小休止

 中央地帯から離れたジャック達の生活はかなり不規則になっている。


(……ん)


 ベッドの上で目覚めたジャックは、自分の体にミラがぴったりとくっ付いていることを認識して、あどけない顔で寝ている彼女の頬を撫でると起き上がろうとした。


「あ、おはようございます」


「ああ。おはようミラ」


 するとその動きを感知したミラが一瞬で目覚め、片腕で枕元にあった眼鏡ケースから眼鏡を取り出して装着する。勿論その間、もう片方の手はジャックの腕に絡みついており、キャロルに劣らぬプロポーションを押し付けていた。


 しかしそこに、本来いるべきミラの同胞達の姿はない。危険な外領域に足を踏み入れつつあるため、他の女達はいつでも出撃できるよう待機しており、今はミラとジャックが寝る番になっていたのだ。尤もジャックも二日ほどは平気で戦えるが、戦闘生命体としてデザインされて神器の影響を受けた綺羅星はその比ではなく、待機の適性が非常に高かった。


「体の調子はどうですか?」


「いつも通りだ」


「口を開けてください」


「ん」


 単なるコスプレナースではなく、きちんとした医療の技術も詰め込まれているミラは、ジャックの体調を確かめるべくあちこちを視診する。


「古傷は痛みませんか?」


「ああ。大丈夫だ」


 続いてミラは、ジャックの古傷だらけの体を触診して炎症がないかを確認する。正規のパイロットとして軍に入隊してからのジャックは無傷だが、施設時代に過酷な訓練を課せられたため全身が傷だらけとなり、その古傷は今でも残っていた。しかし、炎症したり後遺症が残るような重篤な怪我ではないので、ミラの触診はあくまで念のためだった。


(……ジャックさんに傷をつけた奴、殺してやる)


 ジャックに古傷を付けた原因である施設の者達に対し、綺羅星達は無限の憎悪を宿していた。ミラの瞳もどろりと濁り報復を誓っていたが、施設職員が後々にラナリーザ連邦に見つけられ、縛り首になったと知ればなんと思うだろうか。自分達こそが殺すはずだったのにと憤るか、それとも嘲笑を浮かべるだろうか。


「異常はありませんでした」


「ん。まあ、幸いなことに風邪一つ引いたことがないからな」


「あ、パイロットは痔になりやすいと聞きましたが」


「なったらこっそり病院へ行くから絶対に詮索せんでくれ」


 ジャックの体を診察し終えたミラは異常なしと結論付けながら、長時間座ることが多いパイロットの職業病を思い出す。実際、ジャックもパイロットが痔になったという話はよく聞くが、症状が症状であるためその場合は絶対にこっそりと病院に行くと決めていた。


「ああそうだ、シャワーを浴びるときまで眼鏡をかけるなよ」


「もう。ちゃんと分かってます」


「さて、前科があるからな」


「み、未遂ですよ」


 寝起きのシャワーを浴びる予定のミラにジャックが冗談めかして揶揄うと、彼女は羞恥で少し顔を赤らめた。


 ミラは視力が悪いから眼鏡をかけている訳ではないので度なしのレンズで、外している時も景色が変わらない。そのせいで眼鏡をかけたままシャワー室に入ったことがあり、湿度で眼鏡のレンズが曇らなければ、そのまま気が付かずシャワーを使用していた可能性がある。


「ジャックさんも一緒にどうですか?」


「待機に間に合わんだろう」


「私達に任せてくれればいいのに」


「男としての見栄さ」


 ジャックをシャワー室に誘うミラだが、彼はこの後に愛機の傍で待機するという立派な仕事がある。そんなジャックを退廃的な生活に誘うミラだが、自分の仕事をしなければならないと断られて残念そうにした。


 ◆


「かなり順調だな」


『データはとっても少なかったけど、お姉ちゃんがアポロンにいたころから演算して、多分大丈夫そうなルートを考えたんだからそりゃ順調だよ!』


 ジャックは愛機であるブラックジョークの中で、モンスターの襲撃がない順調な旅路についてエイプリーと話す。


 外領域と中央地帯の関わりは完全に途絶えている訳ではなく、僅かではあるが経路の情報も存在していた。それを基準にフラーが、国家の基幹AIであるアポロンの演算装置を借りて移動経路を策定したため、シューティングスターは順調に外領域を目指していた。


『ミラと遊んでいてもよかったんじゃないか? 私でも構わないが』


「ヴァレリーか。外領域に到着してからだ」


『それは残念。いや、言質を取ったと言えるな。外領域に到着するのを楽しみにしておくとしよう』


 通信端末は開かれていたので、ジャック達の会話を聞いていたヴァレリーが愛機の中から話しかける。


『私もすぐにガーゴイルの群れが襲い掛かってきたりするんじゃないかと考えていた』


「俺もだ」


 ヴァレリーの言葉にジャックが頷く。


 モンスターの襲撃とセットで語られる外領域を目指しているのだから、その道中で襲撃があるものだと考えていたヴァレリーとジャックは、肩透かしを受けたような気分だった。


『常時モンスターがいる場所だったら、外領域はとっくに滅んでるよ!』


『ふっ。違いない』


「世間での扱いはそんなもんだがな」


 エイプリーが極めて常識的なことを言うとヴァレリーは苦笑気味に返答する。しかし、ジャックの言う通り外領域に対する世間のイメージは、年がら年中モンスターと戦っている危険地帯だった。


「この後も順調な航路だといいんだが」


『知ってるよお兄ちゃん! それがフラグって言うんでしょ! つまりこの後、超巨大なドラゴンに襲われたりするんだ!』


『なるほどな』


「俺が言っただけでそんなこと起きるか」


 ジャックの呟きに、エイプリーがその名の由来通り冗談のようなことを言ってヴァレリーが頷く。


 果たしてそれは噓から出た実に……。


 ならなかった。


 ◆


 それから一か月以上。


『はーいジャック。レーダー波と思わしきものをキャッチしたわ。つまり、到着したわね』


「そうか。ドラゴンが出たら責められるところだったから安心した」


 フラーの報告でジャックは目的地に到着したことを知る。


 戦い、戦い、ただひたすら生き延びるために戦う、この世で最も純粋で混じり気のない場。


 人種で争うことがないという、ある意味で人間らしくない者達の住まう場。


 この世の最果て。


 外領域と呼ばれる世界に。

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