第 3 幕 笑顔のばけもの


 朝。

 あてがわれたベッドの中で眠っていたルクスは、発砲音で目を覚ました。

急なことに一気に覚醒した頭でベッドから出て、大きな窓を覆っている重いカーテンを開く。

そこから見えたのは、的を狙い銃の練習をしているマーシャだった。

一発、二発。

三発目は外していたが、四発目はまた当てている。


「マーシャちゃんって銃つかうんだ……」


今日もウォルテクスは曇天だ。

いつまでもこうしている訳にもいかないため、もたもたと寝間着から専用の服へと着替える。

これはマーシャがルクスに「貴方にはこれが似合うわ!」と押し付け……プレゼントしたものだ。

 少し慣れてきた重いドアを開き廊下に出ると、マウイに出くわした。

ルークスの部屋はこの階にあがる階段から4つ進んだところにあり、マウイの部屋は5つ進んだところにあった。

つまりはお隣である。


「ルクスおはよう……っ!いつも早かね?もっとゆっくりしとっても良かばいぞ?」


あくびをしながらマウイはルクスのそばに来ると、手を引いて一緒にダイニングルームへと移動し始めた。

いつの間にか呼び捨てとなっていたのは、仲間って感じだから……だとか。

朝食はパンと野菜入りの薄いスープ、一切れの林檎だった。

ルークスはパンを口に運ぶと、目に見えて表情を明るくする。

それを見て、マウイも嬉しそうにした。


「ルクス、パン好きなんか?」

「はい!今までオートミールばかりだったので、こうして毎朝パンが食べられるなんて考えもしませんでした」


オートミールといったら、今やかなりの貧民の食事だ。

格差が激しいウォルテクス内ならともかく、外でもその生活だったとしたら、少数派の貧困家庭だったということになる。


(そういや、徒歩で来とーたんやったな……乗り物を乗り継いでいく資産も

なかか)


ボロボロの格好でこの館へ運ばれてきたルークスのことを思い、マウイは優しげな眉をしゅんと下げた。


「こんからはいっぱい食べんしゃい!」

「はい!」


あれから一週間ほどたつが、やはりルークスはマウイのさん付けも敬語もやめられていない。

癖だと言うが、マウイはそれをやめてタメ口で喋ってほしくて仕方がないようだった。


「おはよう御座います。ルクスくん」

「ロンドさん!おはようございます」


すでに食事を終えていたらしいロンドが、ダイニングルームに入ってくる。

それを見つけたルクスは髪をぴょこんと跳ねさせて笑顔を浮かべ、彼へと駆け寄った。

もうすっかり懐いている。


「ロンドったらもう......!ルクスは私が狙ってたのに!」

「マーシャ、そのいいかたはごかいをまねくよ」


女子二人も参戦し、一気ににぎやかになった。

意外にもこの組織は暖かい。

それが一週間、ロンドの手伝いをしていたルクスが感じたことだった。


「そういえば……今日は彼女が帰ってくる日ね」

「彼女?」


マーシャの言葉にルクスは首を傾げ、あるものは苦い顔をし、あるものは目を輝かせる。


「ここの隊員の一人です。遠いところへ出てもらっていたので、ずっと帰っていなかったんですよ。確か今日戻る予定だったはずです」



 そんな会話をしたわずか20分後……

書類を運んでいたルクスの耳に、突然物凄い音が聞こえ始めた。


(なんだろう……大勢の人が走ってるみたいな……)

「ルクス!!」

「マウイさん?」

「ドアから離れろ!!」


マウイの叫ぶような警告にルクスが慌てて玄関から距離を取った、次の瞬間。


「エラ様のお帰りよ〜〜っ!!」


『到着いたしました〜っ!エラ様っ!!』


ドアが音を立てて開き、大勢の男性に悠々と運ばれている女性が登場した。


(…………????)


