こころのウラのウラを聞かせて

平 遊

〜それでイイワケないよね?〜

 バンッ!


 後ろからいきなりランドセルを強く押されて、春野はるのうららは前につんのめった。

 隣を歩いていた夏木なつき美奈みながとっさに手を差し伸べてくれなければ、間違いなく転んでいたに違いない。


「なにすんのよっ、バカザルっ!」


 泣き出しそうな麗の代わりに、走り去る男子の背中に向かって美奈が怒鳴る。

 バカザルと呼ばれた猿渡さるわたりしゅんは、一瞬だけ振り返って麗を見たものの、そのまま学校に向かって走って行ってしまった。



「なんなのよ、あいつっ!麗、大丈夫?」

「うん…ありがと、美奈ちゃん」


 大きな目を潤ませながらも、麗はなんとか泣くことだけは堪えることができた。

 俊が麗に嫌がらせのようなちょっかいを出すようになったのは、ここ最近のこと。それまではごく普通のクラスメイトだった。

 もっとも、麗にとっては、俊はただのクラスメイト以上の存在ではあったのだけれど。


「…許せない」


 麗の目から涙が零れることは無かったが、麗が必死に涙を堪えていることには、美奈はとっくに気づいていた。


「あたしがあいつ、シメてやるっ!」

「美奈ちゃん、いいから、もう…」


 美奈も麗とは同じクラス。

 けれども、2月生まれの麗から見れば、4月生まれの美奈は何歳も年上のお姉さんのようにしっかりしている。

 背だって、小さい麗には羨ましいくらいスラリと高い。

 もともとが面倒見の良い性格なのだろう。

 美奈は、いつもどこか自信無さげで引っ込み思案の麗が心配なようで、何くれとなく世話を焼いているのだった。


「ダメよ、麗。これは、れっきとした嫌がらせ、イジメなの。麗があのバカザルになにかしたってんなら話は変わるけど、あんたはただ、あのバカザルが好」

「もうっ!美奈ちゃんっ!」

「あっ…ごめんごめん」


 麗の必死の制止にてへっとばかりに舌を出して笑ったものの、美奈はすぐに真顔に戻って言った。


「いい?今日こそハッキリさせるわよ。あのバカザルが麗にしつこく絡んでくる理由。ことと次第によっちゃ、きっちりシメるから」

「美奈ちゃん…」

「大丈夫!あたしが絶対に吐かせてやるから!でも、麗もあたしの側でちゃんと聞いてるのよ?」

「…うん…」


 美奈の勢いに圧されるように、麗は小さく頷いた。



「ねぇ、詠太えいた!バカザル知らない?!」


 放課後。

 気づけば姿を消していた俊の行方を、美奈はクラス委員の犬飼いぬかい詠太えいたに訪ねた。

 美奈の言葉に、詠太は苦笑いを浮かべる。


「美奈ちゃん、その呼び方はどうかと思うよ?」

「そっ、そうかなっ?!じゃああの、猿渡どこ行ったか知らない?」


 少しばかり頬を染めて、美奈は言葉を直す。

 その姿に、麗はクスクスと笑いを漏らした。

 麗は知っているのだ。美奈が詠太のことが大好きだということを。


「あの暴れザルなら先生に呼び出されて、今頃職員室じゃないかな?」

「…あんたのその呼び方もどうかと思うけど?」

「ふふっ、そうかな?」


 涼し気な顔でシレッと笑い、詠太はランドセルを背負って教室から出て行きかけ、ひょこっと顔だけ出して言った。


「戻ってきたみたいだよ、暴れザル」

「誰が暴れザルだっ!夏木の忠犬めっ!」


 廊下の向こうから、俊の怒鳴り声が聞こえる。


「じゃ、僕は帰るね」

「詠太まだ病み上がりなんだから、誘われても遊びに行っちゃダメだよ!」

「うん。ありがとう、美奈ちゃん。麗ちゃんも、またね」


 バイバイ、と小さく手を振ると、詠太は今度こそ教室から出て行った。

