第3話 俺が悪かった

 そもそも、オタクが推しに手を上げるとかありえない。

 ゆえに、真正面から戦闘とかありえない。

 したがって、僕は逃げます。

 Q.E.D.


「──待ちなさいっ!!」


 まさか戦う素振りも見せずに逃げ出すとは思わなかったのだろう。

 ヒナタちゃんは泡を食って追いかけてきた。


 まじめに補足すると、俺の天稟ルクスが戦闘向きではない、というのも逃げる理由の一つだ。

 より正確には、攻撃手段が一切ない・・・・


 俺は肩越しに、ヒナタちゃんが追いかけてくるのを確認し、


「お先に」

「な………っ」


 高さ三十メートル近い時計塔の屋上から、身を躍らせた。

 群衆から悲鳴が上がる。


 普通であれば、警官隊が囲む地上へと真っ逆さま。

 観衆にスプラッタな光景をお届けすることになるに違いない。


 しかし、俺の身体はぽーんと放物線を描いて群衆の頭上を越え、


「よっ、と」


 少し離れた隣のビルの屋上へと、ふわりと着地した。


 俺の天稟ルクスは──《分離》。

 それを上手く“応用”することで可能となる芸当だった。


 簡単そうに見えてその実、タイミングがかなりシビアで大変。

 けれど、それをあの子に悟られるのは格好悪い。


 俺は余裕たっぷりに振り返ると。

 向かいのビルに取り残された正義の味方を、ちょいちょいと人差し指で挑発した。


「っ、この……っ」


 むっ、と眉を顰めるヒナタちゃん。

 うちの推しはどんな表情でも可愛い……とか言ってる場合じゃない。

 俺は彼女の次の行動を見ることなく、逃亡を再開する。


 わざわざ見ずとも分かる。

 俺がそれなりの苦労でできること、あの子なら労せずにできるに決まっている。


 一人一人が一騎当千の力を持ち、並みの天稟ルクス持ちなど相手にもならない。

 だからこそ彼女たち天翼の守護者エクスシアは特別なのだ。


「──待ちなさいと、言ったはずです」


 ほら、稼いだ距離はもう、声が届くほどに縮まっている。

 咄嗟に床を蹴って、横に転がる。

 先ほどまで俺のいた場所を純白の旋風が通り過ぎた。


 顔を上げれば、再び目の前にはヒナタちゃんが立ち塞がっている。

 彼女がいきなりの逃亡に驚いている間に稼いだ距離は、あっという間に無に帰した。


 それを成した彼女の天稟ルクスは──《加速》。

 彼女は自らを、加速させる。

 その速さに制限はなく、理論上、世界の何よりも速くなれる。


 選りすぐりの天稟ルクスを使いこなす【循守の白天秤プリム・リーブラ】の隊員、天翼の守護者エクスシア

 最年少にしてそこに所属する主人公・傍陽ヒナタが天才たる所以だ。


 ──だからこそ、この“逃げるだけ”の陽動にも意味が生まれる。


 彼女たちが一騎当千であるということはつまり、それだけ絶対数が少ないということでもあるのだ。

 俺はローブの裾をはたいて汚れを落としながら立ち上がる。


「待つのは出来ない相談だと答えたはずだけど」

「ごめんなさい、問答をしている暇はないんです。あなたのお仲間が別の場所で起こした騒ぎの方に向かわなければならないので」


循守の白天秤プリム・リーブラ】は基本、二人一組で巡回任務に当たっている。

 だからこその、俺の陽動とクシナの本命。

 ヒナタちゃんペアが担当する巡回地区で二箇所の事件を起こし、ツーマンセルを引き離すことが目的だった。


 クシナからは「10分だけ稼いでくれる?」と言われているが、俺が通報されてから今まで5分そこそこ。

 少なくとも、あと5分はヒナタちゃんを引きつけておく必要がある。


「ずいぶん余裕がないけど、そんなに相棒が心配かな?」

「……心配なんてしていません。わたしの相棒はとても強いですから」

「なら、急ぐ必要もないだろう」

「敵と馴れ合っている暇があるなら仲間を助けに行くのは当然です」

「その割には落ち着かないように見えるけど──ひょっとして」


 わざとらしく小首を傾げてみせる。


「まだ天翼の守護者エクスシアに慣れていないのかい?」


 この場にクシナがいたら白々しいと呆れられただろう。

 ヒナタちゃんが今日で初任務だなんて元から知っているのだから。

 けれど、こちらの正体を知らない少女は動揺を見せた。


「………っ」

「おや、図星みたいだね」


 ヒナタちゃんは天才で、逆立ちしたって俺じゃ勝てない。

 だから、まだ十五歳の君の弱さを突かせてもらう。

 心を揺さぶって、時間を稼ぐ。


 君のことヒロインも、今日のこと第一話もよく知っている。

 今日ここで君から逃げ回ることになるなんて、ずっと前から分かっていた。


 逃走手段も、君の天稟ルクスも思考回路も、おおよそ全て想定済みだ。

 逃走経路に至っては地下水道すらも網羅している。


「まさか今日が初めての任務だなんてことはないだろう?」

「そ、そんなことありませんっ」

「へぇ? そういうわりには、腕章が逆だよ?」

「っ!?」


 ばっと左腕を抑え、慌てて確認するヒナタちゃん。

 そこには天秤と翼を象った金の刺繍が施された腕章がある。

 正しく、天翼の守護者エクスシアたる証。つまり、


「騙し……っ」

「初々しいねぇ」

「〜〜〜〜っ!」


 くすりと笑うと、ヒナタちゃんは顔を真っ赤にする。

 ああその表情めっちゃ可愛──じゃなかった。

 彼女が平静を取り戻す前に、俺は身を翻す。

 ──プランBに移行。


「じゃあね、新人さん」

「あ……っ!」


 俺は再び屋上を飛び出し──今度こそ跳ばずに、真下へ落ちる。

 地面に激突する瞬間、またしてもふわりと着地。振り向きもせずに、そのまま裏路地を駆け出した。


 こうして身を隠さずに走っていれば、ヒナタちゃんは諦めずに追い縋ってくるだろう。


「もう許しませんから!」


 ほらね。

 ちなみにプランBのミソは上下の立体軌道。

 ヒナタちゃんの《加速》は、あくまでスピード補正であって肉体を強化する効果はない。


 俺と違って、地面にレッツ・フリーフォールというわけにはいかないのだ。

 とはいえ、狭い路地裏である。


「ふっ、えいっ、やぁっ」


 あの主人公なら左右のビル壁を蹴り降りながら追いかけてくるなんて平然とやる。

 あっという間に縮まっていく彼我ひがの距離。


 そんなことは当然、分かっていた。あと掛け声が可愛いこともね!

