第4話 あの輝きをもう一度 前編

 小さな小屋にお尻だけ入れて寝そべっているアレグロ・レトリバーを見て、私はため息をついた。

 最近はずっとこの調子だった。

 アレグロ・レトリバーは以前のように活発に動き回ることはなくなっていた。

 もう老犬と呼ばれる歳になっていた。

 蜻蛉が彼の鼻の傍を通り過ぎてもちらりと目をやるだけで、すぐに興味を失ったように通りを当てもなく眺める。虫がどこかに行ってしまうまではしゃいで追いかけ回していた彼の姿はもう見られない。

 彼が目を閉じ、眠りについたので、私もくたくたの毛布を頭から被り、目を閉じた。

 日はまだ高かった。


 しばらくして、アレグロ・レトリバーは家の中に入れられることになった。

 彼の体調を心配してのことだろう。しかし、私は困り果てた。

 いつもの四角い庭には、年季の入った小さな彼のための小屋がぽつねんと寂しそうに立っているだけで、庭は広く見えた。

 私は一日の過ごし方がわからなくなった。アレグロ・レトリバーを見ずに、なにをすればいいのか、わからない。アレグロ・レトリバーの姿が見えないと私は大きな不安に襲われた。

 加えて、私は自分の眠る時間も、起きる時間も、食事のタイミングまでわからなくなった。

 全てアレグロ・レトリバーの生活に合わせていたせいだった。

 アレグロ・レトリバーが庭からいなくなってから、私は10時間眠る時もあれば30分しか寝ない時もあった。食事も全く食べない時もあったし、必要以上に気持ちが悪くなるまで食べることもあった。

 彼がいなくなって、9日後。私はとうとう限界に達した。

 アレグロ・レトリバーに会いたかった。アレグロ・レトリバーを一目見たかった。

 私は真四角の庭に足を踏み入れた。

 私がその庭に入ったのは、昔、アレグロ・レトリバーを散歩に連れ出して以来のことだった。

 庭を迷わず横切り、庭に面している窓に手をかける。

 私はその窓の鍵が常に開いていることを知っていた。

 窓を開け、その家に足を踏み入れる。

 そこは白を基調とした清潔な部屋だった。大きな革のソファと、その前にはテレビが設置してある。

「アレグロ・レトリバー」

 私は声をかける。

 返事は無い。

 部屋の奥に足を進めていくと、アレグロ・レトリバーの姿はすぐに見つかった。

 革のソファの陰に彼は横たわっていた。

 彼の姿を見た途端、私を覆っていた漠然とした不安は消え去り、幸福感が身体中に満ち満ちた。

 私は彼の傍に近寄り、彼の顔をもっとよく見ようとしゃがみ込んだ。

 その時、ガチャリと鍵が開く音がした。それは玄関からの音だった。

 廊下を歩き、私がいる部屋に近づくにつれ、足音が大きくなる。

 部屋の扉が開かれた。

 上品な老婦人が入ってきた。

 グレーの髪に、シックなワンピース。胸元には真珠のネックレスをつけている。

 すぐに部屋に入ってきた老婦人と私の目が合った。

 老婦人は一瞬、困惑した表情を見せ、それから恐怖が表情に現れた。

「ちょっ、あなた誰ですか! 何してるんです! 警察呼びますよ!」

「それどころじゃない!」

 私はそう叫んだ。

 アレグロ・レトリバーを指す。

 彼はぐったりとしていて、げろを吐いていた。息も荒い。

 老婦人はアレグロ・レトリバーの状態に気が付き、彼の元へ駆け寄った。

「マロンちゃん!」

 アレグロ・レトリバーは再び、げろを吐いた。

「ああ、マロンちゃん! 大丈夫? あなた、マロンちゃんになにかしたの?」

 老婦人は私を睨みつける。

「私が来た時にはもうこの状態だった。そんなことより早く病院に! 手遅れになる前に!」

 私がそう言っても混乱しているのか、動こうとしないので「早く!」と怒鳴りつけると、ようやく、老婦人は腰を上げた。

 私はアレグロ・レトリバーの後ろ足を抱え、老婦人に前足を持つように指示を出した。

 2人がかりで何とか老婦人の赤いプリウスの後部座席に運び込むと、私はアレグロ・レトリバーの横の席に座った。

「ほら、早く運転して!」

 老婦人はなにか言いたげだったが、諦めたように首を小さく振り、アクセルを踏んだ。

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