。仕事で人事担当になって色々な人を面接してきた私にはなんとなく。彼が有言実行を貫ける性格だろうことが分かって。


 運よく四年に一度会えていたというだけで、これからもそうだとは思っていなかった。


 ウーロン茶を飲み込む。乾いた喉は、簡単には潤わなかった。

 それでも言わなければならない。私は、それができる大人なのだ。


 激励の、言葉を。


「――私、応援しま」

「だからその、たまに会いに来てほしいと言いますか」


 いいかけて、止められた。


「はい?」

「チケットを、送るから」

「え?」

「いや、あの。僕、ずっと大学に居るばかりだったもんだから友達とか、居なくて……付き合いも、長続きしなくて……」

「……」

「……」


 どうやら私と先輩は、少しばかり似たもの同士であったらしい。


 刺身の味も、羊の味も、お茶の味もしない食事は、沈黙と住所交換の儀式の後、お開きになった。


 そうして、数か月後に宣言通りのチケットが届く。


 私は溜まっていた有休消化に海外旅行をすることについて複雑な気分になりながらも、見た事もない西洋建築の街並みを想像してはウキウキして、ガイドブックやら一言フレーズ集やらをトランクに詰めたのだった。







 飛行機が無事に飛んだとの連絡を受けて、胸をなでおろす。

 フレームが削れ、少しばかり錆びたサングラスを手入れしながら、男性はふと口元に笑みをたたえた。


 部屋の中は間接照明が二つあるだけで、存外薄暗い。締め切ったカーテンと、日光が当たらない場所に置かれた本棚の横に腰を下ろす。


 開いた本の内側、反射しない鏡の中には男性と似たような顔つきをした老齢の者がいた。


『ほう、発ったか。無事に、こちらへ来るといいな』

「……何かあっても、僕がどうにかします」

『そうか。まあなんだ、奥手なのは構わんが、時間を気にして交流するようにな』

「はい。まずは外堀から埋めて、胃袋を掴み、こっちの町のことを知ってもらって――」

『それを気が長いというのだ。人の一生は一瞬だぞ』


 鏡は、男性を映さない。


「……そうですね。そうでした」


 手に入れたいものは、この瞬間にでも手に入れるべきだ。命には、限りがある。


 男性は携帯を手にメールを打つ。


 話したいことが沢山あるのだと。そして、伝えたいことがあるのだと。

 機内モードが解けたら、いままでの盛大な「いいわけ」の種明かしができるように。


「駆け引きは苦手なんだけどなぁ」


 長い気を短くして用意した小さなブーケは、赤いバラが三本だった。


 遠くない後日。エアポートの一角で祝福の言葉が飛び交うことを、彼も彼女も知らないでいる。



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