反体制

そして、フーベルトゥス・アイヒホルンのピカピカの新刊があたしの目の前にあった。


それは、リーフレットであった。わずか、10ページほどの本。


その作家について知ったのは、孤児院に寄付される本の中に混じっていたのだ。


あきらかに反体制的な内容の本が、無造作に、物語やエッセイの本の中に、紛れ込んでいた。


そして、あたしは彼の本を数冊、寄付として、そのようにして手に入れて、大事に読み、ベッドの布団の裏に隠していた。


「本? 本屋に行かない。だって……」


あたしは、語尾を濁した。お金なんて持ってないよ。孤児院では新品というものがない。誰かが親切にくださったものを、ありがたく使わせてもらうのだ。


制服だけは違った。学校は帝国が運営している。だから、勉学に必要なものは、お金のないものには支給されることになっていた。だからあたしは制服を着ると、それが自分のためだけにあつらえられたもの、という気持ちになる。


だからあたしは、生まれて初めて本屋というところへ行った。そこは、入り組んだ住宅街の隅にひっそりとあった。中は、薄暗く、傘のついた電灯が、数個、天井からぶら下がっていた。本が積まれた棚や通路の奥に、カウンターがあり、店主?が、じろりっとこちらを見る。そしてすぐに関心を失ったように、誰か数人の客と話していた。


「風穴を穿ってやったんですよ。なんです? ハイデンベルク家の当主はついに議会に出馬するらしい。なんてことだ。奴が国民のために動くはずもない……。だから、痛切に皮肉ったのを書いたんですよ」


「そもそも、貴族たちは彼らの懐の温まるように政治を動かすものでしょう。それぞれの貴族が、経済的勢力を伸ばす遊びをしてるんですよ。やはり、総統という存在が……」


「しっ!」


そして先客たちはこちらを見た。聞き耳を立てていたのがわかるのだろうか。あたしは、知らぬ顔をしながらも、彼らの方を何気ないふうのつもりに見た。好奇心の勝った、バレバレの視線だろう。金髪のミサリア民族の人、銀の髪の人、人種は色々なようだ。


「シスナ、わたし、受け入れ難いの」


「え?」


エリカが、とても低い声を出しながら、平積みにされた本の一冊を手に取った。


「おかしくない? この世界……」


「え」


「あなたは4級市民で、あたしはミサリア民族の血統なんて言われてて。普段は表に出ないそんなことがでも、隠然と力を振るう……」


あたしは黙っていた。危険だと思った。うっかり口を出すと、突撃隊に引き渡されるかもしれない。


「あなたとわたしに、どんな差がある? 剣技は互角と言って良かった。学校の勉強だって、世界がそれによって成り立っているのではないでしょう? いくつもの頭の使い方がある。階級って何? それが人間を分ける根拠は何?」


エリカはこちらに向き直った。


「あたしは戦いたいな」


そのまっすぐな目。整った顔立ちにランプの光が差す。すらりと立つ少女らしい制服越しの身体の線が、かえって彼女の完璧さを示していた。そして、そっと言葉を続けた。


「この理不尽に」


あたしは、胸が締め付けられた。恋みたいなものかもしれないと思った。それが世界で1番美しいものだと、聞いたことがあるから。


あたしは、小さかったのだろうか。エリカの友達としてはふさわしくないと思う。彼女の危うい決意を聞きながら、あたしには言うことがなかった。たとえこの世界がおかしいとしても、「戦う」なんて考えはなかったから。せいぜい先生や貴族に負け惜しみの反発を示してみせる程度だ。


エリカはそれ以上のことは言わなかった。そしてあたしにフーベルトゥス・アイヒホルンのリーフレットを買って、手渡してきた。


貴族のお遊びとしては、危険すぎる。


「ミサリア民族、その虚構」


本の題名は、そうだった。




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