シカゴの夜の、黒い薔薇

壱単位

【短編】シカゴの夜の、黒い薔薇


 トンプソン銃、いわゆるフルオートのマシンガンの銃口がかれらを狙っている。その数は、およそ二十。一九一九年、すなわちいまから十年ほどまえに製造がはじまったその殺戮道具は、いま居並んでそれを腰高にかまえる、ラスティス一家の商売道具でもある。


 「おい、下手をうったな」


 若頭とおもわれる、三十がらみの黒髪のおとこが吐き捨てた。


 シカゴ郊外の、倉庫街の奥。日中でも近隣の会社の関係者しかこないような場所だ。夜の零時をとうにまわり、すでに夜明けがちかいこの時刻に、この場所を通行するものはいない。


 犯罪行為にもっともふさわしい場所で、もっとも似つかわしいおとこが、にっちゃにっちゃと、汚い咀嚼音を漏らしながら、ガムをかみ、めのまえの被害者ふたりを、睥睨する。


 いや、正確には、ふたりのうちのひとり、後ろ手にしばられているひとりの若者に、そのことばが向けられている。


 「おれたちのシマだぜ。てめえが知っているツラばっかりじゃねえってことだ。このご時世なあ、てめえらがいう市民さまたちが、俺たちのカネで密告者になるんだ」


 禁酒法が施行されて、はや十年。もはや有名無実となったその世紀の悪法のもとで、イタリア南部に祖をもつマフィアたち、ラスティス一家は、このシカゴで実質的な王である。密造酒と薬のとりひき、ともなうカネの管理、まちの裏のしごとを一手ににない、その財力は、州の政府の予算をこえるといわれた。


 もちろん、警察も判事も、新聞社さえもすべて、ラスティスの手のものだ。そして、市井のものも、明日を平穏におくることがもっとも重要な課題だから、現状に盾をついて変革をのぞむものなど、いようはずもない。


 はずがないが、だが、その若いおとこ、刑事レジオだけは、ちがった。


 孤児だった頃の夢を忘れていない。この薄汚れた街で育ったが、愚かしく、しかし透き通った心を失わなかった。やがておとなになり、親代わりだったマフィアを裏切って警察官になった。ともに育った、きょうだいを追う道を選んだ。


 きょう、大規模な密造酒の取引があるときいて、レジオは臨場した。だが、罠だった。たまたまちかくを通りがかった女ひとりとともに、かれらは囚われている。


 倉庫のかげに、ふたりともに後ろ手にしばられ、座らされていた。


 「……どうするつもりだ」


 みじかい金髪。ふといが鋭い、おなじ金色の眉。血が滲むくちびるをひきむすんで、レジオはみじかく言った。


 「はっ。どうするってかい。てめえよ、鶏肉をかってきて、台所においてよ、さあこれから飛び立って自由にくらせって、てめえは……」


 若頭は、いいながら、右足でレジオのあごを強く蹴る。彼は避けたが、わずかにかすったために頭部が振られ、かるい脳震盪をおこす。倒れるレジオに、こえが被される。


 「……いうのかよ! ほんものの莫迦だなてめえは! ガキの時分から親分に目をかけられたっていうのによお、よりにもよって、警察なんぞになあ!」


 すぐにおきあがって、若頭をまっすぐ見返す、レジオ。歯を噛みながら、なんとかして縄をほどく算段をする。だがいまのところ、妙案はない。尻のポケットのナイフも捕縛されたときに取り上げられている。


 「まあ、親分がくるまでときがある。ちょっと、あそぶか」


 若頭が手近の部下にあごをしゃくる。部下は、慣れたものなのだろう、隣で捕縛されている女を、たたせた。


 女は、表情をもっていない。


 恐れてもいない。いかりも、持ちあわせていない。若頭を、とおい風景をみるような目で、うつろとも言えるような目で、みている。


 夜目にもはっきりわかる、そのしろい肌。大柄ではない。むしろ、華奢といえた。肩も、ほそい。酒場の女とも思われない、質素な服をきて、癖のある赤い髪を後ろで無造作に結んでいる。


