6 真相

 辿り着いた民家の玄関は乱暴に破壊されていた。

 住む人が居なくなり徐々に朽ちていくのは分かるが、何をどうすればこういう壊れ方をするのだろうと思う。野生動物が体当たりでもしたのだろうか?


 ……まあそんな事はどうでも良くて。

 八尋は強化魔術を発動させながら、民家の中へ足を踏み入れる。

 するとリビングだろうか? 玄関と同じように扉が破壊されている部屋があった。

 その部屋を覗くと……そこにターゲットは居た。


「……八尋一人か」


 ボロボロのソファに腰を沈めた、鏡でも見ているように窶れたユーリがそこに居た。

 拘束の魔術は……掛かっているようには思えない。

 そしてレイアを探したりする為の魔術を使っている様子も無い。

 ただ静かに待ち人を待つように、ユーリはそこに力無く座っている。

 そして言った。


「これからやろうとする事に、レイアさんを関わらせたくないって事か。まあ……きっと、八尋のような魂の人間はそうする」


 こちらが何をしに目の前に現れたのかを察しているようにそう言ったユーリは、それに対して臨戦態勢を取る事はしない。

 その必要も無いと判断しているのか……その別の何かか。

 それは分からないが、すぐに行動に移れなくなるような違和感が八尋を支配していた。


(ユーリの奴、今……レイアさんって言ったか?)


 レイアをおそらく同じ世界からこの世界にやってきているであろう顔も知らない女性と認識していた、南米で出会ったばかりの時とは違う。

 その顔も知らない女性が追っていた猟奇殺人犯だと判明した今、その言葉使いや声音に酷く違和感を感じた。


 そして困惑する八尋に。

 自分を殺しに来ている八尋に、優しげな声音でユーリは言う。


「八尋……少しだけでいい。話をしないか」


 目の前の少年は敵である。

 目の前の少年は敵である。

 目の前の少年は敵である。

 これから殺さないといけない相手だ……それでも。


「……ああ」


 全身に纏わり付いた違和感と、そうするべきだと湧き上がってきた感情が、自然と八尋を対面のソファへと腰を沈めさせた。


「……ありがとう。俺は問答無用で攻撃されてもおかしくない立場だ。そうされたって文句も言えない立場だ」


「言えるだろ。俺のやろうとしている事に正当性は無い」


 レイアに言っていた事と真逆の事を口にする。ユーリには偽る必要も無い。


 正当性なんてあるわけが無い。

 全てにおいてユーリの行動が正しくて、自分のやろうとしている事は間違っている。

 レイアを助けようとする事は、本当にただの私利私欲だ。


 だけどユーリは言う。


「正当性はある。あるべきだ。お前にとってレイアさんは大切な存在だった筈だ。八尋がどこまで知っているのかは分からないけど、今こうして動いているという事は、その気持ちは変わっていない筈だ。どんな形であれ大切な人を救う為の行動は……一定以上尊まれるべきだろ」


「……ねえよ」


「……あくまで俺の個人的な見解だ。気に入らなければ聞き流してくれてもいい。だけど……此処から先に話す事は、可能な限り頭には入れておいてほしい。まず一つ目だ」


 そう言ってユーリは立ち上がると……深々と頭を下げる。


「……本当にすまない事をした」


「……は?」


「俺がレイアさんに危害を加えた事。そしてそれが原因で思い出さない方が良い事を思い出させて傷付けてしまっている事についての謝罪だ。許されるなら、後で本人にも頭を下げたい」


「ちょっと待て……ちょっと待てよおい」


 八尋は思わず言う。


「お前……自分の世界から逃げてきた猟奇殺人犯を追ってきたんだよな」


「……ああ、その通りだ」


「その犯人だと判断したからレイアを攻撃したんだよな?」


「……その通りだ」


「だったらその謝罪は一体──」


「魂の本質が全く別の物に変わっていた」


「魂の……本質?」


「俺はあの時八尋に言ったよな。記憶が消えた位で魂の本質が変わる事は無いと。だけど初撃を加えた後、追撃の為に近距離で捉えたレイアさんの魂は……とても透き通った綺麗な物へと変わっていた。魔力も容姿もあの女と全く同じなのにだ」


