4 打開策

 どうやらレイアという名前らしい少女には現在、シャワーを浴びて貰っている。

 流石に血塗れの衣服のままで居させる訳にはいかない。

 どこかに移動するにしても絶対に通報されるだろうし、そうでなくとも女の子にそんな格好をさせてはいけないと思った。


「……」


 一体彼女は何に巻き込まれているのだろうか?


 傷が再生するレイアの特異体質を利用しようと魔術結社が動いたのだとすれば、そもそも放っておけば死ぬような怪我を追わせる意味がなくて。

 だとすれば特異体質は関係なく、何かしらの事件に巻き込まれて大怪我を追ったレイアを誰かが空間転移系の魔術で転移させたか。

 はたまた記憶を失ってはいるけれど実はレイアも魔術師で、死に物狂いで逃げ出して結果この場所に辿り着いたか。


 少なくともレイアが何かの加害者という事はないだろう。


 記憶を失っているとはいえ、人間性がそこまで変わるとは思えない。

 巻き込んだ誰かの事を考えて出て行こうとした彼女からは強い善性を感じられた。


 そして……意識が消える前。

 記憶が消える前のレイアは、理不尽な事に巻き込まれたというような事を言っていて、それが彼女が被害者である事を裏付ける。


 なんにせよ、分かるのはこの一件が死人がでかける程の深刻な問題であるという事だけ。

 と、そう考えている内に脱衣所からレイアが出てきた。


「すまんな、シャワーどころか着替えまで借りてしまって」


「こちらこそ悪いな、古いジャージ位しか用意できなくてな。サイズ合うのそれしか無くて」


「何故八尋が謝るのだ。そもそも普通に女物の衣服出されたらビビるぞ私」


「確かに……っとそうだ、コーヒーでも入れるわ」


「何からなにまで本当に済まない」


 そう言ってレイアはちゃぶ台の前にちょこんと座る。


「ブラックで良かったか?」


「ああ、それで構わないよ」


「了解」


「…………あ、ごめんやっぱり砂糖とミルク入れてもらえるか?」


「いやこんなしょうもない事で見栄張るなよ……」


 言いながらインスタントコーヒーを入れてレイアに差し出し、八尋も腰を下ろす。

 そしてコーヒーを飲み、少し落ち着いた表情を見せるレイアに八尋は言う。


「飲みながらでいい。とりあえず……これからどうするかの話をしてこうぜ」


「そうだな。だが先にいいか? これからの話をする前にいくつか聞いておきたい事がある」


「……まあ大体察してるつもりだけど……お前が目を覚ますまでの事だろ」


「ああ。私は致命傷を負っていた筈だ。だが今、私の傷は完治している。一体何が起きたんだ」


「えーっとだな……」


 どうしたもんかと頭を悩ませる。


 もし今現在のレイアの頭に魔術の知識が残っていたなら、治癒魔術で治癒されたと考えるのだと思うが、どうやら様子を見る限りそれはなさそうで。

 だとすれば何も知らない状態で突然自分の体が自己再生したという斜め上の事実を伝えなければならなくなる。


 それでも言わなければ話は進まなくて。

 本人も常識的に考えて理解不能な事が起きた事は察しているのだろうから。

 察しているからこそ聞いているのだろうから。


「その、納得してくれるかは分からねえけど……簡単に言えば自己再生した」


 起きた事をありのまま話す事にした。


「自己再生……」


「俺がお前を治療する為に手を触れたタイミングだったな。体が光って傷が塞がったよ」


「なるほど。そんな事が……まあ分かった。それで他には?」


「他には……っておい、今の反論無しで呑み込むのか? 結構無茶苦茶な事言ってるぞ俺」


「確かに無茶苦茶な事を言われてはいるが……八尋は嘘を吐いていないだろう?」


「いや、まあ吐いてないけど……なんでそんなに確信持って言えるんだ?」


「直感……というより見たままを言っているんだ。お前は嘘を言っていない。そう思う」


「直感って……」


「言いたい事は分かるがそれでも、お前が今まで私に言った事が全部本当だという事は何故か分かるんだ。もしかすると記憶を失う前は読心術でもやっていたのかもしれないな」


「……とりあえずそう思ってくれるんなら、色々スムーズに行きそうで助かるよ」


 そう言いながら、レイアはただ人の事を信じやすい質なのだろうと考える。

 今までの話は全部本当……そんな訳が無い。


 助ける為に手を差し伸べられた理由が私利私欲の為なのだから。

 語った理想は大嘘だ。

 そして何を言っても信じそうなレイアは、話を深く掘り下げる。


「それで、これは私の憶測なんだが、八尋は私の身に起きたのがどういう現象なのかをある程度把握しているんじゃないか?」


「……どうしてそう思うんだ?」


「目を覚ますまで時間的余裕が有ったとはいえ、八尋は自己再生という超常現象に対してさほど驚いていないように思える。という事は……知っていてもおかしくないなと思った」


