第19話 心中したいくらいの愛

 駅のホームを吹き抜ける風を浴びながら、私たちは電車が来るのを待った。


 電車がやってきて扉が開くと、涼しい風が流れ出してきた。人がたくさんで、座る場所がないから仕方なくつり革を掴んでいると、やっぱりみんな男女問わず凛音に視線をむけてくる。


 私は勇気を出して、凛音の肩を抱いた。私のだって主張したくて、顔を熱くしながら。すると凛音は私の腰に手を回してくれた。まるで自分のだって主張するみたいに。


 私が微笑むと凛音も微笑み返してくれる。そのことが、本当に嬉しいのだ。


 やがて私たちは電車を降りる。人でごった返す駅のホームの階段を下って、駅の外に出る。日差しがまぶしかった。私たちは車通りの多い道路の歩道を歩いて、水族館に向かう。


 私たちの向かう水族館はかなり大規模で、今日みたいな休日ともなれば多くの人がやって来るみたいだ。でも中は薄暗いから誰よりも可愛い凛音でもそんなには目立たないと思う。


 青空の向こうにみえる灰色の雲をみつめていると、凛音がつぶやく。


「そういえば、夕方から雨が降るみたいですね」


「だったら早めに帰らないとだね」


「大丈夫ですよ。折り畳み傘をもってきているので。一本だけですけど」


「そっか。それなら帰りは相合傘なんだ」


「今から楽しみです。それで、帰ったら夜はまたえっちするんですよね」


 微笑みながら、凛音は私に肩を寄せてくる。私は顔を熱くしながら、夜になったあとのことを考える。昨日の凛音は凄かった。きっと今日も体力がなくなるまでいじめられてしまうのだろう。


「そのさ、凛音って、えっちだよね? 昨日したばかりなのに、今日もしたがるし」


「ひ、否定はしません……。でも美海さんだって結構えっちだと思いますよ?」


「でも私、全然わかってないよ? どうやったら凛音を気持ちよくできるのかとか……。だから、その、教えてね? 料理だけじゃなくて、そういうことも」


「が、頑張ります」


 凛音は顔を真っ赤にしながら、足と同じ方の腕を振って歩いてしまう。すっかり恥ずかしくなってしまった私たちは、無言のまま水族館にたどり着く。


 でも気まずいというわけではなくて、心地のいいもどかしさだった。相手のことばかり考えているからこその沈黙は、甘くて蕩けてしまいそうだった。


 エントランスに入ると、岩礁を模したごつごつした壁や、南国っぽい雰囲気のサンゴ礁の模型。天井付近に斜めに取り付けられたテレビには深海の映像が流れていた。マリンスノーがふわふわしている。


 私は凛音に連れられて、入場口を進んだ。少し進むと照明が減って、あたりは暗くなってくる。壁に埋め込まれた水槽の中には、派手な色合いの熱帯魚が泳いでいた。


 魚は気楽でいいな、って思う。不幸とか感じないのだろうし。


 でも、大切な人の手から伝わってくる温もりを、きっと魚は感じ取れない。不幸を感じ取れるからこそ、幸せは存在しているのだから。きっと私が今、凛音と一緒にいることに幸せを感じ取れるのは、これまでの不幸があったおかげなのだ。


 でもだとするのなら、不幸が存在するのは、幸せが存在するからってことになって。


 なんだか頭が痛い。


「綺麗ですね。美海さん」


「そうだね」


「でも美海さんの方がもっと綺麗ですよ」


 凛音は薄闇の中でもまぶしいキラキラした笑顔でつげた。


 本当にそんなことをよく恥ずかしげもなく言えるものだ。私は凛音とは違って、そこまで綺麗ではないのに。


 顔を熱くしながらうつむいていると、凛音が頬にキスをしてきた。


「もしも不安なことがあるのなら、教えてください。デート中だからとか気にしなくていいですからね?」


「……私、本当に水族館に来てよかったのかな。やっぱり本当は実家に足を運ぶべきだったんじゃないかって思うんだ」


「でも怖いんですよね?」


「……うん」


 私たちは熱帯魚のコーナーを出て、寒冷地の魚が泳ぐコーナーに向かう。水槽の中には地味な魚がゆっくり泳いでいた。


「これまでは両親に褒めてもらうこと。それが私の生きる理由だったから。もしもそれを完全に失えば、私は凛音だけを頼りに生きていくことになる。でも……」


 こんなのは依存でしかない。きっと凛音にはたくさん負担をかけてしまうはずだ。物理的にだけでなく精神的にもたくさん拘束するだろうし、迷惑だってたくさんかける。


 だから怖いのだ。いつか心が離れてしまうのではないか、と。


「……私を信じられませんか?」


「ごめんね。でも大好きだよ。本当に大好きなんだ。大好きだから、怖いんだよ」

 

 大きな魚がゆっくりと水槽の中を泳いでいる。私はどうしようもない気持ちでそれをみつめていた。すると凛音は真剣な声で言い切った。


「私は、美海さんのためなら死ねますよ」


 私は思わず、凛音の方をみつめる。


「……死なないで。私なんかのために」


「もしも死後の世界が存在するって証明されていたのなら、私は美海さんと一緒に心中でもなんでもしてたと思います。私の愛を証明できるのなら、どんな手段だって使ってました。……でも現実はそうじゃないから、こうして言葉で伝えることしかできないんです。私、美海さんと離れ離れになんてなりたくないですから」


 凛音には大切な家族がいる。友達もいる。自分が死ぬことで誰かを悲しませないためだけに、凛音は生きてきたのだ。私に出会うまでは願望もなかったのだと話していた。ただ、人のために生きる。それだけが願いだったのだと。


「悲しむ人、たくさんいるでしょ……? 私一人のためにそんなことするのは間違ってる。せっかくお父さんやお母さんが愛してくれてるのに、そんなこと言ったらだめだよ」


 私には愛してくれる両親なんて、いない。だから凛音には両親を大切にしてほしい。


 そのことに気付いたのか、凛音は申し訳なさそうにしていた。


「……ごめんなさい。でも私にとって美海さんはそれだけ大切な人なんですよ。私は誰とも恋愛なんてできないと思ってました。自分のための願いももてず、生きるという最低限の願いすら果たせず、生贄病でただ死んでいくだけなんだって。でもそんなときに現れてくれたのが美海さんなんです。美海さんのおかげで、私はようやく自分の人生を送れるようになったんです」


 私と凛音は暗い水族館を二人で一緒に歩いていく。

 

 凛音の言葉は力強かった。でも果たして、その言葉は未来を証明してくれるだろうか? そんなことを考えてしまって、私は首を横に振る。凛音だって未来のことは分からない。それでも私は凛音を信じていたいって思う。それだけでいいはずだ。


「ありがとう。凛音。変なこと話して、ごめんね」


「変なことじゃないですよ」


 凛音は優しい表情で、私の頭を撫でてくれた。


 きっと私が話し過ぎてしまうのは、これまでずっと一人でいたせいなのだと思う。たまりにたまった苦しみや不安が、溢れ出してしまうのだ。


 凛音と一緒にいれば、いつか消えてくれる日がやってくるのかな。私は遠い未来のことを思う。凛音と一緒に笑い合いながら水族館の中を進んだ。

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