『ジョージ・ザ・マッスル』

龍宝

「ジョージ・ザ・マッスル」




 広大な敷地を誇る私立校、二藍学園の高等部。

 その一角、生徒会執務棟の最上階で、ふたりの少女が対面していた。

「――やァ、ワタシの可愛い副会長さん。会議終わりに呼び止めて済まないね」

「それは構いませんが、その呼び名は止めるように言ったはずです」

 サイズ感の狂った執務机を挟んで、生徒会執行部の副会長たる私――四童子しどうじえんじゅ珠はため息を吐いた。

 背もたれに身を預けた少女、二藍学園高等部の頂点たる生徒会長殿は、まるで聞き入れた様子もなく楽し気に微笑んでいる。

「つれないね。――では、苑珠くん。聡明な君のことだ。ワタシの用件について、とっくに心当たりがあると思っても?」

「……生徒たちの間で流行りつつあるうわさに関しては、私の耳にも入っています」

「さすがだ。それじゃあ、副会長にして風紀委の主幹たる君に求めることも、分かってくれているね?」

 すっ、と眼を細めた会長に、私はわずかに居住まいを正して頷いた。

「まだ深刻な被害は出ていないが、うわさの内容を信じる限り、それほど悠長にもしていられない。直ちに対応に当たってほしい」

「では、これから現地へ向かいます。報告は追って。……失礼します」

 立ち上がって踵を返した私がドアの前まで歩いたところで、会長から再び声が掛かる。

「――そうそう。彼女たちにも、よろしく言っておいてね」

 振り返った私に、ひらひら、と手を振りながら笑みを深める会長。

 精一杯の渋い顔をしてみせた私の抵抗は、逆効果だった。











 ――学園高等部、部活動棟群――




 あちこちから聞こえる生徒たちの喧騒が、一階の廊下にまで響いている。

 手近なエレベーターに乗り込んで、私は目当ての階数ボタンを押した。

 二藍学園の部活数は、認可されているものだけで数百を数える。

 非認可の地下部活を含めれば、一体どれだけの組織が学園内部にひしめいているのか、生徒会に所属する私にすら想像がつかない。

 エレベーターのドアが開く。

 ここは年々と巨大化する部室棟のひとつ、生徒会の認可を受けた部活ばかりが集まったところだ。

 とある一室の前で足を止める。ノック。

 返事がない。

 いつものことと言えばそうなのだが、これだけで頭が痛くなってくる。

 まったく、ここの連中ときたら――。

「入るぞ――」

「――あああああ⁉ あかんあかんあかんって! 何でそこでパスすんねん……⁉ 取られるに決まって……と、こりゃ副会長さん♪ 嫌やわァ、急に入って来られたら、その、着替え中かもしれへんやん? うちかてやし……」

