第11話 怒りと愛

 築35年の2LDKの戸建ては想像以上にボロく、「すげぇな」先輩のその言葉を最後に僕たちは無言になった。

 戸建てと言っても日本家屋のような古民家風な感じでもなく、例えるならドラえもんに出て来る、のび太の家のような感じだ。庭付きと謳っていたが、それは猫の額ほど。窓を開ければすぐそこに、お隣さんちの窓。

 玄関を開ければ車一台分のスペースがあり、狭い通路を挟んですぐお向かいさん。

 隣の住人を未だ見た事がない、新宿の僕のアパートの方が、よほどプライベート感がある。

 ただ、キッチンやお風呂は広々としていて、トイレもリフォームしてあり、きれいではあった。


 一階がリビングとダイニングキッチン。

 二階に二部屋。何も置かなければ、リオが思いっきりボールを蹴れるスペースは確保できそうだが、壁はもろそうだ。

 壊れるかも。


「どうします?」


「即決はないかな」


 先輩はキョロキョロと部屋を見回しながら僕と同じ意見を口にした。


「一回持ち帰って、検討します」


 そう、不動産屋のおねぇさんに告げ、その物件を後にした。


 帰りの電車の中は空すいていて、座っている乗客は眠っているか、イヤホンを耳に突っ込み携帯を手にしている。僕たちは2人並んで赤いシートに座った。


「なかなか難しいな。どうする? 明日、新宿のマンション見に行く?」


 腕組をしながら先輩がぼそりと言った。

 八王子や西日暮里に住む理由はない。

 利便性のいい新宿にするか、リオと会いやすい町田にするかの二択だ。


「もし町田にしたら、僕たち間違いなくご近所さんからゲイカップルって目で見られちゃいますよね」


「それは別にいいんじゃね。そうなんだから」


「僕はいいけど、先輩はそうじゃないから」


「何が基準なんだよ。俺もそうだろ」


 僕は夕べの事を思い出し、じゅわっと熱を帯びる中心部分を思わず両手で覆った。


「電車の中でそんな話しないでください」


「お前が先にそんな話したんじゃん」


 先輩は、少し顔を赤らめて、背けた。


「でも、リオや元奥さんの実家にはバレちゃまずいでしょ」


「まぁ、それはそうだな」


 僕たちは再び、無言になった。



 新宿駅に到着し、帰路に着く。


「今日、晩ごはん、外食しません? お腹空きましたね」


「そうだな。腹減った」


 朝ごはん以来、何も食べていなかった僕たちは、夕刻5時という中途半端な時間に無性にお腹が空き、歌舞伎町に向かった。


「初めてですね。二人きりで外食とか」


「そっか。そう言えばそうだな」


「デートみたい」


「ばか!」


 二丁目ならもっとくっついて歩けるけど……。そんな微妙な距離を保ちながら僕は先輩の半歩後ろを着いて歩く。

 歌舞伎町の赤い門をくぐると、ふわっと嗅ぎ慣れた香水の匂いが鼻腔をくすぐった。

 すれ違ったトレンチコートの男の姿を、自然と視線がついて行く。


 ミチルだ!


 その隣には……半袖マッチョ。ディーノ!

 僕は思わず振り返って立ち止まった。

 気が付いたら、追いかけていた。


「ミチル!」


「ナツくん」


 目を見開くミチルの両肩を掴んだ。

 ミチルは僕が何を言いたいのか分かっている様子で、顔を背けた。


「バカじゃないの」


「放っといてよ」


 ミチルは僕の手を押し退ける。


「放っとけるかよ」


 僕はミチルの肩口を引っ張りながら、ディーノを睨みつけた。

 そんな僕のパーカーの肩口が、強く引っ張られる感触で我に返った。

 先輩は僕の服を引っ張りながら、その場から引き離すように引きずった。


 その場所から1分とかからない居酒屋に引きずり込まれる。

 少し怯えた様子の店員に、訊かれていないのに「二人」と雑に告げ、僕たちは個室に案内された。

 そこは、パーテンションで簡易に仕切られている半個室になっている。

 先輩はようやく僕を解放して、座敷に上がった。

 俯く僕に「ビールでいいよな?」

「はい」

 案内した店員に、「生二つ」と告げた。

 僕もすごすごと靴を脱ぎ、店員に軽く会釈をして、座敷に上がる


 通路側は仕切りがなく、カウンターには半分ほど客がこちらに背を向ける形で座っている。

 

