8月18日(木)#2


 カキ氷の冷たさに目をキュッと細めながら、紗代が言う。 

「ママがね、よく穂花ママとご飯行ってきたよーって連絡くれるんだ。だから穂花が大会で活躍してる話とかも聞いてて、元気なのは知ってたんだよねー」

 スプーンを持つその手を彩るミラーネイルが、差し込む太陽の光でキラッと反射した。

「元気でやってるなら、今無理やり時間合わせなくてもこの先どこかで会えるでしょって」

 朗らかに笑う彼女の、この底抜けの明るさは高校生の頃と同じ。

 それなのに、どこか私より大人びて見えた。ただそれは、化粧をしているからとか、長い髪を波打つように巻いているからとか、そんな外側だけの単純な話ではない。

「そういえば紗代は、どうなの?仕事」

 社会に出て、重ねた経験値が目に見えない色気をつくりだしている気がした。

 彼女は2年制の専門学校に通っていて、今年の3月に卒業。そしてこの4月から美容院で働いていることを母経由で聞いている。働き始めて、まだ数ヶ月だろうけれど。

「いやもうね、大変!いっそがしいの、楽しいけどね」

 ザクザクと、氷の山をけずりながら紗代が笑った。

「基本予約で埋まってるからさー。街ってすごいよ」

「へえ」

「この辺なんて、髪切りたい!って思った時に飛び込めば大抵いけるじゃん?文化が違うよね」

「あー。それは確かに」

「ね!まあその分、夜も遅いし朝も早いけど。でもね、できることが増えてくのが嬉しいの」

 キラキラとした笑顔が眩しい。

 働いている以上、辛いと思うこともあるだろうけど、それも含めて充実感を得ているように見えた。今を全力で生きています!と全身で訴えているような。

 自分の道を楽しみながら突き進んでいる人は、こんなにも輝いているのだと痛いほど実感する。

「でね、先輩で良い人がいてさ〜すんごい仕事できるし、優しいし、超カッコイイの!彼女いるかなあって今探り中」

「……」

 感心した途端、急カーブもいいところだ。遠心力で吹き飛ばされそう。

「あ、その顔。また男の話って思ったでしょ!」

 呆れているのが思いきり顔に出ていたらしい。それでも全く気分を害していない紗代は、むしろ楽しげに笑う。漂う色気は増していても根本の性格は変わっていなくて、私もつられるように笑った。

 大人びて見える要因は、社会人になったからだけではなく、好きな人を追いかけるこのエネルギッシュさもあるのだろうか。

「……私は大学生のうちはできないと思うなあ、たぶん」

 言いながら、ひょいと口に放り込んだその一口が、自分で思っていたよりも大きな塊だった。ガツン!と夏の衝撃が脳を揺さぶる。

「そうなんだ、じゃあ好きな人とかもいないの?」

「…………」

 何気ない質問に対してのこの無言は、冷たい氷を飲み込んで言葉を返せる状態じゃなかったから、と言い訳しておきたい。

 念のため説明しておくと、私たちバスケ部は学業と部活の両立が最優先ではあるけれど、特に部内で恋愛禁止というルールがあるわけではない。だからメンバーの中には彼氏彼女がいる子もいる。

 しかし私に限っては、大学で出会う人たちをそういう目で見たことが全くない。この3年弱、ただの一度も。

 同じバスケ部として常に顔を合わせる男子たちは切磋琢磨する同志みたいなものだし、スポーツ推薦枠の学生は基本おなじスポーツ科学部に所属しているため、学部のメンバーは部活とイコールみたいなもので変わり映えしない。

 だから投げかけられた彼女の問いに、口内の氷と懸命に闘いながら真っ先に思い浮かんだのは、大学での出会いだった。そして瞬時に思い浮かんだ顔を、慌てて頭から追い出す。

 ポン、と頭を撫でられた感触。

 名前と顔しか知らないあの人より、というか本当の名前すらもまともに知らないあの人より、もっと密に関わっている人はたくさんいるはずなのに。

 向こうで毎日顔を合わせていたはずの彼らより、今、私がいちばん知りたいと思うのはひとりだけ。

「……気になってる人はいるんだ」

 勘の鋭い彼女は、一瞬私の目が泳いだのを見逃さなかった。シャク、と氷を噛みながら、「ふーん」と面白がるように言う。

「いや、別にそんなんじゃ……」

 ない。

 わけでも、ない。否定しきれないのが悔しい。

「えーー気になる!同じ部活の人?同い年?」

 どんな人?かっこいい?どこが気になるの?とよくそんなポンポンと出てくるなと呆れるほど、紗代が身を乗り出して食いついてきた。

 こじんまりとした店内には常連らしき高齢者が多く、あちこちで和気あいあいと盛り上がっている。これだけ人がいるのに、私たちの盛り上がりを気にするそぶりはなく、皆それぞれの会話を楽しんでいた。

 自分たちのテリトリー内での話しか頭に入ってこないこの現象、確かカクテルパーティ効果といったか。人間の脳は本当によくできていると思う。

「向こうに住んでる人なの?」

「いや、えーっと」

「部活の先輩とか?」

「あーまあ……」

「えー!いいじゃん、絶賛片想い中?」

「か、片思いっていうかその」

「楽しいよね片想い!しんどい時もあるけどさあ、なんていうかそわそわする感じ。2人で会ったりするの?」

 ねえねえ!とこちらが明確に答える前に、矢継ぎ早に飛んでくる質問や感想が顔面に当たって跳ね返る。

「いや、えと……もう先輩は引退してるからそんなに会う機会も」

 と答える私、流れに乗ってしどろもどろに大嘘をつく。

 まさかこちらで会った人だとは言えず(言ったら相手が誰か判明するまで帰してくれそうにない)、大学での出会い前提で進んでいるのを良いことにいちばん身近な先輩を思い浮かべる。「黒髪で背が高くて」と苦し紛れの答えを絞り出すのがやっとだ。

「へぇー!いいなぁ、一緒に授業受けたりするの?」

「いや、学年違うからあんまり……」

「あーそっかあ。でも部活で頑張ってる姿とか見てたらキュンキュンしちゃうよね」

「うー……ん」

「大会に向けて夜遅くまで一緒に練習したりとか!っていうか、穂花と同じ部活ってめちゃくちゃバスケのレベル高いじゃん。うわ青春……!」

「……」

 この、エンジン全開でひとり空想物語の中を爆走するところは相変わらず。

 立て続けに色々と聞かれ、曖昧に返し、そのたびに何故か彼女がうっとりと妄想を走らせ、加速し、ようやく解放された時にはすくいきれなかった氷がとっくに溶けて太陽も山の端に沈み始めていた。

 

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