「宵町。今度私のノックを無視したら、お前だけ寮費をすべて払わせると言ったはずだ」

「はいっ、黙ります。うちは地蔵や」

 奇声を上げたポーズのまま振り返ってきた部員のひとり、宵町よいまち六連むつらにひとにらみくれて、部室に上がる。

 部屋の奥に置かれたテレビ画面では、二藍学園とどこかの学校の交流試合が中継されていた。

「賭け試合を、生徒会で許可した覚えはないぞ。興奮した生徒が、すぐに暴動を起こすからな」

「まさかそんな! ただの応援ですやん! ねっ? うちのほとばしる愛校精神っちゅうやつで――」

「いくら張った? 素直に白状すれば、罰則は無しにしてやろう」

「――三本ですぅ」

 つまり、三〇〇〇か。

 せこい賭け方はあまりしない宵町にしては、額が少ない。

 前回からはそれなりに空いたし、金欠なのだろう。

「仕事を持ってきた。賭けなぞしなくても済むようにな」

「助かるわァ、四童子はん。大好き!」

 わざとらしくすり寄ってきた宵町を押し返して、部室を見渡す。

「それにしても、集まりが悪いな」

 それなりに広さのある室内で、本来なら埋まっているはずのスペースがいくつも空いていた。

 宵町を除けば、部員はふたりしかいない。

 奥の方でポップコーン片手に試合を観戦している金髪が、ヴァイオレット・アップルビー。私と同じ二年。

 手前の方で茶を淹れてくれている小柄な少女が、入ったばかりの見習い、花ノ庭はなのば烏月うづき。一年だ。

「暇なもんで、買い出しにね。他はサボり」

「相変わらずだな。……まァ、お前たちがいれば十分か」

「四童子先輩。どうぞ」

 応接用のソファ――よくわからないぬいぐるみが半分占領しているが――に腰掛けた私のところへ、花ノ庭が紅茶を持ってきてくれた。

 礼を言えば、花のほころぶような笑顔が返ってくる。

 こんな掃き溜めに似つかわしくない、可愛らしい少女だった。

 定期的に生徒会の用事でここへやってくる私にも愛想よくしてくれるし、他の連中と違ってひねくれていない。

 私の茶の好みも、しっかりと覚えてくれているようだ。

「四童子はん、なーんか失礼なこと考えてはりません?」

「いや……どうやって花ノ庭を生徒会に引き抜こうか考えていた」

「あげへんって言うてますやん‼」

 ぎゃんぎゃんと騒がしい宵町を無視して、カップに口を付ける。

 いい味だ。

「……それで、今日はどういったご依頼で?」

「うむ。近頃、生徒たちの中で流れているうわさについては?」

 中身が少なくなったところで、宵町が話を促してきた。

 そろそろ本題に入ろうか、とテーブルの上にカップを戻して、三人を見渡す。

「うわさァ? 花の字、知っとる?」

「いえ、特には……」

「ワタシ、知ってます。〝ジム・アームストロング〟のうわさですよネ?」

 首を傾げる花ノ庭の後ろから、アップルビーが声を上げた。

 サイドで縛った髪をなびかせながら、後輩の肩越しにこちらを見遣る。

「なんやそれ? スポーツ選手か?」

「怪異だ。うちの学園に出るらしい、な」

 私がはっきりと口にしても、花ノ庭が表情を強張らせた以外は、ふたりとも眉を顰めただけだった。

 いい加減で、騒々しくて、めちゃくちゃな連中だが、こういうところでは頼りになる。

 癪だから、絶対に言ってやらないが。

「どういうやつ?」

「体育館の上にある、トレーニング室で放課後に残っていた生徒の話らしい。自分ひとりだけで筋トレしていると、突然すぐ近くに男が現れる。こいつが、いくつかのトレーニング器具を指して、『どれがいい?』としつこく聞いてくるんだ。どれかひとつを選んで、やってみろとな」