 これに関しては直感というよりは推理に近い。実際的を得ている。

 今こうして関わっているのが、この業界に足を踏み入れる前の自分だったとすれば、今の落ち着いたレイアよりも困惑して取り乱し続けていただろう。

 だが今の自分のようにある程度冷静でいられたのならば、そう思ってもおかしくは無い。


「どうだ?」


「まあ……大雑把な事しか分からねえけど、一応な」


 そう答え、一呼吸置き思考を纏めてから大雑把に魔術や特異体質の存在を説明していく。

 魔術にしても特異体質にしても、八尋には視覚的に分かりやすい情報を提示する事は出来ない訳だが、それでも自身の肉体の自己再生を簡単に受け入れた人間が相手だ。

 最後まで聞いたうえで、疑いなど抱いていなさそうな表情で言う。


「つまり私が一定の状況下で治癒能力が向上するような特異体質だと」


「ああ。お前の傷が治りだしたのは俺の手が触れてからだったからな。と言ってもそんな簡単な事が治癒のトリガーになるのかって思うけど」


「逆に八尋が触れた相手を治癒させるような特異体質なのではないか? 私の様な大怪我を負った相手に触れるなんてのはそうある事ではない訳で。それを今日知覚したとか」


「それはねえな。触れた事あるんだよ何回も」


「触れた事があるって……八尋の仕事は見習いからそんな事をするのか!?」


「いや、触れたのはその見習いになるきっかけになった一件でだよ」


「きっかけ?」


「レイアの言ったような奴ではないけど、俺も特異体質持ちでな。それが原因で色々巻き込まれて……その時、そういう事もあったな」


「……そうか」


 レイアがそう呟いて、そこから部屋の中は静寂に包まれる。

 ……それ以上深く掘り下げないでいてくれる。

 レイアがいたたまれないような表情を微かに浮かべている辺り、色々と察してくれたのかもしれない。

 気を使ってくれている。


 だったらそれに甘えさせてもらおう。

 あまり気分良く話せるような事では無い。


 とにかくこれで、レイアの体が再生した事についての話は一旦終わり。

 それが終われば。

 事の詳細を話したのならば。

 これだけは謝っておかなければならない。


「というかお前に謝っとかねえと……悪いな。勝手に薄い可能性にベットするような真似して。特異体質っていう奇跡がなかったら、ほぼ確実にお前は死んでた」


 色々と説明する過程で、自身が治癒魔術をうまく使えた試しがない事は告げた。

 そんな事しかできない無能だという事は告げた。

 一応そう判断するに至った理由も説明はしたが、彼女からすれば理不尽も良い所だろう。

 理不尽によって致命傷を負わされ、理不尽によって見殺しにされかけた。

 レイアにはそれを糾弾する権利がある。その筈なのに。


「八尋の判断は何も間違っていない。私一人の命と、私を助けようとして巻き込まれるかもしれない大勢の人の命。どちらの天秤が重いかなんてのは分かりきっているから」


 ……本当に、なんでそんな事が言えるのだろうと思った。

 心から尊敬する。


 本当に、なんで自分はそんな事を言えなかったのだろうと思った。

 心から軽蔑する。


 対照的だ。どこまでも。


 昔の自分も。

 今の自分も。


 目の前の少女とはどこまでも対照的なろくでなしだ。


「とはいえ結局八尋に頼ってしまっているから、そんな事を言えるのもこうして今生きているからに過ぎないんだろうな」


「目を覚ました時一人で飛び出そうとしていたんだから、お前の気持ちは本物だよ」


「そうか……そう言ってもらえると嬉しいな」


 そう言って小さく笑みを浮かべたレイアは一拍空けてから言う。


「そんな風に言ってくれて、手まで差し伸べてくれた八尋の命の方がきっと重い。いよいよとなったら切り捨ててくれても構わんからな」


「……あんまりそういう事言うなよ。人の命なんてのはみんな著しく重いんだから」

 嘘だ。少なくともレイアよりも、自分の命は遥かに軽く価値が無い。


「……ああ、ありがとう」


 そして記憶を失う前のレイアも今と同じく、命の価値が重い人間だったのだろう。


(……そうだ。一応言っておいた方が良いか)


