収束

 その夜、小路亭にはいつもの常連客のメンバーが集まっていた。夕食を食べに来たのはもちろんなのだが、どこからどういうふうに情報が伝わったのだろうか、彼らの目的は山下の遭遇した出来事だった。

 話の出どころは篠塚くんしかありえないのだが、自分が知らないだけで常連客の間でSNSのグループができているのかもしれない、と小路丸は考えた。しかしそのことを彼らに訪ねたところで小路丸には教えないだろう。そういうものだ。

「山下くんがまたなにか騒動に関わってしまったようだけど、今回は食べ物絡みじゃないんだねえ」医大に勤めている今井先生が言った。

「 常連客がいなくなると小路丸は店の片付けをしはじめた。店を閉め、自室に戻ったところでようやく一息つくことができたが、気持ちは穏やかにはならなかった。時計をみると21時を過ぎている。そこでハイチと日本とでは時差があることを思い出した。時差は13時間だからハイチは8時過ぎだ。この時間ならば山下も起きている、いや寝ていたとしても起こしてしまって構わない時間だろう。そう思った小路丸は山下に電話をかけた。


「おれだ」

「先輩、起きてましたか。おはようございます。ところで娘さんの様態に変化はないんですか」

「ああ、変わりはない。まだ寝ているけどな」

「お母さんのほうはどうなんですか」

「生き返った娘をつれて会いにいったときはまだ意識は回復していなかった。運良く国境なき医師団の一人がいてくれていて、診てもらったかぎりでは体に異常はみられないようだ。話をつけておいたから何かあったらおれに連絡がはいる」

「じゃあ、お母さんは生き返った娘さんにはまだ会っていないんですね」

「ああ、娘のほうは意識のない状態の母親には会っているけれどもな」

「意識が戻るといいですね。でも戻ってからが大変か」

「おれは娘がどうしてゾンビになったのかなんてことはどうでもいいと思ってるんだ。わからないなら無理して納得のいく説明を作り出す必要なんてない。ただ、いまのままだと娘は生きている死体だ。しかもここはハイチだ。いまだにゾンビを信じている人もいる。死んでいるから怪我も治るわけじゃない。だから傷は開きっぱなしだ。血は流れていないからその点はよかったかもしれないが、それでも多分、成長すらしないだろう。生き返るんならばちゃんと生き返ってほしい。それが無理ならば、可哀想だが、土に帰ったほうがいいと思うんだ」山下はそう言った。

「土に帰すって、どうするつもりなんです、先輩」

「ゾンビだったら頭をふっ飛ばせば死ぬだろう。最悪、手段がないわけじゃない」いつになく真剣な声で山下が答えた。

「先輩、まさか本気でそんなことをいってるんじゃないでしょうね」小路丸が慌てて聞き返した。

「あくまで最後の手段だよ。といってもおれがそこまでしてやらなければいけないという理由があるわけじゃないんだが……まいったな今回ばかりは」つらそうな声が小路丸の耳に届く。

 「……わかりました。私がなんとかします。方法を考えますからまかせてください」小路丸は言った。そして言ってしまったあとで後悔した。携帯を置いて思わず頭を抱えてうつぶす。

 ――ああ、なんでなんとかしますなんて言ってしまったんだろう。先輩が悪いんだ。人の気も知らないで。まったく。電話越しで顔を見てないから私の気持ちもわからないんだ。実際に顔を突き合わせていたら私がこんなに困っていることぐらいすぐわかる……。

「……そうか」小路丸は顔を上げると携帯を取り上げた。「先輩、ひとつだけ可能性があります」


 小路丸の説明を聞いた山下は、問い返すことなくすぐさまアンドレを起こし、車を出す用意をさせた。


 店の時計が13時を告げるチャイムをならす。小路亭の店内には篠塚くんとバスティアンさんがまだ居座っていた。仕事は大丈夫なの、と小路丸が聞くと、今日も打ち合わせが長引いたから遅めのランチですと答えるのだがほんとかどうかはわからない。

