8月15日(月)#1


 帰省して3日目。

 実家の居心地よさが身体に追いついてきたのか、それとも脳が完全にリラックスモードに入ったのか。

 目が覚めたのは、なんと朝の11時を過ぎた頃だった。

「え、もう昼……?」

 のそりと起き上がって柱にかかった時計を見た瞬間、自らのすさまじい適応力に驚く。昨日は5時半にぱっちり目覚めたというのに、これは順応性が高いというべきなのか、それともただ単純なのか。こんな時間まで寝たのなんていつぶりだろう。

「外が明るい……」

 呟きながらふるふると首を振って前髪を退けると、すっかり昇りきった陽の白い光が室内を満たしていた。

 これだ、やりたかったのは。

 夢が叶った、とひとりで静かに盛り上がる。〝時間を気にせず寝てみたい〟という長年の夢だったものが、まさかの部活引退前に叶ってしまった。

 ただ、少し特別なことをした贅沢な気分に混ざって、もったいない事をしたというわずかな罪悪感もある。午前中はもう終わったようなものだ。

 外ではもう、灼熱の太陽を浴びる蝉たちが、自分たちの存在を知らしめるように大音量で合唱していた。

―― ちょっと寝すぎたかなあ。

 欠伸を噛み殺しながら布団をたたみ、グッと伸びをすると、パキッと背骨の辺りが音を立てる。

 昨日の夜、寝たのは23時ぐらいだったはず。約12時間、一度も目覚めず熟睡していたのだから我ながら大したものだ。

 まあ、向こうに戻ったらできないし……と言い聞かせながら布団を押し入れにしまったところで、ふと、やけに家の中が静かなことに気づいた。

 外からはトラクターが走る音や、農作業をしている日常の音が聞こえてくる。しかし家の中からは物音ひとつせず、人の気配もない。

「……お母さーん?」

 和室を出てリビングに向かうと、テレビは点いておらず、電気も消えていた。家にいる様子はない。

 首を傾げながらスマホを確認すると、通知がふわりと2件浮かび上がる。

『みっちゃんとランチしてくるから』

『朝と昼は冷蔵庫の中のもの適当に食べてね』

 今から30分ほど前、10時半頃。

 母からのメッセージが入っていた。

 みっちゃんとは、私が小さい頃から家族ぐるみで仲の良い近所のおばさんのこと。私もよく可愛がってもらっていたけれど、随分と久しぶりに名前を聞いた気がする。

 娘が紗代といって、私と同い年。保育園から高校まで一緒のいわゆる幼馴染だった。美容師になりたいからと、彼女も専門学校に通うために町を出て行ったため、高校卒業以来会っていない。

 みっちゃんという言葉から急に紗代のことを思い出して、元気かなあと思いを馳せた。

『今起きました。了解』

 そう簡潔に返信すると、冷蔵庫の中のものを求めてキッチンに入る。1番上の扉を開けると、飛び出した冷気が頬を撫でた。

「豆腐、納豆……焼きうどん……」

 それから、私が買ってきた卵と牛乳。目に入ったものにあまり心惹かれず、2段目を引き出すけれど、寮のものとは違ってここは冷凍庫だったことに気づいてすぐに閉めた。

 この時間だったら朝昼兼用になる。ただ中途半端な時間に起きたせいか、お腹はあまり空いていなかった。

「どうしようかな……」

 呟きながら1番下をガラッと引き出すと、目に飛び込んできたのは鮮やかな赤色。

 ラップにくるまれ上を向いていたのは、半分に切ったスイカだった。底にドンと置かれていて、その大きさからか圧倒的な存在感を放っている。日光をたっぷりと吸い込んだ紅の断面が、とても美しい。

 丸々と太ったその姿から、近所のおじいさんが畑で獲れたからと毎年おすそ分けしてくれるものだとひと目で分かった。贅沢なことに小学生の頃からこれを見て育ったから、大学近くのスーパーで売られているスイカを初めて見た時は大きさの違いに驚いたもの。

 久しぶりに見た、このうっとりするぐらい滑らかな曲線。そして甘い甘い中身がパンパンに詰まっている。

「……おいしそう」

 単純なもので、見たら急に食欲が湧いてきた。いそいそと取り出して足で冷蔵庫を閉める。

 さてどうカットしようか、とまな板の上に置いた時、ふわっと背中に当たった風に振り返った。

 繋がったリビングが目に入って、初めて気づく。起きた時に、どこかから入ってくる涼しい風を感じた時から薄々不審に思ってはいたのだけれど。

『ちょっとお母さん』

『いろいろ開けっ放し!』

 スマホを手に取ってそう送ると、慌てて家中を見て回った。

 リビングの白いカーテンが風に揺れており、さらに階段を駆け上がると2階にある両親の寝室にも微かに風が入ってきている。

 母は大事な娘が一人でスヤスヤと寝ている中、窓を開け放して出て行ったらしい。

 さらに念のためと思い玄関の方を見に行くと、扉は閉まっていたが鍵はかかっていなかった。

「……」

 ガチャン、と静かに錠を回してため息をつく。

―― さすが、というか、なんというか。

 この地域では、どこもこれが当たり前だった。久しぶりすぎて忘れていたけれど、そうだった…と思い出して額に手を当てる。

 今の時代、田舎だろうが関係なく、戸締りはきちんとしなければいけないのだろう。しかし夏は基本、風を通すためにこの辺りの家はほぼすべて窓を開け放っていた。それは今も変わっていないようだ。

 私もここにいる時は、近所に出かけるぐらいでは家の鍵をかけたこともないし、自転車の鍵だって触ったこともなかった。大学生になって街の方へ出てから、どれだけ危ないことなのかを知ったぐらいだ。

 手の中のスマホが震えて画面を見ると、案の定『起きたとき涼しかったでしょ?』と得意げな返信が来ていた。

 呆れるほど平和で、ぼんやりしたこの空気。懐かしく感じながら台所に戻る。気を取り直して包丁をスイカの上から入れると、ザクッ!といい音が響いた。

 さすがに勝手に一人で全部食べるのは、と三分の一ほどの大きさに切り分ける。

 それでも結構大きいな、と思った時、ふとある顔が思い浮かんだ。

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