運命をいいわけに

小湊セツ

いいわけ、わるいわけ

 ばちんと嫌な破裂音の後、茜に染まる放課後の教室から、ひとりの女生徒が逃げるように飛び出していく。室内に目を向ければ、窓枠に頬杖をついて外を眺める友人の後ろ姿があった。


「また断ったのか」


 レグルスが声をかけると、白い頬に赤い手の跡を残して、友人エリオットはへらりと笑いながら振り返る。


「運命じゃなかったのさ」


 肩を竦め、あっさり言い放つエリオットに、レグルスは一瞬言葉の意味を上手く飲み込めなかった。


「……まさか、そう答えたんじゃないだろうな?」

「そのまさか、だよ。貴族のお嬢様が、たぶらかされてキズものになったらマズイだろ? もっとまともな男がお似合いだよ」


 レグルスは深いため息を吐く。最初からそう答えたら叩かれることもなかっただろうに、エリオットには自ら悪者になりたがるきらいがある。


 友人の贔屓目無しにしても、エリオットの見た目は良い。この国では珍しい黒髪に青灰色の知的な瞳、すらりと背が高く、騎士科の学生らしく鍛えた身体は無駄が無い。成績は常にトップクラスで、学院卒業後は大学に進学し文官になるんじゃないかと噂されている。


 挙げられる欠点は、エリオットが孤児で、家門の力が無いということだ。しかしそれも、レグルスのような高位貴族の友人という後ろ盾を得た今となっては、大した欠点にはならない。エリオットが卑屈になる一番の理由は他にある。


「断るにしても、もっとマシないいわけを考えろよ。それじゃああまりにも不誠実だ」

「これでも誠実なつもりなんだけどな」


 エリオットは苦笑いを溢して暮れゆく空を見上げる。


「くだらない理由の方が良いんだよ。『あんな奴を、ちょっとでも良いなって思ってしまったのは疲れてたからだ。気の迷いだった』って思う方が、新しい恋に踏み出しやすいだろう?」


 茜の風に踊るカーテンの向こうにエリオットの姿が透ける。口調は軽薄そのものだが、映る影は寂しげに見えた。学院をぐるりと囲む森にじわりと日が滲む。教室の中には一足早く夜が満ちて、エリオットの影を闇色に溶かす。


「昔好きだった人に、狼の獣人だと告げた上で告白したら、『貴方が狼男じゃなければ良かったのに』って言われちゃってさー。それ以降、避けられまくって、気まずくなって終わり。狼男じゃなければ、だなんて。自分で選んで狼男に生まれたわけじゃないのに……自分の血を呪ったよ」


 エリオットはまるで他人事のように明るく話すが、かえって傷口を晒しているようで痛々しい。今まで、人間の女性と軽い交際はしても、深い仲にならなかったのは、最終的に獣人であること相手に打ち明けねばならなかったからだ。深入りする前に別れれば、お互いに、傷は浅く済むから。


「種族の違い程度で冷めるなら、その女は、お前の運命じゃなかったんだな」


 レグルスが憤慨すると、エリオットは声を上げて笑う。自分のことのように腹を立ててくれるレグルスに、安心したのだろうか。悲壮感は無く、すっきりとした晴れやかな笑顔だった。


「そうそう! 残念ながらその子は違ったんだ。……俺はさ、狼男だってことをいいわけに、幸せを諦めるつもりはないから。人生かけてのんびり、狼好きの美女を探すよ」

「狼好きの美女、ねぇ……」


 想像できず首を傾げるレグルスに、エリオットは「そうだなぁ」と具体例を考え始めた。


「ブラッシングは週に何回する? とか訊いてくれたら、運命感じちゃうんだけど、そういう子には未だ出逢ったことがないんだよねぇ」

「それは、運命の有効範囲が狭過ぎないか?」


 レグルスはツッコミながら、エリオットと出逢って最初の満月の後に、ブラッシングの話をしたことを思い出した。満月の夜に銀色の狼になったエリオットを見たのだが、毛並みは良いが、毛艶がイマイチだったのが残念で、どうしても気になってしまったのだ。

 それからは、週に二回程度、レグルスがエリオットのブラッシングをしている。


 その日から急激に仲良くなったことを思えば、あれは運命だったのかもしれないと思う。しかし、エリオットが運命を感じたかどうか、確かめるのはなんだか癪に障る。絶対にするものかと、レグルスは心に決めたのだった。

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