 なので、俺は慌てず騒がず進路を急転換。十字路を右に曲がる。


「その程度で、わたしから逃げられると──わぁっ!?」


 プランC、『立地をうまく活かそう』。

 俺を追って勢いよく飛び込んできたヒナタちゃんは、咄嗟に壁を蹴って急停止した。


 彼女の前を遮るのは、縦横無尽の電線・・

 ビル同士の距離が近い路地裏だと、配線が入り組んでいるところがある。

 要はそれを利用して障害にしてやろうぜ、というのがプランC。


「さっきから絶妙に人がイヤなことをぉ……!」


 ヒナタちゃんがぷんすか怒ってる間にも俺は走り、彼女の次の行動は何か考える。

 電線群の上から追いかける、ならプランD。

 一旦地面に降りる、ならプランE。

 あるいは、


「そう来るか」


 ヒナタちゃんは入り組んだ配線のを突き進んできた。

 掴んで、蹴って、弾みをつけて。

 抜群の運動神経と《加速》の強弱で距離を縮めてくる。


「じゃあ、プランFでい──」


 そこで。

 俺は重大なことに気づいた。

 気づいてしまった。


 繰り返すが、ヒナタちゃんは【循守の白天秤プリム・リーブラ】の隊員だ。

 彼女ら天翼の守護者エクスシアには腕章と同様、巡回任務中に隊服を身につけることが義務付けられている。


 だが、それらは全くもって同じものというわけでもない。

 個々人によってアレンジがされていることがほとんどだ。

 その見た目をもって、隊員それぞれが治安維持の偶像アイドルとして扱われるのである。

 それは新人であるヒナタちゃんも同様。


「追いつきました! もう逃さな──」


 あっという間に追いついてきたヒナタちゃんは丁度、もうすぐ俺の頭上に差し掛かろうかという所。

 そしてヒナタちゃんの隊服は、白地に桃色の差し色が施されたもので。

 下は──スカートだった。

 だから、真っ白なプリーツスカートの下。


「……ピンク」

「え……?」


 フードで隠れていてもこちらの視線の向く先がわかったらしい。


「ひっ──きゃああああっ!!」


 ヒナタちゃんはぎゅっと両脚を合わせて、スカートを両手で抑えた。

 ほぼ真上なのであんまり意味はないのだが、それよりも。


「……ぁ」


 電線なんて不安定な足場の上でそんなことをすれば、当然バランスも取れなくなる。

 くるっと電線がひっくり返り、ヒナタちゃんの身体も逆さまになった。


 猫じゃあるまいし。

 いくら恵まれた天稟ルクスや身体能力を持っていようと、上下も分からず空中に投げ出されてできることなんてない。


 ましてや高さは10メートル近く。

 自分がどうなるか悟ったヒナタちゃんは、宙空でぎゅうっと目をつむる。

 しかし、


「ぅ──あ、れ……?」


 彼女の落下が、ふわりと止まった。

 恐る恐る目を開いたヒナタちゃんが、今の状況に気づく。


 俺の腕の中──いわゆるお姫様抱っこを、敵の男にされている状況に。


「ふぇっ!?」


 元はと言えば俺のせいだし、本当に敵ってわけじゃないし、そもそも君のオタクだし。

 助けずに見てるわけがない。


「え!? な、なんっ!?」


 今の状況が理解できても、その理由は理解できないヒナタちゃんが腕の中で狼狽える。

 対する、俺は────。



 ♦︎♢♦︎♢♦︎



代償アンブラ』。

 それは文字通り《天稟ルクス》の代償として在るものだ。

 そのため大抵の場合は、その人の天稟ルクスに関係あるもののことが多い。


 例えば、カフェ店主であるユイカさんの代償アンブラは『虚言』だという。

 そこから考えられる彼女の天稟ルクスは、真実か嘘、もしくは発言に関わる何かだろう。


 このように《天稟ルクス》と『代償アンブラ』はどちらかを知ればもう一方を推察することもできる。

 だから普通、他人には教えられない個人情報として扱われるのだ。


 また代償アンブラは、それが課せられるタイミングも人それぞれである。

 ユイカさんなら、彼女の『虚言』は“常時展開型”に属する。

