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猫目 綾人

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「紙がねぇ」


 登下校中、トイレに行きたくなった際は、公衆トイレ以外のトイレを使うことをオススメする。10月24日月曜日午前8時30分頃。高校1年生の俺にとっては登校中、またの呼び方を遅刻中。俺は公衆トイレから出られずにいた。

 この危機的状況の全ての始まりは10分程前、俺のお腹が急に痛くなったことに起因している。登校中だった俺は、公衆トイレの中へと入り、溜まりに溜まった腹痛の原因を排出した。

 そしてそこで気が付いたのだ、トイレの紙がないことに。


 俺はトイレットペーパーの代わりになるものがないか考えたが、今はティッシュもハンカチも持っておらず、教科書やノートなども全て学校に置いているため、代わりになるようなものは何もなかった。

 万が一の時は、野口さんや樋口さんに(福沢さんにはそんなことをさせるわけにはいかない)俺のお尻を掃除してもらおうと、財布の中身も確認したが、俺の財布にはお札はなく、小銭しか入っていなかった。もしこんなものでケツを拭いたらケツが傷つけられるばかりか、謝ってズッポリと入ってしまいそうだ。おーう、考えただけで恐ろしい。


 そして、それからかれこれ5分程、俺はケツに排泄物がこべりついた状態で頭をフル回転させ、ありとあらゆる可能性を模索しては照らし合わせるという、かなり高度な問題解決思考を繰り返したが、俺の聡明な頭脳でも遂には解決案を導き出すことはできなかった。

 こうなれば仕方がない。俺は再び冷静かつ客観的に、現在の自分が置かれた状況を、入射角や反射角も含めたありとあらゆる角度から観察し、その結果友人に連絡するという回答を導き出した。


 さっそく俺は江藤という友人へ連絡することにした。この江藤という男は、俺と同じく映画研究会に所属する1年生である。こいつは容姿も良く、成績も良いなど、モテる要素をいくつも兼ね備えているにも関わらず、俺とばかり遊んでいるため、周りからはゲイなのではないかと疑われている(俺もたまに思っている)悲しい男である。

 電話を掛けると、プルルルというお馴染みの呼び出し音がなるが、江藤は中々電話に出ない。いつもは数コールしたら、まるで犬のように「ワンワン」と電話に出るのだが、やはり授業が始まり電話に出るのが難しいのだろうか?


 しかし、しばらく待っていると、電話が切れかかりそうになった辺りで、江藤は電話に出た。


「もしもし、どうしたんだよ。もう授業始まるぞ」


「公衆トイレに閉じ込められた。助けてくれ」


 緊急時に問題の過程から話し出すのは愚の骨頂。俺は結論から話し出し、速攻で助けを求めた。


「閉じ込められた?どうした、新手の不良にでもイジめられているのか?」


「ちげーよ。紙がねぇーんだよ。紙が。」


「公衆トイレなんか使うからだよ」


江藤の声は呆れている様であった。


「大体、なんで公衆トイレにトイレットペーパーがないんだ」


「市が管理している公園などに設置された公衆トイレには、紙が設置されていないことが多いらしいよ」


「なぜじゃ」


 公衆トイレにこそ、紙が必要だろうが。


「それが便器内に紙を丸ごと沈めたり、補充用の紙が盗難されたりっていう問題が多発して、防犯面のために紙の補充を減らすという対応を取る自治体が多いんだってさ」


「性悪説っていうことか」


「そういうこと」


 ※性悪説…人間の本来の性質は悪であり、善とされるものは、偽(い)(後天的に作為した結果)であるという考え方。ざっくりいうと生まれた時はみんな悪い子という考え。


「まぁ、公衆トイレに紙がない理由はわかったからさ。紙を届けに来てくれないか?もうケツが乾燥してカピカピなんだ。このままじゃ、ケツについた排泄物が石化しちまう」


「そうしたいのも山々なんだけど、生憎授業が始まりそうでね。自分で何とかしてくれよ」


 なんちゅー薄情な奴や。薄情すぎて思わず関西弁になってしまった。


「そういうなよー。俺とお前の仲だろ」


「どういう仲だよ?」


「ホモだ―」


「切るよ」


「おっほん、友達だよ、友達。悪いな、俺は突発性言語噛み噛み症候群なんだ」


 ※突発性言語噛み噛み症候群…突発的に言葉を噛む症状のこと。また、その頻度が多い人のことを指す。


「そんな病名聞いたことないよ…。とにかく、僕は君と違って成績優秀の優等生ボーイなんだ、紙は自分でなんとかしてよ。じゃあね」


「ちょっ待てよ―」


 そう言い残し、江藤は無残にも電話を切った。トイレ内に、プープーと悲しい音だけが鳴り響く。この悲しい音に比べれば、マーラーの「交響曲第6番(悲劇的)」ですら、ソーラン節のように賑やかに聞こえる。


 さて、江藤もダメとなるとどうするか…。

 くそっ、こうなったらあの人にも頼んでみるか。俺は、映画研究部の部長である小野先輩にも連絡した。

 この先輩は、学園の中でもそこそこ有名な美少女であり、映画研究部で唯一の2年生である。去年、廃部寸前だった映画研究部を守ってきたこの人なら、今の部員達への思いは強固なものとなっているはず。部員の俺が困っていると言えば、きっと助けに来てくれるだろう。


 そうこう考えていると、小野先輩に電話が繋がった。


「もしもし。なんなのさ」


「実は登校中に公衆トイレに入ったんですが、紙が無くて、閉じ込められているんです。助けに来てください」


「乙女になんてこと頼むのさ!くたばれ!」


 部員同士の絆はどこへいったのか。小野先輩はあっさりと電話を切ってしまった。


「紙も仏もなしか…」


 俺は上手いこと言うなと自分に感心しながら、次の手を考え始めた。しかし、考えても新たな案が出ることもなく、俺は気落ちし、下を向いた。すると俺の目に、俺の履いている靴下が映った。


「ゴクリッ」


 俺は唾を呑み込み考える。

 ……もうこれしかない。

 俺は、自分の靴下へと手を伸ばした。


 もし、これがアニメやドラマだったらここでオープニングが始まるだろう。俺は謎の脱力感に見舞われながらそう思った。




                  ◇◇◇




 俺が無事に(尊い犠牲があったが)トイレから出て、学校へ向かい歩いていると、目の前に顔なじみの奴が現れた。

 何やら見たことのある光景な気がしたが、こいつとここで会うのは始めてだ。おそらくデジャヴというやつだろう。晩御飯とかを食べる時とかによくあるやつである。


「えーっと、おうし座のあなた。今日は恋愛運が絶好調、運命の人が現れる人生最大のチャンスです。それと、なになに?運命の人は東の方角にいます。えーっと東、東。あっちか」


 この怪しい雑誌を読みながら歩いている女は神志名 海。俺と同じ高校1年生で、映画研究会に所属している。非常に頭が良く、いわゆる天才という奴だが、生活能力が欠落しており、ボサボサの髪の毛から異臭を放つ変人でもある。


「えへへ運命の人、運命の人」


 神志名が気持ちの悪いにやけ顔をしてこちらに向かって歩いてくる。


 ボスン。


 前を見ずに歩いていた神志名が、俺にぶつかる。


「あっ、永田さんだ。ということは、永田さんが私の運命の人!?」


「アホか。東の方角に何人の人間がいると思ってんだ。噓だよ嘘っぱち。運命なんてないんだよ」


「でもでも、この雑誌に書いていますよ。ほら、ここ」


 神志名は俺に向けて雑誌に書いてある占い結果を指差し、必死に反論した。


「だから、その雑誌自体が嘘なの。大体、おうし座の人全員が運命の人を見付けたら、急激な人口増加が起こっちまうだろ。人口ピラミッド崩壊。ありえないだろ、そんなこと」


「でも、肉体関係のない愛の形もあるかもしれませんよ!」


「ないない。男と女なんてのはな、肉体関係あってのもんだ。それが男女の愛の形だ」


「じゃあ、永田さんはその愛の形を知っているですか?」


「……」


「あっ」


 あってなんだよ!あって!

