秘密のお菓子缶
白浜 台与
第1話 秘密のお菓子缶
生前は茶の道を極め、書画骨董に通じていた母のお宝目当てに集まった親戚たちに向けて長女の
「親族ご一同の皆様、この度は故人の法要に集まって頂き有り難く存じます。が…遺産相続と形見分けは既に生前相続を終えておりますので気兼ねなくお帰りになってくださいまし」
と口調は丁寧ながらこれだけは譲れぬ。という様子で頭を下げると親戚たちは分かりやすくがっかりした顔をし…
こういう時は形見分けのお宝ぐらい残しておくもんだろう…没落華族もとうとうすってんてんの平民に成り下がっちまったか、
あーあ、掛軸の一幅を売ってハイエースでも買おうと思ったのに。
と聞こえよがしに言いながら香典返しの落雁を持ってさっさと行ってしまった。
弟で喪主の康夫がぎゅっと数珠を握りしめるその背中を紡は「よく耐えたね」と子供の頃からそうしていたように撫でさすった。
「あれまぁ、なんと図々しい方々なんでしょうねえ。大奥様が何ひとつ渡したくなかったお気持ちが解りますよ」
と戦前から校倉家に仕え、紡と康夫の子守りを務めて恵の最期まで看取ってくれた家政婦のお梅ばあやが水屋箪笥から皿を5つ取り出し、
「さあさ、大奥様のぶんも取っておいた桜餅でもいただきましょう」
と今年54才の長女の紡と長男で喪主を務めた52才の康夫、そして恵の娘で宝飾店に勤める今年31才独身の美也子が座る座卓の前に菓子皿を並べ、とっておきの深蒸し茶を淹れてくれた。
春の気まぐれの風が坪庭の葉桜を散らし、開け放した客間に舞い落ちてくる中、戦後最後の通人。と呼ばれた随筆家、校倉恵が生前最も心を許した4人だけがこの客間に集い、のんびりお茶とお菓子を楽しんだ…
「ねぇねぇお母様、おばあ様が最後までお側に置いてらした風呂敷包み…開けてみましょうよ」
とこの場に居た誰もが思っていた事を開口一番、恵の初孫の美也子が好奇心に満ちた目で言った。言ってしまった。
もう我が身も最後、と癌で入院する前日に恵が床脇の小さな金庫に保管した
いつも温厚な恵がそれに興味を向けられると相手が誰であろうときつく叱責し、以降数日間は口をきいてくれなかった。
大奥様の。お母様の。おばあ様が最も大事にしていらした宝物とは一体なんだろう?
もう許して下さるだろう、と好奇心に負けた家族たちは書院づくりの床の間の
一日一善
と恵自身の達筆な書で書かれた掛軸の横の床脇の上部にある物入れにある小さな金庫の番号は戦時中「いつ死んでも悔いがないように763(ナムサン、南無三)なのです」と聞かされていたお梅ばあやが開けた。
紡が震える手で開いて広げた風呂敷の中にあったもの、それは舶来ものの錆びたビスケット缶。
職業柄常備していた白手袋をはめた美弥子が丁寧に上蓋を外すと中から現れたものは袴姿の5人の女学生が窓際に並んだ一枚の白黒写真と、何かの雑誌の記事の切り抜きと、一通の手紙。写真の裏には…
左から姉小路真弓先輩 古川響子お姉様 葛城ヨハンナさん 法蓮寺桜子 そして私、校倉恵
と万年筆で記されていた。成程、鼈甲縁の眼鏡をかけた細面の顔立ちはたしかに母だ。
切り抜き記事の内容は「嗚呼、わたくしのお姉様!」とおそらくお姉様古川響子の凛とした美しさや気高さを褒め称えた記事。投稿名カメ子さんからして恵自身が書いたものだろう。
「懐かしいわね。子供の頃に読んだ少女の友の記事だわ」
と紡が恵の青春時代は女学校を卒業すると親が決めた婚約者と結婚するのが当たり前の世情で男が支配する社会に出る前の学生時代に先輩や同級生との同性間のプラトニックラブの関係になり、その思い出を抱いてお嫁に行ったのだ、と夫の同僚の編集者から聞いたことがある。
お家を守るために婿を取った母もこの写真の響子お姉様と恋をしていたのかもしれない。
添えられていた一通の手紙を開くと、そこに書かれていた内容は…
恵様
戦後の物資難でお困りと聞きました、と返して下さった拙筆「篝火夜桜」一幅。あれは私が貴女との女学生時代を思い返して心血注いで描いたものですからそのまま貴女に送り返しますわ。
どうぞあの絵だけはお側に置いてくださいな。
法蓮寺桜子
と終生、桜の絵ばかりを描く事に執着し、二年前に世を去った伝説の日本画家、法蓮寺桜子からの手紙で今は上野の博物館に母が寄贈した名画、
篝火夜桜の由来が書かれていた。
「きっと、お母様は響子先輩が好きで、桜子さんはお母様の事が大好きだったのね…」
と涙ぐむ母、紡の背中を美弥子は優しくさすった。
いつか母が雑誌の取材で、
「明治生まれの私たち世代の女たちは嫁に行っては夫に従え、老いては子に従え、と何一つ本音が言えなくてですねえ…
いいわけ。
という名の嘘と建前ばかりを吐いて地位にあぐらをかいて威張っていた、
華族と言う名の権威主義のろくでなしどもがよってたかってこの国を駄目にしたんだと思いますよ」
と一回だけ本音を吐露していた。出来上がった記事は随分やわらかめに修正されていた。
「世間の読者には刺激的過ぎる発言でしたので」
と記者もへどもどしながらいいわけしていた。こうして世の中の人間は自分の立場のためにいいわけ、という嘘を吐きながら人生を空費して年を取っていくのだ。
美弥子、と決然と顔を上げた紡は、
「職場の上司に嫌味を言われても同級生たちがアクセサリーのように子供を連れ回してもあなたは無理に結婚なんてしなくてもいいのよ。今は昭和。好きに生きていい時代なんだから、ね」
と自分も世間にいじめられないために吐いてきたいいわけの人生を半分悔やみながら娘にそう諭した。
んもう、お母様ったら。と泣き濡れるは母にハンカチを渡した美弥子は、
「既にそうしていますから、ご心配なく!」
と散り終わりの葉桜を見上げて溌剌と答えた。
秘密のお菓子缶 白浜 台与 @iyo-sirahama
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます