第10話 ニーサの技能

 天蓋付きベッド。当然のごとく、使われているシーツは輝かんばかりのシルクだ。つり降ろされた濃緑の天幕は金糸で精緻な刺繍が施されている。


 いやベッドだけでは無い。この部屋全体が、様々な趣向を凝らした逸品で満ちあふれている。家具、敷物、壁紙は言うまでもなく、そこかしこに配置された陶磁器の人形。螺鈿製の宝石箱。そして壁一面を埋め尽くさんばかりの絵画。


 その絵画の中に女性の肖像画がある。高々と結い上げた漆黒の髪に灰色の瞳。女性は険しい表情を浮かべている。まるで喪服のようにも見える、黒色のクリノリンスタイルの豪奢なドレスからも冷たさが伝わってくるようだ。


 そのドレスを飾り立てる、首飾り、指輪。さらにイヤリングにサークレット。女性が王侯貴族の身分であることを主張しているかのよう。

 今は支術で灯されたランタンにシェードが被されているが、そこから漏れるわずかな明かりでも、肖像画の女性の存在感は確かに伝わってくる。


 この女性こそがこの部屋の主であり、ロメロ家に嫁いできたイルメス国の王女、ペピータだ。今は天蓋付きのベッドの中で寝息を立てている。


 そのペピータは寝返りを打ち、それがきっかけとなって気付いたのだろう。

 部屋の中に、ある香りが漂っていることを。イヤな香りでは無い。恐らくはハーブティーの香りだとは思うが、夜中であること考えれば異常事態と考えても良い。


 急速に覚醒したペピータは半身を起こし、ランプのシェードを一気に取り払った。


「ようやく起きて下さいましたか」


 途端に、何者かの声が聞こえてきた。

 ペピータはキルティングの寝具を胸元に抱き寄せて、その声の主を確認する。


「……お主は」

「はい。先日までこちらでお世話になっていた、解呪士でございます。奥様」


 声を発したのは果たしてニーサだった。つまりどうにかしてペピータの寝室に侵入したということだ。

 ニーサは部屋に備え付けられた小さなテーブル付きの椅子に腰を下ろしている。テーブルの上には湯気を立てるカップ。香りの元は、このカップであるらしい。


「何回か、私もお顔を拝見させていただきました。奥様も私のことはご記憶くださっていたようでいたみいります」

「確かに……お主の顔は確かに覚えております」


 ペピータはいぶかしげにニーサを見つめた。ニーサの若草色の髪がわずかに光っているように見えるのは、何かの錯覚だろうか。

 いやそれ以上に、今のニーサの出で立ち。黒装束では無いが、ドレスでもローブ姿ではなく、動きやすく機能的な服装であった。作業着のようにも見える。


 だが、そんな理由だけでは、この部屋に侵入できるはずは無いのだ。


「護衛の方々、お付き合いのある傭兵団からのご紹介ですか? 力量が伴ってはいないように見受けられます」


 まるでペピータの疑問に答えるように、ニーサがペピータ付きの護衛の質の低さを語った。それはつまり――


「お主が?」

「はい。ああ、ご安心を。命は奪ってはいませんよ。それはしないと決めていますし、何よりそこまでの事をしなくても、問題ありませんでしたし」


 どうにかしてニーサが護衛を無力化したということなのだろう。それも二人の護衛をだ。出で立ちからは体術を駆使した結果の様にも思える。

 しかし、そんな事が可能なのか。何より護衛は武装しており、それを使うことをためらうとも思えない。


 そんな状況であるのに、ニーサは護衛を突破してこの部屋にいる。それも女性の身であるのに。

 わけがわからない。


 しかし支術を使えるなら――さすがにペピータはその可能性に気付いていた。


 そもそもニーサは解呪士と名乗っている。であれば、むしろ支術を使えると考えるべきなのだろう。

 しかし、それを受け入れたところで、今の状況に対してはどうすれば良いのか……?


「の、望みは何か?」

「さすが奥様。話が早い。確かに私には望みがあります。望みというか、褒美を頂きたく」

「褒美じゃと?」


 ペピータは、意外そうに声を上げた。


「はい。言ってみれば私はいくさの場で一番槍を挙げたようなものです。ご理解いただけると思いますが、私は奥様の首に手を掛けることも可能な状態でした」


 そう言われてはペピータとしても、反論のしようが無い。

 テーブルの上で湯気を立てるカップ。ニーサがペピータに危害を加えるつもりがあったのなら、その時点で時間的余裕があったことを示しているからだ。


 また、その余裕を示すと同時に、カップから放たれる香気でペピータを起こすことまで、ニーサは意図しているのだろう。

 なんとも効率的な仕事ぶりを見せつける侵入者であるのか。


「フフ……ハハハ……確かにな。お主の言うとおりであろうよ。それに愉快な事だ。良いだろう。褒美をつかわす。わらわに何を望む?」


 ニーサのやり口に気付いたペピータの口から漏れるのは、哄笑こうしょうとも言うべき、高笑いだった。

 そこには確かに、アエーズであることを示すような、誇りを感じる事が出来た。


 敗者であることを、堂々と受け入れる潔さが。

 

 ニーサは、そんなペピータの反応をどこまで読んでいたのか。表面上は特に変化は見られない。いや、貼り付けたような笑顔は見せていなかったのだが。


「私の望むことは、解呪について奥様のご助力を賜りたい。それだけです」

「解呪? それは済んだはずでは?」

「別件です。ライアン様以上に難しい『呪い』のようでして」


 そう言われれば、不気味ではあってもペピータとしては断ることも出来ない。戸惑いながらも、ペピータは小さくうなずいた。

 だがそうなってしまうと、さらに気になってくる。


「して。具体的には? 確かにたしなみとして刺繍もわきまえてはいるが……」

「ああ、そうですね。そちらもご助力願えれば助かりますが――」


 ニーサのヒソヒソ声が寝室をひたしていく……

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