「お前の元彼氏かよ? あ、彼女か?」


 強引で無神経な先輩の行動に、僕は無性に反抗したくなった。


「立場的には彼女ですね。僕が突っ込む方だったんで」


「知りたくねぇよ、そんなの」


 先輩の目は尖り、唇は怒りで震えていた。


「事情を聞こうとは思わないんですか?」


「聞いてやるよ。言えよ」


「あの子と一緒にいた彼、HIVキャリアなんですよ。僕は交際を止めようとしていたんです。それで昨日帰りが遅くなったんです」


「なんでお前が止めるんだよ」


「止めるでしょ! 普通。命に係わるんですよ」


「別れたんだろ? お前にはもう関係ないだろう。そいつが自分で決める事なんじゃないのかよ」


 僕は黙り込んだ。

 確かにそうなんだけど、そんな風に冷たく割り切れない。


「行けよ。未練があるなら、俺の前から消えろよ」


 僕はいじめっこに追いつめられたアマガエルのように、震えながら首を横に振る。


「消えません」


「生二つですねぇ」

 何の空気も読まない、読む必要もないアルバイト店員が、テーブルにジョッキを二つ置いた。


「俺にはわからないよ。お前たちの世界の事は」


 そう言って先輩は乾杯もせず、ビールを一気に半分ほど体内に落とし、ドンっとテーブルにジョッキを叩きつけた。一瞬店の中が静まり返る。

 でも、誰も振り向かない。店内はすぐに賑やかさを取り戻した。


「逆だったらお前どう思ったよ? 俺が突然、女の尻追いかけて行ったら、お前は平常心でいられるのかよ。いつもいつもこっちとそっちって壁作って、被害者面して主張するけど、こっち側の気持ち考えた事あんのかよ!」


 先輩は声を荒げる。


「お前にとったら俺は何番目の男か知んないけど、俺にとっての男はお前だけなんだよ! 一生涯、お前だけなんだよ!!」


 僕はその言葉、死ぬほど嬉しいですけど……先輩……

 店中に聞こえてます。その声。


「すいませんでした!!」


 不甲斐ない試合の後のように、僕は声を張り、怒り狂う先輩に向かって礼儀正しく頭を下げる。

 もう許してほしい。すっごく恥ずかしい。

 僕は震える手でメニューを手繰り寄せる。

 注文するメニューも決まってないけど、通りすがりの店員さんに「すいません」と小さく手を上げた。


 ◇


「あら、あんた……ラッキーすけべ3連チャンみたいな顔しちゃって、どうしたの?」


 ラッキーすけべ3連チャンと、ママに揶揄されるほど僕はにやけていた。幸せの絶頂だった。


 瞬間湯沸かし器並みに沸騰が早い先輩は、冷めるのも早い。

 歌舞伎町の居酒屋で腹八分目くらいまでお腹が満たされた頃には、もう僕たちは、明日の計画についての話題に花を咲かせていた。

 それはまるで、新婚カップルが新居を探すような物だった。そしてその計画の中心には常にリオがいて、新生活への期待に胸が躍った。


 そして今夜、僕はある決意を持って、ゲイバーミラノに出勤していた。

 ニヤニヤしながら僕の顔を指さすママに告げる。


「しんごママ、お話したい事……」があります。


 言いかけてドアベルが鳴った。

 カランコローン。


「あら、いらっしゃーい」

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