ex 彼の決意を無駄にさせない為に

 八尋が向かった民家から少し離れた場所で、レイアは八尋が帰ってくるのを待っていた。

 落ち着かない。

 呼吸が荒い。

 この場所に八尋を連れてきた事に対する自責の念に首を絞められているようだった。


 ……八尋はユーリを殺すつもりであの場所へと向かった。

 真っ当な善人であるユーリを善人であると認識しながら、それでも彼を殺害する為にあの場所へと向かった。


 差し伸べられた手を。

 差し伸べさせてしまった手を取ったのは他ならぬ自分だ。


 だけどやはりその手は取るべきではなかったと。

 絶対にこんな事をさせては駄目だったと、息が苦しくなってくる。

 そしてそうなっても……いざとなったらその手をきっと握り締めてしまうのは分かりきっているから、本当に質が悪い。


「本当に、最悪な女だ……私は」


 ……どうして自分なんかが八尋の前に現れてしまったのだろうと思う。

 もし志条八尋が自分と出会わなければ、きっと今もこの先も最高のヒーローで居られた筈だ。

 抱えていた問題もきっと烏丸や……八尋ならきっと出会えるであろう誰かが解決してくれて。


 とにかく、こんな形で尊厳を踏みにじらせる事は無かった。


 ……だけど、そんな事を考えながらも自分が八尋の隣にいる事の優越感や幸福感は消えてなくならない。

 与えられる価値なんて物は自分には無いのに、無尽蔵に与えられ続けている。


 そんな八尋に自分は何を返せるのだろうか?


 仮に八尋が作戦を終えて無事出て来たとして、その時の八尋の心が無事では無い事なんてのは分かりきっている。

 戦いに望む前ですらぐちゃぐちゃで、もう殆ど壊れていたような物だったのだ。

 事が終わればきっともっと酷い事になる。

 そうやって戻ってくる八尋に……果たして自分に何ができるのか。

 何をしてやれるのか。


 ……そんな事を考えてはみるけれど、結局ろくな考えが浮かんでこなくて。

 代わりにノイズとして紛れ込むように、自分を抱き締めて安心させてほしいという願望が浮かんできて……そんな自分に嫌気が指す。


 そんな風に、ぐちゃぐちゃな思考を回していた……次の瞬間だった。


「……ッ!?」


 状況が動いた。

 民家の壁を貫くように、人体が勢い良く宙を舞って飛び出してきた。

 その姿を、肉眼で捉える。


「や……ひろ?」


 志条八尋の姿を視界に捉える。


「八尋!」


 そう叫んで、強化魔術を発動させ無意識に走り出した。

 何が起きたのか、一瞬分からなくなったがすぐに理解が追い付く。


 八尋は失敗した。

 反撃を喰らい……宙を舞っている。


 異世界最強の勇者の攻撃を喰らって、弾き飛ばされている。


「八尋……」


 レイアが全力で走れば八尋が転がっている場所まですぐに追い付く事ができる。

 そして追い付く事ができて……絶句した。

「……ッ」


 血の海。床にうつ伏せで倒れる八尋を中心に、血の海が広がっていた。


「八尋! おい! しっかりしろ! 八尋ォッ!」


 八尋の前に屈み込み、名前を叫ぶが返事は無い。完全に意識を失っている。

 そして慌てながら脈を取る。


(良かった、まだ生きている……まだ……ッ)


 だけど、その先は。


 記憶が消える前、罪の無い人々を苦しめる為に多種多様の魔術や力を身に付けた。

 この二年間、烏丸の弟子として八尋と共に魔術を習い、多種多様の魔術と技能を身に付けてきた。


 だけどそのどこにも……治癒魔術は存在しない。

 あらゆる魔術をすぐに覚えたレイアでも、治癒魔術に対する適正は全く無かったのだ。

 まるで生まれながらに誰かを傷付ける事しか能がないとでも言わんばかりに。


 故にこの先には進めない。


(どう……すれば……このままじゃ……八尋が死んでしまう……ッ)