 まったく、デリカシーのデの濁点部分もない奴だ。


「すっ、すみません。ご経験がありませんでしたか…」


「ねぇ、殴るよ。殴るよ?グーでいくよ、グーで」


 というか、高校生でしたことないなんて普通だから。別に悔しくなんてないんだから。これは言い訳ではない。事実だ。


「というか、いつまで近くにいるんだ。離れろ」


「ドキッとしました?」


 神志名が得意げな顔で、運命の人が現れる以上に天文学的確率の現象について質問してくる。


「するか。というか臭いんだよ、お前の頭。お前はドキッじゃなくてクサッなんだよ!」


 この髪の匂いじゃ、運命も尻尾巻いて逃げるだろう。


「ひどいっ!私、ちゃんと髪を洗っていますよ!」


「じゃあ、昨日は洗ったか?」


「…昨日は、映画を観るのに夢中で忘れていました」


 神志名は、幼少の頃から頭が良かったため、親から勉学の英才教育的なものを受けていたらしく、親が仕事で海外へ行き、一人暮らしとなった今、昔観られなかった映画やドラマなどを浴びるようにして観ているのだ。そのためそれを観るのに夢中で、生活がおざなりになり、こんな異臭モンスターとなってしまっているのだ。


「お前、全然ちゃんと髪洗えてねぇーじゃん」


「洗っていますよ。大体は…」


「大体ってなんだよ!普通は毎日洗うの!洗うのに大体なんてないの!確実性が大事なの!」


「もー、わかりましたよ。今日から洗いますよ。今日から」


 絶対に嘘だ。明日会ったら匂いチェックしてやる。

 そうして俺はくだらない会話とくだらない決意をしていたが、ふと、今現在遅刻中だということを思い出す。


「神志名、今何時だ?」


 俺はポケットから携帯電話を取り出すのが面倒だったため、腕時計をしている神志名に確認を求めた。すると神志名が左腕に身に付けている腕時計を確認する。


「えーっと、4時23分…。あっ、事切れますね。この時計」


 死体を見付けた時の言い方だろ、それは。


「たくっ、どんだけ鈍いんだお前は。ほら、急ぐぞ」


「鈍いって…。あっ、永田さんだって、靴下を片方忘れていますよ。私のこと言えないじゃないですか」


「うるせぇ、そのことに触れるんじゃない」


 俺は傷口に袋一杯の塩をかけられたような甚大な精神的ダメージを負いながらも、学校へ向かい歩き出した。


 そうして俺達がしばらく黙って歩いていると、茶髪にメガネ姿の見知らぬ男性が俺達に話しかけてきた。


「ねぇ、君達。登校途中?もしよかったら俺と遊ばない?」


 見知らぬ男は、ニコニコと笑いながら俺達を遊びに誘ってきた。これはもしかして、神志名目当てのナンパだろうか?

 確かに神志名は、髪の毛こそドブ水のシャワーで洗ったような匂いだが、顔は整っている方だ。相手が鼻づまりで匂いが分かっていないのだとしたら、ナンパされる可能性もある。


「もしかして、こいつにナンパしてます?もしそうなら、鼻づまりが治ってから誘いに来た方がいいと思いますよ。きっと誘う気を無くしますから」


「それはどういう意味ですか!?」


「いやいや、別にナンパというわけじゃないよ。ただ暇だから遊ぼうと思ってさ」


「悪いですが、遠慮しておきます。学校に行かないといけませんし」


「私も遠慮しておきます。あなたがいる方角は東じゃないですし」


 まだ方角を意識していたのか。


「わかったよ。でも遊べる時に遊んでおいた方がいいよ。もしかしたら、今日で世界が消えちゃうかも知れないからね。じゃあ、バイバイ」


 そう言うと、その男は去っていった。

 こんなにあっさりと去っていくとは、この男は一体何が目的だったのだろうか。

 俺はこの男の行動に疑問を感じたが、考えてもわからないため、切り替えて学校へ向かうことにした。


「さてと、早いとこ学校行こうぜ」


 神志名にそう呼びかけ、俺達は気を取り直して、学校へ向かって歩き出した。

 だが、少し歩いたところで神志名が急に足を止めた。


「どうした?」


「あっちの方、何やら騒がしいですね」


 神志名はそう答えたが、俺にはよくわからない。こいつの聴力はイルカ並みか?

 神志名は遅刻中であることを忘れたのか、その騒がしいと思われる方向へ歩きだした。仕方がないので俺もついていくと、しばらく歩いたところで人だかりが出来ている場所が見つかった。

 人だかりは、豪邸と言えば言い過ぎかもしれないが、豪邸の基準に先っちょぐらいは入ってそうな立派な家の前に出来ていた。

 愛しの我が家の10倍はあろうお庭には、事件現場でお馴染みの立入禁止のテープが張ってあり、テープの先には警察らしき人物達も確認できる。どうやら本当に何か騒ぎがあったらしい。


「これは匂いますねー」


「お前の頭のことか?」


「違います!事件の匂いですよ」


 そう言うと神志名は人だかりの方へ向かっていった。


「おいっ」


 俺は、学校はどうするんだと言おうと思ったが、無駄だと思い言い淀んだ。なぜならば、高校に入ってからの短い付き合いではあるが、神志名がこうなっては誰にも止められない、スティーヴン・セガールもびっくりの暴走特急となってしまうことを俺は理解していたからだ。


 ※暴走特急…スティーヴン・セガール主演の沈黙シリーズと呼ばれる映画。ちなみに私は『沈黙の戦艦』の方が好きである。


「あのっ、何があったんですか?」


 神志名が人だかりの内の一人であるおばちゃんに話しかける。


「あぁ、実はね。昨夜この家で殺人事件があったらしいのよ」


「殺人事件!?」


 殺人事件と聞いた瞬間、神志名は目を輝かせた。神志名はミステリー作品を小説、映画など媒体問わず好んでおり、謎を見付けると興奮するのだ。


「殺人事件…。ハァハァ、ジュルリ」


 どうやら描写を少し訂正する必要がありそうだ。神志名は目を輝かせるどころか、ヨダレを出しながら興奮しており、例えるなら骨をちらつかせられた犬。または、目の前に人参をぶら下げられた馬と化していた。


「おいっ、不謹慎だろ。ヨダレを拭け」


 俺はそう言うと、約40%の出力で神志名の後頭部にツッコミをいれた。


「あたっ。はっ、すみません。そうですよね。不謹慎ですよね…」


 神志名は反省した様子で、制服の袖でヨダレを拭いた。女としての清潔感は欠落しているが、人間としての道徳観は多少なりとも身に付けているようだ。


「私は大丈夫だけど、次からは気を付けるのよ」


「はい…」


 周りの人たちは神志名に対して完全に引いていたが、このおばちゃんは穏やかな表情を崩すことはなかった。

 三蔵法師の生まれ変わりかなにかかこの人は…。


「それでは永田さん。気を取り直して警察の方々に事情を聞きに行きましょう」


 落ち込むのも早ければ立ち直るのも早い。まったく調子のいい奴である。


「はぁ?どう気を取り直したらその結論になるんだ」


「どんな事件なのか気になりますし、きっと私たちなら力になれますよ」


 その自信は一体どこからくるのか。神志名は警察がいる方へ進んで行った。


「おい、ちょっ待て」


 俺は神志名を引き止めようと神志名の腕を掴んだ。しかしその際、神志名が前へ進もうとする力と、俺が止めようとする力が反発しあい、神志名の腕からゴキッという音が鳴った。


「ア”ァァァァ!!イッタ、ガハァ!ウギャアアア!」


 神志名が腕を抑えのたうち回る。


「おいっ、大袈裟なんだよ。大丈夫だよこれぐらい」


 神志名が騒いだせいで、周りの人たちが俺たちのことを見ていた。そしてその騒ぎを聞きつけた警察と思われる人が、俺達のいる方へ向かってきた。


「おいおい、どうした。何の騒ぎだ?」


 現れた中年刑事は中原警部といい、俺達の見知った顔であった。

 中原警部は、まるで庭に生え残った雑草のようなボソボソとした無精ひげ。シャツ越しに存在感を放っているふくよかなお腹と、不衛生かつ肥満体型な容姿をしている。しかし、スーツやネクタイなどをきちんと身に付けており、整った身だしなみをしているため、一応は警部らしい雰囲気を漂わせていた。


 なぜ俺達が刑事である中原警部と知り合いなのかというと、神志名が今まで何度か事件に首を突っ込み、事件を解決した際、中原も現場におり、顔見知りになったからである。


「なんだ、また君達か?これは一体何の騒ぎだ。君が彼女に何かしたのかね?」


「いやいや、何でもありませんよ。おいっ、神志名?大丈夫か?立てるか?」


 俺が自分の持つ演技力を最大限活用し、神志名を心配するふりをした。すると神志名は腕を抑え、肩を回しながら立ち上がった。


「永田さんのせいで肩が外れちゃいました」


「じゃあなんで肩を回せるんだよ」


「…確かに」


「確かにじゃねーよ。この天然記念物が」


 やはり大したことなかったようだ。大体こいつは、いつも大袈裟なのだ。


「で、君達はなぜこんなところにいるのかね?今日は学校のはずだろ?まさかまた事件に首を突っ込みに来たのかね」


「いやいや、違いま―」


「そうです!事件現場を見してください!」


 また余計なことを。


「馬鹿を言うな、事件と関係のない君達を事件現場に入れるわけにはいかない」


 全くもってその通りである。1mmも反論の余地はない。


「よしっ、もういいだろ。神志名行くぞ」


「えー」


 神志名は、依然として事件現場に向かおうという態度を表していたが、俺はそんな神志名の腕を無理矢理引っ張りその場を離れようとした。

 しかしその時、誰かが俺達を呼び止めた。


「待てーい、お前ら!」


 俺達を呼び止めた男は、中原警部と同じく、顔見知りの刑事である山岡刑事であった。山岡刑事は、30過ぎの男性で、見た目も心も威勢は良いものの、刑事として目立った実績はなく、問題行動が多いためまったく出世の見込みがないという男である。


「中原さん、いいじゃないすか。この二人を入れても。今までもこの二人のおかげで何件か事件を解決できたんだし」


「またお前は、いい加減なことを言いおって」


 そう中原警部が呆れた声を上げた時、誰かの携帯電話の呼び出し音が鳴った。


「あぁ、俺です俺、すみません」


 電話の呼び出し音は山岡刑事の携帯電話から発せられたものらしく、山岡刑事は気怠そうにポケットから携帯電話を取り出し電話に出る。


「もしもし?あぁ、確かに20時に予約した山岡だけど。なにっ!?キャンセル!?なんで!?嬢からクレームが出てる?いいだろ噛んだぐらい!たくっ、最近の風俗も落ちぶれちまったもんだな!もういいよ!二度と行かねぇよ、お前らの店なんて!」


 風俗かよ…。

 山岡刑事の電話内容を聞いた中原警部の顔は、俺と同じく「…」という反応であった。


「いやー、まったく困ったもんですね。最近の風俗は」


「困ったもんなのはお前だ!山岡!」


「まぁまぁ、警部。落ち着いてください。警部独身でしたよね?今度いい風俗教えますから」


「やかましい!俺は風俗なんか行かん!」


「へぇー、女には困ってないってわけですか。羨ましいですな」


 山岡刑事が場を収めようとお世辞を言うと、何故か中原警部は目をそらして、ボソボソとした声で話し出した。


「…それに童貞卒業を風俗で済ませたくはないからな」


「「え!?」」


 余りの衝撃に、俺と山岡刑事が同時に声を出す。

 いや、今なんて言った?今普通にとんでもなく凄いこと言ってなかったか?