 カウンターのうえに置かれた小路丸の携帯がブルッと振動する。

 小路丸が画面をみると、メールを受信しましたという文字が表示されていた。

 なんだろうと携帯を手に取り、メールを開いて小路丸は一言さけんだ。

「なんじゃこれは」

「どうしたんです」と体を乗り出した篠塚くんに小路丸は携帯の画面を見せた。

 画面には「解決した。予定通り一週間後に帰る」という文字があるだけだった。


 それから一週間経った夜、小路亭には常連客の面々が集まっていた。

「あれから小路丸さんは、山下さんになにも聞かなかったんですか」篠塚くんが小路丸に訊ねた。

「うん、仕事のじゃまをしても悪いし、先輩には先輩の考えがあってのあの返事だったとおもうし、私も解決したんならそれでいいかって」一人だけカウンターのなかに座っていた小路丸が答えた。

「そんなあ、小路丸さんはそれで納得できるかもしれないけれど、こっちはそれじゃあ納得できないですよ、今井先生はどうですか」篠塚くんは同意を得るように隣の今井先生のほうを向く。

「そうだねえ、ま、気になるといえば気になるけれども、解決したのならそれでいいかなあという気持ちもあるねえ」

「わたしもそうかな」野中さんも今井先生の言葉に同意をした。

「うーん、みなさんそうなんですか、なんだか一人だけ悪者になった気分だなあ。バスティアンはどう思う」

「ぼくは、聞きたいですね。でも話したくないというのであれば我慢します」

「もう少ししたら先輩もやってくるから、どうなったのか聞いてみたらいいんじゃないですか」カンターのなかから小路丸が言う。

「大丈夫ですかね」篠塚くんは少し心配そうな表情をする。

「大丈夫ですよ、先輩は」

 すると店の扉が開いて誰かが入ってきた。

「おや、みなさん勢揃いですね」

 入ってきたのは大学で菌類の研究をしている田口くんだった。

「なんだ。田口くんか」篠塚くんの顔は心配そうな表情からがっかりした表情に変わる。

「久しぶりだってのに、篠塚さん、それはつれないセリフですね」田口くんもがっかりした表情をしながらカウンターの空いている席に座った。「ずっとフイールドワークで九州のほうに行ってたんですよ。あ、これはお土産です」田口くんは紙の手提げ袋を小路丸に手渡した。

「そんな気を使わなくってもいいのに。それじゃありがたくいただきます」

 また店の扉が開いた。

「おお、みんな勢揃いだな。田口くんもいるじゃないか久しぶりだなあ」今度は山下だった。

「ええ、九州に行ってたんですよ。ところで山下さん、今年の4月か5月、開いてる日にちってありますか。よければぼくの実家に来てくださいよ」

「田口くんの実家に一緒にっておれは君と結婚する気なんてないぞ、まあ気持ちはありがたいけれど」

 結婚という言葉を聞いて小路丸は山下の顔を不安そうにじっと見つめた。

「いやだなあ、ぼくもありませんよ。そうじゃなくってうちの実家、山を持ってるんですけどその山に竹林があって、それがちょっとめずらしい種類の竹なんです。で、その竹が今年あたり花を咲かせるらしいんですよ。なんでも言伝えによると221年ぶりということなんです。知ってます、山下さん、竹ってイネ科の植物なので、その花がうまいこと実になると食べることができるんですよ。米に似た味らしいですけれど」