あまりにも異様な光景に、ルクスはその場で立ち尽くす。

普段の穏やかな微笑も困惑で揺れていた。


「男ども、なかなかに良い働きだったわ。褒めてあげる」

『はは〜っ』


人を階段のように足場にして、女性はつかつかと中へと入ってくる。

そしてルクスの前で立ち止まると、じっと見つめ……ルクスの身体を引き寄せた。


「君は客人……それとも、新入りさんかな……?」

「!!??」


優しく、落ち着いた中低音で女性はルークスに囁きかける。

さっきまでの女王様はもうどこにもいない。

どちらかというと貴公子のような雰囲気を急にまとい出した女性は、周囲に薔薇でも飛ばしそうで……


「お帰りなさい。エラ!」

「マーシャ〜♡会いたかったよぅ、元気にしてた〜?」


二人の間を引き離すようにして、マーシャがエラと呼ばれた女性に抱きつく。

エラもデレデレで抱き返すが、声音も口調も先程とはうって変わっていた。

まだ混乱しているルクスに駆け寄り、マウイが耳打ちする。


「エラは相手によって極端にキャラ変えるったい。慣れるが勝ちだぞ」

「おぉマウイ!お前もひっさしぶりだなぁ!たった一週間だろって?それもそうだな!あはははははっ!!」


やって来たエラに肩に腕を回されて、マウイは顔をしかめた。

そしてエラはそのまま顔を動かし、ルクスの目をじっと見つめ話し出す。


「おっと、これは失礼。改めて、君は新入りさんかい?もしそうだったら、名前を教えてほしい……ね?」


先程よりも更に顔を近づけられたルクスは、動揺から思わず視線を泳がせた。


(この人、凄く綺麗……それにしても、こんなにコロコロ変わって疲れないのかな?)