「あのー、お二人とも。言い合いはそのぐらいにして事件の概要を教えていただけませんか?」


 神志名が中原警部と山岡刑事のくだらない口喧嘩に割って入る。


 いや、だが待て、ちょいちょい待て待て、今それどころじゃないだろ。事件の概要の前にとんでもない問題発言の概要を聞くべきだろ。


「あのー、警部…。その前に確認したいことが…」


 どうやら山岡刑事も同じ考えのようだ。


「今は事件のことが優先だろ。神志名君わかった。君達を中に入れよう。そうでもしないと君達は帰りそうにないしな」


 はぐらかされたか。

 …というか、俺は別に事件現場に行きたいわけではないのだが。


「ほら、永田さん行きますよ」


 俺の気も知らず、神志名は俺に事件現場へ行くように促す。まぁ、俺が帰る気満々という意思を伝えても神志名には通用しないだろうが。

 こうして俺達は、中原警部に案内され、事件現場である家へと足を踏み入れた。



                  ◇◇◇




「今回の事件はこの場所で起こった」


 案内された部屋は、絵や絵の具、キャンバスなどが散乱しており、おそらく画家などの絵を描く人物の部屋だということがわかる。

 その部屋の奥には、回収されたのか、既に死体の姿はなく、殺人現場でお馴染みの人型の白いテープが貼ってあり、頭部の部分に血痕があった。

 ここで永田君豆知識を言うと、昔はこの白いテープではなく、チョーク・アウトラインと呼ばれるチョークの線で、被害者や証拠品などを囲い、その位置を一時的に書き記していたらしい。しかし近年では、現場保存のためほとんどこの方法は使われることは無くなったようだ。まぁ、こんな豆知識、知った所で何の役に立つのかわからんが。

 以上永田君豆知識でした。


「それで、どのような事件が起こったんですか?」


 神志名が質問すると、先程まで止めていたのは何だったのか、中原警部がご丁寧に説明してくれた。


「昨夜3時頃。この家に強盗が押し入り、住んでいた沢田夫婦の旦那である、秀弘さんが殺害された。その後、奥さんの直子さんと使用人である大平さんが警察に通報。犯人の容姿を直子さんが目撃していたため。即座にそれを元に捜査網を張ったが、現在も犯人を捕まえるには至っていない」


「この部屋を見る限り、秀弘さんは画家か何かだったんですか?」


「あぁ。そこそこ名の知れた画家だったらしい」


 その名は俺には全く知れていなかったが、それは俺が無知なためだろう。

 その証拠にこの部屋には、中々目を見張る独創的な絵がたくさんある。


「それで直子さんの見た犯人の容姿は?」


「あぁ、直子さんの証言によると、犯人は青のパーカーにジーパンという普通の服装だったが、顔は白いマスクと目に暗視ゴーグルらしきものを付けていたため、男ということしかわからなかったそうだ」


「ふむふむ。で、凶器は何だったんですか?」


 長い時間黙っているのが嫌になったのか、今度は山岡さんが答えだした。


「家のブレーカーを落として電気を消し、家の中を漁っている時に秀弘さんとかち合い、ハンマーでポカンだとよ」


 山岡さんは可愛らしい擬音で表現したが、本当はベキャッとか、バキャッとか、そんな感じのよろしくない音だろう。


「それは凶器が見付かったということですか?」


「あぁ、凶器のハンマーは現場に置きっぱなしだった。だが指紋は採取できず、犯人に繋がる手掛かりはなしだ」


 なるほど。これで犯人に繋がるものは、直子さんが見た犯人の外見だけだってことか。


「あとは、犯人はどうやって家に侵入したんでしょうか?それにどうしてブレーカーの位置を把握できていたのでしょうか?」


 それは俺も思っていた疑問だ。俺と神志名は山岡さんを見るが、山岡さんは黙ったまま、目をそらした。さらに山岡さんを見つめるも、目と目が合うどころか、天井を見上げだした。そんな所に何があるというのか。

 …この人、おそらくは来るのが遅くて事件の内容を詳しく把握していないな。


 そうして山岡さんが黙っていると、我慢できなくなったのか、再び中原警部が答えだした。


「この家には鉄柵などがついていない窓が何箇所かあり、その内の一つの窓にこじ破りされた跡があった。おそらくそこから侵入したんだろう」


 ※こじ破り(三角割り)…ドライバーなどを使って窓の錠前の部分をサッシのガラス溝に差し込み、こじる様にして指が入る程度の穴をあけ、サッシの錠前を直接開錠してしまう方法。ほとんど音が出ないため、気付かれにくい。


「この家は、ここら辺の家の中でも裕福だが、セキュリティが高くない。おそらく犯人は前々からこの家に目を付けており、ブレーカーの位置も事前に調べていたんだろう」


「まぁ、そういうことだ」


 山岡さんが、わかっていたように中原警部の言葉に便乗する。

 あんた絶対知らなかっただろ。もっと事件について把握してろ、と思ったが声には出さない。


「なるほど…」


 さすがの神志名も、この説明だけじゃ何もわかっていないようだ。


「うーん。共犯者は一体誰なんでしょう?」


 神志名が、近くにいる俺だけに聞こえるような声で、ボソッとそう言った。

 ん?共犯者?何を言っているんだこいつは?そもそも犯人は逃げちまったんだろ。もしかして、犯人が誰なのかわかったのか?

 俺は脳内で思考を巡らしていたが、再び中原さんが話し出し、俺の思考はそこで遮断されてしまった。


「向こうの部屋に直子さんと使用人の大平さんがいる。話を聞きにいくかね?」


「はい。是非お願いします」


 そうして俺達は、直子さん達がいるという部屋へ移動した。


 移動したその部屋は、確かに泥棒が入ったであろう感じに荒らされていた。

 先ほどの部屋と同じく、いかにも画家の部屋といった感じで、壁には大量の絵が飾られいたり、立てかけられたりしており、その他にも絵を描くための道具などが置かれていた。

 さっきの部屋もあるのに、絵を描く部屋が二部屋も必要かと疑問に思ったが、まぁ画家にはこだわりが色々あるのだろうと勝手に納得した。


 そして部屋の奥を見ると、おそらく直子さんだと思われる女性と、大平さんと思われる男性がソファーに座っていた。

 直子さんは、オシャレなおばさんというような風貌で、大平さんはいかにも使用人というような恰好であった。

 俺がまじまじと見ていると、直子さんと大平さんもこちらに気が付いたようで、俺達に話しかけてきた。


「あのー、刑事さん。彼らは?」


 直子さんは、俺達が誰なのか問うているようだ。

 確かに、事件現場に冴えない男子高校生とボサボサ髪の異臭系女子高生がいれば、質問もしたくなるだろう。


「彼らは―」


「彼らは、この事件の捜査に協力してくれる高校生です。気になるのもわかりますが、一応幾つかの事件を解決しているという実績がありますので、捜査の邪魔にはならないと思いますよ」


 山岡さんが中原さんのセリフを横取りし、勝手にペラペラと説明するので、中原さんが凄い形相で山岡さんのことを睨んでいるが、山岡さんは全く気にしていない様子だ。このメンタルだけ(それ以外はいらない)は見習いたいものである。


「はぁ…。要するに某主人公達のような高校生探偵ということでしょうか?」


 一体、どの某主人公のことなのだろうか。俺は、体は子供、頭脳は大人の主人公やじっちゃんの名にかける主人公を思い浮かべる。

 …考えれば考えるほど、行く先々で事件に巻き込まれる彼らの様になるのは御免である。


「いやいや、そんな大したものじゃ―」


 俺は大平さんの言葉を瞬時に否定しようとしたが、神志名が割って入ってくる。


「はい。その通りです!私が探偵で彼が助手です」


 なんか勝手に助手にされていた。またいい加減なことを。

 いらんことを言うなと、俺は神志名を睨みつけるが、神志名は全く気にしていない様子だ。まったく、このメンタルだけは―以下同文。


「なるほど…」


 直子さんと大平さんは、あまり納得していない様子だったが、なんとか俺達がこの場にいるのは許してくれるようだ。


「あのさっきの部屋はご主人が絵を描く部屋みたいでしたけど、この部屋でも描いていたんですか?」


 俺は先ほど感じた疑問について聞いてみた。


「あぁ。あっちの部屋は確かに主人の作業部屋ですが、この部屋は私が絵を描く部屋です」


「へぇ、直子さんも絵を描くんですね。じゃあこの部屋の絵の中にも直子さんが描いた絵があるんですか?」


「えぇ、いくつかありますよ。私も元プロだったので。今は辞めてしまいましたが」


 部屋の中にある絵は、素人目に見てもどれも中々に凄いものであった。この中の数作品だけでも描いたというのであれば、大したものである。


「元プロなんですか、それは凄いですね」


 神志名も同じように思ったようである。


「ありがとうございます」


「あの直子さん。それで本題なのですが、泥棒にはどのようなものを盗まれたんですか?」


「私の指輪やネックレス。主人の時計などです。どれもかなり高額なものを」


 この部屋だけを見ても、おそらく直子さんのものであろう高そうなバッグがあり、直子さん自身も高そうなネックレスをしているため、その盗まれた物もきっと高価なものなのだろう。