 レイアというどうしようもないクズには、志条八尋を救えない。


「いやだ……やだぁ……八尋ぉ……ッ」


「どいてくれレイアさん!」


「……ッ」


 思考がぐちゃぐちゃになるレイアに、そんな叫び声が届いた。

 八尋にこの致命傷の怪我を負わせた張本人の声。

 凄まじいスピードで跳んできたユーリは滑るように八尋の前で着地すると、懐から宝石のような物を取り出す。

 そしてそれを地面に叩きつけると、八尋を中心に魔方陣が展開された。


「そ……れは?」


「国連が俺に持たせてくれた使い捨ての治癒の魔具だ! これだけの怪我は俺の治癒魔術じゃもうキツい! でも国宝級の出力を持つコイツなら……ッ!」


「なんで……なんでお前が八尋を助けてくれるんだ……」


「助けない訳がないだろ! 八尋は悪くないしこれをやったのは俺なんだぞ! 八尋の攻撃のヤバさに反応して条件反射で手が出ちまった!」


 おそらく、紆余曲折あって八尋はユーリに例の一撃を打ち込もうとした。

 八尋が必死の努力の末に身に付けた、痛々しいからあまり使って欲しくなかった必殺技を。


 それは……本当に、ユーリにも届く一撃だったのだろう。

 積み重ねた努力はそれだけの力をその手に宿させたのだろう。


 ……だけど結果的にそれが、この状況を招いた。

 本当に危険だと思ったからこそ、ユーリの生存本能が働いた。

 働いて、殴り飛ばすか蹴り跳ばすかをしたのだろう。

 その結果がこれだ。


「……頼むッ」


 そして祈るように魔具を見詰めるユーリ。

 そんなユーリに……自分を殺そうとした相手を必死に助けようとしている善人に、レイアは問いかける。


「私に……私にできる事はあるか?」


「……祈ってくれ。八尋の事を何も知らない俺より……蹴り跳ばした俺なんかより、きっとレイアさんの祈りの方が届く。届く筈だ」


「……」


 言われた通り、レイアは祈る。

 八尋の意識が無事戻ってくる事を。


 そしてその間、二人の間に会話は無かった。


 ユーリは自身の治癒魔術が魔具に干渉でもするのか、それを使わずにただ深く祈り。

 レイアもそれしかできないからとにかく祈った。

 それしかできない事を歯がゆく思いながら。


 自分を一人にしないで欲しいと、そんな願望を混ぜながら。


 そしてそれから5分程経過した頃だろうか。

 静かに小さく、破砕音が耳に届いた。


「……こ、壊れたぞ、その魔具……」


「元々致命傷を負った奴を応急処置する為の魔具だ。でもきっと役割は果たせてる」


 言いながらユーリは八尋の体に触れる。


「傷は最低限塞がった。失った血液も最低限生成されている。これで……とりあえず一命は取り留めた筈だ」


「よ……良かった……」


 それを聞いて、全身の力が一気に抜ける。

 そして……そのまま膝を付いて、ユーリに頭を下げた。


「……ありがとうございます」


「お、おいやめろ、頭をあげてくれ。そんな様は八尋に見せられないって……というかほんと、レイアさんには殺されても文句は言えねえんだ。これをやったのは俺なんだからさ」


