第4話 異国のおばけは後ろ姿で

 大学生の頃、留学でマレーシアに行った。マレー系、中華系、インド系などが「マレーシア人」として共生する国。カラフルさがツボだった。

 クアラルンプールにあるキャンパスは広く、学生寮は10カ所以上もあり、私はその一つに住んでいた。

 ルームメートは中華系マレーシア人のシェリー。

 マレー系優遇政策があったため、国立大学の合格者もマレー系が圧倒的に多かった。シェリーいわく「簡単に言うと、マレー人が60点で合格なら私たちチャイニーズとインド系は80点取らなきゃ合格できない」。

 全く、忌々しいったら。レイジーマレー、怠け者のマレー人、というようなことを小声で呟く。なんせ、ドアの外はマレー人だらけなのだから。

 寮内にはイスラムの祈祷室があり、早朝5時過ぎにはお祈りを知らせるアザーンが大音量で鳴り響く。マレー女子たちは、お祈り用の真っ白なヒジャブとローブ姿で集う。すぐに支度ができるように、ドアの近くにかけている子もいた。

 ある夜のこと。

 同じフロアの部屋から叫び声が聞こえた。伝染するように、マレー女子たちが奇声をあげて部屋から飛び出す。

 「上の階で出たらしいよ、ハントゥ。女だって」

 ハントゥ、マレー語で「おばけ」だ。

 クールなシェリーは「うるさいね」と舌打ちした。

 「あ、そうだジャスミン。あたし今日からマラッカに帰るわ。また連休明けね」

 気味の悪い夜に、ひとりにされてしまった。

 水しか出ないシャワーを浴びて、ベッドに入る。天井のファンがぐるぐる回り、風呂場の床そっくりのタイルを敷きつめた部屋を冷やすでもなく、ぬるくかき混ぜている。

 反対の壁際にはシェリーのベッド。誰もいない、のを無意識に確認してしまうのは怖いからなのだ。

 どのくらい寝ただろう。まだ暗かったのに目が開いた。覚めたわけではない、眠い。シェリーのベッド側を向いていた私は、目を開けた瞬間にドアの前に気づいてしまった。

 真っ白い、後ろ姿。お祈り用のヒジャブとローブ。

 ムスリマのいないこの部屋に、あるはずのないものを着た誰かが佇んでいる。

 不思議だったのは、後ろ姿だったが「寮仲間ではない」と反射的に思った。白いヒジャブの頭上にある時計はまだ3時にもなっていない。

 お願いだから振り返らないで。怖くて見ていられないのに目がそらせない。

 ドアの外で、また誰かの奇声が聞こえた気がした。私も声を出したかったのに、いくら絞り出そうとしても唸り声も出なかった。後ろ姿は微動だにしない。

 マレー人をディスったのはシェリーだってば、ガイジンの私は無関係!

 意味のない言い訳が浮かび、白い後ろ姿は屈伸をするような動きをし、私のまぶたは閉じた。

 【アッラー アクバル…!】

 目覚めたのは早朝のアザーン。当然ながら、もう白い誰かは消えていた。

 


 

  

 

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ほんの少しだけ背筋がひんやりする思い出 ジャスミン コン @jasmine2023

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