「なるほど、確かにお高そうなネックレスしていますもんね。それどこのブランドですか?」


 神志名が、直子さんが身に付けているネックレスを見つめながら質問する。


「えっと、これはどこのブランドだったかしら…」


 直子さんが言い淀んでいると、大平さんが答え出した。


「確か、アガールというブランドだったはずです」


「そうそう、アガールだったわね」


 ネックレスのブランドまで把握しているとは、大した使用人である。

 しかし、自分が身に付けているネックレスがどこのブランドか忘れるものだろうか?

 俺は大平さんに対して、少し違和感を感じたが、だがまぁ、たくさんのブランド物を持っていたら、どこのブランドか忘れることもあるかと、違和感を自己完結し自分を納得させた。


「へー、そんなブランドもあるんですね。あっ、後もう一つ質問したいんですけど、直子さんは本当に犯人の服装を見たんですよね?」


「えぇ」


「なるほど…」


 その質問の答えを聞いたっきり、神志名は何なら考え込み黙ってしまった。


「あの、その話はもう散々しましたし、他に話がないなら、我々はもう引き上げてよろしいですか?」


 大平さんはこの状況に耐え兼ねたのか、帰らせて欲しいと言い出した。

 まぁ、長い時間取り調べを受けていたのだ、無理もないだろう。


「そうですね。もう事情聴取も終わりましたし、あなた方は引き上げて頂いて大丈夫です」


 中原警部もこれ以上聞くことはないと感じていたのか、直子さん達が引き上げるのをあっさりと許した。


「わかりました。では、主人が亡くなった家にいるのも忍びないですし、ホテルにでも泊まることにします」


「もしよろしければ我々が送りますが、どうしますか?」


「外に車があるので大丈夫です」


「そうですか。では、お気をつけて」


「はい。失礼します。行きましょう大平」


「はい。では、失礼します」


 直子さんと大平さんは、玄関を開けて表に出ると、外に止めてある赤い車に乗り、ホテルに向かって走り出していった。


「さてと、どうする神志名。たぶん、もう俺らが調査することなんてないぞ」


「うーん」


 俺は神志名に問いかけるが、神志名は俯(うつむ)いたままうんうん唸ってばかりで、何も答えようとしない。


「おいっ、神志名。さっきから何をうんうん唸ってるんだ?」


「うーん」


 神志名はうーんと言うばかりで何も答えようとしない。どうやら今、こいつは思考の渦の中にいるため、聞こえていないようである。


「あっ!?」


 神志名が何かを閃いたような声を出し、ぱっと顔を上げる。どうやら何かが分かったらしい。


「おいっ、何か分かったのか?」


「もしかして、犯人わかっちまったか?」


 山岡さんが冗談めかして聞く。


「え?犯人はとっくにわかってましたよ?」


「「「なにっ!?」」」


 俺、中原警部、山岡刑事が一斉に驚いた声を上げる。


「犯人がわかったって、誰なんだね!?」


「というか、どうやってわかった!?」


「というか、犯人はわかっていたって?じゃあ何を悩んでいたんだ?」


 各々が神志名に向けて疑問を投げかける。


「犯人は、直子さんと大平さんですよ。悩んでいたのは、証拠がどこにあるのかです」


 直子さんに大平さんだと?二人は被害者だろ?


「直子さんと大平さんだと?犯人は強盗じゃなかったのか?」


 中原警部が俺と同じ疑問を質問する。


「まぁ、証拠がどこにあるのかは、まだ確証はありませんが。あの二人に聞けばいいですよね。あれ?直子さんと大平さんはどこですか?」


 神志名は、二人がいなくなったことに今頃気が付いたらしい。


「あの二人ならもう出ていったよ」


 俺がそう伝えると、神志名は驚いたのか、素っ頓狂な声を上げた。


「えっー!?どうして引き止めなかったんですか!?」


「お前が犯人だって教えてくれていたら、引き止めてたよ」


「いや、まだ出て行って間もない。そう遠くには行っていないはずだ。外にいる警官に頼んで引き止めてもらおう」


 そう言うと中原さんは、何やら外にいる警官に連絡を取り始めた。

 中原警部が二言三言話すと、連絡相手の警官達も事情を察したようで、連絡は円滑に進んでいる様子だった。


「外にいる警官がパトカーで直子さん達を呼び戻しに向かった。もう少しすればここに帰ってくるだろう」


「じゃあ俺達は、外で直子さんと大平さんが来るのを待っとくか」


 そうして俺と刑事達が外に行こうとしたところで、神志名が何やら中原警部に話しかけていた。


「あの中原さん」


「何かね?」


「あの指紋を確認するためのライトってありますか?あるなら貸して欲しいのですが」


「それはあるが、何に使うのかね?」


「説明は後でします。取り敢えず貸してもらえませんか?」


「わかった。おいっ」


 中原警部は別の刑事からライトを預かり、そのライトを神志名に渡した。それを預かった神志名は、部屋の中にあるネックレスにライトを当て、指紋を調べだした。一体、何を調べようとしているのだろうか?

 それからしばらくして、調べものが終わったらしい神志名が、俺に何か頼みがあるような様子で訪ねてきた。


「あの永田さん」


「どうした?」


「調べたいことがあるので、スマートフォンを貸してほしいのですが」


 神志名は今どきの高校生にしては珍しく、スマートフォンを持ってはいなかった。持っているのは、電話とメールだけしかできないなんとか携帯だけ。これだけで神志名の家庭の厳しさがわかるだろう。


「いいぞ。ちょっと待ってろ」


 俺はそう言って冷静を装いながらも、ブラウザでどのようなことを調べていたか思い出すため、脳内の記憶が保存されている大脳皮質を超高速で探っていた。

 しかし、俺の聡明な頭脳を持ってしても記憶を呼び起こすことは出来なかった。こうなれば瞬時にブラウザのタブと検索履歴をチェックするほかない。


 俺はパスワードを解除し、ブラウザを開いたのち、瞬時にタブをチェックする。タブに良からぬものが表示されていないことを確認し、検索履歴のチェックに入る。

 この間約0.8秒。

 そして検索履歴をチェックしようとした次の瞬間。余りの集中力のためか、俺の周囲の景色がスローモーションとなった。

 これが俗にいうゾーンというやつか?


 ※ゾーン…極度に集中している時に体験する特殊な精神状態のこと。フローとも呼ばれる。


 そのスローモーションの中、俺は良からぬ検索履歴(あえて明言は避ける)を発見し、瞬時に削除した。その発見してから削除するまでのスピードが早すぎたためか、        俺が画面をスライドした後、履歴はなかなか消えずに、数秒かかってから消えたように感じた。

 しかし、ゾーンが切れた瞬間。それが数秒ではなく、コンマ数秒であったことに気付いた。これがプロスポーツ選手やアニメのキャラクターが体験していた世界か。


「あの、スマートフォン…」


 俺が感動に打ち震えていると、神志名が引いたような、または何か不気味なものを見るような目で俺のことを見ていた。

 何かおかしな所でもあったのだろうか?


「ほら、使えよ」


「ありがとうごさいます」


 神志名は俺の苦労も知らずに(知られても困るが)淡々と何かを調べだした。


「何を調べているんだ?」


「直子さん達が戻ってきたら、教えますよ。はい、ありがとうごさいました」


 神志名は調べものが終わったのか、俺にスマートフォンを返してきた。

 そして、そうこうしているうちに直子さんと大平さんが家に戻ってきたらしく、俺達は庭へと移動した。


「一体何なんですか?取り調べはもう終わったはずですよね?まだ何かあるんですか?」


 直子さんはあからさまに機嫌が悪いという感じだ。神志名にこの人が犯人と言われたためか、見方も変わりイラついているのも怪しく感じられる。俺も意外と単純な男ということだ。こういうのを何効果というんだっけ?