「おそらく最初に殺そうとしたのは八尋……なんだろう? だったら正当防衛だ。あなたは悪くない……全部、私が悪い」


「……いや、俺が悪いよ。八尋にあんな理不尽な話しかしてやれなかった俺が全部悪いんだ」


 言いながらユーリは今度は自力で八尋に治癒魔術を掛け始める。

 そして、申し訳なさそうな静かな声音でレイアに言う。


「……そういうどうしようもない理不尽な話を、これからレイアさんにもしようと思う」


「……ああ」


 頷きながら、恐らくその話は理不尽でも何でもない話なのだろうと悟った。

 そもそも気でも狂っていなければ、何を言われても理不尽だとは思えないだろう。

 そしてそれから、八尋と話していたであろう事をユーリは語り始める。


「まず前提条件としてキミは悪くない。それでも……このままキミをどうもせずに帰る訳にはいかないんだ」


「その前提条件は間違っているよ。全部悪いのは私だ」


「キミじゃないだろう、やったのは。キミは見ていただけだ。見せられていただけだ」


「……見ていて、何もしなかった」


 だから加害者だ。


「お前の仲間が殺されるのも黙って見ていた。だけど私はそれを止められたんだ。私だって一日の間に数秒意識を奪う事位は出来た。だから、攻撃を打たれた瞬間にコントロールを奪って全部終わらせる事だってできたんだ。一歩踏み出すだけで多くの惨劇を止められたんだ」


 擁護しようのない加害者だ。


「……そんな事を馬鹿正直に言える辺り、やはりキミは救われるべきだ。でもそんな考え方は間違っていると思う。自分が自殺すれば全部解決するなんて、そんな選択は間違ってるだろ」


「……悪いのは私だよ」


「……その事はちゃんと八尋にも話した方が良い。俺の言葉より、アイツの言葉の方が響く」


「……嫌われないだろうか。私は自分の意思で私を止めなかったんだ」


「嫌うような奴なら……こんな事になってねえだろ。で、此処から先が八尋をブチギレさせた理不尽な話だ。よく聞いて欲しい」


 そしてユーリは言う。


「キミには現在、国際裁判の一審で死刑判決が出ている。このままでは俺が帰還した所で次の手が打たれるだけだ……それを避ける為には、最高裁で無罪判決を勝ち取るしかない。その為に被告人として裁判に出てきて欲しい」