「……それであの時、お前は追撃をしなかったのか」


「ああ。できる訳がなかった。止まらざるを得なかった。だけど……見当違いの相手を攻撃した訳じゃない。間違いなく俺が感じ取った魔力はあの女の物だった」


「実際人違いって事はねえだろうな。お前と出会って記憶を取り戻したレイアは……自分が殺人鬼だった事を否定しなかった。酷く想い詰めていた」


「でも否定せず思い詰められる位、その魂は様変わりしていたんだ……そしてこれは俺にとっては謝罪すべき事で、お前にとってはあまりに大きな朗報となる筈だ」


「朗報?」


「レイアさんは誰も殺していない」


「……は?」


 これまでの事を全てひっくり返すような事を言われて、思わず間の抜けた声が出る。

「俺があの時レイアさんを見て驚いた事は二つある。まず一つは今言ったように同一人物である筈なのに魂の本質が真逆の別人のように変わっていた事。そしてもう一つは……別人のようなその魂に微かな既視感が有った事だ」


「既視感?」


「ああ。それが何かは記憶を辿ればすぐに分かったよ……それを見たのはあの女と戦っていた時だ。あまりにもドス黒い魂をしていたから、その綺麗な部分が目立ったんだろうな」


「つまり……どういう事だ?」


「俺の推測が正しければ、あの肉体には二つの魂が宿っていたんじゃないかと思う」


「それってつまり……二重人格って事か?」


「ああ。ただ俺が戦った時に微かな違和感としてしか捉えていなかった程、その綺麗な魂は弱弱しい物だった。二重人格の話で言えば、俺が追っていた猟奇殺人鬼がほぼ全ての行動権を得た主人格。レイアさんは副人格って事になるんじゃないかと思う。そして俺との戦いに敗れて主人格は死に、副人格であるレイアさんが表へ出てきた。そしてこの仮説が正しければ……俺達があの時話していた事は何も間違っていなかったという事になる。朗報だろ」


 魂の本質は記憶を失った程度では変わる事は無い。


「レイアという人格は、殺人なんてやっていない」


「ああ。お前が見てきて俺に語ったレイアさんなら……そんな事は出来ない。あの人は猟奇殺人の実行犯どころか、まともな神経でそんな現場を何十件も何百件も見せられてきた被害者だ」


「で、でも……アイツは、自分の事を殺人犯って、否定しなかったぞ」


「レイアさんの中では別人格も含めて自分なんだろ。自分がやった事に責任を感じているんだ。背負わなくても良い責任を背負っている……ただそれだけだ。加害者なんかじゃない」


 それを聞いて、どこか気持ちが楽になっていくのを感じた。

 志条八尋という人間には人の魂を知覚する力などない。

 人の心を正確に読み取る読心術が使える訳でもない。

 故に当然、語られた言葉に対する答え合わせもできやしない。


 それでも……レイア自身が記憶を取り戻して認めてしまって八方塞になっていたレイアが無実であって欲しいという願望は、そんな情報をスポンジのように余すことなく吸い取っていく。


「まあ……多分、レイアなら、そうする……かもな」


 聞いていて泣きそうになってくる。

 レイアは人殺しなんてしていない。

 その事実であって欲しい事が、嬉しくてたまらない。


「ああ……そう言うよアイツなら」


 そして……それが事実なのだとすれば、やはりこの場にレイアを連れて来なくて良かった。


「……お前がそう言うんだったら、もうそれで間違いないんだろうな。なら後考えるべきなのはレイアさんのメンタルケアの話だ。とても難しい話だとは思うが」


 尚更レイアに人殺しをさせる訳にはいかないのだから。

 そうしなければならない可能性は、あまりにも大きいのだから。


「……それで、ユーリ」


「ん? なんだ」


「……なんでこれにて一件落着みたいな空気出してんだよ」


「……」


 状況は随分と好転した。

 レイアはほぼ間違いなく殺人を犯しておらず、おそらくここまで親身になって考えてくれたユーリはきっとレイアを殺そうとしたりしない。

 そしてこうして改めて話ができる位にある種和解の様な物ができたのならば、八尋達三人で口裏を合わせて、烏丸が敵に回るかもしれないというリスクを回避し、二年前の篠原の一件の様に着地させる事が出来るかもしれない。


