対話

鬼無里 涼

第1話 ショーン

「おや、君が目の前に現れるなんて、珍しいな。いつもは問答無用でオレの中に入ってくるのに」


 雲ひとつない青空に誘われ、ふらりと散歩に出かけた昼下がり。春のはじめのまだ圧倒的に枯れ草の多い土手を歩いていると、突然オレの目の前に彼は現れた。

 オレより少し背が高い。濃紺のマントで身を包み、銀の長い髪を後ろで緩くまとめた、静かな佇まいの青年。彼の名はショーン。オレの書く小説『風が伝えた愛の歌』の主人公だ。整った顔立ちの彼はいつもの通り無表情だが、その身にまとう空気は作中よりも柔らかく感じた。


「俺もたまには涼と対面でゆっくり話してみたくなったんだ。その……どうやら俺のことでいろいろと悩ませているようだしな」


 オレは驚いた。彼の口からそんな言葉が出てくるとは。

 ショーンは少年時代、女神の腕輪を得る。世界を救うなんてとんでもなく大きなものを背負わされ、ほぼ同時に腕輪を狙う者に故郷を焼かれて帰る場所を失った。それからずっと、そいつに狙われ続けているのを感じながら、人との関わりを極力避けて旅を続けてきた男だ。

 そしてその運命を彼に背負わせたのは、この物語を生み出したオレなんだ。作中でも、かなり大変な目に遭わせ続けている。正直、彼には恨まれていても不思議ではないと思っていた。まさか気遣ってくれようとは……。お前さん、どんだけいいヤツなんだ(涙)。


「いや、それよりショーン、もう傷は良くなったのか? ずっと痛みを我慢してただろ」

「確かめるか?」

「ちょっ、待っ……」


 制止は間に合わなかった。ショーンの手がオレの胸に触れる。そのまま倒れ込むように、彼はオレの中に入ってきた。

 熱を感じる。この感じ、三十七度台後半といったところか。ほんの少しの頭痛と倦怠感も。

 身体を動かしてみると、ときどきピリッと痛みが走る。けれどいつもより、痛みも動きもずっと軽い。

 以前はショーンに入ってこられたとたんに、何かにもたれないと立っていられないような激痛が全身を駆け巡っていた。それに比べれば雲泥の差だが……この熱はちょっと心配だ。オレは平熱が高めだからなのか、この程度の熱では気づかず普段通りに動けてしまうのだが、周りの人々に聞くと多くの人が三十七度を少し超えただけでも動くのも億劫なようだしな。


「よかった。だいぶ良くなったな。でも熱があるぞ。頭痛も。大丈夫か?」

「熱に頭痛……気づかなかった。ありがとう、大丈夫だ。言葉にするより、こうして体感したほうが確実に伝わるだろう。少しは安心してもらえたか?」

「熱と頭痛は心配だが、怪我の具合は安心できた。ショーン、ありがとうな」


 ショーンの微笑む気配が伝わってくる。オレはゆっくりと目を閉じた。ふっと熱っぽさが抜けて、身体の感覚がいつもの自分に戻る。

 こうやって、オレの中に入ってきては常に五感や感情も含めてすべてを共有してくれる登場人物はショーンだけだ。他の面々は、必要なときにオレの中に入ってきて、必要な情報だけを伝えてくれる。ショーンは自作小説の登場人物の中でも、オレ自身とすっぱり切り離すことができない特別な存在なんだ。