 「つぎのガサ入れの日時と場所、それから担当官の名前。それが条件だ。十かぞえる間にいわなければ、この女を……」


 ポケットから刃物をだし、女の胸のあたりの服を、裂く。たてに破れて、女は、かがみ込む。が、その顎を、若頭が蹴り上げる。後頭部が地面にうちつけられる。嘲笑する若頭。


 「まあ、こんなかんじだ」


 「……っ!」


 レジオは跳ね起きようと試み、当然のように失敗し、転がる。噛み締められた唇から、血が流れている。


 「さあ、つぎはどこを切るか。指か。脚か」


 「……やめろ!」


 レジオがさけぶ。


 「……機密は……いえない。俺は、裏切れない。貴様らが知らないひかりを、俺は、みさせてもらった。あの人たちに。だから、裏切れない。そのかわり……そのひとの、かわりに、俺を、ころせ」


 「……ほお」


 若頭が、女から手を離し、レジオのほうへあるく。


 「てめえ。一家のしきたりを破ったやつが、どんな死に様するのか、知らねえとはいわせねえぞ」


 「……かまわん。だから、そのひとには手を出すな」


 「……ふん」


 いって、若頭はふところの刃物を取り出した。


 「後悔するぞ」


 「貴様、がな」


 応えたのは、レジオではない。


 女。赤毛のおんなが、背中に手を回し、なにかを引きずり上げながら、うすく口角を持ち上げている。


 すでに捕縛を解いている。すこし小柄なそのからだを、まっすぐに天にむけて、立っている。いつ帯をたち切ったのか、ひとつに束ねられていた長い髪は解き放たれて、火焔のように、躍っている。


 「こたえろ。自分の墓に収めたいのは、どこだ。指か。脚、か。そこ以外は、かたちを残さない」


 女の、むなもと。裂かれた服のなか、はっきりした形の胸のあいだに、くびすじから、いくつかの模様がながれている。


 六個の、薔薇。


 この深い夜のなかでもはっきりとみてとれる、夜よりも、深い、黒。


 昏い、六輪の薔薇が、彼女の首筋から胸にかけて、咲いている。


 「……く……黒薔薇……て、てめえは!」


 若頭が指示をするまでもなく、手下どもの銃口が、女にむかって一斉に咆哮をあげる。千発の弾丸が、彼女をおそう。


 が、いない。


 さかしまに、跳んでいる。


 もっとも近くにいた三人のくびが落ちるのと同時に、女はふわりと降り立つ。


 踊るようにふるう、刃。弾丸を避けているともみえない。ただただ、よるのなかで、美しく、舞っている。


 やがて機銃のおとはやみ、彼女は若頭の背に立って、その首筋に、手に持つ長刀を沿わせている。


 街灯をうけて凄惨に輝くやいばに浮かぶ、ひときわおおきな、くろい、薔薇。


 「……しってるだろう。わたしの身体と、この呪われた刃に刻まれた、七つの黒薔薇。みたものが、そのあと、どうなるのか」


 妖艶。なにか夢をみているような表情で、女は、うたうように言った。


 「……し、しっている、アンラッキーセブン……<絶望の七つ薔薇>、すまない、あんただとは、知らなかった、頼む、たのむ、たす」


 言葉は途中でおわり、地に転がるくびが、増えた。


 「……あんたは、しってたかい」


 長刀の血をはらい、それをレジオにむけながら、女、この街のすべての暗部、すべての悪におそれられる、伝説の七つ薔薇は、わずかに俯きながら、いった。


 「……ああ、しっている。くろい七つ薔薇をみたものは、かならず、不幸に見舞われる」


 レジオは、目を瞑った。


 「不幸とは、死だ。目撃したものは戻らない。が、どのみち消えていた命。あいつらと差し違えたと思えば、満足だ。こんな俺でも、役にたった、ということだ」


 顔を、相手にむけて、断ちやすいように、少しあげる。


 「この街を、たのんだぞ」


 そういったくちびるが、やわらかく、ふさがれる。


 目を開ける。息を呑む。あいての瞳は、睫毛が触れる距離にあった。


 「……ちょっと、ちがう」


 七つ薔薇は、躊躇うように、目を逸らした。


 「あんたの不幸は、わたしに魅入られたことだ」


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