オオカミの記憶

葛西 秋

オオカミの記憶

 雪である。白い雪が次から次へと落ちてきて、周囲の音を吸いながらみるみるうちに積もっていく。


 昨日までは晴天だったのに、朝起きたらすでに小雪が舞っていた。駅前から発車するバスに間に合うよう、小走りで宿を出るころには道路が白くなり始めていた。


「午後は積雪の状態により、運休になる場合が有ります」

 バスに乗り込むときに係員によるそんな注意を聞いたが、なるほど目的地が近づくにつれて視界のほとんどが雪片で白く埋められていった。


 既に雪道となった坂道をバスは力強く登り続けた。半時間強で着いたのは、埼玉県は秩父の地にある三峰神社の入り口だった。


 三峰神社は、妙法ヶ岳を信仰の対象とする山岳信仰に由来する。西からヤマト王権の支配が及ぶと日本武尊を祭神とする神社となり、仏教が到来すると神宮寺三峰権現となった。明治維新の神仏分離令によって寺院を廃し、ふたたび神社となって今日に至る。


 祭神である日本武尊にまつわる逸話として、日本武尊が東征の折に道案内をしたのがこの地のオオカミであったと云い、そのために三峰神社ではオオカミが御使いとされている。


 三峰神社が今も有名であるのは、江戸時代の御師による布教や参拝旅行の普及が下地にあるものの、オオカミを神の使いとするその信仰の独自性からだとも云えよう。


 今回、私は確かめたいことがあってこの三峰神社までやってきた。


 馬頭観音が私の関心の主筋だが、その馬頭観音、馬の安全を守る仏様である。それにはオオカミの捕食から馬を守ることも含まれていた。ならば馬を飼育する牧の風習があった土地では、三峰信仰を現わす神社や講はどうなっているのだろう。馬頭観音とは相いれないのではないか。


 馬頭観音から派生したついでの疑問だったのだが、もう一つのオオカミ信仰で著名な神社である武蔵御岳神社の御札を見て、私の興味は別の方面から強くなった。


 御岳神社は大口真神としてのオオカミの像を札に記しているのだが、そのオオカミの像は動物園で見るいわゆるオオカミとは異なっている。その顕著たる特徴は垂れた耳、いわゆるタレ耳をもつことである。

 ゴールデンレトリバーやラブラドルレトリバーの、あのタレ耳である。


 武蔵御岳神社の由緒は、三峰神社と同じく日本武尊が東征の折に道案内をしたのがオオカミであったと云う伝説である。一方で、オオカミ(山犬)という表記もある。


 山犬ならばタレ耳でも納得できる。

 しかしオオカミと山犬は混同されるものなのだろうか?

 そんな疑問を覚えた私は、三峰神社が祀るオオカミにも同様の関心を持った。


 三峰神社のオオカミに、タレ耳はあるのだろうか?


 ネット上ではオオカミの神性を訴える書き込みばかりが目立って、オオカミの耳の形状に関する情報を得ることができなかった。


 そこで興味関心の赴くまま、真冬の厳冬期、私は仕事の合間を縫って三峰神社へと登ったのである。


 それにしても、雪である。


「先ほど無線で午後のバスが運休となることが決まりました。このバスは1時間半後に駅へ向かう下りのバスになります。その時間に間に合うよう、お戻りください」

 バスを降りる時、まるでツアーバスのような運転手のアナウンスを聞いたのだが、それも納得で、バスのステップを降りると私は踝まで雪に埋まった。


 気温は氷点下近い。低い気温に雪は溶けることなく、さらさらと降れば降るだけ積もっていく。


 同じバスに乗っていた他の乗客と三々五々に雪道の参道を登っていくが、既に御祈祷の予約をしているのだろう数名は、慣れた足取りですたすたと先に行く。だが石好きは、素直にまっすぐ進むことなどできやしない。


