8 自己保身と自己犠牲のダブルスタンダード

 どうしてレイアを助けに戻ってしまったのかは自分でもよく分からない。


 とにかく無我夢中で、頭の中は真っ白で。

 そんな状態でレイアを抱えて駆け込んだのは薄暗い路地裏だった。


 此処に駆け込んだ事に合理的な理由なんて何もない。

 考える余裕も無く、走り続ける体力も無く、精神も酷く摩耗しきって。

 そうなった時に辿り着いたのがこの場所だっただけ。


 レイアを地面に下ろした八尋はフラフラと壁にもたれ掛かり、そのままその場に座り込んだ。


 その場から一歩も動ける気がしなかった。

 怖かった。殺されるかと思った。

 死にたくない。

 助けて欲しい。

 そんな感情が抑えられず溢れ出して、全身の震えが止まらない。


(どうする……どうすれば……)


 奇跡的に逃げられた。

 だけどきっと長くはもたない。

 補足されて殺される。


 そんな状況でどうすれば。

 どうすれば自分の命だけでも助かるのか。

 必死に。

 必死に必死に。

 自らの身の保身の事を考え続けた。

 いつもの様に。今まで通り寸分たがわず、自己中心的な事だけを考え続けた。


「ありがとう八尋。お前のおかげで助かった」


 だからこちらに歩み寄って目線を合わせて言ってくれたその言葉を、受け止められない。


「……止めてくれ」


 受け止められないから、罪悪感と共に溢れ出した。


「……俺にはお前に礼を言って貰える資格なんてない」


 自分の中だけで押しとどめていた感情を吐き出した。


「どうしてだ。お前は私を助ける為に戻ってきてくれただろう?」


 そして吐き出して、踏み込まれれば。

 もう止まらない。


「お前を……助ける為……なんかじゃない。お前の為なんかじゃない。違う……違う筈だ」


 懺悔の言葉が止まらない。


「全部……自分の為だ。最初から……最初から最後まで自分の為なんだよ。全部。生きていちゃいけない俺が生きていく為に……全部その為の偽善なんだ」


「生きていちゃ……いけない?」


 理解できないという表情でそう呟いたレイアは……八尋の胸倉を掴んで引き寄せて叫ぶ。


「そんな人間いる筈無いだろ! それに何が有ったかは知らないが少なくともお前は――」


「いるんだよ此処に!」


「……ッ」


 八尋の叫びに一瞬怯むような表情を浮かべたレイアだが、八尋の胸倉を離してそれから……それでも静かに踏み込んでくる。


「……何があった」


「俺の所為で……大勢の人が死んだ」


「……何?」


「親父も母さんも姉ちゃんも! 柳内も康介も……マコっちゃんだって! 皆俺が巻き込んだから死んだんだ!」


 そう、皆死んだ。

 志条八尋は今日も大勢の善人の屍の上に立って生きている。

 自分の所為で死んだ善人の屍の上に。


「……俺、特異体質持ちで色々巻き込まれたって言ったよな」


「……ああ。詳細は聞いていないが……その時か?」


 レイアの言葉に素直に頷いて言う。


「俺の体質は俺個人じゃ何の役にも立たないし、寧ろ足を引っ張る事しかしない。でも極一部の人間には喉から手が出る程欲しい力だったみたいでさ……襲われたんだ。魔術結社に」


「魔術結社……魔術を使う犯罪者集団のような物か」


「まあ……そうだな、うん。大体……そんな感じ」


「だったらなんでそれでお前が生きていちゃいけない人間になる! 悪いのはその魔術結社とやらだろう!? お前も巻き込まれた周りの人間も皆揃って被害者だ! お前は何も悪く――」


「んな訳ねえだろ俺は加害者だ!」


「……ッ!?」


「知識が無くても自分を狙っている連中がまともな人間にどうこうできる奴らじゃない事位は分かる筈だ! 分かってた! それでも……縋ったんだ。次から次へと何人も……ッ」


 そう、縋った。その結果その先で何が起きるのかを薄々感づいていたのに。


「それはもう、その人達を意図的に……殺して周ってるような物だろ!」


「……ッ」


「そんな人間が……生きていて良い訳ねえだろ……ッ」


 理解できない物を見るような、そんな怪訝な表情をレイアは浮かべる。

 どうして理解されないのかが不思議だった。


 志条八尋は人殺した。

 志条八尋は殺人鬼だ。

 志条八尋という人でなしは、罪を償って死ななければならない。


「だけど……死ぬ勇気なんてないから。死ぬのは怖いから。死にたくなんて無かったから」


 だからその罪から逃れる為に。

 責任からほんの一時でも逃れる為に。

 震えを止めて図々しく生きていく為に。


「誰かの為に何かをする自分に酔って……自分なんかでも生きていて良いんだって、自分自身に言い聞かせたかったんだ。お前を助けたのも……そういう事だったんだ……ッ」


 それが、全ての答え。

 烏丸信二に弟子入りしたのもその為だ。


 誰かを救えるような人間でありたい。

 その誰かの為に頑張る自分に酔って生きていても良いんだと肯定したい。


 一人で抱え込もうとするレイアを引き留めたのも、誰かを助ける自分に酔っただけ。


「だから……礼を言って貰える資格なんて……」


「あるよ、お前には」


 レイアは八尋の目を見て言う。


「信じがたいし理解しがたいが、八尋は本当にそうやって自分を追い込んでいるし、語った動機も嘘では無いのだろう。否定してやりたくても、きっと間違いなく志条八尋はそういう人間だ。それは他人がどうこう言って捻じ曲げられる話ではない」


