2 自己再生

「……ッ!?」


 思わず勢い良く後退った。


 確かに荒事に関わるような業界に足を踏み入れている。

 だけどそうした耐性はまだ付いていない。

 付くような仕事をさせてもらっていない。

 ……殺人現場染みた状況に出くわして、落ち着いてなどいられない。


「け、警察……いや、救急車……」


 慌ててポケットのスマホに手を伸ばすが、そこで手を止める。

 耐性は付いていなくても、足を踏み入れはしているのだから。

 辛うじて思考が回った。


(……いや、どっちも駄目だ! こんなの絶対に魔術が絡んでるに決まってる!)


 戸締まりはしていた。

 そして血が付着しているのは少女を中心とした床だけで、窓からその場所までの血痕は確認できない。

 つまり密室の部屋の中に突然血まみれの少女が現れたという事になる。


 それは魔術でなら可能だ。

 魔術だからこそ可能だ。


 つまりこの不可思議な惨状には魔術師が絡んでいる。

 だとすれば警察や一般的な病院などには頼れない。

 頼っては駄目だ。


 過去に自分を助けようとしてくれた魔術師ではない表の人間がどうなったのかを知っているから。

 だから頼れない……だけど。

 だとすれば。


「……けて」


「……ッ!?」


「あんな理不尽な事で……死にたく……ない。妾はまだ……死にたく……」


 そう言って朦朧とした目付きでこちらに手を伸ばしてくる少女を、一体どうやって助ければいいのだろうか。


 考えながら再びスマホに視線を落とした。

 警察や病院には頼れない。

 だが誰よりも頼れる人間の連絡先が此処には登録されている。


 烏丸に頼れば少女の治療から、ここに至った問題の解決までの全てを委ねる事ができる。


 ……だが今、彼は頼れない。

 そして連絡先を知っている頼れる人間は、烏丸ただ一人だ。


 烏丸は何でも一人でこなせるが故なのか魔術師の人脈が薄い。

 故にその弟子という立場の八尋の人脈など無いに等しく、つまりは誰も頼れない。

 伸ばした手を力無く落とした少女が頼れる相手は、志条八尋しかいない。


「くそ……ッ!」


 無我夢中で動き出した。

 考え付いた選択は二つ。

 止血か、もしくは今だに一度も発動できた試しのない治癒魔術に全てを委ねるか。


 前者はすぐに論外だと除外した。素人がどうにかできるような傷でないのは明白で、そもそもこの出血量では止血出来たとしても輸血が必要だがそんなのは出来る訳が無い。


 ならば選択肢は自然と後者に絞られる。

 可能性は限りなくゼロに等しいが、それでも奇跡に委ねる他ない。

 そう思って既に意識を失った少女の背中に手を触れた……次の瞬間だった。


「……ッ」


 少女の体が淡く光った。

 治癒魔術が成功した訳ではない。

 まだ発動を試みてすらいない。

 少女自身が、八尋の手が触れた瞬間に何かを起こしたのだ。

 そして思わず目を見開く。


「……治ってる」


 これだけの出血量の原因となった傷以外にも、少女の手などには小さな傷があって……それが今、ゆっくりと塞がった。

 それはまるで治癒魔術でも掛けられているかのように。


 それを見て驚愕と同時に、少し安堵できた。

 そして魔術の世界に足を踏み入れているからこそ、この状況を受け入れる事ができた。


(……特異体質か)


 人間はごく稀に常人を逸した体質を持って生まれてくる。

 きっとこの少女もそうなのだろう。

 意識を失っていて、魔術を使えている筈がない彼女の傷が塞がったという事はつまりそういう事だ。

 ……とにかく、このままいけばこの少女は助かるかもしれない。


「……よかった」


 こうなるに至った手を触れられるという状況を維持したまま、少女が死なずに済むかもしれないという状況に安堵し、そのまま少女が目を覚ますのを祈りながら待つことにした。

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