Episode 5 情愛

母を殺せと言われたのは、十二の時だった。

父は裏社会というのに幅を利かせている男で、どうも弱い母が疎ましくなったらしかった。多くの妻を持つ父にとって、元から数ある道具の一人ひとつでしか無かったのかもしれない。

それが事実か確かめたことは無いが、多分そうだと思う。

俺は父に逆らわなかった。

いや。逆らうという考えが最初から無かった。と言うのが正しい。

黒光りする銃身を受け取り、弾を込め、雰囲気で撃ち方を感じ取った。

母は抵抗しなかった。

銃口を向けた時。彼女は諦めたような顔をして、静かに目を閉じた。

引き金を引いた。だが俺は母を殺せなかった。

胸に着弾するのより一拍早く、母の体は傾いたのだ。

ズレはしたものの、心臓の少し下に鉛玉がめり込んだ。

薔薇の花びらが散るように血が舞った。

倒れた母に駆け寄った。

その体は温かかった。

そこでふと、彼女の口元から血が流れているのに気づいた。


母は舌を噛んでいた。


最後の矜持プライドか、それとも撃たれた衝撃でそうなってしまったのか。

それでも何故か、俺はその事を父に報告しなかった。

「あぁ」とか、「そうか」とか、「よくやった」とか父が言ったが、俺は上の空で、母の死に顔を汚す一筋の紅のことを考えていた。

機嫌が良かったのか、酔っていたのか。多分後者だろう。父に何かを問い詰められることは無かった。


多くの人間を手にかけた。

父は逆らわない俺を気に入ったらしい。母を殺したその日から、俺は父がいらないと感じた人間を消していく道具になった。

別に運動神経が良かった訳では無い。賢かった訳でもない。

ただ動けなければ死ぬという感覚が、俺を強く、狡猾にさせた。

気づいた時には父など取るに足らない存在になっていた。


『殺してしまっても、いいか。』

思い立ったが吉日と、父の部屋に忍び込んで使い込んだ銃を向けた。

情けなく命乞いをする姿に、今まで刈り取ってきた命のツラが重なった。

引き金を引いた。

母の面影だけは重ならなかった。


父が元いた席に、何故かついてしまった。

裏を取り仕切る首領となってしまった。

なんとなくできる方法で、上手く取り仕切ってきたつもりだった。

部下に当たることも無かったし、キチンとその辺りはケジメをつけてきたつもりだった。


目の前でこちらに銃を向ける少年は、最近拾った孤児である。

きっと何かしらの恨みがあったのだろう。俺は悪人だ。心当たりはなくは無い。

眼前に突きつけられた銃はすでに激鉄が上がっている。引き金を引くだけで、俺の命は消し飛ぶだろう。

だが、何故だろう。

俺は少年が引き金に指をかけた瞬間、舌を自ら噛み切った。

驚愕する少年の顔が目の端に映る。

どうしてだろう。

俺はこの少年を人殺しにしてやりたく無い。そう思ったのだ。


……あぁ、ようやく理解した。

きっと母も、俺に対してそう思ったのだろう。


情けあいをかけたら、そこで負け。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

愛のはなし 夏 雪花 @Natsu_Setsuna

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