 まぁしかし、客観的に見ると、機嫌が悪いのが急に呼び戻されたからなのか。犯人だからなのか。今のところは判断がつかない。


「いや、実は神志名君が犯人について気付いたことがあるようでして。神志名君、説明してくれ」


「はい。直子さん、大平さん。この事件の犯人ってあなた方ですよね」


 直球である。


「はぁ?私達が犯人?一体何を言っているの!?刑事さん、まさかあなた達までこんな子の話を鵜呑みにしてはいませんよね?」


 案の定、直子さん達は激おこのようである。


「神志名君、直子さん達が犯人だと思う根拠は何だね」


「直子さん、あなた犯人の姿を見たって言いましたよね?」


「えぇ」


「それっておかしいんですよ。だって家の中は犯人がブレーカーを落として真っ暗だったはずです。その暗闇の中で犯人の服装を見ることなんて無理なんですよ」


「確かに、暗闇の中で犯人の服装が青のパーカーやジーパンだと見分けるのは無理だ」


「そっ、それは犯人がライトを使っていて…」


 直子さんの声からは動揺していることが感じられた。


「あなたは犯人が暗視ゴーグルを使っていると証言していたでしょ。だったら、犯人がライトを使っているわけがない」


「っ…」


 直子さんは反論する余地がなく、言い淀んでいた。これは図星というやつだろうか。


「つまり、直子さんが証言した犯人像は警察の捜査をかく乱させるための嘘ということになります。これは直子さんが犯人とグルということを指しています」


「けどさ、それでどうして犯人が大平さんだってことになるんだよ」


「それは、直子さんと大平さんが不倫関係だからです。おそらく、旦那さんを殺害した動機もそこら辺にあるのでしょう」


「私達が不倫関係って、一体何を根拠にそんなことを言っているのですか!?もし、はっきりした根拠もなくそんなことを言っているのなら問題ですよ!」


「根拠ならあります。大平さん、直子さんが身に付けていたネックレスのブランドを言い当てましたよね?」


「それが何だというんですか?」


「なぜ、直子さん本人も把握していないネックレスのブランドを言い当てられたんですか?」


「私は使用人ですから、直子さんが普段身に付けているものは把握しているというだけです」


「勝手に拝借して申し訳ありませんが、じゃあこれがどこのブランドなのかわかりますか?」


 神志名は直子さんの部屋にあったネックレスを持ち出しており、それを大平さんに見せた。


「そっ、それは…」


 大平さんが言葉に詰まる。


「これは直子さんの部屋にあったもので、指紋を調べてみたところ、一番使われていたものです。ブランドを調べてみたところ、アルテミスというかなり有名なブランドのものでした」


「さっき借りていたライトとスマートフォンは、これを調べるために使っていたのか」


「はい、そうです」


 確かに、これは直子さんと大平さんと不倫していた根拠になるかもしれない。


「大平さん、あなたは先程直子さんが付けていたネックレスがどこのブランドなのかを当てました。でも、一番使っているネックレスがどこのブランドなのかわからなかった。これはなぜか?それは先程直子さんが付けていたネックレスはあなたがプレゼントしたものだからですよね」


「なるほど、別に直子さんの持っているネックレスを把握していたわけじゃなかったのか」


「先程調べましたが、このネックレスは、使用人が雇い主にプレゼントするには余りにも高額過ぎます。これはあなた方が不倫していたからに他なりません」


「そうか、つまりは不倫関係であった直子さんと大平さんは、邪魔に感じていた秀弘さんを殺害しようとしていた。大平さんが強盗を装い、秀弘さんを殺害。そして共犯者である直子さんが見当違いの目撃証言をすることで捜査をかく乱していたということだな」