「ル、ルークス・ロペスです」

「あぁ、ルークス君……か。僕はエラ・ベイリーだ。どうかエラと呼んでくれ」


いつの間にか一人称も僕となっている。

ルクスよりも年上であろうエラは、ロンドとはまた別の大人っぽさを漂わせていた。


「エラさん、帰ってきましたね。それで……どうでしたか」


しかし、やってきたロンドがそう問いかけた瞬間、エラの周りの空気が強ばり、ルクスへと強い視線が向けられる。


「……っ」


冷たく、感情を読み取れないエラの瞳にルクスは怯み、マウイの背に隠れてしまった。


「ルクス?」

「……じゃあ、僕はもう行くよ。マウイお前〜今度はこの子を口説いてんのか?お幸せにな〜!なあんてっ!」


陽気に去ってゆく彼女を見ていても、先程の視線がルクスの中でいつまでもつき刺さっていた。




 キィ、とドアを開け、大量の書類が積まれた部屋に入ったエラは、ロンドに無言で一束の資料を手渡した。


「今回の仕事は失敗。やっぱり、一度完全に姿をくらましたモルスを処刑するのはなかなか難しいですね」


渡された資料に目を通して、ロンドは絶句しているようだった。

しばらくの沈黙のあと、エラが口を開く。


「その様子では、やはり気づいていなかったようですね」

「まさか……でも、彼は」

「…………」

「ルクスくんは……!」


エラが僅かに戦慄を瞳に浮かべ、震えの交じる息を吐いた。


「まともそうに見えていたけど……ロンド。貴方、相当危うい子を拾っちゃったみたいですよ」




 差し込む光。

窓の影として映し出される十字を、ルクスはぼんやりと見つめていた。


「ルクス。何ば見よーったい?」

「……十字を。母を埋葬したときのことを思い出してました。あんなに深くほったのは初めてで」


それを聞いて、マウイは少し気まずそうに目を逸らす。


「悪か、辛かこと言わしぇちゃったかもな…………えっ、掘った……?」

「自分で埋めたんです。他に誰もいなかったので」


表情も変えず、静かに光を浴びているルクスは、なんだかとても儚く見えた。


「全部一人で頑張ってきたんばい。今は辛うなったらいつでん頼って良かばいぞ?」


元気づけようと明るく笑ったマウイに、ルクスは。


「ありがとうございます。でも大丈夫、母さんはきっと幸せでしたから」


幼子のような笑顔でそう言ったのだった。


「だって、笑ってましたもん」




 夕刻、エラに呼ばれて全員が広間へと集合した。


「僕が戻ってきたのは、仕事が終わったからじゃない。それを一旦切り上げる必要があったからだ」


メンバーの中で緊張が高まる。

エラはこの中でも精鋭らしく、それが急遽戻るほどなのだから、相当まずいのだろうとルクスにも分かった。


「今回出たモルスは “ 恐れ知らず” 。ウォルテクス奥地で出現したそれは、被害を

出しながら少しずつ移動し……こちらへと向かっている」

「!!」


全員が驚きを顔に出す。

ルクスも例外ではなく、こちらに化け物が向かっているという事実に身を震わした。


「攻撃性が高くてね……もう相当の人数が被害にあっている。マーシャとルクス君以外は僕と一緒に出てもらうよ」

「え!?」


マーシャはその言葉に立ち上がって反応すると、慌てた様子でエラに詰め寄る。


「どっ……どうして!!戦わないルクスはともかく、私はどうして待機なの!?」

「お嬢様」

「あのね、貴女が頑張っているのはよ〜く分かってるよ?……でもね、こんな危険な仕事に、ピーズアニマを出せない貴女は参加させられない」


それを聞いてルクスは、一人で銃の練習をしていた彼女の姿を思い出した。


(マーシャちゃんがいつも誰かと仕事に向かっていたのも……)


けれど、何故そこまでして彼女はモルスと戦いたいのだろう。


「……でもねマーシャ。もし私達が出ている間に、ここにモルスが来たら……貴女が守ってね」

「!!」


エラの真っ直ぐな視線に、マーシャはハッとしたように顔を上げた。

真剣な表情をしているが、嬉しさは隠せていない。

エラはそれを確認すると、皆に指示を出し始める。


(なんだかんだ皆に信頼されてるんだ……凄い)


一人、また一人と準備を整えて広間へと帰ってくる。

そのころには皆、それぞれ気を引き締めていた。


「……いってくる」

「お嬢様、いたずらしないで下さいね」

「ルクスも、安心して待ってろばい。マーシャのお守り頑張れ〜」

「お守り!?や、やっぱり私もー!!」

「マーシャちゃ〜ん?」

「うぐ……分かってるわよ」


こちらに手を振って外へと出ていく皆に、ルクスは微笑みかける。


「……はい。待っていますね」


大丈夫なんて、確信できてなどいなかったのに。




 大丈夫。


 だいじょうぶ


 だい、じょうぶ……



(どうしよう、すっごく不安だ‼︎‼︎)


小さめのテーブルに二人、向き合う形で座ってからもう小一時間。

ひたすらゆっくりとお茶しているマーシャは、チラチラとルクスの方を伺うばかりで何も言ってこない。

そんな地味にいたたまれない空間で固まっているルクスは、先程からぐるぐると頭を悩ませていた。


(これは……なにか俺がするべきなのかな?お茶減ってきたしおかわりでも作る?でも俺紅茶を入れたことなんかないし……)


「ねぇ」

「は、はいっ」


急にマーシャがルクスに話しかける。

どこか緊張した声に、ルクスの肩も跳ね上がった。


「貴方……自分の死命痣をあれから確認した?」


真っ直ぐな視線。

彼女のアンバーの瞳が、ルクスの大きな緑の瞳に映り込む。


「…………」

「……ねぇ、怖いかもしれないけど今ちょっと」


その時、音と共に壁が崩れ去った。




「ポプリ!!」

「マウイ……」

「待ってろ、今どかすけんな!」


崩れた民家の壁で分断された大通り。

孤立したポプリと合流しようとマウイが瓦礫に手をかけるが、重量がありすぎて移動させられない。

ポプリ側には倒壊寸前の建物が多く、いつ潰されてもおかしくない状況だった。

ガラリとまた支柱が傾く。


(エラとロンドがこっちに来れたなら……つまらん間に合わん。やったらもう……)