「食えるのか、じゃあ、もちろん行く。絶対行く。4月と5月は仕事を入れない。いつでも来いだ」

 田口くんの話で機嫌よい顔をしている山下に小路丸は「先輩、そろそろ今回の顛末を話してもらってもいいですかね」みんなが聞きたい内容にふれた。

「……ま、そうだな、話すことにするよ」

 そして山下は小路丸から電話を受けたあとの出来事を語り始めた。


「先輩、メリッサさんをお母さんに会わせてあげてください」小路丸は山下にそう言った。

「会わせるのは構わないがそれで解決するのか」

「私の考えが正しければそれで事態は収束します」

 わかったと言って山下はそれ以上聞き返すことなく行動に移すことにした。アンドレの部屋に行き、まだ寝ているアンドレを起こす。「今から昨日の母親のところに行く。準備ができたらおれの部屋に来てくれ」そういって山下は自分の部屋に戻るとまだ寝ているメリッサの顔を見る。

 しばらくしてノックの音がした。「山下さん、準備ができました」

 山下は扉をあけてアンドレを部屋に入れ、メリッサを起こしにかかる。

 まだ眠たそうなメリッサはぐずついていたが、母親のところに行くと伝えると、早く行く、と言いだした。

 山下は自分のパーカーをメリッサに着させてフードを頭に被させた。ハイチでこの姿は少し異様ともいえるのだが、背に腹はかえられない。メリッサを背負うと部屋を出て車の後部座席にメリッサを乗せて助手席に座る。アンドレはすでに運転席に座っていていつでも出発する準備はできていた。シートベルトを締めたところで山下は「今回は安全運転でな」とアンドレに言う。後部座席にはシートベルトはついていない。

「わかってますよ山下さん」アンドレは後部座席に座っているメリッサのほうを見ながらウィンクをする。

 いままで余裕がなくって気が付かなかったが、アンドレはメリッサのことをどう思っているのだろうかと山下は気になった。さっきのウィンクといい、これまでのメリッサに対する態度といい、アンドレはなにも不思議に思っていないのだろうか。

「アンドレはメリッサのことをどう思っているんだ。気味が悪いとか怖いとか、そんなことは思わないのか」

「どうしてそんなことを思わないといけないんです。せっかく生き返ったのに」

 そういえばアンドレはメリッサに触れていなかったことを思い出した。だから心臓が動いていないことも、体が冷たいままであることも知らないのだ。

 まばらに建物が見え始めた。もうじき村の中心部にたどりつく。メリッサの母親がいるのはそこから少し先に行ったところにある臨時の施設だ。太陽はまだ頂点に上ってはいないが日差しは強くなり始め、山下のからだも汗ばみ始めた。パーカーを着させたままのメリッサは大丈夫だろうかと思ったところで、今のメリッサは暑さも寒さも感じないのだということを思い出した。

 ゆっくりと車が止まった。

「つきましたよ、山下さん」

 メリッサの母親はもう意識を回復しているだろうか。後部座席にいるメリッサを背負うと山下はアンドレとともに建物のなかに入っていった。

「Kote Melissa! Kote Melissa!」

 声が聞こえる。メリッサを探している声だ。山下は声のする場所へと足を早めた。「メリッサはここにいると言ってくれ、アンドレ」

 アンドレが山下の言葉を通訳する。

 山下は背負っていたメリッサを地面におろすと後ろから抱きかかえてメリッサの母親に近づいた。

「Melissa!」

「Manman!」

 メリッサは腕をのばして母親にふれようとする。母親も手を伸ばしてメリッサを抱きかかえようとする。二つの手はお互いを求めて一つの線になろうとしたが、一つになる直前で小さな腕は力を失った。山下の腕のなかでメリッサの体はそれ以上動くことはなかった。


「ということだ。メリッサは土に帰ったのさ」山下はそう言って話を終わらせた。

「残念ね、でもせめてもの救いは最後に母親に会えたということかしら」野中さんがポツリと言う。

「よくわからないんですけど、母親に会いたいという気持ちが彼女を生かし続けたということなんですか」篠塚くんが小路丸の顔をみる。

「いえ、そうじゃなくって、バスティアンさんのシュレーディンガーの猫が正しかったのだと思います」小路丸が答えた。

「でもシュレーディンガーの猫だったら蓋を開けたらどっちかに決定してしまうんでしょ。それで蓋が開いていないから死んでいると同時に生きている状態になってる。どうやって蓋が開いたんです」