「ちょっ、永田さん!いいとこ言わないでくださいよ。私が言おうと思ってたのに!」


「確かに、私達に疑われる理由があることは認めます。けど、これだけじゃ私達が犯人だと言う明確な証拠がありませんよ」


「そうなんですよ。私もそれを悩んでいました。けどわかったんです」


「それは何なのかね」


「強盗だと見せかけるために盗んだ金品や、秀弘さんを殺害時に着ていた服がありますよね。あれはどこに隠したんだと思いますか」


「何処か家から離れたところに隠したんじゃないか?」


「いいえ、強盗に入られたと警察に思わせるためには、すぐに警察に通報しないと不自然です。警察が調べれば、いつ秀弘さんが殺害されたのか何てすぐにわかりますからね」

「では、どこに隠したと言うのかね。家の中からはそんな物でてこなかったぞ」


「あるじゃないですか。家の近くに常にあって、かつ事件後の回収も容易なものが」


 あっ、そうかわかったぞ。俺わかっちったぞ。


「車か」


「正解です。さすが助手ですね」


「だから勝手に助手にするな」


「確かに自動車なら調べられることもなく、どこか別の場所に移動するといって容易に回収できる」


「んじゃ、早速調べますか。おいっ、お前らこっちこい」


 山岡さんがそう呼びかけ、他の刑事たちと車を調べだした。


「何も見つかんねぇーな」


 刑事たちは車を隅々まで調べていたが、いくら調べても車からは何も見つかることはなかった。


「何も出てこないじゃないですか!やはり、私達が犯人であるという証拠は何もないようですね!」


「あれれ~、おっかしいですね~」


 直子さん達は、容疑をかけられて怒っている様子だが、俺には焦っているようにも見えた。

 神志名は的外れな言動をすることはあっても、的外れな推理をするような奴じゃない。きっと何か仕掛けがあるはずだ。

 そう考えた俺は、直子さんと大平さんの様子に注意していると、直子さんも大平さんもチラチラと注視している場所があることに気が付いた。

 二人共、さっきから車のトランクをチラチラと見ている。もしかしたら、そこに何か仕掛けがあるのかもしれない。それにこのトランク何か違和感を感じる。


「あの、すみません。トランクの中をもう少し調べてみてもいいですか」


「別にいいが、そこももう調べたぞ」


「気になる所があるので」


 俺は、車のトランクを調べ始めた。そしてトランクを触ってみて、俺はさっきから感じていた違和感の正体に気付いた。

 他の車と比べて、わずかだトランクが高い気がするのだ。そこから考えられる仕掛けは、おそらくあれしかない。

 俺は、トランクの手前にある細い隙間に指を入れ、思いっきり上に持ち上げた。すると、トランクの底は持ち上がり、その下に隠されていたスペースが現れる。


「やっぱり、二重底です」


「二重底だったか!?」


 露わになった二重底を見て、刑事達からは驚愕の声を上げる。

 二重底となっていた場所からは、家から持ち出されたであろう金品や、殺害時に使用されたであろう衣服が出てきた。


「出てきたものを調べれば、あなた方が犯人だということはハッキリとするでしょう。これで言い逃れは出来ませんな」


「くっ、直子さん逃げろっ!!」


 大平さんはそう言うと、山岡さんに掴みかかり、直子さんを逃がそうとする。


「ぐはっ、この野郎!」


 大平さんと山岡さんが掴みあいとなる。


「大平、もう無駄よ…」


 しかし、直子さんに逃げる気はないようだ。

 その様子を見た大平さんは力を緩めたようだったが、山岡さんはお構いなしに大平さんを背負い投げした。


「この野郎っ!ぶち殺すぞゴラァ!!」


 大平さんはもう明らかに無抵抗であるが、山岡さんは懐から拳銃を取り出し、大平さんへと向けだした。


「このっ、撃つよ!ねぇー撃つよ!」


 山岡さんは血走った目で引き金に指をかけ、鼻息を荒げている。これではどちらが犯罪者なのかわからない。


「やめろバカ者!もう無抵抗だろ!」


「ガルルルル。ガルルルル」


「獣かお前は!落ち着け!」


「ガルル!ガッ、フシュー」


 見かねた中原さんが止めに入り、ようやく山岡さんは拳銃をしまった。おそらく犯罪者予備軍とは、今の状況を指すために存在するのだろう。


「ふー、それで直子さん、大平さん。どうしてこのような犯行を?」


「私と旦那の関係性は冷え切っていました。だから大平と…。私は別れを切り出したんです。でも、旦那がそれを許してくれなかった。だから犯行に及びました」


「弁護士に相談したりすれば、離婚することも出来たはずです。わざわざ犯行に及ぶ必要はなかったんじゃないですか?」


「それは出来ませんでした。そもそも私は、あの人が好きで結婚したわけではないんです…」


「どういうことですか?」


「私がプロになる前、私は公園に無造作に置かれていた絵を見て衝撃を受けました。そしてその絵を盗作してしまい、それが入賞してプロになりました」


「もしかしてその絵が旦那さんの…」


「そうです。その絵は旦那が描いたものでした。そして後にプロとなって私に会いに来た彼は、盗作だとバラされたくなければ、自分と結婚しろと言ってきました」


「それでプロの画家を辞めたくなかったあなたは、申し出を受け入れてしまったんですね」


「はい。でも、私の実力ではプロの世界で長く続かず、残ったのは愛のない結婚生活でした。…私はどうしてもあの生活を終わりにしたかった」


「それで犯行に及んだと…。しかし、どんな理由があれ犯罪は犯罪です。署までご同行していただけますね」


「はい」


「はい」


 そうして二人は手錠をかけられ、連行されていった。


「あの二人の愛は本物でしたね」


 神志名が連行される二人を見ながら、そう呟く。


「…あぁ。結局二人の関係がバレたのも、直子さんがあのネックレスをしていたからだしな」


 俺がそう答えた後、神志名は返事をせずに黙って二人の乗ったパトカーを眺めていた。その顔はいつも通りの無表情で、一体何を思っているのか、俺にはよく分からなかった。

 パトカーはどんどん遠ざかって行き、しばらくすると見えなくなった。


「…学校行くか」


「そうですね」


 …こうして、この事件は解決した。

 そうして俺達が、学校へ行こうと歩き出した時、中原警部が声を掛けてきた。


「神志名君、永田君。今回も事件解決の手助け、感謝する。しかし、今後は事件現場に首を突っ込まないように」


「はい。もちろんそのつもりです」


「はい。以後気を付けます」


 絶対に嘘である。


「じゃあ、俺達はこの辺で失礼します。そろそろ学校に行かないと、遅刻中ですし」


 そうして俺達は学校へ向かおうとしたが、そこで山岡刑事がある提案をしてきた。


「じゃあ、俺が学校まで送ってやろう」


「本当ですか?ありがとうごさいます」


 まぁ確かに、山岡刑事に送ってもらった方が早く着くだろうし、ここは送ってもらう方が良いだろう。


「気を付けて送れよ。山岡」


「はい」


 こうして俺達は、山岡さんに学校までパトカーで送ってもらうこととなった。




                  ◇◇◇




 ウー、ウー。


 俺達が乗っているパトカーは、現在進行形でサイレンを鳴らしながら爆走していた。


「オラオラァ!前の車ぁ、道をあけろー!さっさとしねーと、車のケツに鉛玉撃ち込むぞ!」


 山岡さんはスピーカーを使い、前の車を煽りに煽っていた。


「あの、山岡さん。いくらパトカーでも、前の車をこんなに煽ったらまずくないですか?」


「大丈夫、大丈夫。それよりこれ以上遅れる方がまずいだろ」


 何が大丈夫なのかわからないが、山岡さんは爆走もサイレンも止めようとはしない。


「んっの野郎!おいっ!さっさとどけ!国家権力なめてんじゃねーぞ!!」


「山岡さん。やっぱりまずくないですか?」


 俺は再度確認する。


「大丈夫だ。これが法治国家だ」


 絶対に違う。


「おい、神志名。お前もなんとか言ってくれよ」


「ぐー、ぐかぁー」


 神志名は目を開けたまま、いびきをかいて眠っていた。

 何これ怖い!

 こうなると俺に出来ることは、学校に着く前に他の警察に止めらないよう祈ることだけであった。




                  ◇◇◇




 俺達がやっとの思いで教室に入ると、教室の中は数学の授業中であった。


「おいっ、永田、神志名。お前らまた遅刻か?よし、神志名。遅刻した罰としてこの問題を解いてみろ」


 数学教師はそう言うと黒板に問題を書きだした(なぜ数学教師と呼ぶのかというと、この教師の名前を憶えていないからである)。しかし、問題が全て書き終わる前に神志名が答える。


「あっ、この問題の答えは4√105ですね」


「なっ、まだ途中までしか問題を書いていないぞ」


 数学教師は驚いた様子であった。

 というか神志名の奴、いくらなんでも途中までしか書かれていない問題をどうやって解いたんだ?


「私は教科書の問題は全て暗記しているので」


 神志名は、さも当然のことかのようにそう答えた。


「…あ、そう」


 数学教師は狼狽している様子だった。

 それにしても神志名の奴。教科書の問題を全て暗記しているとか、天才キャラがやる定番のマウントの取り方をしやがって。


「よしっ、じゃあ、永田。この問題を解いてみろ。お前も遅刻するぐらいなら教科書の問題を暗記するぐらいしているんだろ」


 数学教師は俺に向けて嫌味を言うと、黒板に新しい問題を書き出した。

 数学教師の自尊心を守るために書き出された、恐らく先程の問題と同等かそれ以上に難しいであろう(どっちの問題もわからないが)問題が俺に分かるはずもなく、俺は無言で苦笑いするという、小学生の頃から磨き続けた問題が分からないときのスキルを発動し、その場をやり過ごした。




                  ◇◇◇




 数学の授業が終わると、次の授業は情報であったので、俺達はコンピュータ室へと移動した。

 情報の先生はいつも授業がテキトーであり、大体の場合は生徒に「これやっとけ」と課題を出し、それを勝手にやらせるだけで後は知らんぷりである。

 そのため、教室内は課題が終わった者達の雑談が飛び交っており、非常に騒がしい状態となっていた。そして例に漏れず、その状態に便乗した俺も江藤と雑談を繰り広げていた。


「それで公衆トイレから脱出した後、またもやホームズとワトソンの真似事をしてきたというわけだ」


「いやぁー、君達も懲りないねー」


「まぁ、そんなところだ。って!?なんで小野先輩がいるんですか!?」


 俺がなぜか隣に座ってきた江藤と話していると、2年生であるはずの小野先輩が、これまたなぜか隣に座っていた。


「まぁまぁ、永田ン君。細かいことを気にすると女にモテないぞ。学生という未熟な年齢であっても、男子たるもの大きい器を持たないと」


「現状の疑問を質問することと、大きい器じゃないことは、イコールじゃありませんよ」


「ああ言えばこう言わない」


 ああ言えばこう言っているのは、先輩の方な気がするが、まぁいいだろう。俺は器の大きい人間だからな。


「それにしても、またもやあっさりと事件を解決するなんて、ウーミンに解決できない事件はないのかもしれないね」


 ウーミンとは神志名のことである。小野先輩は神志名のことをこう呼んでいるのだ。


「えへへ。でも今回は永田さんの助けも大きかったですから」


「でも、流石に警察がお蔵入りした未解決事件なんかは、神志名さんでも解けないじゃないか?」


「じゃあ、試してみますか?」


「「「は?」」」


 神志名はそう言うと、何やらキーボードをカチャカチャと叩き始めた。

 暫くして、神志名が打ち終わると、モニターの画面に事件の資料のようなものが映し出される。


「これはなんだ?」


「警察のデータベースにあった、未解決事件の資料です」


「そっ、それって、まずくないかな?」


 流石の小野先輩も困惑な顔をしている。


「大丈夫ですよ。バレるようなへまはしていないはずです」


「そういう問題じゃないと思うんだけど…」


 そうして俺達が困惑しながらも資料に20分程目を通していると、突然教室のドアが勢い良く開かれた。


「全員手を挙げろ!」


 突如教室に中原警部と山岡さんが入ってきて、山岡さんは、生徒に向けて拳銃を構えだした。


「おろせバカ者がっ!」


「あぅ」


 山岡さんがしばかれて銃を下ろす。


「えー、この教室のパソコンから警察のデータベースへの侵入を感知した。神志名君、どういうことかね?」


「えっ!?どうして私がやったとわかったんですか!?この教室には他にも生徒がいますよ!」


「こんなことが出来るのは、この教室どころか日本中探しても君だけだよ」


 確かにそうだろう。こんな高校生がほいほい、同じ教室にいてたまるか。


「じゃ、じゃあ、私は逮捕ですか?」


「君には、今まで数々の事件を解決してもらった借りがあるからな。今回は特別に注意だけで済ませよう。しかし、次はないぞ」


「はい」


「他の奴らも、悪さするんじゃねーぞ!俺はガキだろうと平気で撃つからな!」


「私はこの子達の前に、お前が何かしないか心配だよ」


 同感である。


「それで、神志名君。捜査資料を見て、何かわかったかね?」


「はい。一応、いくつかの事件の犯人が分かりました」


「「なにっ!?」」


 中原警部と山岡刑事が驚き、派手なオーバーリアクションをする。だが、神志名のこの言葉を聞かされれば、誰でも驚くはずなので、ある意味これがノーマルリアクションと言えるだろう。

 その後、神志名は別室に連れていかれ、事件の推理について中原警部達に説明を行うこととなった。




                  ◇◇◇




・放課後


 俺は教室で神志名が戻ってくるのを待っていた。


「やっと、説明が終わりました。永田さん。早く部室に行きましょう」


「あぁ」


「あっ、そういえば江藤君はどうしたんですか?」


「あいつは何か用事があるとかで、後で来るってよ」


 俺達は部室へ向かい歩き出した。

 部室に行く途中、中原警部達と話していたことを聞くと、どうやら神志名の推理は信憑性があるらしく。今後その線で調査を進められるよう、帰って報告するらしい。

 それにしても、20分程度の時間資料に目を通しただけで、未解決事件の犯人を言い当てるなんて、こいつは俺の想像以上に対した奴なのかも知れない。


「それで、あれはどうなったんですか?」


「あれって何だよ?」


「あれですよ。映画撮影のための脚本のことです。永田さんが書いているんでしたよね?」


「あぁ」


 映画研究部は部の活動として、文化祭などで流すための映画の撮影を行っており、今年の映画の脚本は俺が書くことになっているのだ。


「撮影するのは、そんなに長くない時間という話でしたけど。そろそろ完成しないと間に合わないんじゃないんですか?」


「大丈夫だ。もう完成してる。後は撮影するだけだ」


「本当ですか!?読ませてくださいよ。なんてタイトルでしたっけ」


「『バス停男』だ」


 俺がタイトルを言うと、神志名がクスッと笑った。


「笑うんじゃねぇー!」


「で、でも、ダサくないですか?ネーミングセンスなさすぎですよ」


「うるせーよ。お前こそ何だ?その名前は?大体なんだよ。海って、どうゆう名前なんだよ。というかなんでお前だけ下の名前も表記されているんだよ!!」


「あーー。もしかしてバカにしてます?この名前には海のように広い心と器を持って育つようにという深い思いが込められているわけで―」


「それが海のような匂いのする子供に育っちゃったわけか」


「それって私のこと臭いって言ってます?」


「いやいや、磯のいい香りってことだよ。髪の毛にプランクトンでも飼ったらどうだ?きっとプランクトンも喜ぶだろうぜ」


 そうして俺達が言い争っていると、映画研究部の部室が開かれ、部室から出てきた小野先輩が俺達を注意しだした。


「これこれー。なーに喧嘩しとんじゃ!このアホたれ共!同じ部員同士、仲良くしなーさい」


「すっ、すみません」


「すみません」


 ごくまれに発揮される部長としての威厳の効果か、俺達の言い争いはいとも簡単に止められた。


「よしっ。ほいじゃ、中に入んな」


 小野先輩に諭された俺達は部室の中へと入った。


 なんとなく部室を見渡す。相変わらず、たいした活動をしていないわりには、そこそこ立派な部室である。


「ほいじゃー、今日も早速映画観ようか」


「あの、映画の撮影はしなくていいんですか?」


「大丈夫、大丈夫。君達今日は色々あって疲れたでしょ。だから今日のところは、映画を観てゆっくりしようよ」


 何が大丈夫なのかはわからないが、確かに色々あって疲れたのは事実のため、俺も神志名も先輩の意見に賛同する。


「じゃあ、何から観ますか?」


「まずは、私が持ってきたのから観ようか」


「「げっ?」」


 俺と神志名は、同時に否定的な声を出した。というのも、小野先輩が進めてくる映画は、エログロホラーといういわゆるスプラッター映画ばかりで、出来れば一緒に見たくないのだ。