マウイが決意を決め、その瞳を鋭くした。

するとそれに呼応するが如く、じわじわと彼の足元から影が侵食する。


「聞こえるか!?今から憑依する!」

「まうい!?ちょっとまって……!」


次の瞬間、瓦礫は粉々に砕かれ、ポプリはマウイに引っ張り出されていた。

今のマウイは髪の所々が赤く染まり、手足は黒で覆われている。

猛々しい姿だが、表情はどこか気弱だった。


「遅うなってほんなこつごめん……こげん僕、しゃっしゃと裏方に回ったほうが良かとかも……本当、後でお詫びに何でんするか」

「ひょうい といて」

「あ、うん」


するといつものマウイに戻り、表情もしゃんとしたものへと変わる。

ポプリは呆れ顔だった。


「ひょういしたマウイ、よわきになっちゃうからやだ」

「仕方なかやろ、憑依で性格変わるっちゃ」


そう言い合ってからお互い小さく微笑むと、再び真剣な表情で崩壊した家屋を見つめる。


「取り逃がしちまったばい……まさか、あげん再生能力が高かなんて」

「うん、しかもあの モルス わかってるのかこうげきよけようともしなかった」


二人がモルスの、恐れ知らずの姿を思い浮かべる。

其れは、ずっと笑っていた。




 マーシャが、ルクスの手を引いて走る。

後ろから近づいてくる轟音に顔をしかめながら、彼女は時折後ろを振り返って銃撃していた。


「もうっ、全然当たらない!ルークス、もう少し行けば避難通路につくからそこから出るわ!立て直しはそれから!」

「はいっ……!」


いくつものドアを開けては閉め、破壊されていく。

そのうちにマーシャが言う避難通路らしきものが見え始めた。

しかし、突然視界に巨大な黒が割り込み、衝撃で二人は床に倒れ込んでしまう。


「……っ!」


マーシャの上に、かぶさるようにして其れは覗き込んでくる。

全身がぐちゃりと溶けたようなその男は、真っ赤な口を裂けそうなほど開いて笑っていた。

何発弾を打ち込んでも直ぐに再生して押し出され、マーシャにはもう攻撃の手立てがなくなってしまう。


『オマエも……ナんだぁ……変ナ顔しカしないノナァ』


いつしか、マーシャの顔には怯えが浮かび始めていた。


(どうすれば、どうすればいい、このままじゃ殺されちゃう、まだ、終わりたくないのに)


『モウ、いい。オマエハ恐いジャない』


モルスの腕が、マーシャの頭に振り下ろされる。

次の瞬間、ルクスはマーシャを突き飛ばしていた。


「!!」


飛ばされたマーシャは小さな悲鳴をあげ、2m程の長さを転がっていく。

殺されることは無かったが、地面に身体を打ち付けたマーシャは気を失ってしまったようだった。

動かないマーシャに興味を失ったモルスが、ゆらりとルクスの方を向く。


「……っく、こ、こっちだ!」


マーシャが倒れている方向とは反対方向に向かって、ルクスは走り出す。


(俺にはなんの力もない……だけど今すべきことは、マーシャちゃんを死なせないこと)


ここまで派手に屋敷が壊されているのなら、わざわざ助けを呼びにいく必要はない。

そう考えたルクスは、屋敷の中にあるまだ無事な個室を目指した。

走る走る走る。

飛んできた破片が頭をかすめて血が流れる、追いついてきたモルスの攻撃をよろけながらも回避してなんとか巻く、その繰り返し。

ボロボロになりながら、とうとう個室へとたどり着いた。

モルスを中に入れてからドアを塞ぐ。

これで部屋はモルスとルクスのみとなった。


(なんとか時間を稼げないだろうか……ここでモルスが俺に集中してゆっくりいたぶってくれると助かるかな……怖いけど、でも……)


自分の出来ることはやりきった。

そう考えてルクスは気の抜けた笑顔を作る。

しかし、その笑顔を見てモルスの様子がおかしくなった。


『オマえ……笑っテるのカ……?』

「えっ」

『そンなに痛メつけて笑ッテたのはオ前だけダ……なァ、オ前が恐がるコトなら、オレも恐イと思うかナァ……??』


やっぱりモルスは笑っている。

善悪の呵責など一切無いであろう、純粋すぎる子供のような笑顔。

爪がルクスの頬に当てられ、一筋の傷ができた。


(俺が……恐いこと……?)



