第18話 ペアリング
恋人つなぎで家を出た私たちは、緑の葉を茂らせた桜並木を下って駅へと向かっていた。車の免許はあるけれど車はない。近々お金が貯まったら車買おうかな。凛音とドライブデートとかしたいし。
「美海さんの実家って県外なんですね」
「私の学力で行けるできるだけいい大学を目指したら、そうなったんだ。そういえば、生贄病の人ってパートナーがみつかった後、学校とかどうするの?」
「普通に同伴で通うみたいですよ? でも大抵は適合者の方に譲歩して、学校を辞めてしまうようですけど」
「凛音はやめなくていいよ」
「本当ですか? 美海さんとの学校生活、とても楽しみです! 学校でもいちゃいちゃしましょうね?」
私たちは微笑み合いながら、駅に向かった。
駅の周辺には夏休みの学生だけでなく大人もたくさんいる。休日だからだろう。
凛音は私の願いを聞いてくれたみたいで、露出度が低いうえに体のシルエットも隠してくれるオーバーサイズのTシャツとロングスカートを着ていた。でも行き交う人々はみんな凛音に目を奪われていた。
私はみんなが凛音に目を向けるのが嫌で嫌でしかたなかった。凛音は綺麗だけど、私の恋人なのだ。みないでほしい。なんて思ってしまう自分の独占欲の強さに呆れながら、私は凛音の隣を歩いていた。
でも凛音は凛音で妙な心配ばかりしている。
「……あの人、すれ違った後振り返ってまで美海さんのこと見てましたよ」
「そんなわけないでしょ。凛音のことみてたんだよ」
すると凛音はやれやれとため息をついた。
「美海さんはもっと自分が美人だってこと、自覚したほうがいいです」
「そうかな……?」
「……それにしても、みんな失礼すぎますよ。人の恋人のことじろじろ見て。やっぱり女同士だから、カップルだって思ってもらえないんでしょうか?」
「……だったらペアリングでも買いに行く?」
私がそうつげると凛音は突然、人ごみの中で立ち止まった。私は流石にやり過ぎだったかなと思って、少し後悔しながらつげる。
「もちろん嫌ならいいんだけど、私はちょっと気になるから。凛音がみられるたび、胸がぞわぞわするんだ。凛音は私のなのに、って」
でも凛音はにやにやしていた。とても嬉しそうに目を細めている。
「……美海さんって、本当に可愛いですね」
人ごみの中で、突然、私に顔を近づけてきたかと思うと、唇にキスをしてきた。行き交う人々の中、若い女性たちがきゃーと声をあげていた。顔がとても熱くなる。
そんな私とは対照的に、凛音は真っすぐな笑顔でぐいぐいと私の手を引っ張ってきた。
「行きましょう! 美海さん! 今すぐ買いに」
私が「分かった」と微笑むと、凛音は私を駅の中のアクセサリーショップに連れて行った。
「こんなところでいいの?」
安いと言っても二万円くらいは覚悟していたから、かえって不安になってくる。
「安いのでいいんですよ。一番大切なのは気持ちですから」
そう告げて凛音は三千円の指輪を手に取る。質素なデザインのシルバーの指輪だ。
「こんなのどうですか?」
私としては値段も大事だと思う。値段が高ければ高いほど凛音への思いが指輪に宿ってくれるような気がするし、私たちの関係も長続きするような気がするから。
でもお金がないから高いのなんて買えない。もしももうすこし熱心に働いて貯金してたら、こんなことにはならなかったのかな。私と凛音の関係を、三千円の指輪で彩りたくなんてないのに。
でもそんなこと口にしたら、なおさら面倒な女だって思われてしまいそうで怖い。
「……いいと思う」
私が答えると凛音は笑顔で指輪を二つ手にした。
「これは私が買ってきますね。お母さんからもらったお小遣いや、親戚からのお年玉なんかをためてたんです。私、美海さんに出会うまでは欲しいものとかもなかったんで、ずっと使うこともなくて」
私が制止する前に、凛音はレジに向かってしまった。
私はその後ろ姿を肩を落としながらみつめていた。凛音は信じているのだろう。私たちが幸せになれるって。だからお金の重みに頼らなくてもいいと思っているのだ。
でも私は不安で不安でしかたない。もう、私は凛音なしに生きていけそうにないのに、もしも何かのきっかけで心が離れてしまうようなことがあったら、どうすればいいのだろう?
会計を終えた凛音が戻ってきた。私の不安を察したのか、優しく頭を撫でてくれる。
「私もできれば高い指輪にしたかったんですけど、これから色々と入用になるじゃないですか。あの炊飯器はかなり古いものだし、冷蔵庫だってがたが来てます。壊れた時のためにお金が必要でしょう?」
「……そうだね」
わがままだってことは分かってる。でもやっぱり、怖い。楽しいデートにしないとなのに、どうして私、こんな事ばかり考えてるんだろう? どうして私はこんな性格なんだろう?
淀んだ心の泥に足が取られる。私は泥沼に沈んでいくような気分で、凛音の笑顔をみつめていた。凛音は指輪を片手に、私の右手ではなく左手を取った。
一般的に恋人とのペアリングは右手の薬指にはめる。なのにどうして左手? もしかして、薬指にはめるつもりなのだろうか? これが結婚指輪になっちゃうの?
そんなの、嫌だ。
うつむいていると、凛音は人差し指に指輪をはめた。
「えっ?」
「知ってますか。左手のペアリングは不安から守ってくれるんです。そして人差し指。ここにはめると言いたいことを言えるようになる。そういうジンクスがあるんですよ。私、美海さんにはもっと素直に色々なこと話してほしいです。嫌なこと、不安なこと、全部全部、教えて欲しいです」
凛音の優しさがあまりに温かくて、涙が流れてしまう。私は涙をぬぐいながら、凛音にささやいた。
「……でもそんなことしたら、私、面倒な女だって」
「そこが可愛いんじゃないですか。私は美海さんのことが好きです。好きな人に頼られるって、とっても嬉しいことなんですよ? 逆に頼られないのは寂しいです。だからどんどん色々なこと話してください」
涙がぽろぽろこぼれてくる。私は凛音に出会うまで、ほとんど涙を流したことはなかったのに、最近はずっと泣いてばかりだ。本当に、凛音って優しすぎてずるい。
「……私、本当は怖かった。値段の安い指輪じゃ不安で、しかもこれが結婚指輪になっちゃうんだって思ってた。でも話したら面倒くさがられるんじゃないかって思って、話せなくてっ……」
「ふふっ。結婚指輪ですか」
優しい腕が私を抱きしめてくれる。
「結婚指輪は二人で一緒に働き始めてからにしましょう。生贄病への理解は薄いですから、配慮してくれる職場に二人一緒に雇用してもらうのは至難の業だと思います。だから私と一緒にお店を開けるように料理、頑張りましょうね?」
「……うん」
私は涙を拭って微笑む。そして凛音から指輪を受け取って、今度は私が凛音の左手の人差し指に指輪をはめた。それから私たちは恋人つなぎをして、また駅の喧騒の中を歩いていく。
凛音に出会う前、一人でいたときは、私にこれほどまでの感情の起伏が残っているなんて思ってもいなかった。さっきまでは涙を流していたのに、今はもう凛音と一緒の水族館が楽しみでたまらないのだ。
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