「げっ、とはなにさ。げっ、とは」


「だって、先輩が勧めてくる映画ってスプラッター映画ばっかりじゃないですか」


「大丈夫。今日のはそんなにグロくないから」


「なんて映画なんですか?」


「『ムカデ人間』だよ!」


「めちゃくちゃエグイやつじゃないですか!?」


 ※ムカデ人間…スプラッター界隈では定番の映画。もし観る際はマジで注意しよう。


「一番グロいのをAとするならこの作品はBクラス。全然いけるよ」


「わっ、私ちょっとトイレに…」


 神志名はトイレを言い訳に、物凄いスピードで逃げようとしていた。神志名はスプラッター映画が苦手なのだ。


「フッ、逃がさないよ」


 シュ―。


 小野先輩は超高速(俺の目には追えない)で神志名の前に回り込み、神志名が逃げようとするのを阻止する。

 というか今、どうやって移動したんだ。


「この野郎、一人だけ逃げようとしてるんじゃねぇ」


 俺は神志名の頭に軽くツッコミをいれる。


「ヌフフフ。ウーミンにもスプラッター映画の魅力というものを叩きこんであげるよ」


 気持ち悪い笑い方である。


「わっ、私。スプラッター映画苦手なんですけど」


「でーじょーぶ。でーじょーぶ。先っちょだけ。先っちょだけ」


 なんだ、その絶対信用できないチャラ男の常套句じょうとうくみたいなのは。


「んじゃ、俺はトイレットに」


「あっ!?永田さん逃げないでくださいよ!」


「逃げねぇーよ。すぐに戻ってくるって。それに、さっきお前の髪に触って汚ねーからな。手も洗ってこないと」


「私の髪はホコリの塊か何かですか!?」


「ホコリの方がマシだよ」


「永田ン君。逃げちゃダメだよ」


「I’ll be back」


 そうして、俺はトイレ向かうために部室を出た。

 俺が廊下をしばらく歩いたところで、部室から断末魔が聞こえてきた。俺は部室が事件現場にならないようにと、心から願いながらトイレへと向かった。




                  ◇◇◇




 俺が部室に戻ってくると、神志名は白目を剥き、口から泡を吹きながら、ビクンビクンと痙攣していた。しかし小野先輩は、後輩が死にかけているにも関わらず、気付いた様子もなく夢中で映画を観ていた。


「小野先輩。神志名が死にかけているので一旦映画を止めましょう」


「ほえっ?ん、アッーーーーー!?ウーミン大丈夫!?」


 やっと気が付いたようだ。


「ウワワワワ。どうしよーーー!!人工呼吸?心臓マッサージ?それともAED!?いや、まずは救急車か。えっと、永田ン君。救急車って何番だっけ!?」


 気付いた途端、とんでもない慌てようだ。


「落ち着いてください。ほっときゃそのうち起きますよ」


「でもでも、白目を剥いてるんだよ!?泡吹いてるんだよ!?」


 そうしたのはあんただろうが。


「仕方ありませんね。荒療治ですが、起こしますか」


「おー、そんなことが出来るのかい?」


「ええ。見ていてください。フンスッ!!」


 俺は右手に全神経を集中させると、その集中を保ったまま、神志名の頭にチョップした。


「あたっ、ハッ、ここはパプアニューギニア?」


「どんな夢を見てたんだ」


 チョップの衝撃で神志名が目覚めた。


「ふー。よかった」


 神志名が目覚めて、小野先輩も安心した様子だ。これに懲りたら、今度からはスプラッター映画は一人で見て欲しいものだ。


「小野先輩、さすがに今日はスプラッター映画以外を見ましょうよ」


「まぁ、さすがにね」


「じゃあ、何を観ますか?」


「永田ン君。君は何かおすすめはないのかい?」


「俺は今、エウレカを観ているんですけど、観ますか?」


「エウレカ?古代ギリシア語で『見つけた』の現在完了形ですよね」


「ちげーよ、アニメだよ!この賢すぎ!!」


「褒められた」


 別に褒めたわけではない。


「うーん。でもそれって話数が結構あるじゃん。普通の映画みたいにさぁ。1本で完結するやつを観ようよ」


「まぁ、確かにそうですね。んー何かあったかなぁ?」


 俺は、部室に置いてあるDVDやらビデオやらの中に、何か面白いものがないか探し始めた。

 すると、その中に見覚えのないDVDを見つける。そのDVDにはタイトルなどが何も書かれておらず、中身がどんな内容なのか全く分からない。


「小野先輩、このDVDって何ですか?」


「ん?それねー。確か江藤君が置いていったものだけど、中身が何なのかは私も知らないなー」


 江藤が置いていったもの。もしやホモビ―、いや考えるのは止めておこう。


「中身が何なのか気になりますね」


「ほいじゃー、みんなで観ちゃおうよー」


「そんな勝手に観てもいいんですかね?」


「OK、OK。部長が許可しまーす」


 部長の権限にそんなものはないと思うが。

 まぁいいか、江藤のだし。


 俺達は早速、江藤の置いていったDVDを再生した。


 DVDを再生すると、どこかの道の監視カメラ映像が映し出された。ただの監視カメラ映像のようだが、どこか見覚えがある場所だ。


「ん?映画とかじゃないみたいだね?」


「それにこの場所、もしかして私達の登校途中にある場所じゃないですか?」


「確かにそうだな。通りで見覚えがあるわけだ」


 神志名に言われ、俺の頭の中にも鮮明にこの場所の景色が映し出される。


「でも、この映像変じゃないかい?」


 小野先輩は、何かを疑問に感じたようで俺達にそう問いかけてきた。


「確かに、この映像の時間、今日の23時58分ですよ。どうやって撮影したんでしょうか」


 神志名が指摘した通り、映像が示している時間は今日の23時であり、その時間は勿論まだ来ていない。


「時刻の部分は編集しているんだろ。じゃなきゃ、これは未来の映像ってことになるしな。そんなことあるわけない」


「それもそだね。それにしても、この映像一体何の意味があるんだろうね」


 俺達がそうこう話していると、映像内の時刻が0時になった。


 ピカッ。


「ん?」


 そしてその瞬間。映像が急に眩い光に包まれたかと思うと、画面は真っ白になり、そのまま映像は終了した。


「ありゃ、何これ。おかしくなっちゃった?」


「いや、DVDプレイヤーは何ともないみたいです。これはこういう映像ですよ」


「うーん。意味がわかりませんね。これはどういった映像なのでしょうか?」


 俺達が映像の意図について悩んでいると、突然部室のドアが開かれる。

 ドアの方に目をやると、どうやら江藤が入ってきたようだった。


「やぁ、みんな。何を観ていたんだい?」


「あぁ、このお前が置いていったDVDを観てたんだよ」


「人が置いていったものを勝手に観るなよな。…そうか、それを観てしまったか」


「なんだ?観ちゃまずかったか?」


「いや、いいんだ。どうせ、いずれ分かることだからね」


 どういう意味だ?


