Mission11 放っておいて

 気づけばわたくしは、自室にいました。記憶はありませんが、恐らく走って逃げ、ここまで来てしまったのでしょう。


 ベッドに飛び込み、羽毛を頭から被ります。そして目を閉じて願うのは……安眠。眠ってしまいたい。全てを忘れ、このまま──……。


 しかしやはりわたくしはこんな時でさえ、眠ることが出来ない。


 閉じた瞳がじんわりと痛み、涙が零れ始めます。ああ、わたくしに泣く資格なんてありません。全て自業自得なのです。感情をコントロール出来ない、わたくしの……。


 そこで、コンコン、とノックの音が響きました。何も言わないでいますと、扉の開く音が微かに聞こえます。


「お嬢様……」


 そして聞こえたのは、先程のメイドの声でした。少しきまりの悪そうな声。……そんな声にさえ、苛ついてしまいます。貴方の作戦が悪かったから、わたくしがこんな惨めな気持ちになっているんじゃありませんの!? 全て貴方のせいですわ!!


 ……そう心の中で、叫びました。しかし本当に叫ぶ気力もなく、わたくしはゆっくり体を起こします。そして。


「……出て行ってくださいまし」

「し、しかし……」

「今は……放っておいてください」


 わたくしの弱々しいまでの声に、自分でも驚いてしまいます。


 人に「氷の女王」だとか、「氷室には近づかない方が良い」と陰口を叩かれた時ですら、こんなに気分が沈んだことはありませんわ。……どうして……どうして先輩の時だけ、こんな……。


 涙を拭いました。そこで段々、呼吸が苦しくなってきます。なんてことはありません。泣いている内に体内の酸素が足りなくなってきたのでしょう。わたくしは水を飲みに行こうと、毛布から這い出ると……。



「……あ、おはよう」

「……はい?」



 顔を上げた、まさにその先。音宮先輩がいました。

 彼がここに来た初日と同じように、ベッド脇に置かれた椅子に腰かけています。


 わたくしは驚いて、それはそれは固まりましたわ。どうして彼がこちらに? 先輩は、わたくしに呆れ、もう帰ってしまっているかとばかりに……。


「体調はどう? 平気?」

「へ、平気ですが……あの、どうして、こちらに……」

「え、うーん……なんか、放っておけなくて? さっきのメイドさんが氷室さんの様子を見に行くって時に、俺もいいですか、って付いて来たんだ」

「……どうして……」


 わたくしは同じことを繰り返します。同じことを聞かれた音宮先輩は、どう答えるのが正解なのか、悩んでいる様でした。


 わたくしは、自分の肩を抱きます。小刻みに、震えていました。ああ、怖い。何が怖いかは分かりません。しかし、こんなにも、震えている……。


 涙が溢れます。そんなわたくしの様子を見て、音宮先輩は勢い良く立ち上がりました。


「えっ、だっ、大丈夫!? どこか痛い……!?」

「い、いえ、放っておいてくださいっ……」

「いや、そんなわけには……。……どうすれば……」

わたくしの……わたくしのことなんて、放っておいてくださいましっ!!」


 感情のままに、叫びます。叫んでしまったら最後、涙はせきを切ったように溢れ出しました。手の甲で何度も激しく拭って、それでも止まりません。


「待って! そんなに擦ったら、目が腫れちゃうよ」


 そう声を掛けられたと思うと、わたくしは手を掴まれていました。……顔を上げると、至近距離で目が合います。手を掴んだ際、勢い余って近づいてしまったのでしょう。今までで、一番近いです。


 それに彼も気が付いたようです。頬を赤く染め、ごめん、と言うと身を引きました。しかし手は離されませんでした。


 ……心臓が、高鳴っています。わたくしよりも大きな手から伝わる体温が……激しく緊張させ、同時に、安堵させてくださいました。


「……放って、おけないよ……俺、泣いてる子に対してどうすればいいかなんて、分かんないし、どういう言葉を掛ければ氷室さんが元気を出してくれるかも、分からない。……でも、心配なんだよ。放っておけない」

「……どう、して……」


 心臓の鼓動が、更に早くなります。きっとわたくしの頬も、林檎の様に真っ赤に染まってしまっているでしょう。……確認したくは、ありませんが。


「どうして、って?」

「……先輩も、見たはずですわ……わたくしが必要以上に人に叱責をしたところを……わたくしはもう、どうにもならないんです。どうしたって自分を変えることは出来ませんっ。先輩、わたくしのことを嫌ったでしょう、呆れてしまったでしょうっ。そうに決まっていますっ。だって、そうやってずっと、誰もが、わたくしから離れていきましたっ。……わたくしは……きっと、人とは関わってはいけない人間なのですわ……」


 手を振り払います。そうして顔を覆います。もう、もう放っておいて。わたくしはずっと、ここにいたい。誰の目にも触れないよう、このまま……。



「俺は、そうは思わないよ」



 顔、上げて。そう言われました。しかしわたくしは首を横に振ります。するとしばらくわたくしたちの間を無言が蔓延はびこり、その後、じゃあそのまま聞いて。と言われました。


「俺はまだ、少ししか氷室さんと関わってないけど、分かることは沢山あるよ。礼儀正しいと思ったら、少し変なところというか……えーっと、俺には思いつかないような突拍子のないことをして驚かせてくれるし、博識だと思ったら、それだけじゃなくて……なんというか……面白いところもあるし……」


 ……。


「……褒められている気が……しませんわ……」

「ああごめんね!? えーっと、えーっと……つまり……っ、おかしいな……放送だと、もっと上手く喋れるんだけど……」


 彼は終始慌てたように、わたくしの良い所を挙げていってくださっています。……全然褒められた気はしませんが……。


 そう思うと、自然と笑みが零れてしまいました。ふ、ふふ、と、手の隙間から笑い声が零れてしまいます。


「わ、笑われた……」

「ふ、すみません……っ、ふふ、あまりにも必死になられていますから……」

「必死にもなるよ!?」


 音宮先輩は不満そうな声でそう告げられます。思わず顔を覆っていた手を退け、顔を上げると同時……。



「あと、そう、笑顔が素敵」



「……へ?」


 わたくしは顔を上げた、その状態のままで固まります。彼は微笑んだまま、続けました。


「いつものキリッとした顔も、カッコよくてだけど……笑顔もすごい、花が咲いたみたいというか……とにかくすごい、素敵だよ」

「好ッ!?」


 わたくしは思わず、その場で後退ります。その行動に音宮先輩は首を傾げ……それから再び、顔を赤くしました。


「……あっ、ああ~!! ごめんなさい!! 放送!! 放送の癖で!! なんか文学的な褒め方になっちゃったというか……いや語彙力なかったけど、他意はないというか!! いや、ほんっとごめん、キモかったよね俺!?」

「あ、そ、そう……そうですわよね!! ほ、ほほほほっ!!」


 2人で顔を見合わせて笑ってから、ふぅ、と息を付きます。


「……え、ええっと……気持ち悪くは……ありませんでしたわ……その、嬉しかった、というか……」

「そ、そっか! なら良かったよ、はは……」


 音宮先輩は気まずそうに笑みを零しています。その顔を見上げつつ、わたくしは真面目に考え込んでいました。


 ……この方になら、わたくしのことを分かってもらえるかもしれない……。


 ……いえ、そうではありませんわ。


 ……そう、思いましたの。


「音宮先輩……わたくしの話を、聞いてはくださいませんか……?」


 わたくしが意を決してそう告げますと、一瞬固まった後、彼の表情が引き締まりました。


「……うん、聞かせてほしいな」

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