「うわ、オチ読めた気ィする。できひんかったら、ひどい目に遭わされるっちゅうパターンや」

「そうだ。うわさでは、失敗すれば器具がどんどんと重くなって、最後には押し潰されて死んでしまう、ということになっている」

「文字通り、ゲームオーバー、ですネ」

 笑えない冗談を飛ばしたアップルビーに視線を遣って、私はうなづいた。

「幸い、まだ死人は出ていない。うわさの元になったと思しき生徒たちは、間一髪のところを入ってきた第三者に救われている。だが、急がねば」

「せやなァ。ラッキーは、いつまでも続かんっちゅうのがお決まりや」

「今から、頼めるか?」

「もちろん。うちらァ、四童子はんの犬ですよってに」

 胸を叩いて、にへらっと笑った宵町が立ち上がる。

 花ノ庭とアップルビーも覚悟を決めた表情で――アップルビーはいつもの無表情だったが――支度に掛かる。

 数分待ってから、用意ができたという三人を連れて、私は部室を後にした。











 高等部の体育館。

 いくつかあるそれらのうち、上階にトレーニング室が兼備されているところは一ヶ所しかない。

「――うーむ。確かに、雰囲気あるわァ」

 無人のトレーニング室で、宵町が声を上げた。

「私たち以外には誰も入れるな、と連絡してある。あとは、うわさの相手が都合良く現れてくれるかだが……」

 夕方に差し掛かっているとはいえ、うわさによれば怪異はひとりの時にしか出てこない。

 こちらは四人もいるのだ。

「私が、ひとりで残ってみるか。お前たちは、いつでも飛び出せるように隠れていろ」

「四童子はん! ほんならうちが!」

「依頼を持ち掛けたのは、私だ。見ているだけというわけにもいくまい」

「なんでそんなアグレッシブなん⁉ ええから大将は下がっとってください!」

「ふたりとも! それなら、後輩のわたしが残ります」

「それは「駄目だ」あかん!」

「……あ。お出ましみたいデスヨ?」

 首を縦に振らない宵町と押し問答をしていると、不意にアップルビーが言った。

「――どのトレーニングをしたい?」

「……ッ! 当たり、だな」

 私たちが立っているドア前から少し離れた、部屋の中央あたりに、いつの間にか大柄な男がいた。

 顔立ち、唐突な問い掛け、そして周囲に走る不気味な気配。

 考えるまでもなく、こいつがうわさの本人だろう。

 不自然に人の良さそうな笑みを浮かべる男を見遣って、宵町が私の前に出た。

 ふたりも、さりげなく位置取りを変える。

「どれもせん、っちゅうたら?」

「――どの、トレーニングをしたい?」

「ヴィオ、バトンタッチや」

「大丈夫、言葉は通じてマス」

 あきらめるのが早すぎる。

 半眼になったアップルビーに推し戻されて、宵町が再び怪異に向き直った。

「面倒やなァ。なんで全然知らんおっさんと筋トレせなあかんねん」

「……どの、トレーニングをしたい?」

「大体、女子高生に筋トレ強要してくるおっさんって、もう絵面がきついわ。ごっこ遊びも大概にせえよボケェ」

「…………トレーニングを」

「せんっちゅうてるやろ。よう知らんやつに指図されるんがいっちゃん嫌いやねん、うちは。ほんま、冗談はそのピチピチのタンクトップだけにしとけや」

「――タンクトップの何が悪いッ⁉」

「うわっ⁉ びっくりしたァ⁉」

 めっちゃキレた。

 煽り半分だとしても、身内以外にはやたらと口の悪い宵町に耐えかねたのか、怪異が先ほどまでの不気味なふるまいがウソのように取り乱している。

「この恰好こそ、トレーニングの正装なのだ! ジャージやTシャツなど邪道極まる!」

「急にめっちゃしゃべるやん、このおっさん!」

「なんにせよ、話の通じる〝怪異〟ならやりやすいデスネ」

 冷静に事態の収拾を図ろうとするアップルビーに、宵町が頷く。

「えーと、あんたが〝ジム・アームストロング〟やな?」

「ノー! アイアムは〝ザ・マッスル〟のジョージ・アームストロング! 人呼んで〝ジョージ・ザ・マッスル〟‼」

「テンション高いなこいつ! こういうおっさん苦手やわァ。しかもうわさと名前違うやん」

「いい加減にしたまえ、ガール! 苦手とか言うな! アイアム傷付く!」

 びしりとボディビルっぽいポーズを決めたジム――いや、ジョージが叫ぶ。

 しかし、確かに伝わっている名前と異なっているのは引っかかる。

 最悪の場合、怪異がもう一体いました、とくれば、少々面倒なことになるかもしれない。

「あ、分かりマシタ」

「ヴィオ先輩?」

「ジムって、〝Jim〟じゃなくて、〝Gym〟デスネ。体育館とか、トレーニングルームの意味の」

「つまり、体育館に出るから〝Gym・Armstrong〟?」

「おそらく」

「……しょーもな」

「おいいいいいい‼ なんだね、そのあきれたような眼は⁉ アイアムが何をしたと言うんだ⁉」

 すっかり弛緩した空気になってしまった。

 今まで対応してきた〝怪異〟はどれも見ているだけで肌が粟立つような、怖気を感じさせるものばかりだったが……こういうパターンもあるのか。

 何より、ここまではっきりとした人格を持っているのは初めてだ。

 嬉しくない新発見である。

「もうええわ。さっさとおっさんボコって帰ろ」

「はっはっはっ! ヘイ、ガール! 何をとち狂っているのかね! アイアムのこの筋肉! このマッスル・ボディを見ても、同じことが言えるかな⁉」

「言える。シバく」

「はっはっはっ! ならば、やってみたまえ! そんな細腕で、この〝ジョージ・ザ・マッスル〟が――」

 サイドチェストのポーズで高笑いをしているジョージを見据えて、宵町が懐から扇子を取り出した。