 そういや、彼も熱や痛みに強いタイプだったな。しかもオレの上をいく強さ……。

 もしかしたら、強いというより耐えすぎて鈍感になっているだけなのかもしれない。それはそれで大問題なのだが。


 再び目の前に現れたショーン。よく見ると確かに、いつもより少し顔が赤い気がする。オレは彼の額に手を当てた。やはり熱い。そしてわずかに汗ばんでいる。


「熱があるのに立ち話も何だ。そのあたりに座って、草もちでも食いながら手短に話そう」


 散歩に出かける前に、春の気配に誘われて作ってきた草もち。こいつをナップザックに入れてきて正解だったな。

 日当たりのいい土手の斜面で、オレたちは腰を下ろした。新芽の緑が枯れ草の間からいくつも見えている。芥子菜はだいぶ大きく育って、もう花芽をつけているものまであるな。

 オレはナップザックから草もちと水筒を取り出し、蓋のカップに冷えた麦茶を注ぐ。


「とりあえず、先に一杯飲んでくれ。熱があるときは水分を多めにとったほうがいい」


 オレの差し出した麦茶を素直に受け取り、ショーンは一気にそれを飲み干した。


「煎った麦の香り? ……これは美味いな。ありがとう」


 言いながら彼が差し出してきたカップをオレは受け取り、いったん水筒の上にかぶせる。


「それからこれも。よもぎと上新粉……米の粉で作った『草もち』というものだ。でもって、こいつは『きな粉』。煎った大豆をすりつぶした粉に、砂糖と塩を少し混ぜたものだな。こいつをかけてっと」


 タッパーウエアに入れてきた深緑の草もち。一口大のそれらがきな粉の色に染まっていくのを、ショーンが興味津々で見ている。心なしか、瞳がいつもよりキラキラと輝いているように見えた。ショーンはこういうの、いろんな意味で好きそうだもんな。やはり持ってきてよかった。


「オレが作ったんだ。食べてみてくれ。うまいぞ」


 鹿革の手袋を外し、ショーンはオレの手の上のタッパーから素手で草もちをひとつつまみ上げた。じっくりと観察している。


「あ、きな粉でせないように気をつけて食べるんだぞ。口に入れるとき、思いっきり吸い込むなよ~」


 そう言いながら、オレも草もちをひとつつまんで口に運んだ。

 ああ、待ち望んだ味。爽やかな春の香りだ。もちもちとした食感。ほんのりの苦味を、きな粉がまろやかに包み込んでくれる。

 ショーンもようやく草もちを口に運んだ。きな粉のかかっていない部分を少しかじる。しばらくそれを楽しんだあと、きな粉のかかっている残りを一気に口に入れた。咽せることもなく、じっくりと味わっている様子の彼を見て、オレも安心する。表情を見ると、どうやら気に入ってくれたようだ。


「これは……好みだ。米と蓬、合うものだな。それから、きな粉……香ばしさが後を引く。もうひとつ、もらってもいいか?」

「もちろん。気に入ったなら、それ全部食べてもいいぞ。なんなら、メラニー達にも土産に――」

「気持ちは嬉しいが、こちらの世界のものは向こうに持ち帰れない。幸い、俺のいる世界のものでも作れそうだ。作り方だけ教えてくれるか」


 珍しい。ショーンがこういう頼り方をしてくれるとは。嬉しいもんだ。


「そうだったな。すまない、持っていけないのを忘れてた。君らの世界なら、東国で主に食べられている粘りのある米がいい。それを両手一杯分くらい粉にして、熱湯を混ぜて耳たぶくらいの硬さに練る。そいつはあとで蒸すんだ。それから蓬を摘む。蓬は柔らかい部分……春なら茎も柔らかいから使えるな。初夏から先は葉だけのほうがいい。いつも君が使っている椀に山盛り二杯分くらい摘んで洗う。沸かした湯によく洗った蓬を放り込み、また沸騰したら小さめの匙に重曹か塩を一杯くらい掬って入れる。一分くらい茹でたら取り出して……って、ここまで言っといて何だが、作れるように話を仕向けて、実際作るときオレが君に指示すりゃいいんだな。今全部言っても、作るときにお互い疑問点も出てくるだろうし」

「ああ、そうしてもらえると助かる。涼が今説明してくれたところはだいたい理解したが、覚えきれている自信はないからな」

「わかった。ではそのとき改めてってことで」


 熱く語りそうになった自分を反省しつつ、オレは深呼吸した。そろそろ本題に入らねば。でもその前に、もう少しだけ彼に穏やかな時間を過ごしてもらいたい。これがショーンにとって束の間の休息であることを、お互いにわかっているから。