 そう……口裏を合わせなければならない。

 合わして隠さなければならない事がある。

 そして……既に隠せず知っている人間が大勢いる。


「今の話を聞いて納得するのは、俺達だけじゃねえのか?」


 ユーリは言っていた。

 レイアは世界の敵だと。

 それで既に死刑判決まで下っていると。


「世界の敵の猟奇殺人犯には魂が二つありました。二重人格でした。主人格は消え、今の人格は無害で優しい性格です。だから彼女には非難の目を向けないでください……通るかそんなの」


「……」


「個人間での話なら、まだそれでも通るかもしれない。だけどそれですらかもしれないなんて曖昧な事だ……もし誇張なく世界の敵なんだとしたら、多分多くの人間はレイアを許さない……少なくとも俺なら許せない」


 レイアの人格が記憶喪失になった際に変わっていたらと考えた時と同じだ。

 もし自分の人生を狂わした魔術結社の主犯が二重人格で、主犯である主人格が消えて無くなって善良な副人格が表に出ていたとしても、殺された人達が返って来る事は無い。

 怒りの感情が消える事は無い。

 今回の件は、その規模を大きくしたような話。


「お前みたいな優しい奴ばかりじゃないと……それは通らない。答えろ。これからどうなる」


「……それは」


 ユーリは暫く俯き黙り込んだ後、やがて静かに言葉を紡ぐ。


「もう各国の政府機関が、この世界に殺人鬼の魔力反応を確認している。そして世界の代表として来た俺が失敗すれば……多分何かしらの次の手が打たれる」


「次の手……」


「何が来るかは分からない。だけど……多分、穏便にはいかないと思う。俺も元居た世界じゃ発言力がある方だけど……この世界で見たままの事を告げても、多分抑えきれない」


「……ッ」


「でもそれは……俺が手ぶらで帰った場合だ。俺の主観でしか物事を伝えられない場合だ。全く策が無い訳じゃない」


「……何をするつもりだ?」


 そして、少し躊躇うように間を空けて、絞り出すようにユーリは言う。


「今度は被告人としてレイアさんを法廷に立たせて裁判をやり直す」


「レイアを……法廷に立たせる?」


「法の世界に感情論は干渉できない。だけど……あの女はそんな当たり前すら適用できない程に歴史的な大罪を数えきれない程犯している。そんな中で戦おうと思えば……俺の証言だけじゃ絶対に足りない。被告側は取れる限りの手段を全て取らなければ勝てない。そしてそれに勝てれば、少なくとも表向きな機関の動きは抑えられる。厳しい戦いにはなると思うが……俺はそれしかないと思っている。勿論俺も弁護側に付く」