「――倒せる、と……」

 ばっ、と扇子を開くと同時、宵町の身体に紫電が走る。

 何度も目にしてきた、彼女の〝能力〟だ。

「――待ちたまえ、ガール‼」

 その場の空気が震え、今にも解放されようとした時、慌てた様子でジョージが右腕を突き出した。

「なんやねん、おっさん」

「まさか、ガールがアイアムたちの領域に足を突っ込んだ存在だったとは! これは誤算! もしかしなくても、他のガールズもなのかね⁉」

 傍らに立っているアップルビーと花ノ庭、そして私を指さすジョージ。

 厳密には私はただの女子高生なのだが、ここは黙ってそういう雰囲気を出しておこう。

 一応、調子が狂うとはいえ相手は〝怪異〟なのだ。

「せや、っちゅうたら?」

「ふん、知れたこと! ……四対一だぞ! 卑怯だとは思わんかね⁉ アイアムを寄ってたかってリンチして、今日が終わった時にガールはベッドの上の自分を誇れるのか⁉」

 さっきまでの自信はどうしたのか。

 さすがに今度は揃って半眼になった私たちの視線を受けながら、ジョージが両腕を忙しなく動かす。

「どうだ⁉ アイアムが指名したガールと、一対一で競い合おうじゃないかね⁉ これこそがフェアというものだろう! 互いの筋肉マッスルに誓って、正々堂々――」

「分かった分かった。もうそれでええから、誰選ぶねん?」

「哀れなくらい必死デスネ」

 ローマの弁舌家もかくやとばかりに力説するジョージを遮って、宵町が扇子を構える。

 められていると分かって頬をヒクつかせながら、しかしジョージはにやりと笑みを浮かべた。

「では、そこのかよわそ――可憐な、ガールと勝負しよう」

「……わたし、ですか?」

「イエスッ‼」

 無駄にポーズを決めてジョージが指したのは、私の隣に立っていた少女。

 この場で一番小柄な、花ノ庭だった。

「まじデスカ」

「最低やなこいつ」

「恥を知れ」

「うるさいぞっ、ガールズ‼」

 見下げ果てた男――いや、〝怪異〟だ。

「外野は黙りたまえ! さァ、リトル・ガール! アイアムとマッスルな勝負をしようではないか!」

「えっと……」

「かまへん。花の字、思っ切り

「はい、むっちゃん先輩!」

 先輩を差し置いての判断に迷ったらしい花ノ庭に、宵町があごをしゃくる。

 従順というか、一転して前に踏み出したその背中を見遣って、ふたりが同情の視線を送った。

 ――ジョージに。

「さァ! この〝ジョージ・ザ・マッスル〟の真の力を見せてやろうじゃないか!」

「行きます! ――ッ!」

「――――――待ちたまえっ、リトル・ガールッ‼」

 虚空から現れた、花ノ庭の身の丈を優に超す大太刀を目にして、ジョージが再び身を乗り出した。

 両腕を突き出して、腰を落としたまま固まってしまった。

 遠目に分かりづらいが、多分震えている。

「ええ加減にせえよおっさん‼ なんやねんお前!」

「聞いてないぞ、ガール⁉ 何だその怪物のような刀は⁉ アイアムは素手だぞ⁉」

「知るかァ‼ ご自慢の筋肉で止めたらええやろ!」

「できるわけがないだろう⁉ ふざけているのかね、ガール‼」

「――お前やッッッ‼」

 大太刀を握ったまま、どうしていいか分からずに立ち尽くす花ノ庭を放置して、宵町とジョージが揉める揉める。

 ようやく仕切り直しという段になって、ジョージが言い出したのはある意味で原点回帰というか、向こうの用意したバーベルを花ノ庭が持ち上げられるか、という勝負だった。

「なんなんやこれ。もう勝負とか関係あらへんやん。ただの筋トレやん」

「はっーはっはっはっ! 最終決着といこうか、ガールズよ! これで負けた方が、ここを出ていく! どちらが勝ってもうらみっこなしだ!」

「しれっと条件ゆるくしてマスネ」

 トレーニング室の床に置かれた、変哲の無いバーベル。

 追加された重りの数から見ても、通常ならば、精々が40キロほどの重さだろう。

 日頃から鍛えている女子高生で、どうにか上がるというところか。

 そこに、〝怪異〟の能力が上乗せされているのだろう。

「さァ! 〝死の浮上デッド・リフト〟の試練へ挑みたまえ! リトル・ガアアアアアアルッ‼」

 バーベルの前に立った花ノ庭が、握りを確かめる。

 四人――三人+一体?――の見守る中、彼女は小柄な身体を屈め、それからひと息に――

「――はいっ」

「――――――――あ、上げたああああああああああああ⁉ ば、馬鹿な⁉ バケモノかね、リトル・ガール⁉ アイアムの力で、トラックほどの重さになっているバーベルを! 上げたというのか⁉」

「そりゃ、花の字はあんなでかい刀振り回せるんやから、膂力もすごいやろ」

「当然の結果デース」

「くっ……! アイアムの、負け……か……! 約束通り、ここを出ていこう」

「いや、出ていくっちゅうか。退治させてほしいんやけど」

「心配するな、ガール。アイアムもマッスル。男だ。約束は守るさ!」

「いや、だから退治――」

「さらばだ、ガールズ! シーユー!」

「退治させろやあああああああああああああ‼」

 窓ガラスをぶち破って逃げていったジョージに、宵町の叫びがむなしく響いた。

「……えっと、依頼は完了、デスカ?」

「…………まァ、仕方あるまい」

 予想外の幕引きに立ち尽くす一同。

 首を傾げたアップルビーに、私は長い長い、ため息を吐いた。




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『ジョージ・ザ・マッスル』 龍宝 @longbao

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