第7話 嫉妬

 閉店後、僕はミチルと新宿公園に行った。

 公園には何組かのゲイカップルが楽し気にいちゃついて、自由を謳歌している。

 ベンチに腰掛けると、夜風が昨日より冷たさを増した事に気付く。

 厚手のパーカーじゃ足りなくなって来たな。

 ポケットに手を突っ込み、寒そうに肩を竦めるミチルの肩を抱いた。

「寒そうだったから」


 ミチルは満面の笑みを湛えてこう言った。

「あったかい」


 パーカーのファスナーを開け、片側を広げミチルを包んだ。


「僕もあったかい」

 体の中心が、じーーんと熱くなる。


「相談て何?」


「さっきのタイ人の彼。HIVキャリアなんだ」


「はぁ?」

 僕は思わず、無神経な声を上げてミチルの顔を覗き込んだ。


「付き合ってほしいって言われてるんだ」


「ダメでしょう? やったの?」


「まだやってない。そんなにムキになるじゃ事ないよ。ちゃんとゴム付ければ」


「何言ってるんだよ! 知らないわけじゃないだろう! 発症しなくても、一生苦しむ事になる。絶対に引き返せなくなるんだよ」


 両肩を掴んだ僕に、ミチルは訴える。


「やっと、ナツ君を更新できる人と出会えたんだよ」


 ミチルは今にも泣き出しそうに僕の顔を見た。


「それでもダメ! 絶対ダメ」


 僕はミチルを強く抱きしめた。思い留まってくれ。その一心だった。

 ミチルは僕に止めて欲しいんだ。止めてもらいに来たんだ。そう思ったから僕は絶対に認めないと決めた。


「いい人そうに見えても、ベッドで豹変する人だっているんだ。コンドームでも100%は防げない。ミチルはウケだから、リスク高すぎるよ。お願いだからもうあの人とは会わないで」


 ついに泣き出したミチルの涙を受け止めるように包み込む。

 後ろ髪を撫でながら氷のように冷たいミチルの耳たぶを頬で温めた。


 ごめん。僕は何もしてあげられないのに。


 ◇


 玄関の鍵をそっと開けると、先輩はベッドから起き上がった。


「おかえり」


「リオ大丈夫でした?」


「うん。お前遅かったな」

 ミチルとの話が長引いて、いつもよりも2時間も遅い帰宅だった。


「ちょっと、お客さんに付き合ってて」


 先輩は無言で、僕の顔をじっと見つめている。見透かすように。いぶかし気な表情で。


 ミチルと会っていた。ミチルを抱きしめた。それを先輩が知ったらどう思うのだろうか? そんな思いがつい顔に出ていたのかのかもしれない。

 僕は先輩から目を反らし、誤魔化すように風呂場へ向かった。


「何かあっただろ?」と、浴室に入る僕について来た。


「どうしてそう思うんですか?」


「俺と目合わせようとしないから」


「気になります?」とお道化てみせる。


 気になるかよボケ! といつもなら言うのに先輩は同じ調子で「気になる」と言いながら不機嫌そうに僕の腕を引いた。


「前付き合ってた人と会ってました」


「なんで?」


「溜まってたからに決まってるじゃないですか。先輩は電気消して、好みのAV観ながら、僕は処理してあげるだけ。僕だって――」


 ドンっという音と共に背中と後頭部に鈍痛が走った。僕の胸倉は先輩に掴まれていて、浴室の壁に激しく叩きつけられたのだ。


「突っ込んできたのかよ。好みの男のケツに」


 耳元に先輩の息がかかる。

 僕はふっと笑いが込み上げた。


「嘘ですよ。先輩が思うような事はしてませんよ。したかったけど、我慢しました。リオのママになりたかったから」


 先輩は怒った顔のまま、僕を強く抱きしめた。

 きっと僕が今にも泣き出しそうだったからだ。

 僕がミチルにそうしたくなったように、先輩も僕がかわいそうに思えたんだ。

 でも僕が泣き出しそうな顔をしたのは、悲しかったからじゃない。

 嬉しかったんだ。先輩が怒ったから。僕を失いたくない、他の男に取られたくないって思ってくれている事が。


 先輩はおもむろに、僕の後頭部に手を添えた。徐々に近づく先輩の顔。

 そっと目を閉じると、唇と唇が重なった。

 先輩の指が、僕のシャツのボタンを乱暴に外して行く。


「え? ちょ……先輩?」


 あっという間に上半身裸にされた僕のズボンのベルトに先輩の手がかかる。

「先輩……だめ……。汚いから」

 その手を払いのけようとするも、強引に押し返される。

 先輩はきっと自棄になっているんだ。怒ったままの顔がそれを物語っている。


 僕は先輩にされるがまま、身をゆだねた。

 薄い壁を隔てた向こう側で、寝息を立てているリオを気にしながら、声を出さないよう、必死で口を抑えた。

 

 ◇


「なんで、あんな事したんですか? 先輩は絶対しないと思ってました」


「知るかよ。そんなの」


 先輩は夜風に乗せるように、タバコの煙を吐いて、そっぽを向いた。

 結局、先輩は途中で「ごめん、やっぱり無理」と、申し訳なさそうな顔をして、僕の足元に四つん這いで項垂れた。僕はもう十分だった。

 欲は満たされないが、心は十分満たされて、幸せだった。


「…………するな」


「え?」

 向こうを向いていたせいで、よく聞き取れなかった。


「なんですか?」


 先輩は、意を決したようにこちらを向くと、こう言った。


「他と男とするな」


 そして、僕の肩を抱き寄せた。

 これは……夢なんじゃないか。または、一生分の幸運を使い果たしてしまうんじゃないか。


 けど、僕は思った。

 

 それでもいいや。リオがいて、先輩との距離が縮まった。

 これ以上の幸せなんていらない。


 見上げた空は少し白んでいて、もうすぐ夜が明ける事を知らせていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る