第10話 好奇の目

「ただいま」


「おかえりなさい」


 僕はもう泣いてない!

 リオはあんなに嬉しそうにママの元へ帰ったのだ。きっとそれがリオにとって一番幸せな事なんだ。リオの幸せを決めるのはリオ自身だ。


「行こうか」


 先輩は親指を立て自分の後ろに向けた。


「はい」


 僕たちはこれから、リオが泊まりに来た時のために、広々とした部屋を探しに行く。


「あのさ、戸建て! 新宿に拘らなければ10万以下でもけっこうあるんだよ。ネットで見てたんだけど」


「どこら辺ですか?」


「八王子とか、西日暮里とか……町田とか!」


「町田?」


 町田は、リオが暮らしている街。先輩が暮らしていた街だ。


「確か、町田って小田急線一本で行けますよね。新宿から」


「うん」


「でも、僕、終電には間に合わないです。始発で帰る事になります」


 そうなると、先輩とはまるっきりすれ違いの生活になってしまう。イヤ……かも。


「お前さぁ、ゲイバー辞める気ないの? 本当は調理師目指してたんじゃないの?」


「まぁ、そうですけど」


 ゲイバーを辞めるという選択肢はなかった。僕が、唯一僕らしくいられる場所。それは2丁目以外ないと思っていた。


「辞めたくないなら、やっぱり新宿で少し広めの部屋探すか」


 先輩は、僕を試すような口調でそう言った。


「辞めてほしいんですか?」


「いや、俺の口からはそんな事言えない。俺は別にどっちでもいい。お前が決める事だよ」


 僕は、揺れていた。

 ゲイバーを辞めれば、いつでもリオに会える場所に住む事ができる。

 いつでも会える保障はないが、少なくとも新宿にいるよりは可能性は高くなる。


「一応、町田の物件、見に行きたいです」


「行ってみようか」


 先輩はそう言って、携帯を操作した。


 初めて降り立つ街。町田市。

 僕は右も左も分からず先輩に着いて行った。

 新宿よりは住みやすそうという印象だった街だが、駅周辺はかなりの人通りがあり、空気も新宿と変わらない。


 僕はキョロキョロと目線の先で捜してしまう。

 もしかしたらどこかにリオがいるかもとか……。

 見つかるわけもなく、駅近くの不動産屋に入った。


「いらっしゃいませ」


 カウンターの向こうで女の人の声がしたが、案内してくれるわけでもなく他のお客の対応に追われているようだ。

 壁に貼られている物件を見ながら、先輩が立ち止まり「これ」と、貼り紙を指さす。

 家賃9.6万円。築35年。戸建て。2LDK。


「いいですね」


 僕たちはキョロキョロと店内を見回し、相手にしてくれそうな人を探す。


「先輩。僕たち、どんな風に見られますかね?」


 ずっと気になっていた事を口にした。

 男二人で、賃貸物件を観覧に来た僕たちを、不動産屋さんはどう思うのだろうか?


「別に、友達同士でシェアするって言えばいいだろう」


 確かに。この複雑な関係を、わざわざ説明する必要はない。

 うんうんと頷き僕は先輩に着いて行く。

 ちょうど、カウンターで相談していた客が立ち上がり、受付の女の人の手が空いたようだ。


「すいません」


 タイミングよく、先輩がその人に声をかけた。


「いらっしゃいませ。どうぞ」

 椅子に手を差し出した。

 二つ並んだ椅子に、僕たちは隣同士で座り、見たい物件があると告げた。


「ご入居のご予定日はいつ頃でしょうか?」


「えっと……いつでも」


「こちらの物件は即入居可能でございますが、内覧にはご予約が必要となります」


「え? 今日は見られないんですか?」


「そうなんですよぉ。申し訳ございません。家主さんの方に連絡して、鍵を預かってからとなりますので……」


「明日はどうですか?」


「確認しますね」


 しばし待たされた後、先ほどの女の人が明るい顔で戻って来た。


「確認したところぉ、今から内覧オーケーとの事でしたのでご案内しますね」


「やったー!」


 僕たちは向き合い、手を取り合った。


「やったー」


「よかったですね」


「うん、よかったな」


 そしてふと、周囲の視線を集めている事に気付く。

 ヤバい。僕オカマぽかったかも。

 間近で見つめ合っていた顔を、同時に背けた。

 誤魔化すように咳払いしてみる。

「んっ、んっーー」


 見てはいけない物を見てしまったと言わんばかりにわざとらしく視線を逸らす人。空気読まずに凝視する猛者。いかにも汚らわしい、或いは珍しい物でも見てしまったかのように、連れとひそひそ話をするバカップル。


 そんな好機の目に晒され、僕はあの時の苦い記憶が蘇った。


 目の前のカウンターでさっきまで普通に接していた女の人も、目のやり場に困っているかのように、視線を泳がせている。引いてる。絶対引いてる。


「先輩、帰りましょう」


 小さい声でそう訴えながら、僕は先輩の袖を引いた。

 先輩の肩はワナワナと震えていて、手は堅く拳を握っていた。

 やっぱり僕は2丁目から出てはいけない存在なんだ。


「先輩……すいません。僕……」


 その時だった。先輩は、硬く握った拳をぱっと開いて、僕の手をぎゅっと握った。


「え?」


 そしてぴったりと隣に引き寄せた。


「見に行きます! その物件。お願いします」


 そして、僕の顔を見て、力強く頷き笑った。

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