月の女神は甘く囁く

月の女神は甘く囁く

 『七』とは、昔から悪縁がある。


 ふう羽燕うえんは、隣で眠る恋人を前に頬杖つきながら思い耽る。

 夏が始まろうとするこの頃、宵の口に突如現れた月の女神と称される女人にょにん香月かげつと七度目の逢瀬にて、つい先程まで閨での睦言を交わしていた。

 開け放たれた窓から、そよ風と共に静かな虫の音が閨の中まで届く。夜の音に混じり、心地良さそうな小さな寝息が羽燕の腕の中にはある。しっかりと己の腕の中に明瞭な存在がある筈なのに、羽燕は不安に苛まれていた。


 はっきりとした根拠があるわけではない。

 ただ、幼い頃から『七』というものが、羽燕にとって不運の時であるというだけだ。


 七度目の誕生日の事だったか。高位貴族でもあると、割と大々的に成人の儀まで祝われる事が常である。その日、羽燕は祝いとして馬を貰った。貰ったのだが、ニ刻(四時間)もたった頃、突如倒れ急死した。

 不吉であると、馬を売った男が首を刎ねられたのは何とも笑えない話である。

 

 次に、十七。その頃にもなると家も出ていたのもあって祝い事は無かったのだが、訓練として出征した先で、成人の祝い(成人は十六歳)として貰った剣がポッキリと折れてしまったのだ。

 他にも、『七』に関連した事があると小なりではあるが何かが起きている。


 そして、日付が変わるまでもう四半刻(三十分)もない今。

 もう直ぐ、羽燕は二十七歳を迎えようとしている。


 状況としては、最愛の恋人が隣で眠っているだけで最高なわけだが、あまりも時期タイミング良く、しかも七度目などという言葉を携えて現れた恋人を前に、羽燕は底知れぬ不安に駆られていた訳だ。


 ――まさか、これが最後とか……


 なんて。普段、修羅とすら揶揄される風将軍ともあろう男が、内心悶々と女々しく考え続けていた。まあ、目は抜け目なく眼福に浸っているのだが。

 

 そして刻々と時は過ぎ、窓の外の虫の音に混じって遠くで夜半(夜中の零時)の鐘が今日の終わりを告げていた。


 晴れて羽燕は二十七歳となった訳だ。この歳にもなると、これと言って実感はないし、歳を重ねる事に興味もない。

 今回は一体何が起こるやら、と憂慮に耽っていると腕の中で寝息がピタリと止まる。もぞもぞと動き出し、トロンと今にも溶けそうな瞳が羽燕の視線と重なった。


「まだ起きていらしたんですか?」

「……あぁ」


 気の抜けた返事に、香月は何か勘づいたのか、羽燕へと擦り寄った。


「何か、思うところでもありまして?」


 薄紅に色付く吐息に混じり、艶のある声が羽燕の脳天を直撃した。起き抜けの妖艶な破壊力に、うっかり目線が下へ下へと移動する。


「羽燕様?」


 知ってか知らずか態とらしい声の主の顔へと目を戻すと、香月がしっかりとした眼差しに切り替わり羽燕を見つめている。


「あー、いや。先程、二十七になった」

「それはおめでとうございます」


 香月の素直な言葉に、羽燕は嬉々として喜んだがどこか晴れない。


「七の区切りは、いつも良くない事が起こる」

「例えば?」

「七つの祝いは貰った馬が当日に死んで、十七では成人の祝いで貰った剣が折れた」


 自分で言って、何となしに哀愁に呑まれ沈む羽燕を前に、香月は微笑む。

 

「では、此度は何が起こると思いますか?」

「目の前の良い女に、二度と会えないとか……」

「あら、それは困りますね」


 くすくすと小さく笑いながら、余裕を見せる香月は頬杖つく羽燕の耳元まで口を近づけた。


「羽燕様、私は羽燕様とは真逆に七の時、良い事があるのですよ?」


 と、囁く。

 嘘か本当か、妖しく微笑む月の女神を前に、羽燕は間の抜けた顔を晒していた。


「私の幸運と、羽燕様の不運。どちらが強いか、試してみますか?」


 そう言った香月の手が、艶かしく羽燕の上腕を撫でた。


「そうすれば、不運の事など忘れてしまいますよ」


 月の女神の甘い囁きを前に、羽燕はそっと手を伸ばした。


 ◆

 

 その甲斐あってかどうかは判らないが、当日、羽燕自身には何事も無かった。

 が、羽燕の従卒が一人訓練の最中に落馬してしまい、腕を骨折するという事故があった。その事に関しては羽燕は今も自らの不運に巻き込んだのではないのかと、半信半疑に囚われている。

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