蠅ィ鬟溘>陌、ひたすら惰眠を貪る日

三浦常春

蠅ィ鬟溘>陌、ひたすら惰眠を貪る日

 白い光にせっつかれて、新しい一日が始まる。


 布団の下から一本の手を出して、蠅ィ鬟溘>陌はカーテンを開けた。


 『朝』と『夜』という概念は、蠅ィ鬟溘>陌の故郷にも存在する。おとめ座銀河団内ラニアケア超銀河団天の川銀河オリオン腕太陽系第三惑星――もとい『地球』特有の文化ではないし、特別なものでもない。しかし頻繁に明暗が入れ替わる点は、やはり『特有』と言えるだろう。


 布団越しに差し込む白い光は、微睡む意識をじりじりと炙る。


 長らく地球で暮らしているが、たった十時間程度の睡眠で覚醒するなんて無理にもほどがある。


 だから、もう少しだけ。


 今日の予定は未定だ。本屋は開けなければいけないけれど、きっとお客さんは来ないだろうし、書物の修復依頼もない。どれだけ怠惰を貪ろうとも、怒るヒトは誰もいない。


 触手の先をもぞもぞと動かして、凝り固まった筋肉をほぐしていく。足先がじんと痺れるのは、血流がよくなったからだろうか。


 万全を期すためにも身体をほぐす時間がほしい。


 だから、もう少しだけ。


 そろりそろりと布団を押して太陽を取り込む。目蓋を照らす光が強まる。目を開けようにもかえって嫌になってしまうのは、眩し過ぎるがゆえの弊害であろう。


 もう少し日光を控え目にしてくれてもいいのに。なぜ地球という環境は、こうも生き物に厳しいのだろうか。せっかく『月』という衛星があるのに。せっかく『雲』という自然現象が発生するのに。


 この世にカミサマがいるならば、もっと優しい環境に作ることもできただろう。たとえば『朝』の時間を長くして光の増加を緩やかに、かつ最大光量を控え目にするとか。


 我ながら妙案である。自分の意思と反してカーテンを閉めようとする触腕を押さえ込んだ。


 世の中には『遮光カーテン』なる商品も存在していると聞く。布地を通過する光を遮って、室内の暗さを保ってくれるのだとか。それを購入することも一時期は考えたが、万が一にも『朝』を見逃してしまったら困る。


 故郷では『夜が明けるまで』なんて制限なく、自分の身体が欲するままに長い時間を睡眠に費やしていた。当時に逆戻りをしようものなら、せっかく綺麗に管理している本たちがどうなるか分かったものではない。


 そう、全ては本のため。


 触腕を一つ、床につける。


 自らコーティングを施した床。そろそろコーティング剤が剥がれてくる頃合いかしら。


 ……また、やることを見つけてしまった。


 触手は自然と布団の中に戻ってくる。


 本屋の掃除に書物の修復、日本語の練習、コーヒー豆の買い出し……。常日頃から積極的に活動しているのだから、一日くらい休んでもいいんじゃないかしら。


 何もせず、何も食べず、ただひたすらに惰眠を貪る。身体が欲しているのだ、好きなだけ与えたって毒にはならない。


「…………」


 蠅ィ鬟溘>陌は静かにカーテンを閉めた。


 こんな日があったっていいじゃない。

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