 入れ違いのようにして、俊が教室へと入ってくる。


「なんだよ、お前らまだいたのかよ?」

「あんたを待ってたのよ、バカザル」

「は?なんで…いっ!いてっ!いてぇって!離せ暴力女っ!」


 俊の腕を軽く捻りあげ、美奈は後ろの麗を振り返る。


「さ、行くよ、麗」

「う、うん」


 離せ離せと暴れる俊を引きずって歩く美奈の後ろから、麗は俯き体を小さくして付いて行った。



「なにすんだよっ!」

「それはこっちのセリフ。なんで麗に酷いことばっかりすんのよ!」

「かっ…かんけーねーだろ、お前に」

「それが大アリでねぇ」


 人のあまり通らない体育館倉庫の裏。

 背の高い美奈は、今にも俊につかみかからんばかりの勢いだ。


「これまでうるさい子猿がウロウロしてるだけだって見逃してやってたけど、泣かせるような事されたんじゃ、話は別」

「は?」

「今日、あんたは、麗を泣かせたのっ!」

「えっ?」

「美奈ちゃん、私泣いてなんか」

「麗、あたしが気づいてないとでも思った?そのおっきい目イッパイに涙溜めてたくせに」


 美奈の言葉に、麗は何も言い返すことができなかった。

 ぎゅっと手を握りしめ、そのままま俯く。


「で?訳を聞かせてもらおうじゃないの。どんな言い訳すんだか知らないけど」

「う…うっせーなっ!こいつがトロいからぶつかっただけだろ!」

「あら、麗はあたしと一緒に歩いてたんだけど?なんであたしにはぶつからない訳?こんなチッコイ麗より、デカイあたしの方が邪魔でしょうよ」

「うっ…」

「じゃあ、この前麗のノートに落書きしたのは何でよ?」

「あっあれは…オレのノートと間違って」

「あんたどんだけ目悪いのよ?麗のノートはメッチャ女の子仕様で可愛いのよ?あんた、いつからイチゴ柄のノートなんて使ってたのよ。キモっ!」

「ぐっ…」

「じゃあ、給食当番の時わざと麗の嫌いなセロリばっかりたくさん入れたのはなんでよ?」

「…しっ、知るかっ!たまたまだろっ!」

「あたし、セロリ大好きだから、ずっと見てたのよね。あんたがセロリばっかり固めてるとこ。そんで、それそのまんま麗の器に入れてたわよねぇ?」

「…」


 俊の声が聞こえないことを不思議に思い、麗はそっと顔を上げて俊を見た。

 すると。

 言い負かされたのが悔しいのか、俊は顔を真っ赤にして唇を噛み締め…

 何故か、麗を睨みつけていた。

 怖くなって一歩後退った麗の腕を、美奈が柔らかく捕まえる。


「ほら、このままじゃ、ほんとに麗に嫌われるよ?」

「…美奈ちゃん?」


 美奈の言っている意味が分からずに、麗は背の高い美奈の顔を見上げたが、美奈はまっすぐに俊を見つめている。


「あんたほんとに、これで?」




 美奈の言葉に噛み付くように美奈を睨みつけたあと、その視線を再び麗にぶつけながら、俊が小さく呟いた。


「あんな忠犬のどこがいいんだよ」

「…えっ?」


 あまりに俊の声が小さくて、美奈は聞き間違ったのかと思い聞き直したのだが、俊は否定の意味と受け取ったらしい。

 怒りを爆発させるようにして、叫んだ。


「麗は、オレが先に好きになったんだぞっ!」


 一瞬の間の後。


 美奈はお腹を抱えて爆笑し始めた。

 麗は何が何やら訳が分からず、ただオロオロと美奈と俊の間で途方に暮れるばかり。

 それでもその頬は、食べごろのイチゴのように真っ赤に色づいていた。



「ほら、この前詠太が風引いて休んだ時、あたしの代わりに麗にプリント届けに行ってもらったじゃない?」

「あ…うん」

「バカザルがおかしくなったのって、あの次の日からなのよね。こいつはもとからおかしいけど」

