第2話 理不尽

 閑静な住宅街。夜闇の向こうで電柱の電灯が明滅しているのがみえる。時間帯のせいか、人ひとり見当たらない。もしも美人局でないというのなら、少女はどうしてこんな時間に一人で外にいたのだろう。


「藤堂 凛音りおんといいます。よろしくお願いします。お姉さんの名前も教えてもらえますか?」


「……私は神谷 美海みう


「よろしくお願いします! 美海さん」


「……よろしく」


 隣を歩く凛音という少女は、尋常でなく美しい。まるで人に愛されるためだけに生まれてきたかのような容姿をしている。それでいて、妙にスキンシップが激しいから、きっとこれまでもあまたの人々を勘違いさせてきたのだろう。


 今も私と腕を組んで、体を密着させてきている。


「美海さんって、女の人もいける口ですか?」


 突然耳元に顔を寄せてきたかと思うと、凛音はそんなことをささやいた。


 いったい何を言い出すんだ。この子は。と文句を思い浮かべながらも、問いかけられれば自然と思い出す。私の最初で最後の恋は小学四年生の頃。ちょうど凛音みたいな、髪の長い同級生の女の子だった。


 でもそのことを凛音に話すつもりはない。


「そんなわけないでしょ。私は普通だよ」


 すると凛音は視界の端でしょんぼりしているようにみえた。


 頑なに凛音に目を向けようとしない私をどう思ったのか、凛音は絡めた腕を離して、突然、真剣な表情で私の前に立ちふさがってきた。私はその瞬間、近くの家の明かりに視線をそらした。


「だったらなんで目をそらすんですか。美海さん」


 適切な言い訳も思い浮かばなくて、黙り込んでしまう。私はきっと凛音の美しさに動揺しているのだろう。でもそんなこと、言葉にできるわけもない。黙り込んでいると、凛音は視界の端で微笑んだ。


 また私の隣に戻って来たかと思うと、腕を組んだ。そして私たちはまた夜の住宅街を歩き始める。凛音は得意げな口調でつげる。


「私、見た目には自信があるんですよ。だから目をそらす人って、大抵、私に好意を抱いてるんです」


 ずいぶんな自信だ。でも凛音くらい美しいのなら、仕方ないのかもしれない。


「でも美海さんからは、そんなに強い好意は感じませんでした。でも嫌いというわけでもなさそうでほっとしたんです」


 凛音は相変わらず、微笑んでいた。ちらりとみてみると、相変わらず美しい。


 私はむっとして問いかける。


「美しさを自覚してるのなら、なんでこんな時間に一人でいたの? しかも病気なんでしょ? なおさら一人はだめだと思うけど」


「心配してくれてるんですか?」


 顔はみていないけど、キラキラした声が聞こえてくる。


「違う。理由を知りたいだけ」


「私に興味をもってくれてるんですね」


 そうじゃない、と否定しようとしたけれどやめた。私は凛音に興味を持っている。じゃないと凛音についていかなかった。


 凛音は嬉しそうに笑って、顔を覗き込んでくる。


 目が合った。


 その瞳は、私の全てを見通してしまいそうなほどに澄んでいた。


 私は突然のことに、目を見開いた。視線を逸らしてから、面接のために整えた髪の毛を指先でそっと乱した。乱すといっても、私の髪の毛は凛音ほど長くはない。それでもおでこで左右に分けていた髪の毛が目まで落ちてきて、視界に暗い影が並ぶ。


 凛音は楽しそうに私の体に寄りかかってきた。きっと見抜かれたのだろう。私が凛音の美しさに動揺しているということに。私は肩をすくめながら、歩いていく。


 凛音は美人局なのだろうか。それとも、本当に私を必要としてくれているのだろうか。


 後者ならいいのに、と思ってしまう。普通の人のようにできない劣等感とか自己嫌悪とか、若くて美しくて可能性の塊な凛音への嫉妬とか。そういった不快な感情たちももちろんある。


 でもなにより私は求めていたのだ。私に寄り添ってくれる人。こうして隣で腕を組んで、私を受容してくれる人を。


「私がこんな時間に外をうろついていた理由ですけど」


 街灯の下、石ころをけとばしながら、凛音が口を開く。


「勝てなかったんですよ。恐怖とか、不安に」


 その声は震えているように聞こえた。気丈に笑顔を浮かべてはいるけれど、その笑顔もどこか引きつっているようにみえる。


「遅くとも一年後に死ぬって言われて、しかもいつ発作が起きるかも分からなくて。学校ではみんなが青春を謳歌してるのに、私だけはもうすぐ終わってしまう」


 私はちらりと横目で、凛音をみつめる。凛音はうつむいて、私と腕を組んだまま足元をみつめた。


「そんなの、理不尽じゃないですか。だから自暴自棄になって、家を飛び出したんです。美海さんみたいな大人からすると、やっぱり子供みたいですよね。別に家を飛び出して街を走ったからって、どうにもなるわけでもないのに」


 もしも話が本当なら、凛音はきっとその恐怖に今日までずっと向き合い続けてきたのだろう。未だ信じることは出来そうにないけれど。


 私はためらいがちに凛音の頭を撫でた。


「……美海さん?」


「私には、凛音の気持ち、百パーセントは分からないよ。でもこれまで凛音が苦しんできたんだってことは伝わってくる。私自身もさ、暗い人生だから、共感できる部分はあるんだ」


 私と凛音は、全く住む世界の違う人間だ。見た目も違うし、より人に求められるのは、間違いなく凛音だろう。でも、死んでしまえば、全てはお終いなのだ。


「凛音。本当によく、頑張って来たね」


 私はウェーブのかかった長髪を優しくなでてあげた。それはしてあげたいというよりは、厳密にはしてもらいたい事ではあったけれど、だからこそ、手を伸ばせたのだと思う。


「美海さんは、優しいんですね。美海さんが「適合者」で本当に良かったです」


 凛音は足を止めて、私に抱き着いてきた。私は恐る恐る、凛音の背中を撫でてあげる。


 しばらく抱きしめていると凛音は落ち着いたのか、照れくさそうにうつむいたまま、私の隣を歩き始めた。今度は腕は組まず、手を握ってきている。絡まった指先からは、優しい温かさが伝わってきた。


「きっと、お父さんとお母さんも気に入ってくれるはずです。美海さんなら、きっと」


 そんなことはないだろうと、頭の中で否定してみる。ときどき生きるためにバイトはするけれど、そんな奴を気に入る人なんて、想像もつかない。


 でも仕方がない。私は凛音に付き合ってやることに決めたのだ。


 私は手を握り返して、凛音の家へと向かった。

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