声。


「ルクス!どうしたのその怪我……!!誰がこんなこと……」


声。


「あいつのせいよあいつのせいよあいつのせいよあいつのせいよ」


声。


「なんでもお母さんに相談してね。私はルーの味方だから」


声。


「あんたなんかが居るから……っ!!」


声。


「ごめんなさいっ……ルークス......!絶対、絶対もうああならないようにするから、だから」


声。


「この私が本物よ!あんたを殺したくてしょうがないのが本音なのよ!!」

「違う、違うのよ……!あれは私じゃないの!」


声。声。声。声。声。声……


大丈夫。


「だいじょうぶだよ!もう分かるもん!」


分からないときはたまらなく恐かったけど。



「……そうだ」


そう、ぼそりと呟いたルクスが黒に飲み込まれた。

流石に驚いたモルスが離れるが、一瞬で間を詰められ身体を引き裂かれる。


『!?』

「よいしょっと」


そのままモルスに馬乗りになったルクスは、自身の頭から流れる血をぺろりと舐め取ると、モルスの四肢を封じてじっと観察し始めた。


「あぁ、さすがは恐れ知らず。自由を奪われても笑顔は絶やしてないね!感心感心!」


恐れ知らずに負けない笑顔で、瞳を赤く染めたルークスはモルスへと話しかける。


「笑顔は人を幸せにするよね〜。それで、なんだっけ?恐いの知りたいの?残念だけど無理かなぁ、だって俺君のこと大好きだし?」


一人でに喋り続けるルークスを見て、モルスの瞳に僅かに困惑が浮かび始める。


「だーからっ!」


そう明るく言った瞬間、ルクスはモルスを包んでいた黒い皮を勢いよく剥ぎ取った。


『づッ!?ズあ゛あ゛っ!!』

「やっぱりこの皮がなくなると痛い?これで身体を覆ってたんだね、便利そう。あ、だからあんなに大きかったんだ〜」


笑顔を歪ませながら痛みに喘ぐモルスを前にして、ルクスはコロコロと笑う。


「ねぇねぇ、ちょっとゲームしよ?君っていつも笑ってるんだよねぇ。俺と君、どっちが先に笑顔をやめるか……ね?」


恐れ知らずの瞳に、恐怖が浮かびつつあった。




 四角い密室。

そこでは笑顔を浮かべることもできなくなった恐れ知らずと、頭の傷から血を流しながらも上機嫌にしっぽを振っているルクスだけが動いていた。

ルクスは痙攣しているモルスの傷口を手で弄びながら笑う。


「ふ、ふふ。俺の勝ちだね〜……でも、これって痛いだけで恐くは無かったよね?ごめんねぇ、やっぱり俺には無理だった……」


突然、ルクスが脱力して倒れ込む。

それに身体を震わせて反応するモルスだったが、直ぐにズルズルと身体を引きずって逃げ始めた。

が、


「あれれ?どこ行くの?」


何事も無かったかのように立ち上がっていたルクスに阻まれる。

そしてルクスはモルスを見て不思議そうに首を傾げると、少しの邪気も感じない表情で


「その怪我、どうしたの?」


恐れ知らずの身体が跳ね……本物の恐怖で震え始めた。

その様子を見たルクスはニコニコと笑う。


「どう?恐かったでしょう?理解不能なのって恐いよねぇ、さっきまで自分をなぶってた相手が急に優しくなったり、それを覚えてなかったり……理由が分かるまでが一番恐いんだよね〜。あれあれ?どうなってるの?ってね!」


