第9話  陛下と、皆の願いと、最期の時を、永遠に。


 リーファは、夢を見ていた。


 華やかな婚礼衣装を身に纏い、ひっそりと部屋で待つ自分。


 サイラが居て、何故か周りには他に誰もいなくて。

 扉を開けて、静かに現れたのは、皇帝の証である冠を頂いておられる、陛下。


 愛しい方の来訪に、小さく笑み、言葉を発しようとして……声が、亡い。


 喉を押さえたリーファに、陛下が表情を曇らされると、気づけば全てが、闇に沈む。


 ーーーああ。


 叶わぬ望みが、夢である、と。

 リーファは深く息を吐く。


 望まぬはずが、あろうか。

 その横に立つのが自分であるという気持ちを、抱かぬはずがあろうか。


 だが、嫉妬も、羨望も、それら全てを、押し込めても。



 ーーー陛下がお幸せに在ることを祈るのは、醜かろうか。



 なろうことなら、少しでも永くともに在りたいと、願ってしまうことは……どれほど、我儘と言えるだろう。


 しかしもう、それすらも、叶わぬこと。


 陛下に御目通りすることすら諦めることが多くなり、床に臥してしまえば。

 体を蝕む呪いの重みに、もう耐えきれなくて。


 ーーーだけど。


 リーファを蝕む凶刃が、陛下に届かなかったことは、この我儘を許される理由になったのだ。

 死を身の内に抱かなければ、彼のお方の心に出会えなかったことを思えば。


 これを、人は必然と呼ぶのだろう。


 心から陛下の幸せを願う気持ちに、嘘はなくとも。

 生きながら死せる身で、御前にお目通りを願った。


 最早、自らの心が奈辺に在るかすら、分かり得ぬままに。


 懺悔と、肯定を繰り返すリーファの額に、そっと、冷ややかな手が添えられる。


 心地よく慣れた手の持ち主は、優しく囁いた。


『相反する想いの内に、それでも信ずることを貫かれたリーファ様のお気持ちは、何よりもかけがえのないものにございます』


 ーーーそうかしら。


※※※


 もう此方を離れて彼岸へ踏み出そうとしているリーファを、一人見つめながら。


 サイラは、己の選択がどういう結果をもたらすのか、分からないままに。

 再びスゥ、と深い眠りに落ちた彼女に、いたましさを覚えて表情を歪ませる。


 後幾度、その意識が戻るかも、分からない。


 あらゆる癒し手に匙を投げられた呪いの中、ここまで生き抜いたことすら驚嘆に値する、サイラの主人。


 最後に家族と過ごすよりも、陛下の幸せを願った少女の細い体のどこから、これほどの心力が湧いているのか。


 命の残りの全てを、月下に咲く花の如く、ひそやかに生の炎にくべ続けた末が、自分一人見守る中で、息を引き取ることであれば。


 ーーーわたしは、それが主人の願いであっても、聞き届けるわけにはゆかなかったのでございます。


※※※


「リーファの、元へ……?」


 婚礼を控えた、まさに今。

 正装を纏うエルリーラが投げかけた言葉に、同じく身を飾った陛下は眉をひそめられた。


「ここ最近、体調が優れず、とは、聞いていた、が」

「リーファの命の灯火が、尽きかけております」


 あの娘の体調が悪化し始めたのは、エルリーラが正妃となることが決まった日から。

 

 陛下におかれては、寝耳に水、だったのだろう。


 無理もない。

 エルリーラに対してはつまびらかにしたその真相を『決して誰にも、特に陛下には口外されませぬよう』と、リーファは固く、口止めをしていたから。


 ーーーでも。


 共に口止めをされていた従者が、口にしたのだ。


 『リーファ様の想いには、二つの真意がございます』と。

 決して、かの従者は陛下に明かして欲しいと、口にしたわけではなかったが。


 『我が主人は、婚姻の夜を越えられはしないでしょう。願いに、命を繋いでいたのです』


 それは、採択をエルリーラに預ける言葉だった。

 婚姻を結ぶ当事者である、自分は、確かにリーファとぶつかる想いは、ない。


 それでも婚礼の日に、皇帝陛下の時間を割くを、秘密を明かし約束を違えるを、是とするか。


 難しい決断と思えるが、これより先、正妃としてどれほど似たような採択をするかを考えれば。


 己が身を、外より見れば決して成すべきことではない。

 しかし、エルリーラが親愛の情を覚えたリーファは、叶うことなら己がこの場所に立っていただろう。


 彼女の存在なくば、今の時もなしと思えば。


 そう思い、大きく息を吸い込まれた陛下のご尊顔を見上げると、彼の方は、表情を固くしてお言葉を発された。


「何故に、黙って、いた」

「望みゆえに」

「では、なぜ、明かした」

「あの愛しき娘の、心を思えば。……国とは人であり、彼女もまた、そして陛下ご自身もまた、そのお一人」


 愛する者の死に目にすら会えぬ、嘆きは。

 物語に謳われるほどに悲痛で、尾を引くもの。


「人の心の内には、真なる願いが幾つも宿るものにございます。陛下の幸せを願えばこそ、リーファは話さぬことを採択し……わたくしは、陛下の御心安らかなれと思えばこそ、お伝え申し上げて、おります」


