回収の確率論

そうざ

The Probability Theory of Recall

 待合室は込み合っていた。人目を避けようと一先ひとまずエントランスを出た途端、私はその場によろけてしまった。

 理由が分からない。

 理由なんてものは存在しない。

 先天性の疾患、遺伝的要因だの何だのと説明されたところで、どうしてあの子は私の子としてこの世に誕生したのかと考えてしまう。別の人のもとに生まれていたら、貧しいシングルマザーの子ではなく、もっと裕福な家に生まれていたら――。

「この度はご迷惑をお掛け致しました」

 背後で素っ頓狂な声がした。虚脱した私を気遣う呼び掛けでない事は確かだった。

「……どちら様ですか?」

 何とか立ち上がって振り返ると、一見若者のようでいてとうが立っているような、年齢不詳の男が立っていた。

「回収に参りました」

「え?」

「塩基配列に欠陥が見付かりまして、はい」

「欠陥……?」

「本来、当該の先天性疾患は『十万人に一人』の確率で設定されているのですが、当方の不手際で『百万人に一人』になっていた事が分かりまして、はい」

「桁が……?」

「ゼロを一つ多く設定してしまいまして、はい」

「確率が低くなってたのに、それなのにあの子は貧乏籤を引かされたの……?」

「確率はゼロではありませんから、誰かしら発症します。が、不手際には違いない訳でして、その為に自主回収を――」

「回収されたら、どうなるんですか?」

「無償で健常品を納品させて頂きますので、ご安心下さい。勿論、同じ性別でご用意致します、はい」

「そうじゃなくて、回収された人間はどうなるんですかっ?」

「回収品はこちらで責任を持って処分させて頂き――」

「殺すって事ですかっ?!」

「飽くまでも処分でございます。なかった事にするとも言いますが……はい」

 眩暈が更なる眩暈を呼んだ。

「……遠慮します」

「はい?」

「回収は結構です」

「対応期限はという事になっておりまして、この機会を逃されますと再びお伺いする事は――」

「構いません」

いずれにしましても確率の数値補正は行いますので、その旨をご了承下さい、はい」

「消えてっ!」

「大丈夫ですかっ?」

 傍らに見覚えのある看護師が寄り添っていた。ついさっき受け付けをしてくれた人だった。

「……くらっとしてしまって」

「無理もありません」

「あのぅ……今ここに誰か居ませんでしたか?」

「……お一人でしゃがんでいらっしゃいましたが」

 病院内に戻ると、担当医から改めて声を掛けられた。

「胸中お察し致します」

「恐れ入ります」

「大学の委託業者の方がいらしたので、私の役目はここまでという事で……」

 担当医が一礼して去ると、背後から不意に委託業者が現れた。その顔を見た瞬間、私は総毛立った。

「この度はご協力ありがとうございます」

 エントランス先で声を掛けて来た男と瓜二つだったのだ。

「自主……回収……」

「はい?」

 男は目を丸くしただけで、直ぐに今後の流れについて説明を始めた。

 遺体は解剖実習後に大学の責任で荼毘だびに付される事、遺骨の返還までに長ければ三年くらい掛かる事、の症例にき特に貴重な献体である事等、事務的な内容が背景音楽のように私の耳を擦り抜けて行った。

「……皆様のお役に立てれば、あの子も喜びます」

 あの子がこの世に存在した事実だけは消されたくなかった。私の望みはそれだけだった。

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回収の確率論 そうざ @so-za

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