 鳥居をくぐったその後も、各地の三峰講が建てた石碑や山ノ神の石碑などをいちいち確認していると、とうとう私の周りには誰もいなくなった。


 辺りは一面の雪景色である。参道両側の杉並木にも降り積もり、枝が下を向き始めている。


 参道が直角に折れたその先に、朱塗りも鮮やかな山門様の建物が見えた。三峰神社はもとは神宮寺である。他の神宮寺では破壊された仏教施設が、ここには残っていた。


 そしてその山門の前に、目指すオオカミの像が狛犬代わりに鎮座していた。

 向かって左側はいわゆるオオカミの姿かたち、すなわち三角に立派に立った立ち耳である。だが向かって右側のオオカミは、タレ耳だった。


 雪が深々と降り積もっていく。

 タレ耳オオカミの頭の上は雪が積もりやすくなっていて、白い帽子を被ったようで愛嬌がある。


 さてここで、地球上に現存するオオカミは皆、立ち耳であることを確認しておこう。野生のイヌ科の動物にタレ耳はいない。タレ耳は人間が犬を品種改良した結果の形質である。特に狩猟に適した形質として、タレ耳の犬種が作出されてきた歴史がある。


 タレ耳は飼い犬であることの証拠なのだ。

 だが、ニホンオオカミに飼い犬の血が混じっていたというのは在り得るのだろうか?


 そもそもがタイリクオオカミを祖先に持つイヌは、生物学的にはほとんど同じ種である。すなわち、交配して、稔性を持つ子を成すことが可能である。


 マタギの風習に、発情した雌の犬を屋外に繋いでおいて野生のオオカミと交配させて雑種の子犬を得るというものがある。オオカミの体力と犬の従順さがうまく混ざれば良い猟犬になるのだという。


 イヌは大陸で発祥し、弥生時代には日本に渡来していた。

 同じく大陸から伝来した稲作の伝播と共に、人は野山を切り開き、田を拓き、馬を飼って生活の場を広げていった。イヌはその間もずっと人の側にいた。


 オオカミの縄張りと人の生活圏が衝突する時、オオカミと人との間の緊張は信仰へと変わったが、動物の間ではもう少し単純な問題だったのではないだろうか。


 人と山に入ってはぐれた犬がオオカミの群れに混じったり、人里に近づいたオオカミが放し飼いの犬と接触するのは、珍しいことではなかっただろう。


 かくして古代の昔からオオカミと犬は混じり合い、人もオオカミと野生の犬である山犬の区別を厳密にはしていなかったと思われる。


 三峰神社を守る狛犬代わりのオオカミの像は、その半数近くがタレ耳だった。


 信仰の対象だから雑種であるはずがない、という思い込みが、絶滅したニホンオオカミに過剰な神性を付与したのではないだろうか。


 明治以降のニホンオオカミの記憶は、この動物を絶滅させてしまった人間の一方的な言い訳で作り上げられたものだったとも言えるだろう。


 だが、そんな雑種の生き物を我々の祖先は信仰してきたのだし、そんな生き物をつくり出したのは我々人間である。

 

 この日本という土地で、人が自然と向き合ってきた歴史そのものがタレ耳オオカミとして伝えられていると、そう考えることもできるだろう。ニホンオオカミの歴史の記憶は、この国の成り立ちを現わす代表的な例の一つなのである。


 最近、DNAを用いた系統解析により、国内に残るニホンオオカミの標本のほとんどが犬との雑種であったことが判明した。ニホンオオカミは明治の終わるころには狩猟によって絶滅したとあるが、山の際で人の生活と接した時から、既に種としての消滅は始まっていたのだろう。


 三峰神社の境内に雪は深々と降り積もり、タレ耳と立ち耳の二頭のオオカミの体は、まるで分厚い冬毛のように真白な雪に覆われつつある。


 石に刻まれているのは文字だけでなく、この国の成り立ちの記憶でもある。

 真白に積もった雪を除いて刻まれた歴史を読み解くことは、関心尽きせぬ私の趣味なのである。



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オオカミの記憶 葛西 秋 @gonnozui0123

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