「ねぇ、この映像って何なの?どういう意味の映像なの?」


 小野先輩が、俺達が疑問に思っていたことを質問する。


「それについては後ほど説明します。その前に皆に話があるんですが、いいですか?」


 江藤は神妙な面持ちでそう答える。

 その顔から、俺達はその話が江藤にとって重要なことであるのを察し、真面目に聞くモードとなった。


「話ってなんだよ?」


「今夜、23時30分頃。皆で集まれないかな?集合場所は、皆のスマートフォンに送っておいたから」


 俺がスマートフォンを確認すると、スマートフォンを持っていない神志名が画面を覗き込んでくる。江藤からのメッセージを確認すると、地図が表示されており、おそらく先程の映像に映っていた場所であった。


「そんな時間に集まって、何をするんだよ」


「それは集まった時に説明するよ。その映像についてもね」


「説明って、今すぐに出来ないの?」


「今すぐ説明しても、理解できないでしょうから。集まった時に話しますよ」


「うーん」


 小野先輩の顔は納得していない様子だった。


「私の家は門限がありますから。そんな時間に行くのは無理ですよ」


「うん。それに明日も学校があるからね。休みの日とかじゃダメなのかい?」


 皆行くことに関して否定的な様子だった。まぁ、理由もわからないのだから当然だろう。


「今日でなくちゃダメなんです。僕を信じて、どうかお願いします」


 江藤の真剣な様子から、俺達は断りの言葉を言うのも難しくなり、少しの間、場は沈黙した。


「…わかったよ。とにかく一度帰ってから考えてみるよ。皆もそれでいいだろ」


「はい」


「うん」


 俺が出した、一応の結論に皆も納得した様子だった。


「わかったよ。僕は、今日はこれで帰るから。とにかく考えてみてくれよ。ずっと待っているからさ」


 江藤はそう言い残して、部室を去っていった。

 その後、映画を観るという雰囲気ではなくなった俺達は帰ることにした。




                  ◇◇◇




 学校からの帰り道、俺達は先程の江藤の件について話していた。


「江藤君、一体何だったのかな?」


「さぁ?でもあいつはふざけてあんなことを言う奴じゃありませんよ」


「だよね」


「とにかく、行くかどうかは、家に帰って各自が判断するということにしましょう」


「まぁ、そうだな」


「そだね。んじゃ、私はこっちだから。じゃあね」


「「さようなら」」


 そうして帰り道は、俺と神志名の二人だけとなった。

 特に話すこともないので、しばらく無言で歩いていると、神志名が真剣な表情で話しかけてきた。


「あの、永田さん」


「どうした」


「あの、実は私も話しておきたいことがあるんです」


「なんだよ」


「私、親から大学に飛び級するように言われているんです。なんか、大学側からお金も出るみたいで」


「…そっ、そうか」


 俺は平静を装い、そう答えた。


「でも私、まだこの学校に通っていたいんです。部活のみんなと過ごすのが楽しいんです。それに永田さんのツッコミにも慣れてきましたし」


「俺は別に慣れたくねぇーよ」


 どうせ高校を卒業すれば、俺達は別々の大学に行くことになるのだ。例え飛び級しなくても、残り2年程だ。だから神志名が飛び級しようが、俺の知ったことじゃない。はずだ。

 でも、神志名と一緒に事件に巻き込まれたり、部室でガヤガヤと騒いだり、この日常を悪く思っていない自分もいる。同じ高校生活なら、そっちの方がいい。


「なら、今度俺が、お前の親を説得するの手伝いに行ってやるよ」


「え?」


「人間っていうのは、雑音が急に消えて静かになると、ストレスを感じるらしいからな。それに部長から身を守る盾がいなくなったら困る」


「素直じゃないですね。正直に私がいなくなったら寂しいって言えないんすか?」


「うるせい」


「じゃあ、約束ですよ。もう撤回できませんからね」


「あぁ、わかったよ」


 そうこう話しているうちに、俺達はいつも別れる場所に着いていた。


「じゃあ、俺こっちだから。帰ったらちゃんと髪洗えよ」


「今言いますかそれ。永田さん、ムードって言葉知っていますか?」


「あぁ、知ってるよ。今使う言葉じゃないことはな」


 こうして俺達は別れ、家へと帰った。




                  ◇◇◇




 家に帰った後、行くかどうか、俺はしばらく迷っていたが、約束の場所へ向かうことに決めた。

 俺は身支度を済ませると、約束の場所へ向かうために家を出た。




                  ◇◇◇




・23時20分


 約束の場所に着くと、そこには神志名と小野先輩の姿はなく、江藤だけが立っていた。


「神志名と小野先輩はどうした?来なかったのか?」


「いや、君より一足早く来ていたよ」


 江藤はそう答えるが、辺りを見回しても神志名と小野先輩は見当たらない。


「何言ってんだ?どこにもいないじゃないか」


「大丈夫。今から君も同じ場所に案内するから」


 案内?何を言っているんだこいつは。


「案内ってどういうことだ?どこか別の場所に移動するのか?」


「そうだよ」


 そう言った江藤の顔は、微笑んでいた。

 俺はその時、江藤に対してホモなんじゃないかということ以外で、初めて恐怖を感じた。


「永田。最後にこれだけは言わしてくれ。来てくれてありがとう」


 最後?


 次の瞬間、視界が真っ暗になり、俺の意識はそこで途絶えた。




                  ◇◇◇




■???視点


 研究施設だと思われる場所で、一人の男が目覚める。

 いや、戻ってきたと言うべきか。

 彼は上半身を起こすと、頭に身に付けているヘットギアを外して、横になっていたベッドから起き上がった。


「ダイブご苦労様だったな。江藤君。お陰でサンプルを入手することが出来た」


「村上さん。後は結果がでれば、僕もお役御免なんですよね?」


 ヘットギアをしていた男は、江藤と呼ばれていた。そして江藤と話しているこの男は村上と言う名前のようだ。おそらくは江藤の上司と思われる男である。


「そうだ。だが前回の結果から、小野 咲と永田 幹雄さえ入手できれば、神志名 海のアップロードが可能という結論になった。問題ない」


「それにしても、何度潜ってみても凄いですよ。あれが仮想世界とは思えません。やっぱりあの世界が消えてしまうなんて勿体ないですよ」


「仕方がないだろう。この施設にあるコンピュータのデータ容量では、2032年10月24日まで稼働させるのが限界なんだ」


「僕、向こうの世界にまた半年程潜っていましたけど。こっちではどれくらい経っていたんですか?」


「数十分程度だ。向こうとこちらでは、時間の流れが違うからな」


「じゃあ、村上さんからしたら、さっきぶりってことですか」


「そうだ」


「なんだか不思議な感覚ですね」


「それだけあの仮想世界の完成度が高いということだ」


「なるほど…」


 二人の間に、少しの沈黙が生まれる。そして一呼吸おいて、これが本題だと言わんばかりに江藤が再び話し出す。


「それと村上さん。俺の仕事は、あの仮想世界に存在するAIの中から優秀な個体を入手し、こっちの世界のコンピュータにアップロードするというものでしたが、これは一体何に使われるんですか?いい加減教えてくださいよ」


「このことは末端の君には教えられないことなのだが、ここまで手伝ってもらったんだ、仕方がない教えよう」


「ありがとうございます」


「我々の目的は、仮想世界の中に存在するAIを入手し、人間と全く同じ、完璧なボトムアップ型AIを作り出し、利用することなのだ。そして、その候補となったのが、神志名 海だ」


「完璧なAIを作り出すのに、どうして仮想世界を作る必要があったんですか?」


「我々は今まで、あらゆる方法で完璧なAIを作り出そうとしてきたが、不可能だった。なぜなら現代の人間というのは、長い歴史と文化が積み重ねられ形成されている。だから、完璧なAIを作り出すためには、仮想世界の中で同じように文化を積み重ねる必要があったのだ」


「なるほど。それで、どうして神志名 海が候補に選ばれたんですか?」


「AIをコンピュータにアップロードするまでの僅かな時間。AIの意識を復活させなければならない。しかし、普通のAIは、自分がAIだったということを理解した瞬間、精神崩壊を起こす。これではアップロードが完了するまで持たない」


「なるほど。でも神志名 海なら」


「そのとおりだ。神志名 海は、自分がAIだと理解しても精神崩壊を起こさない、貴重な精神を持つ個体だ。本当は前回のダイブで上手くいくはずだった」


「前回はなぜ失敗したんですか?今回、永田 幹雄と小野 咲が必要だったのもそれが原因ですよね?」


「確かに、神志名 海は自分がAIだという事実には動揺せず、逆に興味を示しているようだった。だが、永田 幹雄や小野 咲などの友人ともう会えないと理解した瞬間。精神崩壊を起こしてしまった。これが、彼らが必要な理由だ」


「なるほど」


「まぁ、お喋りはこの辺にしておこう。ただちにアップロードを開始するぞ」


 そう言うと、村上達はAIのアップロードをするために、別の部屋へと移動しようとした。しかし、彼らは別の部屋へ行くための通り道で、足を止めた。

 なぜ足を止めたのか、それは彼らにとって見覚えのない男が立っていたからだ。その男は茶髪にメガネと研究室に似つかわしくない見た目をしている。

 そう僕だ。


「誰だ、お前は?ここは関係者以外立ち入ることが出来ないはずだが」


「これがAIのデータが入った端末だよね」


 僕は自分の持っている端末をひらひらと振りながら、村上達に見せる。


「なっ、なぜそれを!?貴様、どこかの国のスパイか!」


「違うけど、まぁ、似たようなものだね。それにしても驚きだよ。君達がこんな貴重なサンプルを入手するなんて」


「君達がって。まるでずっと前から、僕たちのことを知っていたような口ぶりですね」


「見させて貰っていたよ、君のことは。永田君を通じてね」


「?」


 江藤は、僕の言っていることがわからないという様子だった。まぁ、当然だろう。

 そう僕が話している間に、村上が手を後ろに隠して、何かを操作しているのが見えた。まぁ、どうでもいいことだが。


 ブー、ブー。


 村上が操作を終えると、研究所内に警報が鳴り響いた。


「緊急コードを発動した。この施設の扉はロックされ、数十分もすれば警備の者達がやってくるだろう。お前はここから逃げることはできない」


「逃げる?君達は何もわかっていない。逃げる必要なんてないんだ。僕は帰るだけだからね」


「帰る?」


「そろそろいいよ」


 ピカッ。


 次の瞬間。世界は白い光に包まれた。


「えっ?」


「まさか…」

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