「誰がおかしいんだよっ!」

「あんたいっちょ前にジェラったんでしょー?」

「るせーっ!」


 3人での学校帰り。

 まだ言い合いを続けている美奈と俊の間に挟まれ、麗はモジモジと恥ずかしさを堪えきれずに俯いていた。

 何のことはない。

 美奈の言う通り、麗が詠太の家にプリントを届けに行ったところを、俊は偶然見かけてしまったのだ。詠太はわざわざプリントを届けてくれた麗を、玄関先まで見送ってくれたのだが、その様子が俊にはまるで恋人同士のように見えたらしい。


「だからあんたはバカザルだって言うのよ」

「なんだとっ!」

「そんな訳ないじゃない。詠太はあたしの彼氏なんだから」


 ケラケラと笑いながら、サラリと言った美奈の言葉に。


「「えっ?!」」

「なぁんだ、息ぴったりじゃない」


 ニヤッと笑うと、美奈はポンポンと俊と麗の肩を叩き、


「じゃ、あとは若いお二人で〜♪」


 と、走って先に行ってしまった。


「若いって、オレら同じクラスだっつーのっ!」


 走り去る美奈の背中に向かって叫ぶ俊に、麗は笑いながら言った。


「でも美奈ちゃん、4月生まれだから」

「お前、2月だもんな」

「俊ちゃんは、3月だよね」

「…なんで知ってんだよ」

「…そっ、それ、は…」

「なぁ、なんで?」

「えっと、それは、えっと…」


 とたんに口籠る麗の手を掴み、俊はその場に立ち止まる。

 美奈よりは小さいが、麗よりは少しだけ背が高い俊が、まっすぐに麗を見つめる。


「いいわけなんて、考えんなよ」

「えっ?」

「今までゴメン。でも、オレはちゃんと気持ち伝えたぞ。お前は?」

「わた、しの?」

「お前いつも夏木の後ろにいるし、声も背も小せぇし、よくわかんねぇんだよ。だから、気になって仕方ねぇんだ。オレ、知りたいんだよ、お前がほんとは何考えてんのか。お前のこころのウラのウラまで」


 真剣な俊の眼差しが、麗の心の中にまで差し込んでくるようで。

 麗は堪らずに目をギュッと閉じ、自分の心に問いかける。


 教えて、私。

 私のこころのウラのウラには、なにがあるの?


 と。


 やがて目を開けた麗は、小さく笑って俊にこう答えた。


「ウラのウラは表だよ、俊ちゃん」

「…今それツッコむとこじゃ」

「私も俊ちゃんが、好き」

「へっ…マジでっ?!」


 どんなにいいわけを考えても、たどり着く答えはひとつだけ。

 ならばそれが、麗のこころのウラのウラ。


「ちぇっ、なんだよ。まぎらわしいことしやがって」

「まぎらわしいこと?」


 麗の手を離し、照れくさそうに両手を頭の後ろで組みながら、俊はさっさと歩き出す。


「あの忠犬に、照れくさそうな顔見せたりして、さ」


 その時のことを思い出しながら、麗も俊を追いかけるようにして歩き出す。


『麗ちゃんが御見舞いに来てくれたなんて聞いたら、あの暴れザル、ますます暴れちゃいそうだね』


 別れ際、麗を見送りながら詠太はそう言ったのだ。きっと詠太は気づいていたのだろう。俊の気持ちにも、麗の気持ちにも。


「だって、あの時は…」


 いいかけて、麗は口をつぐみ、キュッと俊のパーカーの裾を掴む。


「なんだよ…伸びちゃうだろ」


 そう言いながら、俊がパーカーを掴んでいた麗の手をそっと握る。


 いいわけは、本当の心を隠す覆いだ。


「手、繋ぎたかったから」

「…まぁ、オレもだけど、な」


 もう、俊にはいいわけなんて必要ない、と。

 麗は繋がれた俊の手を、小さく握り返した。


【終】

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