 私人としてのエルリーラは、今すぐにでも彼女の元へ赴きたいと思う。

 だが、それは役目ではない。


「時間は、限られております。どうか。……ワタクシが、泣き崩れて化粧を崩すことにならぬよう……お目に、掛かって、差し上げて、いただきたく」


 泣けはしない。

 これより婚姻の儀に望むのだから。


 公人として在るために、私人は殺さねばならぬとしても。

 陛下は常に、公として振る舞い続けておられるのだから。


 この、二度と戻らぬひと時を、二人に私人として過ごして欲しいと……エルリーラもまた、従者と同じく望んだのだ。


 陛下は、それ以上言葉を発されず。

 静かに、場を辞された。


※※※


『リーファ様』


 遠くから、声が響く。


『今一度だけ、戻られませ。……陛下の、お目見えにございますれば、どうか』


 ーーーへいか。


 サイラの言葉だ。


 陛下が。

 では、起きないと。


 安らかさに沈みかけていたリーファは、苦しみが戻ると同時に、開けるだけでも重い瞼を開く。



 そこに、婚礼衣装に身を包んだ陛下が佇まれていた。



 わたくしを、むかえに?


 そう問いかけて、そんなはずはないと気づく。


 すると陛下は、起き上がれぬリーファの枕元に膝を折られた。


「いけ……ませぬ……」


 皇帝が、臣下の前に膝をつくなど。


「良い。朕は……我は今、私人、なれば」


 陛下の御手に、髪を漉かれる。

 初めての感触は、ふくよかで、暖かくて。


 陛下ご自身の優しいお人柄のように、安らげる。


「なぜ、黙っていた?」

「美人薄命……と申します、でしょう……?」


 死の際でも。

 愛しい人に、これ以上の無様は見せられぬ、と、リーファは微笑む。


 すると、大して上手くもない冗談に、陛下も微笑みかけて下さった。


「では、此方は、長く遺されることになる、な」


 自らの容姿に言及されるも、卑下されるご様子ではなくて。

 リーファは、安堵する。


「陛下には……長く善政を、敷いていただかねば……なりません。早くに、散られては……困ります……」

「……そなたに、何か望みは、なかったのか?」

「叶うことなら……永く……側に……」


 堪えようと思っていたのに、頬を、涙が伝う。

 いけない、こんなことでは。


 せっかくのお目見えなのに。


「泣く、な」

「こうなるから、黙って……おり、ましたのに……わたくしは、けっして、強くなどないのです……」


 少しでも長く、お側に、寄り添いたいと……願い続けて。

 もう叶わないけれど。


「望みを……聞いて、いただけるのでしたら……御許し、いただけるの、でしたら……」

「聞こう」

「月下美人の咲く、小さな庭を……望んでも?」


 その言葉に、少し戸惑う様子を見せた後、陛下はすぐに首肯された。


「季節には、後宮全てに咲くように計らおう。そなたは、我の救いであった。……そなたを、心に留め、決して忘れぬと、誓おう」


 ーーーああ。


 その言葉に、リーファは。


 胸一杯の幸福と。

 もう分かたれる、哀しみと。

 ほんの少しの、自らの行ったことの罪悪感に。



 ーーー満たされる。




 月下美人の花言葉は『儚い恋』。


 人の夢と書いて、儚く。

 恋の字には、下心。


 死してなお、せめて陛下の心の片隅に残りたいと。


 そう願っただけのはずなのに。


 気づけば、その心の全てが欲しいと、望んでしまう自分の強欲さに、呆れ果てた。


 だから、もう動かなくなってきた口を、必死に動かす。


「へい、か……うそ、にございま……す」

「……」

「おわすれ……ください。わたくしの……ことなど」


 陛下は、少しだけ、いつものように聡明で、心なしか潤んだ瞳で、リーファの目を覗き込まれる。

 深く、吸い込まれそうに、なる。


「そなたは聡明で、美しいが。……稀に見るほど、嘘だけは、下手だ」


 そうして耳元に寄せられ、発されたお言葉。




 ーーー愛している。永遠とわに。




 リーファは、遠く響く陛下の言葉に、天に登る心地を、覚えながら。

 最後の最後に、かすれた声を絞り出した。


 肌を合わせることすらなかったけれど。

 愛を捧げた、唯一の人へ向けて。


 心の底からの、言霊ことばを。




 ーーーわたくしも、愛しています。陛下……。



 

 了。

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後宮の月下美人〜容姿の美醜など、皇帝陛下の内面にある魅力の前では些細なことでございます。〜 メアリー=ドゥ @andDEAD

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