 自己再生の件が終わったが、それ以前の出来事を伝えておかなければならない。

 そして不可解すぎる自己再生の話が終われば、レイアもその話をするつもりだったのだろう。


「……さて、話は変わるがもう一つ聞かせてくれ。八尋、お前が私を見付けた時、私に意識は残っていたか? 記憶を失う前の私と言葉を交わしたりはしていなかったのか?」


 今後の行動方針に繋がるかもしれない大切な話。

 だけど残念ながら此処から先に役立つかもしれない情報はほぼ無いと言っても言い。


「少しだけな。お前はあんな理不尽な事で死にたくないって言ってた」


「あんな……というと?」


「それは分かんねえ。助けを求められてそれだけ伝えて、お前の意識は消えてなくなった」


「……それだけか」


「ああそれだけ。精々お前が自業自得で死にかけた悪人とかじゃないって分かった位だな」


「これから先の行動に全く役立ちそうにないな……もっとなんかマシな事言っておけよ私」


「いや目が覚めたら記憶消えてるなんて普通は思わないだろうからな……っとそうだ、役に立つ話じゃないけど、そういうのでも良かったらもう一つ提供できる情報がある」


「ほう。どういうのだ?」


「お前の一人称が妾だった」


「……本当か?」


「ああ、本当の話」


「えぇ……なんだその一人称。なんかこう……痛々しくないか?」


「…………まあ」


「だろぉ!? 妾は無いだろう! 何その……こう、偉そうで高飛車な感じで……嫌だ色々と! それに加えてこの気温であんな馬鹿みたいな服装してた訳だろ私! あーもうなんか記憶戻ってきてほしくない! どう考えたって完全にヤバイ奴だ私!」


「いや、でもまあ……うん、大丈夫だって」


「何がだ!? ……な、なあ、もしかすると私が理不尽って思ってただけで、実際は結構やらかした因果応報だったりしないか? 私がそれに気付いていなかっただけで!」


「いや、それはねえだろ」


 そこだけはフォローする事ができた。


「記憶が消えても、結局根っこの所で同じ人間なんだからさ、エキセントリックだったのは一人称とファッションだけで、自分のやった事棚に上げて被害者ぶるような、そんなろくでもねえ奴って事はねえ筈だ……少なくとも俺はお前の事をこの短い時間でそう言える人間だと判断している。お前はそういう人間じゃねえ」


「そ、そうか。そう言ってくれるのは嬉しいが、面と向かって言われると恥ずかしいな」


「……た、確かに。言うのもなんか恥ずかしいわこれ」


「で、そう言ってくれる八尋でも、エキセントリックな奴に思うよなぁ……」


 これに関しては本当にショックみたいなので、これ以上は触れない方が良いだろう。

 第一そんな事を触れている暇があるのなら、そろそろ後ろを振り返らず前を見るべきで。


「よ、よし! じゃあそろそろこっからの話をしよう」


 話を逸らす意味合いも込めてレイアにそう提案した。


「あ、ああ……そうだな。そうしよう……そうしてくれ」


 レイアもどこか逃げるように頷いてきたので、改めて思考を回す。


「まず此処から先、多分お前は命を狙われる。一体どういう経緯でこうなったのかはさっぱりだけど、今回の一件は魔術絡みの殺人未遂ってのが一番しっくり来る訳で。そうなってくると、お前がまだ死んでいないという事は相手にとっては不都合な筈だ」


「つまり何かしらの手段で私が生きている事を知れば、改めて私を殺しに来ると」


「ああ。そんでその何かしらの手段として魔術が使われれば、お前が生きてる事も此処にいる事も結構簡単に悟られる。そんでそれを悟られないようにする為の防衛策は現状ねえ」


 魔術による探知を逃れる結界術は存在しているが、それもまた発動できた試しが無い。

 仮にできた所で発動できただけの拙い結界では、プロの魔術師相手には紙切れも同然だ。

 そしてそれはつまり、現状まともに発動できているだけの肉体強化も同様。


「そんでこのまま補足されりゃ結構詰みな状況だ。見習いの俺じゃプロの魔術師には勝てねえ。悪いけど……それは正直に言っとく」


「謝るな。で、一体八尋はどうするつもりなんだ?」


「お前がシャワー浴びてる時からずっと考えてる。思いついてればお前には悪いけど、今までの話は全部後回しにしてた。タイムリミットがいつになるのかも分かんねえからな」


「成程……では悠長にコーヒーのお代わりを貰っている場合ではない訳だ」


「……残念ながら悠長にお茶せざるをえない状況だよ。それ以外何もやれねえ」


 言いながらマグカップを受け取りお代わりを淹れに立つ。


「あ、そうだ八尋」


 注いだコーヒーに砂糖を入れた所で、何か思いついたのか明るめの声でレイアが言う。


「八尋は見習いな訳だろう。であれば師が居る筈だ。その人に頼ってみるのはどうだ?」


「残念だけどそれは無理だな。いねえんだ今、世界を救いに行ってるから」


「世界を……救いに?」


「ああ、冗談抜きでそんな感じ。元々は行方不明になった人を探して欲しいって依頼だったんだけど、事を追い続けたら国家転覆の危機に立ち向かう事になったらしいんだ」


「なにやらとんでもなく凄い人を師にしているようだな……」


「凄いぞあの人は。自他共に認める最強の魔術師だ。あの人に勝てる奴なんて誰も――」


 そう言いながらレイアにマグカップを手渡そうとして……そこで、脳裏に過った。


「……どうした?」


「思いついたんだ……打開策を」


 言いながらマグカップを引っ込める。


「悠長にお茶してる場合じゃなくなった。今すぐに移動しよう。安全地帯に」


「安全地帯? そんな所があるのか?」


「ある。多分世界有数の安全地帯と言っても過言じゃねえ。最強の魔術師の事務所にカチコミ掛けられる奴なんて、世界中探してもそういねえだろ」

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