「……」


 ユーリがやろうとしている事は理解した。

 どう考えたってレイアの置かれた状況は最悪で、その最悪を脱する為の手段を真剣に考えて、そうした手段を提示しているのは理解できた。


 ……本当に目の前のユーリという少年は凄いと思う。


 ユーリにとってレイアは赤の他人の筈だ。

 その赤の他人の為に、世界の敵の側で世界と戦うと言ってくれているのだ。

 純粋にその姿勢は凄いと思うし、何よりレイアの為にそこまでの事をしようとしてくれているユーリには、本当に感謝の気持ちが大きい。

 レイアの味方でいてくれてありがとうと思う。

 ……それでも、駄目だ。


「……それは、レイアを元の世界に連れて帰るって事だよな」


「一時的にだけどな」


「……一時的な訳ねえだろ。それで終わりだよ」


 ユーリのやろうとしている事はとても真っ当で、正当性があって。

 だけどそれでも、あまりにも理想論がすぎる。


「勝てる見込みは薄い。そもそも勝負の場に立つまで命があるかも分からない。仮に勝ったとして……俺は殆ど状況は変わらないと思う」


 それを否定して何か代案を立てられる訳ではない。

 それでもその選択は、レイアに遅効性の毒を盛るような物にしか思えなくて。


「だから、レイアを連れて行かせる訳には行かない。接触もさせてたまるか」


「八尋!」


「悪いありがと。それだけは言っとく」


 そう言って立ち上がる。


 おそらくユーリは、はいそうですかと黙って帰ったりはしないだろう。

 ユーリにはユーリなりの正義があって、八尋に知覚できなくても彼の魂はそれを貫ける程綺麗な物なのだろう。

 だったら……力尽くで止めるしかない。


 例え、命を奪ってでも。

 ここで終わらせてでも。


 ……もう、覚悟はできている。


 全身を流れる魔力を操作して、ブーストを発動。

 体が軋む程の肉体的負荷を代償に、出力を飛躍的に上昇させる。


 それでもユーリにはまるで通用しないのは分かっている。

 先程戦った時は、全力の蹴りを打ち込んでも微動だにしなかった。

 それだけの実力差が八尋とユーリの間にはある。


 ……だからこそ、勝ち筋が見えてくる。


(……いくぞ、ユーリ)


 右手に意識を集中させた。

 元よりブーストという技能は、別に得た力から派生させた副産物だ。


『八尋君は強化魔術とその使い方を伸ばしていく方針で考えている』


 烏丸からそう告げられ、これまで半端に取り組んでいた強化魔術以外を使えるようにする練習は、烏丸から課せられる地獄のようなトレーニングメニューから外された。


 それでも……合間を見付けて自主的に取り組み続けた。


 二年前に致命傷を負ったレイアが死なせずに済んだのは、自身の特異体質とレイアの特異体質がうまく嚙み合った偶然の結果に過ぎない。

 もし似たような状況に陥った時、志条八尋はその誰かに手を差し伸べる事はできない。


 そんなのが嫌だったから、必死に頑張り続けた。

 結果、魔術が発動する代わりに、激しい衝撃と共に右腕が粉砕骨折するに至った。


 強化魔術の様な体内で完結する術式以外は、体外に向けて魔力を注ぎ込む必要がある。

 そのプロセスに失敗し続け……結果、大量の魔力が術式を破壊して暴発するに至った。

 強化魔術以外の魔術の代わりに……諸刃の剣を手に入れたのだ。


『これは酷くコスパの悪い技だね』


 烏丸はその力をそう評した。


『例えば僕やレイアちゃんならこの威力の攻撃をほぼノーリスクで打てるけど、キミの場合は残弾一。打つたびに片腕が粉砕骨折する。中々評価するのが難しいよ。だけど……これをキミが打てる事に大きな意味がある』


『大きな意味、ですか?』


『八尋君は昔よりは結構強くなったけど、それでも普通に弱いよね』


『ひ、否定しませんけど……なんで俺唐突にディスられたんですか』


『この場合はプラス要素だよ。キミが弱ければ弱い程。相手との実力差があればある程この技は生きる』


『どういう事ですか?』


『キミの攻撃を避ける間でもないと思うような相手に撃ってみろ。ナメた相手にボクでもあまり喰らいたくない程度には強い一撃が叩きつけられる事になる』


『ようは自動的に不意打ちになるって事ですか?』


『そういう事』


 ……そう、自動的に不意打ちになる。

 こちらの実力を見ただけで測り、攻撃を避けるわけでもなく微動だにせずに受け止めた異世界最強の魔術師には……この一撃が突き刺さる。

 ……ぶっ殺せる。

 そして八尋はユーリを殺害する為に手を伸ばす。


(ごめんユーリ……ごめん!)


 そう心中で謝罪しながら。


 次の瞬間、人体に致命傷を与えられる一撃が炸裂した。

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