 いつも支払われる代償、というわけだ。


 この他にも三つのパターンが存在し──俺の場合はその中の一つ、“促成展開型”と呼ばれるものだった。

 一言で表すなら「後払い制」である。


 天稟ルクスを使った後、「代償を払わねば」という強迫観念が徐々に脳内で強まっていくという、代償アンブラの中でも随一のウザさと陰口を叩かれるものだ。

 そして《分離》に対応する、俺の代償アンブラは───。


「あ、あの……」


 先ほどまでの勢いがしぼみ、腕の中で頬を淡く染めているヒナタちゃん。

 そんな彼女の脚を抱える右腕をするりと引き抜く。

 すたっと軽やかに降り立ったのを確認して、


「先に謝っておく。ごめん……っ」


 ヒナタちゃんの背中を支えたままの左腕で──ぐいっと抱き寄せた。


「──ひゃうっ!??!?」


『接触』。

 より詳しくは『他者との接触』。

 それが、俺の代償アンブラだった。


「っ!? っ??!、!?!??」


 両腕でぎゅううっと小柄な身体を抱きしめる俺。

 腕の中で身悶えしながら、言葉にならない悲鳴を上げるヒナタちゃん。

 こんな状況でも俺の頭の中を占めるのは「《分離》を行使した分の『接触』を支払うこと」だった。


 これが促成展開型の代償アンブラの特徴。

 支払いの催促は水のように頭の中を満たしていき、一度でも支払いが始まるとダムが決壊したようにそれを行う。

 今回は陽動作戦開始前から準備や下調べに天稟ルクスを使いまくってたのが災いした。


 ──やばいやばいやばい全然代償アンブラが終わらないいいいいい!!


 代償アンブラの支払いでいっぱいになった脳内の片隅で焦りだけが募っていく。

 それでも途中で止めることなどできず、やがて──。


「……っ。あぅ……」


 時間にして、実に30秒ほど。

 最初の方はじたばたともがいていたヒナタちゃんは既にくったりと力を抜いていた。


「──っ!」


 正気を取り戻した俺が一瞬で飛び退る。

 残された天翼の守護者エクスシアの少女は、その場でぺたんと座り込んだ。


「ご、ごめっ……! 今のはっ、違くてっ……!」


 咄嗟に何か言い訳しようと口を開くが、何も言えることが思い浮かばない。

 そんな俺をよそに、ヒナタちゃんは顔を耳まで真っ赤にして俯いたまま。

 片手でスカートの前を、もう片方の手で胸元をきゅうっと抑えている。


「はぁ……はぁ……」


 天稟ルクスがもたらした男女の確執により、この世界の女性は基本的に男性と接する機会が少ない。

 父親以外と話したことがないなんて女子もざらにいるくらいだ。

 要するに男への免疫が皆無な子が多く──主人公ヒナタちゃんも、それは例外ではない。


「お……ぃさんにも、あたまなでてもらったことしかないのにぃ……」


 あわあわする俺の耳に、ヒナタちゃんの呟きがぼそりと聞こえた。

 多分おとうさんにも頭撫でてもらったことしかないって。

 な、なにかフォローを……。

 いやでも、今の俺はイブキじゃなくて〈乖離カイリ〉であって──、


「───あ」


 ふと思い至る。

 そうじゃん、俺の目的、陽動じゃん。

救世の契りネガ・メサイア】の印が入った懐中時計──これが団員証の役割を果たしている──を開く。

 指定された10分が、ちょうど経過したところだった。

 もう一度、ヒナタちゃんの方へ目を向ける。


「よ、よくもぉ……っ」


 彼女は涙目でこちらを睨みつけながら、よろよろと立ち上がる。

 いつもは優しさを湛えた明るい桃色の瞳がぐるぐると渦巻いていた。


 ──うん、逃げよ。


「じゅ、充分に時間は稼がせてもらったよ。それじゃあ、またね、ヒナタちゃん」


 俺はくるりと反転。

 すぐそこに迫っていた表通りに飛び出した。


「ま、待ちなさ──」


 未だ治まらぬ混乱か、羞恥か。

 ヒナタちゃんが再び俺を追いかけてくることはなかった。



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