「だったら……」


「でもお前は私を助けに戻ってきてくれた。死ぬ勇気も無いと語ったお前がだ……生きていても良いと思う為に投身自殺をしたようなものだぞあの行動は」


「……」


「それができる人間の行動原理が自己保身だけな訳が無いだろう。お前は最初から何も嘘を吐いてなかったんだ。自己保身と自己犠牲。どちらもを主軸にしたダブルスタンダード。ただそれだけの話だ」


 そして小さく笑みを浮かべて、優し気な表情で言ってくれる。


「八尋はちゃんとヒーローをやれてるよ。格好良かった。心強かった……ありがとう」


 そんな、こんなどうしようもない、死ななければならない人間を肯定するような言葉を。

 ……そうだ、どうしようもない。

 結局そういう言葉を掛けられても、自分の中の自己評価は変わらない。

 志条八尋という人間は死ななければならないクズだ……それでも。


「……ッ」


 向けてくれた肯定の言葉は、涙腺を激しく刺激して。

 何も為せていないのに。

 成そうともしていなかった筈なのに、どこか報われた気がして。

 涙が溢れて止まらなくなった。


 そして何も言葉を返せないでいる八尋に、優しい口調でレイアは言った。


「だからお前はこんな所で死んでいい人間じゃない。これからゆっくり一歩ずつ。一歩ずつで良い。少しづつ前に進んで、私のような誰かを助けてやってくれ」

 そんな別れの言葉のような物を。


「……どうやら此処までみたいだな」


 どこか覚悟の決まったような静かな口調でそう言って、レイアは立ち上がる。

 そして彼女の見た方向に視線を向けて、思わず目を見開いた。

 ……そこには再び鞘に納めた刀を手にした女が立っていた。


(……まさかレイアの奴……ッ)


 だとすればその言葉は。

 その意思は止めなければならない。

 それでも八尋が静止させる前にレイアは両手を挙げて言う。


「あなたの狙いは私だろう。今からそっちに行く……だから此処では穏便に済ませてくれ」


 そう言ってレイアは一歩一歩重く震えた足取りで前へと進む。

 志条八尋という人間をこれ以上自分の問題に巻き込まない為に。


(駄目だ……駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!)


 このまま行かせたらレイアは死ぬ。

 確実に殺される。

 自分なんかをヒーローと呼んでくれた女の子が殺されてしまう。


(……それは、駄目だ)


 半ば無意識に、震える手は札へと伸びた。

 自己保身から湧いて来る気力はとっくに折れている筈なのに。

 そして仮にレイアの言う通り自己を犠牲にしてでも誰かを助けようとする気概が自分なんかにもあったとしても、今はまだこの程度の状況で折れてしまう程度の脆弱な意思で、自己保身から湧いてきた気力と共に既にへし折られている筈なのに。


 それでも、どこかから不思議なくらいに、気力が湧いてきた。

 ……この気力は一体何なのか。

 今立ち上がろうとしているのは、どういう自分なのか。

 それは分からないが……それでも。


「行くなレイア!」


 自分のようなクズの事を肯定してくれた。

 こんな自分を格好良かったと言ってくれた。

 せめてそんな女の子一人位は、命に代えても助けたいと思ってしまった。


 その思い全てを両足に込め、全力で地を蹴りレイアの前へと躍り出た。


「逃げろ、走れ!」


 そして建物の外壁に青い札を勢いよく張り付ける。

 次の瞬間、八尋とレイアの間に半透明の結界の壁が展開された。

 こんな物を張った所で目の前の女には容易に突破される。

 そんな事は分かっている。


「ちょっと待てやひ――」


「いいから早く行けよ頼むから!」


 だけどきっとこういう物を張らない限り、レイアは前へと出てくると思ったから。

 そして自分自身の退路を潰して置きたかったから。


「……ッ」


 背後から一瞬躊躇ったような声が聞こえたが、それでもやがて遠ざかる足音が聞こえて来る。

 ……安心した。

 レイアならこの場に残り続けてしまうんじゃないかと心配だったから。


 それでも逃げてくれた。

 志条八尋という人間を犠牲にする選択を選んでくれた。


 それでいい。それでレイアが生き延びてくれるなら。


(……これでいいんだ)


 そして震えた手足で構えを取る……絶対に勝てない戦いに臨むために。

 ……そうだ。勝つ見込みなんて何処にもない。


 十中八九敗北する。それだけの実力差が自分と目の前の女の間には存在する。


 だから自分にできる事は時間稼ぎだけ。


(……これでいい!)


 一分……いや、十秒も持たないかもしれないが、それでもいい。


 それでもかつての自分が色々な人に命を繋いで貰った末に烏丸信二に辿り着いたように、志条八尋の稼いだ十秒がレイアを救える誰かに辿り着く切っ掛けになるかもしれないから。


 その何の根拠もない十秒前後の負け戦に、これまでの全てを。

 保身と憧れの全てを乗せる。


「掛かってこいや! ぶっ飛ばしてやっからよぉッ!」


 叫び散らしながら全力でアスファルトを蹴った。

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