 空になったカップに麦茶を注ぎ、再び彼に勧める。ショーンはやはり素直に受け取り、今度はじっくりと味と香りを楽しんでいるようだ。こりゃ、かなり気に入っているな。

 麦茶の製法も調べておくか。幸い、あちらの世界にも大麦や小麦、鳩麦などの麦類はある。煮出すところからはオレもやっているが、大元の麦の加工はやったことがないからな。


「それで、涼。俺に何を聞きたい?」


 ショーンは麦茶を飲み干して、カップを返すと同時に聞いてきた。

 相変わらず、唐突だな。もう少しだけ、平和なひなたぼっこを二人で楽しみたかったのだけれど。

 ショーンから受け取ったカップに麦茶を注ぎ、今度はオレが一気に飲み干す。


「ショーン……恨んではいないのか?」

「恨む? 誰を?」


 心底不思議そうな表情で、ショーンはオレの顔を見る。オレは思わず目をそらした。


「あー……オレのこと。ショーンを散々な目に遭わせている元凶」

「……考えたこともなかった。涼は神々とは違うが、俺たちの住む世界や生き物たちを見守り、文章というもので形にしてくれた存在だ。俺のことも、いつもあたたかい目で受け入れてくれるしな。なんというか……俺と一緒になって苦しんだり喜んだりしてくれる涼を、他人だとは思えないんだ。むしろ俺が涼に入り込むことで、要らぬ痛みや悩みを抱かせてしまっているんじゃないかと心配している」


 オレは驚いた。ちょっと待て。まさかオレは自分を肯定するために、ショーンにこんな言葉を言わせているんじゃ……。


「疑っているのか?」

「いや、ショーンがそう思ってくれているのが、オレにはあまりにも意外で……」


 言い終わってから、オレはショーンを見た。ショーンは目を閉じひとつ息を吐くと、ふわりと微笑む。そしていきなり、オレを抱きしめた。


「ふぁっ?!」


 力強い腕が、割と手加減なしにオレの身体をギリギリと締めつける。熱い。痛い。


「安心しろ。俺は本心を言ったつもりだ。恨むことなど、ない。それに、お互い他人だと思えない関係かもしれないが、涼と俺とはいちおう別の人格だ」


 低く深い、心地よい響きの声が耳元で囁く。その瞬間、オレは自分が真っ赤になっているのを感じていた。

 いや、赤面してる場合じゃねーだろ! せっかくの機会なんだ。聞くことしっかり聞かねーと。しっかりしろ、オレ!


「……この先、もしかしたらショーンをもっと酷い目に遭わせるかもしれない。少なくとも、心身共にまた散々傷を負わせ、見つからない答えを探させることになるかもしれない。それでも……キミは旅を続ける気はあるか?」

「当然だろう。俺は、答えを知りたい。このちっぽけな手で世界なんて大きなものを救う……それは正直、見当もつかないことだ。だいたい、世界が瀕している脅威すら、俺にはまだ見えてはいない」


ショーンの腕が緩む。


「今は、守りたいものたちがいる。彼らを守るために必要なことがこの旅なのであれば、俺は歩みを止める気はない。むしろ涼、涼はいいのか? また苦しい思いをするのはそちらも一緒だろう」

「まあな。キミは痛みもしっかり共有してくれるから、また意識をふっ飛ばすこともあるだろう。それは覚悟の上だ」


 実際、過去に二度ほど、書きながら数分だけだが彼と一緒に意識をふっ飛ばしたことがある。ありゃ強烈な痛みだったからな……。まあでも、オレのはショーンが実際に感じている痛みよりはずっと軽いはずだし。


「ならば、迷う必要はない。どんな運命が待ち受けていようとも、俺は、進みたい。ともに、歩んでくれるか」


 ショーンは迷いのない目でオレの目をまっすぐに見る。オレも応えないわけにはいかない。


「おう、当然だ。とことん付き合うぞ」


 オレはニッと笑って答えた。ショーンがふわりと微笑む。

 待ってくれ。オレはこの表情に弱い。このとんでもなく強くて優しい男の、慈愛に満ちた美しい微笑みに。


「ありがとう」



 その言葉を残して、彼は去った。現れたときと同じように、いきなり。相変わらず、唐突だな。

 まあしかし何だ。ヤツがときどき読者さまから「天然たらし」と呼ばれるの、なんとなくわかった気がする。


 さてと、どうやってヤツに草もちを作らせようか。このミッションはなかなかに難儀だぞ。

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対話 鬼無里 涼 @ryo_kinasa

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