第13話 先輩の決意

「昨日はすいませんでした!」


 僕は昨日、連絡もせずに練習をすっぽかしてしまった事を西成さんに丁寧に謝った。

 西成さんは僕の肩をポンポンと叩き、にっこり笑った。

 何も聞かれなかった。

 色々と言い訳を準備していただけにちょっとだけ拍子抜け。

 さて、気を取り直して……練習! とピッチ横の保護者に挨拶をする。


「こんにちは!」


「こんにちはー!」「よろしくお願いします」


 と数人の保護者が友好的な声を上げる中、隣同志でヒソヒソ声を潜めながら話をしている数人のママ達がイヤでも目に付いてしまう。

 何を話しているのだろう?

 強張りそうな体をほぐすように、腕を上げ肩ストレッチしながらピッチに入った。


「あの人………………らしいわよ」


「………………なんだって」


「え? それ本当? やだー、大丈夫?」


 僕にはこう聞こえる。


「あの人同性愛者らしいわよ」


「小児性愛者なんだって」


「………………って事はさ、………………じゃない? やだこわーい」


「同性愛者って事はさぁ、変態じゃない? やだこわーい」


 と言っているような気がしてしまう。

 心臓がバクバクと大きく波打ち、冷や汗が流れる。

 呼吸が苦しい。

 あれ、僕なんかおかしい。体におもりが付けられたように足が重い。

 ガクガクと体が震える。怖い……人の目が。

 ヒソヒソ話が僕を追い詰めて行く。


「あの人、あの人!」「えー! やっぱりー」


 負の思考ばかりが、脳を支配していく。

 ヒックヒックと訳の分からないしゃっくりの後、頬に熱い液体が流れる。

 掌で頬を拭った。


――涙? なんで?


 頭はジンジンと痺れ出し、脳は逃げろ! と指令を出す。

 嫌だ。ダメだ。逃げちゃダメだ。僕はリオに親としての背中を見せるんだ。

 陽光の下で輝く芝生を眺めながら、袖口で涙を拭い、呼吸を整えてホイッスルを吹いた。


 ピッピーーーーーー!



 ぐったりと重い体で、リオを連れて家に戻る。

 リオも練習で疲れたのか、帰りの車の中で眠ってしまった。

 二階のベッドに寝かせ、僕もしばし隣で横になる。

 冷たい風とお日様の匂いを感じながら、指の背でそっとリオの頬に触れた。


 柔らかい。暖かい。


 僕はまだ壊れてはいない。

 苦しかったけど、最後まで頑張れた。リオがいればきっと次も頑張れる……



「ナツ、ナツ!!」


 先輩の声で目を覚ました場所は二階のベッドの上だった。

 僕もリオも練習着のままだ。

 あのまま眠ってしまっていた。


「また何かあった? スクールで何かあったか?」


 先輩は僕の両肩を掴み激しく前後に揺すりながら声を荒げた。


「へ? いえ、何も」


「何も? じゃあ、何で泣いてるの?」


「え? 泣いてる?」


 両手を頬に当てると、濡れていた。僕がさっきまで横向きに頭を乗せていた枕には、地図のように濃いしみが出来ている。

 リオはまだ気持ち良さそうにぐっすりと夢の中だ。


「先輩、すいません。またお迎え行けなくて」


 先輩は心配そうに僕の様子を眺めながら、首を横に振った。


「いいよ」


「ごはんも作ってなかったです」


 僕達の話し声で目を覚ましたのか、リオはムクっと起き上がった。

 寝ぼけ眼をパチパチと瞬かせ「おしっこー」と声を張り上げた。


「あ、おしっこ!」僕が慌ててリオを抱こうとして、先輩が制止する。


「俺が連れて行くよ。お前休んどけ。飯は出前かなんか取ろうぜ」

 そう言って、リオの手を引き、部屋を出て行った。



 先輩のチョイスした出前メニューはピザ。


「カロリー高すぎません?」


「別にいいだろう。早いし!」


 確かに。

 注文から30分足らずで届いた、高カロリーのピザをビールで流し込み、おまけで付いてきたコーラを、リオは美味しそうにゴクゴクと飲んだ。

 変な時間にお昼寝してしまったリオが、本格的に寝付いたのは、11時を過ぎた頃だった。

 僕と先輩の間で深い寝息を立てるリオを確認し、僕達は起き上がり、一階のリビングへ降りた。


 先輩はコートのポケットから煙草を取り出し、庭の方を見ながら顎を上げる。

 タバコ吸いに行こうぜの合図だ。

 僕は、冷蔵庫から缶のハイボールを取り出し、先輩の後に続く。

 リオが寝てからの僕達の楽しみだ。


「ナツ」


 サッシの縁に腰かけ、震えながらハイボールを一口飲んだ先輩が、深刻そうに口を開いた。


「はい」


 僕はタバコに火を点けながら答える。


「お前、大丈夫か?」

「……」

即答できずに、俯いた。

 先輩は僕を一瞥した後、こう続ける。


「俺、お前の相方だよな?」


「相方……」


 同性愛の世界では、恋人とかパートナーの事を相方と表現する。

 一般的かどうかはわからないが、僕の中で相方という言葉は特別な人を差す言葉だ。


『俺はお前の相方』先輩のその言葉で、僕の涙腺は崩壊する寸前だった。


「だから俺はお前が苦しんでいたら、それを解ってやりたいと思う。どうにかしてやりたいと思う」


 先輩はそう言って、青白い煙を真っ黒い空に吹いた。


「俺は心のどこかで、俺は同性愛者じゃないと思っている。俺ノンケだし、今愛してるのは男だけど、子供もちゃんと作ったし、女も抱ける。俺は同性愛者じゃないっていう気持ちがどこかにあるんだ。だから、正直そんなに辛くはないんだと思う。テレビのお笑い番組で、有名な芸人が、ゲイを誇張して、誰彼構わず男に抱き付くコント見て、この前まで、普通に笑っていたんだ。でも、今は全く笑えねぇ。


俺の相方はゲイだけど、そんなんじゃねぇよって。男なら誰彼構わず発情して抱き付くような面白れぇ奴じゃねぇんだよ!って、俺はムカつく! でも、お前は傷付いてんだよな。辛いんだろう?」


 ついに僕の涙腺の決壊は崩壊した。


「ううううううう……はい。辛いです」


 僕の頬に、滝のような涙が伝う。


「逃げようぜ。新宿に戻らないか? お前がお前らしく居られる場所なんだろう」


「先輩……。でもリオはようやく新しい保育園にも慣れてきて……」


「ばか! リオは俺の息子だ! どこでだってやって行けるさ」


「僕、またミラノに戻っていいですか?」


「ゲイバーのバーテンは、リオに胸張れる仕事か?」


 僕は涙声で、でも堂々と答える。


「はい、胸張れます」


第三章完結

最終話に続く

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る