第2話 初めまして、正義のヒロイン

 俺が「指宿いぶすきイブキ」に転生する前。

 つまり前世において、一番好きだった漫画がある。

 それは『私のた夢』という作品だ。

 略称は『わたゆめ』。


 この世界の元となった作品である。

 ──あるいはこの世界が元となってできたのが『わたゆめ』だったのか。


 どちらにせよ、この世界が完全に『わたゆめ』という作品とリンクしているなら、俺はこの先の展開を知っているということになる。


 問題は二つ。

 一つは、『わたゆめ』が未完の作品だったこと。


 前世の俺は重度の『わたゆめ』オタクであり、展開だって完璧に記憶している。

 だが、それは刊行されている範囲での話だ。


 原作の方はまだまだ折り返し地点といったところで、俺は結末を知ることなくこの世界に転生してしまった。


 もう一つは、この世界の「指宿イブキ」の中身が”俺”だということ。


 原作のイブキは、ヒナタちゃんにとってただの顔見知りの「近所のお兄さん」だった。

 しかし、いまの俺は彼女とは幼少期からそれなりに関わりを持っている。「近所のお兄さん」よりは距離感も近い。


 とはいえ。

 前者に関しては考えるだけ無駄。

 元々、これから先の未来を知っている方がおかしいのだ。

 むしろ途中まで知っているだけで儲けものである。


 後者に関しても、現時点で多少の誤差が生じている程度。

 俺も「イブキ」も物語を大きく変えるほど大それた人物ではないし、ヒナタちゃんの行動は原作とほとんど変化ないだろう。


 つまり、俺が知っている物語の前半部分に、現時点で変わった箇所はない。


 ──だからこそ、俺は今ここ・・に立っていられる。


「ね、ねえ、あのローブ、【救世の契りネガ・メサイア】のだよね」


 ここは東京の主要都市、桜邑おうら

 その駅前には、さながら華の都パリのごとく何本もの目抜き通りが延びていた。

 そのうちの一本、十階前後の高さのビルが立ち並ぶ大通りに、一際目立つ時計塔があった。


「通報は?」

「もうしてる!」

「警官隊がビルの下を包囲してるって!」

「も、もっと離れようよ」

「これだけ離れてれば大丈夫だって」


 街のシンボルでもある時計塔の頂上を──こちらを見上げて指を差し、ざわつく観衆の輪が広がっていた。

 彼らの表情に混じり合うのは不安と敵意、そして一抹の好奇心。

 その矛先は俺自身というより、悪の組織として名高い【救世の契りネガ・メサイア】の黒いローブ姿そのものに向けられている。


 それを一身に受けながら、深呼吸。

 緊張はしている。多少どころではない。気を抜くと足が勝手に震えてしまいそうなほどに。

 それでも、


「──うん、大丈夫。準備は万全だ」


 【救世の契りネガ・メサイア】に所属してから初となる今回の任務、それは陽動だった。

 本命はクシナの方であり、彼女が目的を遂行させやすいように邪魔者を引きつけておくことが求められている。

 ゆえにクシナは駅を挟んだ街の反対側におり、この場にいるのは俺一人だ。


 あの心配性の幼馴染は最後まで俺の心配をしていたが、こちらの説得によりしぶしぶ自分の任務へ向かった。

 事実、騒ぎを起こして逃げる程度の役目なら、俺の戦闘向きではない天稟ルクスでも十分にこなせる──そのはずだった。

 残念ながら、クシナの心配は数十分の後に現実のものとなる。


 今日、これから始まるのは原作『わたゆめ』の第一話だ。

 憧れのヒロインとなった主人公ヒナタ初めの一歩プロローグ

 初任務で彼女が捕まえた相手が顔見知りイブキであったことに衝撃を受け、なんやかんや乗り越えて決意して……みたいな諸々がある。


 で、その第一話にありがちなthe・咬ませ犬が「イブキ」だ。


 この世界には極少数だが天稟ルクスに目覚める男性がいる。

 彼らは「男性が虐げられているこの世界を変えよう!」みたいな思想を抱くやつも多い。


 そういう手合いのほとんどは【救世の契りネガ・メサイア】なんて名前の、いかにも世界を解放しそうな集団に所属する。

 原作の「イブキ」はまさにそれだった。


 ……まあ、色々あって結局、今の俺もこの組織に身を置くことになったのですが。


 おそらく「イブキ」も今の俺と同じ指令を受けていたのだろう。

 警官隊と真正面からやり合った彼は、駆けつけたヒナタちゃんによってあっけなく制圧され、あえなく刑務所送りとなる。


 原作のイブキくんは、この世界で天稟ルクスに目覚めた男にありがちな「自分は選ばれたのだ」という傲慢な考えに浸る愚か者であったから仕方ない。

 なにより──相手があの天才、傍陽そえひヒナタだったのだから。


 しかし、それは原作での話だ。

 今のイブキ──俺にこんなところで捕まる気はない。


「……来た」


 ずざぁっという着地音が背後で響く。

 直後、強風が吹きつけられた。

 人域を超越したスピードでやってきた彼女・・の余波だ。

 風に煽られて揺れるフードを押さえながら、俺は振り返る。


「────」


 天稟ルクスによる事件が横行しはじめた世の中で、警察はその力を失った。

 それに代わるようにして政府管理の下、新たな治安維持組織が構築される。

 白染めの軍服を纏う彼女達こそ、現代における治安の要。

 異能犯罪対処のエキスパート。


「【循守の白天秤プリム・リーブラ】第十支部所属の天翼の守護者エクスシアです」


 春の陽光のような普段の声音とは違う、芯の通った声音。

 純白の外套コートがひるがえる。


「神妙に、お縄についてもらいます」


 傍陽ヒナタヒロインの桃色の瞳が、まっすぐにこちらを射抜いた。


「──残念ながら。それはできない相談だね」


 努めて、淡々とした声を出す。

 そうでもしないと、内心渦巻く興奮とか歓喜とか緊張とかが暴れ出しておかしくなってしまいそうだった。


 だって、ついに俺は立ち会っているのだ。

 あれほど熱狂した最推しキャラの、その第一歩に。


「……一応訊いておきます。【救世の契りネガ・メサイア】の構成員で間違いありませんね?」


 こちらが男であったことで若干の躊躇が生じたのであろう。

 最終警告とばかりにヒナタちゃんが尋ねてきた。

 だから精一杯、気張って応える。

 彼女の前で情けない姿を晒さぬように。


「ご名答。俺は【救世の契りネガ・メサイア】構成員──」


 本当は敵として君の前に立つ以外の道もあっただろう。

 けれど紆余曲折を経て、悪の組織に身を置くと決めた。

 ならばいっそ、と思ってしまったのだ。


「コードネーム〈乖離カイリ〉だ」


 大好きだったこの世界に転生して、最推しの君が実在する。

 ならば俺が憧れた、天翼の守護者エクスシアとしての傍陽ヒナタをこの目で見たい。

 だから俺は、君の敵としてここにいる。


「これから、よろしく頼むよ」


 敵の言葉にしては奇妙なものだったからだろう。

 ヒナタちゃんはやや怪訝そうな表情を浮かべた。

 そんな彼女に、くるっと背を向けると、


「…………え?」


 俺は──全力で、逃げ出した。


「───えええっ!?」



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