「蓋が開くというのは観測するという意味なんです。だから観測されればどちらかに決定されます。ふつう、観測するというのは観測する側の問題のようにも見えますがそれだけじゃだめなんです。見られただけじゃ見られるほうは気が付かない場合もあります。つまり見てもらったと彼女が認識しないかぎり蓋は開かないんですよ。彼女の蓋を開くのは母親だけで、母親が彼女のことを見て、そして見てくれたことを彼女が認識したことでようやく蓋が開いて……えーと」

「波動関数の収束です」バスティアンが代わりに答えた。

「じゃあ、ひょっとしたら生きているというほうに収束した可能性もあるというの?」野中さんが聞いてきた。

「え、うーん、どうなんだろう。バスティアンさん、どうなのかな」

「そーですね、可能性はあったと思います。ただ、この場合、母親の意思も関係したんじゃないのかなという気もします」

「それって、母親が死を望んだってこと」

「いや、野中くん、子に対する親の愛情というのはそう単純なものじゃないんだよ」今井先生が言った。「もちろん無償の愛というのは存在する。しかしそれは常にそうだというわけじゃない。時として子供のことを憎らしいと思ってしまうこともある。瞬間的にね。けれどもそうした負の感情も含めてトータルで見れば親の愛情というのは負の部分を上回るものなんだよ。だから母親が必ずしも娘に死んでほしいなんて思ってはいなかったはずだよ。だから生き返らせようとしたんだよねえ」

「量子力学には多世界解釈という考え方があります」バスティアンが言った。

「多世界解釈ってパラレルワールドのことだよねえ」今井先生が聞き返す。

「そーです。そーです。量子の重ね合わせが収束されるとどちらかに決定するのですが、そのとき生きている状態になった世界と死んでしまった世界の二つが発生するという解釈があります。収束すると二つの世界ができるのですね。それが正しいとすれば、こちらの世界では彼女は死んでしまいましたが、もう一つの世界では彼女は生きている。つまり彼女が生きている世界もどこかに存在しています」

「そうか、そう考えると必ずしも悪い結果になってしまったわけじゃないんだねえ。……ところで母親が飲ませた粉末はなんだったのかねえ。それは聞かなかったのかい、山下くんは」

「ああ、それはなんでも祖母からもらったものらしいんだ。死者を生き返らせる薬だって。もう必要ないからくれるって言ったんだが、もらわなかった」

「おや、めずらしい、どうしてだい。やっぱり恐ろしいからかい」

「いや、薬だからさ、食べ物だって言ってたんならもらったけどな。薬には興味はない」


 常連客が帰っていき、店に残っているのは山下と小路丸の二人だけだった。

「コーヒー入れますけど、先輩飲みますか」

「ああ、もらうよ」

 小路丸がお湯を沸かしながらドリップのセットをしていると「今回は助かったよ。ありがとう」柄にもないことを山下は言った。「わるかったな。結果も伝えず一週間もそのままにしておいて」

「いいっすよ、そんなことは」

「カメラマンとして仕事しているときは、ファインダー越しだったらレンズの向こうがどうなろうとも干渉はしないんだがな、あくまでおれは観測者だから。しかしそれでもついつい干渉してしまう。後先考えずに体が動いてしまうんだ。今回も本来ならあそこまで関わるべきじゃなかったのにな。だから立ち直るのに時間が必要だったんだ。もうだいじょうぶだ」

「でもそこが先輩のいいところですよ。まあもうちょっと後先考えて行動してほしいときもありますけど」

 ――わたしに対しては後先考えずに行動してほしいんだけどなあ。気づいていなんだから。

 そう思ったところでお湯が湧いた。小路丸は自分の思いを振り払うかのように頭を振るとコーヒーを入れ始めた。


第三話 完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

connection detective Takeman @Takeman

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