語尾を少し荒げながらそう言い切り、無抵抗なモルスを蹴飛ばす。


「でももう分かったでしょう?俺が恐いものなんてそこら中にあるんだよ。だからさ、もう……眠ったら?」


鋭い爪で、モルスの心臓を突くと、そのまま引き抜いた。




 ……ス

 ……クス……

 ル……ス……


「ルクス!!」

「!!」


マウイの呼びかけに、ルークスが勢いよく目を開ける。

眩しさのなか、少しずつ落ち着いてきた視界には、こちらを心配そうに取り囲む皆の姿があった。


「みなさん……?」

「良かった、気がついた!」


ロンドがゆっくりと状況を説明する。


「すみません……私達、モルスを取り逃がしてしまって……ここが襲われたことは覚えていますか?」

「はい……たしかモルスが、恐れ知らずが入ってきて……マーシャちゃんと逃げて……」


そこまで言ってルクスは勢いよく起き上がり、辺りを見渡した。


「そうだ、マーシャちゃんは……!頭を打っていた様に見えました!」

「落ち着いて。しばらく気を失っていたけれど、もう大丈夫。少なくとも、君よりかは無事だよ」


そう言いながら、エラはルクスの頭に包帯を巻いてくれる。

見ればマウイたちもところどころ怪我をしていた。


「それで聞きたいのですが……あのモルス。恐れ知らずを討伐したのは貴方しか考えられないのです。密室となっていましたし、貴方の身体にモルスの血が付着していましたので……あの」

「覚えてます……」


気遣うようにそっと尋ねたロンドの声を、ルクスが遮る。

皆が息を呑むのがルクスには分かった。

そのまま、絞り出すように続ける。


「……あのモルスを倒したのは、俺……です。記憶もあるし、確かに自分の意思で動きました……でも」

「でも?」

「きっと、アレはピーズアニマを使ったんだと思うんですが……自分なのに自分ではないような、その、まるっきり自分の考え方とかが変わってて……同じ記憶と身体を持った別人を動かしている気分でした」


それを聞いて、エラは顎に手を当ててしばらくの間考えると、マウイを引っ張ってルクスの眼前へ突き出した。


「ふぁっ!?」

「ルークス君、君が体験したことはきっと “憑依” だ」


ゆっくりとルクスの瞳が見開かれる。


「憑依……?」

「そう。ピーズアニマには、大きく分けて2つのタイプ、使い方があるんだ。

一つは ”生成 ” 、この間のマウイやポプリ、ロンドみたいにピーズアニマを物体化させて表に出す方法だ。出せるものはそれぞれだが、身体への負荷も少ないためよく使われる。そしてもう一つが

“ 憑依 “ 、ピーズアニマを自らの肉体に干渉させる方法で、ものによっては途轍もなく強い力を持つようになると言われている」


エラは文句を言っているマウイを指差すと、少し意地悪そうに笑って言った。


「憑依にはいくつか特殊性があってね……その中でも奇妙なものが、性格の変化だ。自分の隠れた一面が引っ張り出されるとも言われている。そしてマウイは憑依するとめためた気弱なヘタレに……」

「いっ、言わんでよか!!」

「隠れた、一面…………」


エラに遊ばれるマウイを気にもとめず、ルクスは考え込む。

額を、一滴の汗が流れていった。


(あれが、俺の一面……あれが……)


恐れ知らずを甚振り、最後は無慈悲に突き殺した自分の姿を鮮明に思い出す。


(あのとき俺はどんな気持ちだったっけ……なんだか、ぐちゃぐちゃしていて分からない)


「ルクス君、少し失礼します」

「!?」


そんな思考は、やってきたロンドに突然口を開かさせられたことで中断された。

苦笑いする皆を気にすることもなく、真剣な顔でロンドはルークスの口内を調べている。


「……色々終わったら、貴方のピーズアニマを調べましょう」


やっと口を開放されたルクスは、プルプルと頭を振ると、少し顔を赤らめてそらした。


「はずかし……」



そんな皆を遠くからみつめる少女がひとり。

銀の髪を揺らして一歩、踏み出した。



○恐れ知らず  原作:こわがることをおぼえるために旅へ出た男 グリム童話

全体的にコメディタッチで書かれたお話……けれど冷静になって読むと主人公がイカれてて怖い。最後は笑い話のように終わった原作だが、うちの恐れ知らずさんは割とまともだったので、最後は怖いと思うことができた。

タイトルの「笑顔のばけもの」って、ルクスと恐れ知らずのどちらを

指していたと思いますか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る