「……どう考えても無罪な訳がないだろう、私が」


「そんな事はない。二重人格の殺人犯が心神喪失とみなされ無罪となった判例も数多く存在する。そしてキミは間違いなく二重人格だ。いや、そうだったというべきか」


「だとしても……私は一人二人を殺したのとは訳が違うんだぞ」


「キミじゃない」


「……だとしても、許される事じゃない。許されて良い事じゃない。そもそも私はまともな人間ですらないんだ。判決は揺るがない」


 だから、まず間違いなく死刑判決は覆らないだろう。

 そしてユーリもこの話を理不尽な事と言っていた。この案を考えたユーリ自身がその裁判に勝つことが難しいと考えているのだろう。


 だからそういう話をするゆとりがあの場で生まれても、最終的に元のプランを実行に移した。

 とにかく、その案を受け入れるという事は、死を受け入れると同義だ。


 ……元よりそれを拒んだから数々の悲劇が巻き起こされた。


 それを拒んだから八尋は尊厳を踏み躙った上でこういう事になってしまっている。

 自分は今まで多くの場面でそういう選択を取れずに此処まで来てしまっている。


 だけど……今回ばかりはそれは駄目だと、強く思った。


 ユーリの言う何もせずに帰還した場合の次の手が何なのかは分からない。

 だけどそれが実行された場合……結果的に再び八尋が心身共に傷付く事になるだろう。

 それは駄目だと、心身ともにボロボロになっている八尋をみていると思える様になってきた。


 本当に今更だけれど。

 あまりにも遅すぎるのだけれど。

 ようやく思う事が出来てきた。

 ……だから。


「それでも……分かったよ。やろう、その裁判を」


 どんな形であれ自分のやって来た事に決着を付ける覚悟ができた。

 ユーリが此処で終わらせる気が無いのなら、別の形で終わらせる覚悟は出来た。


「全部終わりみたいな顔で言うな……勝ちに行くんだ」


「……ああ。まあ許されるなら、許して欲しいとは思うよ」


 無理だとは思うけれど。

 そして無理だと思うからこそ。

 八尋が無理だと思って戦う判断をしてくれたからこそ、急ぐ必要がある。


「とにかく……そういう事なら早く行こう。一刻も早くだ」


「いや待て、そこまで別に急がなくても良い。大体行くにしても一旦八尋と別れる事になるんだ。ちゃんと話を──」


「八尋は意識を取り戻したら、きっともう一度戦ってくれる。それは駄目だ」


「……」


「駄目なんだ、もう」


 だからこそ、八尋が目を覚ます前に事を済ませなければならない。

 八尋がこれ以上傷付く事の無い様に。急がなければならない。


「……良いのか、それで」


「……ああ、それで良い」


 そうでなければならない。

 そう思い呟いた次の瞬間だった。


 ……八尋の手が動いて、レイアの足を掴んだのは。


「……ッ」


 レイアが何処にも行けないように、強く握り締めてきたのは。


 意識はまだ戻っていない。

 体だってまともに動かせるような状態ではない筈だ。

 それなのに……強く、とても力強く、握り絞められている。


『もし今後、私の記憶が戻ってきたとして……その時私が八尋達の元から離れようとしたら。その時は八尋が私を止めてくれ。頼むよ』


 まるで、先日の約束を果たそうとするように。

 こんな状態になっても動いてくれている。


 自分を助けようとしてくれている。


 そしてふと脳裏を過った。

 八尋に引き留められるように、思考が搔き乱された。


 その意思を蔑ろにしても良いのかと。

 それはただ単に意地汚く自分が生きていても良い理由を探しているだけなのかもしれない。

 それでもこのまま死にに行くのが本当に正しいのかと、そんな考えが湧き出てくる。


 湧き出てきて、思考を覆い尽くして。

 やがて、一つの結論が出た。


 きっと正しくは無いのだろうけど、それでももう迷う事の無い、強い意思が生まれてきた。


「……すまない。やっぱり私は行けない」


 自分という存在は、こんな形で死ぬ訳にはいかない。

 だってそうだ。


「……八尋は私を助ける為に自分の尊厳を踏み滲った。ぐちゃぐちゃになるまで踏み滲ったんだ。この先色々な事が綺麗に片付いたとしても、その事実は消えない……騙し騙しやっていけても、きっともう元には戻らないんだ。全部全部、私を助けようとしてそうなったんだ」


「……」


「だったら……私がこのまま死んだら。一体八尋は何の為にこんな事をやったんだって事になる。それは……そんな事だけは絶対に駄目だ」


 だから、抗わなければならない。


「私自身がどうするべきだと思うかなんてもう関係ない……関係無いんだ。もう選ぶ権利が無い。私はもう八尋の物だよ。八尋に死ねと言われるまで、私は死ねないんだ」


 そう言って、歯を食い縛って。なんとか全身に力を入れた。

 そして……八尋の治療をしているユーリの不意を付くように殴り掛かった。


「……」


 それにユーリは驚く事もなく、まるで当然の事だと受け入れるように静かに臨戦態勢を取り、大きくバックステップして攻撃を躱し、レイア達から距離を取る。

 そんなユーリに追撃を放つ為に、レイアも構えを取った。


(すまない……ユーリさん)


 言われた言葉一つ一つはあまりに理不尽から程遠く、全てがこちらへの配慮に溢れていて。

 どうしてこの男は此処まで他人に寄り添った事が言えるのだろうと不思議に思うし、こういう人間がきっと本物のヒーローという奴なのだろうとも思った。


 そんなユーリはきっと引かない。

 きっと最後まで逃げる事は無い。

 そんな相手にどうすれば我を通せるのか。


 答えは一つ。

 こんなやり方しか浮かばない。


 どうしようもない自分には、そんなやり方しか考えられない。

 とにかく、そんなやり方しか考えられなかったのだから……もうそれを貫いていくしかない。


 もう一人知っている本物の……レイアにとって最高のヒーローの行動を無駄にしない為に。

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