第4話 ママになりたい

「そりゃあ、あんたウザイわ。せっかく嫁と別れて自由にやってるのに、そんなんじゃ逃げられるわよ」


 ママは咥えていたタバコの煙をふーっと吐き出した。


「だって、子供の事心配じゃないですか! 親権取れるチャンスかも知れないのに」


「彼は親権、欲しがってるのかしら? 子供なんて鬱陶しいと思ってるかもしれないわよ」


「そんなわけ……」あるかも。


 確かに先輩はリオとの時間を作るために転職した。

 会いたいとか、忘れられたくないとは言っていたが、一緒に暮らしたいとは言わなかった。

 最初から諦めているだけかのように思えたが、実の所はどうなんだろう?


「男なんてさ、自分が一番かわいいんだから。オカマの思考とはちょっと違うのよ」


「僕、オカマじゃありません」


「あら、わかんないわよ。あんただって10年後にはオカマっぽくなってるかもしんないわよ」

 そう言って、くにゃっと手でしなを作った。

 まぁ、その可能性は否定しない。


「時々オカマっぽいから、気を付けた方がいいわ」


「うっそーーー!!」


 前視床下部間質核の事実よりショックだった。


「ほら、その手つき」

 と、僕の手を指さす。

 よく見たら、脇を締め、揃えた5本の指を口元に当てていた。

 

 ◇


 できるだけ物音を立てないよう、慎重に自宅玄関の鍵を開けると、グレーのスウェット姿の先輩が立っていた。

 ひそひそ声で「おかえり」。

 意外にも優しい笑顔だった。


 僕も合わせてミュートで答える。


「ただいま。リオは? 寝ました?」


「うん。8時半ぐらいに眠った」


 靴を脱ぎ上がると、先輩が僕の二の腕を掴み、口元に顔を寄せた。


 ん? キス? こんな事は初めてだ。


「もしかして、キス? していいんですか?」

「バカか!」


 先輩は警戒したように体を離して、今度は手を僕の鼻先に近付けた。

 タバコ臭くない。いつもはタバコの匂いがしているのに。

 なるほど。タバコ我慢したアピールだな。誉めて欲しいんだ。


「タバコ吸わなかったんですね。さすがパパですね」


「うん」

 と嬉しそうに笑った。


「今日、悪かったな。俺……」


 と、キッチンで手を洗う僕の顔を覗き込む。

 出がけの悪態を反省しているようだ。


「いいですよ。慣れてるんで」

 本当は猫パンチ食らった大型犬みたいな顔してましたけど。


「明日なんだけど、リオの事どうしていいかわからないんだ。託児所は年間契約じゃなくて、予約制らしくて、予約しないと利用できないみたい」


「そうなんですね。なんで託児所に入れるんですか? 僕いるじゃないですか」


「いや、でもお前に負担かけるかなって」


「はぁ? いい加減怒りますよ。ちょうどいいじゃないですか! 昼間僕が見て、先輩が帰ってきてから交代してって!」


「でも、リオはけっこう手がかかるんだ。やんちゃっていうか……」


「全然問題ないです。男の子はやんちゃぐらいがちょうどいいですよ。先輩が帰って来るまでにくったくったに疲れさせておきます」


 先輩は僕の顔をじっと見つめる。

 僕は先輩の顔を見ながらうんうん、問題ないと頷いて見せた。


 ベッドでバンザイの恰好でスヤスヤ眠るリオを見届け、二人でそっとベランダに出た。

 温まった部屋の空気が冷たくならないように、さっとサッシを閉める。


「さぶっ!」


 ベランダの柵に両腕を乗せ、二人で空を眺める。相変わらず星なんて一個も見えない。


「連絡帳、読みました?」


「読んだ」


「何かわかりました?」


「一ヶ月ぐらい前から、お迎えの時間に遅れがちだったみたい。24時間保育もかなりの頻度で利用してた」


「そうですか。思い当たる事あります?」


「男だろう」と、先輩は真っ黒い空を見上げた。


「奥さんて、どんな人だったんですか?」


「2つ年下で、まぁ美人の部類かな。結婚中も多分男いたと思うよ。俺も遊んでたけど、慰謝料とかも請求されなかった。自分も後ろめたい事があったんだろう」


「なんで結婚したんですか? その人と」


「ま、在り来たりの話だが、リオができたから。けっこう揉めたけどあいつ絶対堕ろしたくないって。一人でも産むって言って、ま、俺の方は仕方なく……だけど。最低だろう」


 僕にはその感覚はわからない。全くと言っていい程理解できなかった。


「今は? リオの事愛してますよね?」


「もちろん。あいつの元になんて返したくない」


「引き取りましょうよ」


「でも自信ないんだ。俺ちゃんと父親できるのか」


「僕がいるじゃないですか! 僕何でもするって言ったでしょう」


 僕が育てる! 先輩を立派な父親に。そして先輩にちゃんとリオを育てさせる。


「お前にばっかり甘えられないよ」


「こんな事言ったら変に思われるかもしれませんけど、僕、ママになりたかったんですよ。リオに会う前からずっとできれば子供が欲しいって思ってました。叶わないのに。バカみたいでしょう。もちろんリオのママにはなれないけど……」


「なれるかもな。お前なら」


「え?」


「いいママになれるよ。少なくとも俺たちよりはよっぽどいい親になれる」


 遠くを眺める先輩の背中に寄り添おうと近づいた、その時。

 先輩が急にこちらに振り向いた。何とも情けない顔で。

「タバコ吸っていい?」


「吸いましょう!」


 僕も我慢の限界だった。

 愛情だけでは乗り切れない依存。そんな欠陥をお互いに認め合いタバコに火を点けた。


「あーーー、ダメだな。俺たち」


「ですね。でも、リオの事は愛情いっぱいに育てる自信ありますよ。引き取る手配しましょうよ。親権取りましょう!」


 僕の勢いに気圧される形で、先輩はうなづいた。


「でも、ここじゃ狭すぎですよね。男3人で1ルームって。引っ越ししません?」


「お前に任せる」


「了解!」


 僕は調子にのって、少しだけ先輩の肩に寄り掛かった。

 先輩は少し顔を反らしたが、突き放したりはしなかった。

 ただ、二人の姿を隠すように、濃い紫煙を吐いた。

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